蠢動する神 4

 しばらく歩いたあたりで、建物のようすがあきらかに変化した。要所要所に目にあざやかな色彩で〈始原の大地ハイハリカ〉の花や鳥が浮き彫られた壁は、多く一般の者たちが出入りする区画――つきしろみやのものだ。もとは〈月の柱〉のおもてみやであった建物は、月の柱神オドメサイアスの失踪後に転用され、てんきょくをおとずれる人々の宿舎となっている。

 生身の人のけはいを感じるみやへと入ったことで、ようやく肩の力が抜けた。

 イビアスは、ふところから取り出した機械時計を確認する。日の柱女神オルメサイアへのえっけんの時間が近づいていた。そろそろアズナを迎えに行かなければ。あらかじめ侍女まかだちに尋ねておいた部屋へ向かうべくろうを進む。

 と。

「うそつきじゃない!」

 向かう先からよく知った声の叫びがひびいてきた。

「っつか、なんだよイビアスが王太子って! 聞いてないぞ! なんでオレにだまってるんだよ!?」

 いまだ少年のいきを脱していない、かの同行者の声。

「わたくしが知るわけないでしょっ。バカではないの」

 こたえる声はなに者だろう。声の感じからすれば少女のようだ。

「バカって言うなっ、バカっ」

「なんですって!? このれいものっ!」

 とうとう言い合いをはじめた声は、ちょうど行く手のかどを曲がったあたりから聞こえてくる。

 ――まったく、あの子どもは! 迎えに行くまでおとなしく待っていろと言っておいたのを。あのもの覚えの悪さはなんとかならんのか!?

 おおよその事態の予想がついてしまったイビアスは、にわかに覚えた頭痛に、こめかみへ手を当てる。

 足を速めかどを曲がったとたん、あんじょう言い争う者たちに出くわした。一方は、上質な白の衣裳きものに銀帯という、オルメイス正教に属する者なら一目で高位の貴人とわかる少女。対するこん帯の――なぜか見習い武官用ののうこんの帯の少年は、言うまでもなくアズナだ。

「なにをやっている」

 今にもつかみ合いをはじめそうな二人のあいだに割って入るべく、白金プラチナの杖を差し入れる。ふり返る、夜明けの嵐の海の瞳と、銀色のこうさいをもつ黒い瞳。

「イビアス!」

ケルス王太子ラン・ケルス殿でん!」

 声をあげたうち少年はこちらへけ寄り、少女はその場でれいを取る。実に対照的だ。

「待っていろと言っただろうが」

 もんを言いはじめた少年の頭にこぶしをひとつ落としてだまらせ、イビアスは少女へ向き直る。ちょうどアズナを背にかばう形となるのは、なかば以上意図の上だ。

 両腕を広げて手のひらを天へと向け、害意が無いとしめす。さいじょうれいだ。

はつにお会いする。が名はイビアス。たしかに現在、ケルス王太子ラン・ケルスの地位にある。くんもいずれかの太子とお見受けするが、ともも連れずこのようにつきしろおもてみやまでまいられるとは、いかなるご事情からか」

「おはつにお目にかかります、ケルス王太子ラン・ケルス殿でん

 少女もあらためてさいじょうれいをかえしてきた。

「わたくしは、レトナ・イーリエ・ラナ・フェミア。日の柱女神オルメサイアつぎしろにして、フェミア王太子ラナ・フェミアの地位にある者。つきしろおもてみやへはさんさくにまいりましたの。おもしろそうな噂を耳にしましたからですわ」

「ほう?」

「〈根の柱〉のつぎしろが見出された者がまいりましたとか」

 イーリエと名乗った少女が、ちらりとアズナに視線をやり、次いでにっこりとイビアスに笑いかける。

「それも、つぎしろおんみずからお連れになったとのことですもの。日の柱のつぎしろとして興味をひかれるのは、当然でございましょう?」

「なっ」

 背後で短く声があがる。あまりにも大きな誤解に、アズナが目を白黒している姿が見えるようだ。

「なるほど」

 イビアスはうなずいてみせた。一理ある。イーリエが成人し、やがて日の柱女神オルメサイアとなったあかつきには、また新たな〈日の柱〉のつぎしろを見出す必要がある。次世代における力のきんこうをたもつために、彼女がほかの柱のつぎしろとなる者の資質を調べておきたいと思っても、特段おかしくはない。

 しかし調査だけが目的なら、側仕えまかだちや直下のクシの民、あるいはクスビにめいじればすむのだ。つぎしろはまだ神としての能力こそ持たないが、その地位から生じるけんのうは持っている。とももなく自らおもてみやをうろつくなどという、あやういまねをする必要は無い。

 ――それゆえの、「レトナ」か。

 日の柱女神オルメサイアシャイアは自身のつぎしろに甘く、放任されて育った少女はいまだ心幼いと聞いている。彼女のこのようすでは、たしかにそれは事実であるようだ。イビアスは胸のうちで納得する。

「しかし、あいにくこの者は、ともではあってもつぎしろ候補ではない。フェミア王太子ラナ・フェミア殿でんが遊び相手とするには、不向きではないかな」

 またもや声をあげかけるアズナをひとにらみしてだまらせ、次の〈根の柱〉である彼は、イーリエへ皮肉を投げつけた。

「どういうご意味?」

 牽制だけではない、いくばくかちょうろうじみたひびきでも読み取ったのだろう。いぶかしげに少女の眉根が寄る。

 イビアスはふたたび挑発を投げる。

「出会われたそうそう、ずいぶんとお気にされたようだな。くんの声はよく通っていた」

 カッとイーリエのほおしゅが走った。

「あれはその子どもが!」

「あれはそのガキが!」

 少女とアズナから、同時に声があがる。

 予想通りの反応に、イビアスは内心の苦さを押し隠した。アズナは横に置くとして、簡単に挑発されてしまうフェミア王太子ラナ・フェミアイーリエの幼さには、彼でなくともを覚えるだろう。つぎしろの教育は各はしらがみの裁量によるとはいえ、この調子で彼女が成長しないのならば、日の柱女神オルメサイアに万一の事態が起こった場合にしろみやが混乱に陥ったまま収拾がつかなくなるのはあきらか。多少なりともまつりごとにかかわる者なら先をうれえ、その中からイーリエを取り除こうと動く者が出てくる事態は充分にありうる。

 ――まったく。このおれといい、いくら世の柱とあがめられていようと、〈日〉も〈根〉も実態はあやういというわけか。

 イビアスは、薄く口もとに笑いを浮かべ、少女へ言い放つ。

「真実がどうあれ、ほかから見れば、かように見えるということだ。心されたほうが良いな、・イーリエ」

「っ……」

 たじろいだように少女が息をんだ。

「さて、こちらは予定のある身、これにて失礼させていただく。またいずれ。くんのお心が安らけくあらんことを、フェミア王太子ラナ・フェミア殿でん

 イビアスは、くやしげに肩をふるわせるイーリエへ優雅に一礼してみせると、そのままアズナをうながして歩き出した。日の柱女神オルメサイアへのえっけんまでさほど時間が残っていないのだ。いつまでも子どもにつきあっているわけにはいかない。



 ふり返ると、置き去りにしてきた少女の姿は、ずいぶんと遠くなっていた。

「どうした、なにを気にしている?」

 遅れがちなアズナに気づいたのか、イビアスから声がかかった。

「いや、えっと、さっきのあれさ、ちょっとひどくないかと思ってさ」

 やや小走りに彼に追いついたアズナは、横にならびながらそうこたえた。

「だっておまえ、王太子なんだろ? あの子もそうだって……。ってことは、そのうちいっしょに国を治めるようになるわけだよな。だったら、今から仲良くしておいたほうがいいんじゃないのか?」

「今のあれと?」

 イビアスが、つまらなさそうに鼻を鳴らした。

「子ども過ぎる。あのまま融合されては――いや、それ以前に、むしろ〈日〉が成人させるかどうかがあやしいな」

 わざわざ時間をいてやる価値が有る者ではないだけでなく、今こんになっては、こちらの身まであやうくなりかねないのだ。足を止めず歩きながら、ケルス王太子ラン・ケルスである男はアズナのねんいっしゅうした。

 噴きあがった感情にアズナは立ち止まり、男をにらみつける。

「そういう問題じゃないだろ! そりゃオレもさっきは腹立ててったけどさ、おまえより年下の女の子だろ! あんないじめるみたいな言い方、かわいそうじゃないか!」

 感情が高ぶるあまり、涙がにじみそうになる。うずまいているのはいきどおりだ。握りしめたこぶしがふるえるのは、自分の信頼する人間が人をしいたげる姿など見たくなかったから。

「ああ」と、イビアスがうなずく。ようやく理解したとばかりに。

「そう見えたのか」

 伸びてきた手がポンポンとアズナの頭をたたき、安心させるようにクシャリと髪をかきまわした。

「あれは忠告だ、いささかきつめだが」

「そう、なのか……?」

 困惑する少年へ、同じく立ち止まった男がたたみかける。

「そうだ。あのままでは遅かれ早かれみやでつぶされかねんからな。フェミア王太子ラナ・フェミアも、それくらいは理解できるだろう。――だいじょうだ」

 男が浮かべた笑みからは、さきほどイーリエへ向けたものとは違い、あたたかさを感じられる。表面しか見えていなかった自分の子どもぶりに恥ずかしさがこみあげて、アズナは思わず視線を落とした。

「……なら、いい」

 固く大きな大人の手がはなれてゆく。ふたたび歩き出したイビアスを追って、少年もまた足を動かした。

「って、そうだ! おまえ、王太子ランだっていうの、なんでオレに秘密にしてたんだよ!」

 照れ隠しのかわりにぶつけたのは、思い出したさきほどの不満だ。

「言う必要も無かったからな」

 イビアスがしらりとかえした。

 アズナはむうと口をとがらせる。

「必要無いって、なんでさ」

「無いだろう。言ったところでなにか変わったか? ああ、おまえの態度が変わるのか。今からでも変えてみるか?」

「っ! 変えるかっ、バカ!」

 すでにいつもの調子だ。アズナは、ぷいと視線をそらした。のど奥で殺した楽しげな笑いが、隣を歩く男からもれ聞こえてくる。

「なら、ますます必要が無いことだ。おれのくだらん肩書きより、おまえはもっと別の心配をしていろ。そろそろ着くぞ」

 うながされてえた前方には、両脇をが護る壮麗な白扉が見えている。輝く白金プラチナの太陽が描かれた扉――あの向こうに故郷へ運ぶ運命があるのだと、アズナは気を引きしめる。

 近づくにつれて、ゆっくりと扉が開きはじめる。あふれ出す白い光に、少年はそのまま歩み入った。

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