災禍、降る 2

 ――寒いな。

 アズナは思った。

 寒く、暗いのは、空を覆う灰のせいだろうか。

 わずかな赤い光の下、すべての輪郭があいまいに溶けている。うっすらと漂うたまごが腐ったような臭い。湖のざわめき。ぬぐえない違和を抱いていても、長く育った地はいとおしい。

 灰のつもる浜は、もとはまるい小石に覆われていた。もっとずっと幼かったころは、りょうのあいま、大人たちに見守られながら、ここをよくクラトとけたものだ。思い出しながら、滑るように道をたどってゆく。

 あかりが見えた。闇にゆれるとうだ。認めたとたん、船をうつ伏せた形の独特の影が立ちあらわれる。うろふねだ。日の姉神――旭日の柱女神オルフレイア神籬ひもろぎがこもり、しんひらいましどころ。ここにがともるのは、今では珍しい。

 ……そうか、今は夜なのだ。うろふねへ向かう少年は直感する。この闇は灰のせいかと思っていたが、そうではない。たまがきのこちらとあちらでは、時の流れが異なっている。

 ――こちら?

 疑問が浮かんだ。いつのまに自分は戻ってきたのだろう。自分はつい今しがた、こうにいたはずではなかったか?

 ささくれた板戸に手をかける。次の瞬間には、アズナはするりと内側に入り込んでいた。

 とうがゆれる。ゆれている。ちろちろと。集まった男たちの頭越しに、他よりもすこし高いかむくらに座る険しいおもてのクラトが見える。

 いや、クラトだけではない。だれもが真剣な顔をして集まり話し合っていた。

 何の相談をしているのだろうか、と潜りこんだ部屋の片すみで、少年は耳をそばだてる。

「今日は川原へ下りるあたりを掘ってみた」

 クラトを前に弧を描いて座るうちの一人、たくましい腕の男が口をひらいた。コトワケだ。夏至の祭では毎年、ひと抱えもある大岩を軽々と持ち上げてみせるちからまんの男だ。

「水はいたが、どうもあれは使えん。毒がもう混ざっておるのだろう」

「湖に近すぎたか……」

 おのおのが落胆にうめいた。

「無理だとおれは、はじめに言ったさ。なあ?」

「ほかの場所はどうだ?」

 毛織の肩掛けを羽織った男が尋ねた。ナジだ。先ごろマガツヒにわれかけた名残の声のざらつきが、取れていないようだ。

「いくつかスグナたちが調べておったろう。大そで岩の下は?」

「あそこはまだだ。明日、かかってみる」

 うなずくコトワケへ、ほかの者の口から、固すぎて掘れなくはないかと声がかかる。

「いや、人手さえあれば掘れる。くふうはおれにまかせてくれ。トオビシ、畑はどんな感じだ? あぶらがみの覆いの結果は?」

「うまくいってる」

 白髪のまじる男が、呼びかけに答えた。長年日にさらされてしみの浮いたはだをもつ彼は、長老格の一人だ。畑作りが飛び抜けてうまい者でもある。

「覆いの中で育てる考えは、合っているようだ。根もと周りにかぶせた草も土をあたためるのに一役買っておる。上につもる灰は払ってやらねばならんが。さえしまなければ育ちそうだ」

「それはいい」

 コトワケが口もとをほころばせる。

「希望が持てる」

「今のところは、だろ。育ってるのは」

 ヨヅカがくぎを刺した。

「冬を越えられるかまではわからんよな。どれもはじめてやってみてるんだ。何が起こるか予想がつかんだろ」

「おい、のんびり試してちゃおれたちみんな干上がるぞ」

 声をあげたのはハザサだ。あいかわらずのひねた目つきだった。にえに選ばれたとき、アズナを真っ先に捕らえに来た不愉快な男の顔は、忘れようとしても忘れられない。

「だいたいな、めしが食えてもマガツヒにゃやられるままじゃねえか。おれたちゃいつまでおびえて暮らすんだ?! さっさとにえを差し出しちまえ! 他はマガツヒをしずめてからやりゃいいんだ」

 鼻息荒く一同を見まわしたハザサの目が、クラトの上にとまった。

「俺はうらんでるんだぞ、あしはらの子を逃がされてよ。あれがいちばんあいが良かったんだ」

あいが良かった?」

 クラトの肩がピクリとねた。

「そうだあいが良かったんだ。あれにゃりがねえだろ。にえにちょうどいいんだ」

 男は一度言葉を切る。

おれおぼえてるんだ。十四年前か? おまえの母親――神籬ひもろぎミトメがあしはらであれをひろってきたとき思ったんだ。ああ女神さまがいざってときに役立てろって、くださったんだ、ってな。それをよ!」

 まくし立てるハザサをクラトがさえぎった。

「思い上がりもはなはだしい」

「なんだって?」

神籬ひもろぎでもない者が、かってに女神の意図を推測するなど思い上がりだ」

「てめぇっ!」

 しきばみつかみかかろうとする男を、周囲の者たちがあわてて止める。

「そもそもひよっこのおまえが、なんだってそこに座ってるんだ!」

「ここがぼくの座るべき場所だからだ」

 答えるクラトには表情が無い。どうしたのだろう? アズナは思う。クラトがクラトに見えない。

「ふざけるなっ! そこは神籬ひもろぎの座だ、大人でもねえおまえなんかが――」

「そうとも、神籬ひもろぎの座だ。わからないか?」

 なおもり散らそうとする男を、クラトの視線がくしした。居合わせたすべての者が息をむ。夜を映すやわらかな黒い瞳が色を変え、夜明けの黄金色の鮮烈なこうさいがあらわれる――。

 神宿やどす、色。

 言葉をうしない、ハザサが腰からくずれ落ちた。

せん神籬ひもろぎは代替りした。先の神籬ひもろぎミトメは、七つまでの子らと同じほどにたまいろが薄くなっている。ぼくやねえさんがつなぎとめる意思を弱めれば、すぐにでもたまけて体ごと消滅してしまうだろう。だからぼく神籬ひもろぎとなった」

 クラトは立ち上がり、男たちを見まわした。

みなも気づいているはずだ。今のところ湖にひとりきりで近づかない限りは、マガツヒに襲われない。ある程度被害はけられるんだ。それでもどうしてもにえが必要だと言うなら、ぼくをマガツヒに捧げろ。マガツヒもただびとらうより満足するだろう」

 だけど、と彼はつづけた。

ぼくにえにすれば、同時に女神の加護も消える。けの女神の声を聞くことも、しんを引き出すことも、二度とできなくなるぞ。

 ああそうだ、ねえさんを神籬ひもろぎにはさせないよ。いすれば、ねえさんは自分ののどを突く。人のままたまけするってぼくに約束したんだ」

 男たちがざわめく。もはや脅迫だ。

 クラトがふたたび彼らを見まわす。強き神宿やどす黄金が、場のすべてを圧倒する。

「マガツヒの件がなくても、ぼくはこの村を変える。生まれてくるあかが減ってるのは、みな知ってるはずだ。それに生まれても、育たなくなってきてる。同じ土地の中で血を重ねすぎて、血そのものが弱ってるからだ。仮にかきの時を引きのばしてみなの寿命をのばしたとしても、今のままならすぐに行きづまる。数代待たずにぼくらは滅ぶぞ」

 またもやざわめく男たちのはしばしまで届くように、クラトははっきりと言葉をつむいだ。

たまがきひらいて、かいの血を入れる。いなやは認めない。これがぼくの考え、神籬ひもろぎのあらわす女神の意志だ」



 集まっていた人々がうろふねを出て夜道に消えてゆく。ちいさなを手に、二人ずつ組になっておのおのの家族のもとへ帰ってゆくのだ。

 最後の一組を送り出して、ほ、とクラトが息をついた。うろふねに満ちる闇が静かにゆれる。固い横顔が、ほんのわずか常の穏やかさを取りもどした。

 戦いを一つ終え、ほそい肩に乗せたろしたような、けれどまだどこか張りつめたものを残す友へ、『クラト』とアズナは声をかける。

 友の肩がねた。

「アズナ?!」

 ふり向いた友の目は、変わらぬ異質の色だ。

「ずいぶん早くもどって――ああ、違う」

 くしゃりと彼は顔をゆがめる。安堵と落胆と、隠し事を見つかったときのばつの悪さと。もろもろが入りまじって見える複雑な表情だった。

「無意識にその姿でけてきたんだね。ダメだよ、アズナ。早く帰らなきゃ、戻れなくなってしまう。だいじょうぶ、君が村へ戻ってくるまで持ちこたえてみせるから。心配しないで」

 やわらかく笑ったその瞳をあらためて目に映して、アズナはつづける言葉をうしなった。

 どうして、と叫びたかった。

 どうして、こんな、と。のど奥から熱い塊がこみ上げる。

 だれかをせいになんて。


 ――だれかをせいになんてしちゃいけないと言ったのは、クラトなのに!


 悲しみ。いや、悲しみのまじったいきどおりだった。

 金色にり変わった瞳。もうけっしてもとにはもどらない瞳。マガツヒがやって来なければ、にえとなるアズナを逃がさなければ、もっとずっと先になるはずだった、もしかすれば立つことすら無かった神籬ひもろぎという名の別のにえに、クラトはなってしまったのだ。

 神籬ひもろぎとなった者は、の沈むこの地につながれてり減ってゆく。受け入れたけの女神からしんを引き出すごとに、だいしょうとしてすこしずつたましいの色をうしなってゆくのだ。やがてそのたまいろが完全にうしなわれたとき、神籬ひもろぎたましいは消え、体はちりへと変わる。のこされた者たちが死をいたむためのなきがらすら残らず、二度と生まれ来ることもない完全な消滅は、定められたこととはいえあまりにも酷い最期ではないか。

 言葉を探す。唇がわななく。

『……ッ、バカクラト』

 しぼり出した声は、どうしようもなく震えた。なじりたいわけではない。だが、ほかにうまく言葉にならない。

「うん。……ごめんね」

 笑みをくずさないまま、残酷な友がうなずく。

ぼくはだいじょうぶだから。アズナ、心配しないで」

 伸びてきた腕が、こちらの肩をやわく突いた。暗闇がアズナを受け止め、やさしくつつみ込む。落ちてゆく感覚。

「自分の体へお帰り」

 耳もとでごう、と風が鳴って、暗い赤の光が急速にしぼんでいった。

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