四章 ◆故郷

災禍、降る 1

 部屋へもどるやいなや、枕をつかみ壁に投げつける。勢いよく当たりねたそれにさらに腹立たしさを刺激されて、イーリエは叫んだ。

「なによ! なんなのよあれ、バカにしてるわ!!」

 おびえたようすでこちらをうかがう侍女まかだちを無視し、つかんだ別のひとつで感情のままにいく度も床をたたく。飛び出した羽毛が花びらのように、ひらひらと宙を舞った。

 ケルス王太子ラン・ケルスがあんな男だとは思ってもみなかった。変わり者だとは耳にしていたが、仮にもあの根の柱神クシドレンシスおいにあたる男だ。じかに会ってみればそれなりにまともな人物だろうと考えていた。だが結果、期待は大きく裏切られた。つぎしろには、ちょうようじょをはじめとしていかなる序列も無いはずだが、ケルス王太子ラン・ケルスは――あのイビアスという男は、イーリエを子ども扱いしただけでなく悪く格下扱いしてきたのだ。

 自分は仮にも最高神のつぎしろなのだ。もっと敬われてしかるべきではないのか。イーリエは思う。

 その上あの子ども。あのアズナとかいうふざけた名の、風変わりなうすずみの目をした子ども。フェミア王太子ラナ・フェミアである自分にあんな風にりつけてくるなど、いったいどれほどれいなのか。ケルス王太子ラン・ケルスともでなければ、すぐさまみやの外へつまみ出させているところだ。

 イーリエはきりきりと奥歯を噛みしめる。

 でも、と頭のすみで別の自分がつぶやいたのは、そのときだ。

 ――でも、はじめてだわ、あんな風に人とけんをしたの。

 もう一度床をたたこうと枕をふり上げかけた手が、止まる。

 ――わたくしと同じ年ごろの子どもに会ったのも、はじめてだった。

 大人ばかりのこのみやでは、ただうやうやしくかしずかれるのが常だ。だれもかれもがイーリエの顔色をうかがい、わがままにこうべをたれてしたがいながら、実のところは目に見えない鎖で縛りつけてくる。そんな中で彼女は生きてきたのだ。年ごろも近く、対等に――最初は彼女の身分に気づいていなかったらしいとはいえ、対等にやりあった者は、本当にアズナがはじめてだった。

 布地から飛び出した羽根が舞うのを見るうち、怒りに波立っていた心がしずまってくる。イーリエはゆっくりと枕を下ろし、そのまま胸に抱きかかえた。

「……けど、あれはきっとちんじゅうよ」

 なかば枕に顔をうずめながら、少女は自分に言い聞かせる。あとにも先にも、もうあんな者に出会えるとは思えない。このみやで生きるつもりなら、思ってはならないのだ。

「なにがちんじゅうなのだ?」

 耳へすべり込んだ声で、イーリエはハッと顔をあげた。

 こうに似た独特のかおりが鼻をかすめる。侍女まかだちたちがうやうやしくこうべをたれてならぶ間に、赤い光があふれた。次いで、禁色をまとうたけ高い影が、にじみ出るように像を結ぶ。長い黒髪に安寧の夜を宿し、そうぼうには闇を貫く黄金をはらむ至高の女神。日の柱女神オルメサイアは、イーリエの真の養い親であり、将来継ぐ地位にある女だ。

「荒れておるのか、我がいとしきつぎしろよ」

 なかばけた日の柱女神オルメサイアの立体映像が、あわててれいを取る少女のもとへすべり寄ると、うつむくほおに手をそえる。

「眉間にしわが寄っておるぞ?」

 ちいさなしんりょくの波が走った。おとがいをすくい上げられ、視界をおおう形でのぞき込まれて、じからえられたとき同様背筋がふるえる。あらゆる存在を貫き通すと言われる女神の瞳が輝き、神のこんかくがイーリエのこんかくに接触した。

 頭のうしろがじわりと熱くなる。強制的に脳の接続口を開放され、思考をあばかれる。目のこまかなやすりでがいの内側をなでまわされるような、いまだなじめない不快な感覚に襲われ、イーリエのまなじりに涙がにじんだ。

 オルメサイアののどから、かすかな笑いがもれる。

「なるほど、根のつぎしろに会ったか。軽くあしらわれたな、これはくやしかろう。それから、……ほう、こちらはかきの子どもだな」

かき…………、の、子、……ども……?」

「アズナとか言った。わたしもさきほどまみえたばかりだ。同じ者がそなたの記憶にも焼き付いておる」

「っ……れいな子ども、でした、から……」

 苦痛に耐え、イーリエはのど奥から声をしぼり出す。神のこんかくがぞろりと動き、さらに思考を深く探られた。産毛が逆立つ感覚とともに、がこみあげてくる。

「それだけではないな。そなたの感情、かれはじめておるのがわかるぞ」

 女神の黄金が輝きを増した。がいの内を剥き出しにされ、わしづかみにされているような苦痛に、冷えた汗が浮かびあがってくる。

「珍かなるものにかれるは、人のさがよな。だが、いかに珍しき者であろうとも、かの者とつがうことはゆるさぬぞ、つぎしろよ。そなたは〈日の柱〉の次の器だ」

 しめ上げていた苦痛がやわらぐ。神のこんかくがはなれてゆく……。

 くずおれ、ひざをつくイーリエの上に、女神の残酷な言葉がる。

が庇護の下にある限りは、いかほどのわがままとてゆるそう。したが、ほかの生き方をゆるすとは思うな、つぎしろよ。そなたはここでしか生きられぬ」

「わかって……おります……」

 荒く吸い込んだ息に肩がゆれた。にじんだ涙をぬぐい、少女は顔をあげる。

「わかっております、オルメサイア……っ」

 満足げな視線と、次いでかんとした笑みが、女神からそそがれた。

「良い子じゃ、いとしきつぎしろ。よしとするまでがふところにあれ。おお、そうだ。そなたに似合いの胸飾りができてきたのだ。てんじょうの意匠、わたしの前で着けて見せておくれ」

 かすかな駆動音とともに、宝飾の小箱が部屋の端のちいさなまるテーブルからせり上がってくる。

 イーリエはうつろな笑みでうなずき、そちらへ向かった。


  *


「ううう……すっごく疲れた……」

 草の上に倒れこみながら、アズナはうめいた。短い緑がやわらかくほおを刺した。独特の青い臭いが身をつつんでくる。

 アズナが今いるのは、みやそとにわにある〈むろ〉と呼ばれる場所だ。いわぐすの枝からたれさがる緑のこんがからまりあい、半球ドーム状の屋根を形作るここは、根のクスビたちの巣、休養場所だ。

 えっけんに入った直後、イビアスと離されたときには背筋がこわばったが、緊張のわりにはなんとかうまくいったのではないかと思う。

 植物の生み出すゆるやかなけはいにがほぐれてゆくのを感じながら、アズナはさきほどのことをふり返る。

 半円状のかむくらからこちらを見下ろしていた至高の女神は、みやびとを挟んでの儀礼的なあいさつが終わるや否や、あろうことか彼らを下がらせ、アズナの前へりてきた。

ちょくげんをゆるす。顔をあげよ」

 平伏するアズナの頭の上で女神が言った。

 動揺しつつあげた視線の先には、黒い瞳がある。イーリエという少女やクラトとよく似た、アズナにとってはなつかしさを覚える色味だ。

「アズナと申す子どもよ、そなたがフェミア王を通さずじかしろみやへ持ち来たりしうったえの中身、いかようなものか。申せ」

「はい――」

 試練の時だ――。アズナはごくりとつばをのむ。村を助けられるか、新たなる災厄を呼び込むことになるか、ここからの受けこたえひとつで先行きが決まるのだ。

 友の笑みがのうをよぎる。それにはげまされて、アズナは口をひらいた。

もうし上げます。村を襲うマガツヒをくだすため、お力をお貸しいただきたく、お願いにあがりました」

「ふむ。『マガツヒ』とな。魔ではないのか」

「ありえません」

 即答する。魔ではないと最初からわかっている。魔ならの力で退しりぞけられるからだ。

「なにゆえそう言い切るか。くわしく話してみよ」

 日の柱女神オルメサイアがうながす。黒瞳の中の夜明けの黄金が、わずかに輝きを増したようだ。見つめられている緊張のせいか、頭のうしろが変に熱い。対するように冷えたはだが内からざわめいてあわっている。

「はい――」

 アズナは、ぐと腹に力を込める。

「深い森、しんに護られた湖のほとりにある村。それがオレの故郷です」

 煮え立った釜の湯気を逃がすように。性急にならないように。まっすぐに日の柱女神オルメサイアを見つめ、噴き出してくるあせりと叫び出したい圧力を、慎重に言葉につむぎ変えてゆく。


 そこはちいさな集落ではない。だがけっして大き過ぎる集落でもない。老人からまで合わせても、総勢二百もいるかどうかの村だ。

 村の生活はごくありふれたものだ。夜明けの浅い光に祈りを捧げ、朝日が昇りはじめる湖へ出て魚をる。りょうが終われば田畑を耕し、日が高くなれば森へ入る。

 魔からは〈たまがき〉が守ってくれる。〈たまがき〉は森にめぐらされたさえしんだ。魔を払い、外から来るものを通さない護りは、孤立と引き換えにかの地を平和のうちへ置いてきた。


 水のめぐみ、土のめぐみ、じつげつのめぐりに導かれ、おだやかにつむがれるせいがくりかえされる。


「……そんな風に暮らしていたオレたちの村の、湖に島が浮かびました」


 いく度も地がゆれた。

 木々や家が倒れ、島が噴き上げる炎と煙で空が暗く灰ににごった。しんは、押し寄せる津波に人々がまれるなんをこそ救ってくれたが、水が死ぬのまでは止められなかった。

 くさったたまごの異臭をただよわせる水に青白い腹を見せて浮かんだ魚は、打ち上げられた浜で折り重なり、いやらしい色のはえにたかられてくずれていった。湖から水を引き育てていた稲も、葉先から色を変えて枯れてゆく。新しくなえを植えても育たない。灰にやられるのだ。くりかえし試すうちに種やもみは限られ、ただ先行きへの不安ばかりがつのってゆく。

 たくわえはすこしならある。ほとんどが干した小魚だ。夏から秋、森のめぐみもあるうちは、村は生きられるだろう。えはしても、たくわえと合わせればなんとかやっていける。

 だが、それだけでは冬は越せない。吹く風がすべてをさらう季節は、けっしてやさしくはない。水底に魚が沈み森のめぐみが枯れる冬は、いわにじっとうずくまるけもののように、人も息を潜めて暮らす季節なのだ。食べられる草木の根を掘り起こしても、春が来る前には力尽きるだろう。

 じりじりと、だが確実にやってくる終わりを予想し、人々の心は静かにゆがんでゆく。

 そんなところへ、がやってきた。

 弱った鹿しかを狩るおおかみ、ふるえる野ねずみの子をさらうふくろうのように。は苦境にあえぐ村を襲い、人のこんかくらった。

 たましいの無い体はうろだ。うつろな肉は長くもたずに、ほどなく弱って死んでゆく。

 まれにだが、心身ともに強く、らい尽くされずに残った者もいた。彼らはひどく弱り、立つこともままならなくなったが、とにかくこの世にとどまることはできたのだ。そんな風に生き延びられたうちの一人は、を女のようだったと言った。みぎわで灰色の朽ちたころもをまとう女に抱きしめられたのだと。かなしみや絶望がすべり込んできて、ただ苦痛だけがすべてになったのだと、どもりながらみなに伝えた。

 くさりはてた肉の塊に見えたと言う男や、黒っぽい霧のようだったと言う女。あふれる赤い光にまれたと語る者もいた。だれもがおぼえていたのが、かなしみと絶望、次いで来る苦痛だ。

 なにをあらわすのかはさっぱりわからず、退しりぞけることもまたできなかった。


「今では、湖に浮かびあがった島からヤツはやってきたんだと、村のみなが言っています。ただのぐうぜんかもしれません。けど……」


 に村を護るしんが通じないのだけはたしかだ。かいのどこかから入り来たものか、あるいはどのような理由からかかきで生まれたものか。いずれわからなくとも、を魔のようにははばめず、村が襲われつづけたのは事実。


「〈たまがき〉が……村を護るさえしんが通じないなら、魔ではありません。魔ではないものなら、マガツヒでしかありえません。少なくとも魔はこんかくらいませんから。だから、村の者ではくだせない相手だ、とオレはこのみやしました。

 お願いします、日の柱女神オルメサイアよ、お力をお貸しください。マガツヒをくだせるお力で、どうかオレの故郷を、村のみなをお救いください」

 話し終えアズナは口をつぐむ。変わらずそそがれる黄金の視線を、まっすぐに受け止める。

「そなたの」

 女神が口をひらいた。

「推測は求めておらぬのだがな」

 不快と取れる発言に、アズナは息をむ。失敗したか――。あせりが底冷えするくさりとなって、少年のはらわたをしめ上げる。

「まあ、よい。そのとし若きをもってゆるそう。いらぬ推測を差し引いても、われが知りたきことには充分であった」

 寛容さをしめした女神が、かんすそをひるがえした。たいするあいだのしかかっていた重圧が、潮が引くようにうすれて消える。

「そなたの村へ、がクスビとクシの民を差し向けようぞ」

 かむくらへともどった至高の女神から、アズナへげんがあたえられる。

「マガツヒをくだし、くにたみの安寧をはかろう。そなたはみやにとどまり、心やすらかに待つがよい。がれ」

 それで終わりだった。

 こうしてじょうそうし終えたアズナは、扉の外で待っていたイビアスに連れられて、息抜きがてらむろへやってきたのだ。



 視線をあげると、イビアスが低くたれた一枝に手を差しのべるのが見えた。

 梢が風を受けたようにざわめき、透明なたまにつつまれたあかがね色の塊がするするとりてくる。んだ液体の中でからまりうごめくそれは、はっしゅはちで一体をなす大蛇おろちだった。

 大蛇おろちは透明なたま越しに甘えるように、イビアスの腕に頭をこすりつける。

「ロゼニア?」

 ほおづえをつきつつアズナは尋ねた。

「違う。ロゼニアはまだ眠っている」

 たまから手を離してげいめんの男がこたえた。てんきょくへ入ってからは、イビアスはくろぎぬをずっと脱いで過ごしている。

「今のはリグリアという」

「て、言われても、区別つかないって」

 よく見分けがつくものだ、とアズナは苦笑半分感心する。人の形になれば違うのかもしれないが、蛇体では区別がつかないのだ。なにか目印でもあるのだろうか、とちらりと思う。

「ほかにもまだいるの?」

「いるな。根のクスビは全部で八体だが、ここにいるのはロゼニアをふくめて五体だ」

「へえ」とアズナは軽く相づちを打つ。出払っている残り三体も、ロゼニアがイビアスについていたように、それぞれ別のクシの民についているのか。もしくは、根の柱神クシドレンシスの側にでもいるのだろうか。

「根の、ってことは、日や月にもいるってことか」

「本来ならな。月ははしらがみともども不在だ。しんりょくをあたえて調整するものがいなければ、クスビは存在できん」

「ふぅん」

 アズナはふたたび草の上にほおを落とした。戦うロゼニアの姿から、ずっと強いいきものだとばかり思っていたが。

「そうか……、ホントは弱いいきものなんだな……」

 とろとろとした眠気が襲ってくる。

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