蠢動する神 3

 時はいささかさかのぼる。

 早々に呼び出しを受けたイビアスが、杖をつき、片ひざついてひかえるのは、彼の仕える主、根の柱神クシドレンシスでありである男の居室だ。

 飾り気の無い部屋だ。端末と一体化したちいさなまるテーブル。巨木の根からまるごと彫り出されたひじ掛け。奥の壁にもうけられた小ぶりな棚の隣には、別室へとつづくちいさな扉がある。ほかにはかどのひとすみにたれぎぬで視線をさえぎった休息用のなががあるだけのさっぷうけいな部屋。神でありケルス島王である男のものとしては、あまりに簡素だ。

 イビアスは思う。この場所は物が増えず、また減りもしない。エンシスの内面そのものだ。

 記憶している限り現根の柱神クシドレンシスエンシスは、昔から質実を好んだ。華美を嫌い、明朗でものにとらわれない性格の男は、おもてみやでこそ身分に応じたごうしゃな装いをするのだが、えっけんした者からなにを贈られようともすぐにほかの者にあたえてしまい、手元に残すことが無い。

 幼いころはそんなあり方の男にあこがれたが、年をとるにしたがって好意は薄れ、むしろうとましく感じるようになっていった。原因は、成長するにつれてあまりにも彼と似すぎてきた自身の容姿かもしれないし、周囲が太子としての自分にの影を求めすぎて引き起こされた屈折なのかもしれない。だがどちらが理由だとしても、イビアスにとってはすでになじみきった感覚に変わりないのだ。

 奥の小扉が開いた。面を伏せたイビアスの耳に、靴音が入り込んでくる。次いで、視界の端へ入るかわのつま先。

はいめんをゆるす」

 くっきりとした声がった。

こうべをあげよ、がクシの民よ」

ぎょに」

 めいじられるまま顔をあげる。視線がぶつかった。こちらを見下ろす、黒に黄金のこうさいあしの穂色の髪。同じ輪郭。同じ形のりょう。そっくりな唇が、感情を隠して薄く引き結ばれている。背の高さや見た目の年齢すらほとんど変わらない。仮にイビアスの右の顔にある刺青いれずみを取り払ったなら、ほぼ見分けがつかなくなるだろう。

「クスビの姿が見えんな。どうした?」

「ロゼニアは、しんりょくを消耗しましたゆえ」

「ふむ。休眠に入ったか。……よくもどった、イビアス」

 エンシスの唇が、うっすらと笑みを作る。裏腹に目は笑わないままだ。

「もどらぬつもりかと思っていたぞ。なぜ、連絡を絶った」

 イビアスはわずかに目を伏せていた。

「……しんじゅがくだけましたため、やむなく」

「ほう。すぐに作り直さなかったのか」

「……おりしく、手持ちの材料が尽きておりました」

「なるほど、不運がかさなったというわけか」

ぎょ

「できた偶然であったものだ」

 皮肉げに声がる。

「まあ、いい」

 はしらがみがきびすをかえした。に腰を下ろし、ひじ掛けにもたれると、尊大に足を組んで視線をよこす。

「巡り見たものの報告をせよ」

 イビアスは大きく息を吸った。

「ご報告申し上げます。

 クラフタおよびケルス島においては、ともに異常は見られず。

 ティアナ西部は群発地震により一部沿岸崩落。住民に不安が広がりつつあり、ティアナ島王のもと、軍が出動準備をはじめております。

 地震は海峡を越えた先、北部フェミア森林部の火山の活動によると考えられます。

 南部フェミアなかほどでは、〈から〉が急速に拡大中。現在、学者たちを中心にした調査団が現地に入り動いておりますが、原因の究明と対策には今しばらくかかるもようです。

 なお、各地点のふうじゅ圧力監視装置を確認した結果、フェミア島全体のふうじゅ圧力に上昇が見られました」

「あいわかった。ご苦労」

 エンシスが、ひとさし指で下唇をなぞる。数往復。それから腕を下ろし、ひじ掛けをコツとたたいた。

「……〈くら〉か。目覚めかけているのやもしれぬな」

ぎょ

 イビアスはうなずく。


ふたはしらの神さまはたがいとじわられて、あまたの生命をお生みになった。だが、最後に誤まって魔を生み出してしまわれたとき、女神さまはお体を損なってしまわれた。》


 あしづえの神話では、このあと女神はみにくく損なわれた身をはじて、自ら〈くら〉へと去ったとされている。

 しかし王族に伝わる記録は異なった。こんかくの変質による封印。〈種子〉展開作業中の事故により、高濃度の汚染物質にさらされ異常をきたしたがみは、がみによって〈くら〉へ――フェミア島地下に創られた特殊な空間へふうじられたのだ。

 ふうじゅ圧力の高まりは、この〈〉が地表へ浮かびあがってこようとしている、としめしている。だが〈くら〉が浮かびあがれば――。

 女神が浮かびあがれば、四つの島すべてが沈む。はしらがみたちはこの事態にどう動くつもりだ?

 根の柱神クシドレンシスが黙考するわずかな時間、イビアスもまた思考をめぐらせる。

 すべての島が沈むとなれば、第一に考えられる方策として、国をあげてほかの土地へ移り住むというものがある。だがこれは実際的な案ではない。ケルス四島沖の海底より立ち上がり、上空はるかせいそうけんの外までそびえ立つ障壁からいまだだれも出られたためしが無いのだ。移住できるような土地が存在するのかも、そもそもが不明だった。

 仮に障壁の外へ調査団を派遣でき、移住できるような大陸や島が発見されたとしても、次には輸送の問題が立ちはだかる。とりふねは使えない。固定座標間の移動のみを想定して作られたこの装置は、性質上人間が呼吸できる高度まででしか使えないのだ。また、現在建造中の大規模輸送航宙船シェルぎん〉の完成が間に合ったとしても、実際に〈ぎん〉へ乗り込めるのは数千人程度。数十万規模の民をすべてひきい船を出すのは、とうてい不可能だ。

 とすれば、やはりふうじゅ装置を動かし封印を強化することが最善だと思われる。が、装置を動かすには、鍵となるこんかくを持つ〈日〉と〈月〉と〈根〉のみつはしらが必要なのだ。だが、いまや月の柱オドメサイアスは行方知れず。残る日の柱オルメサイア根の柱クシドレンシスのみで、はたして欠けた鍵をおぎない装置を動かせるだろうか。

 ――表面はともかく、〈日〉と〈根〉の仲はけっして良いとは言えん。月の柱神オドメサイアスの失踪に関与しているとの噂があるくらいだ、少なくともエンシスはほかのはしらがみを排除したがっているはず。とすると、しろみやのみにまかせ、みやでは事態を静観するか。……いや、それでは国も人も滅ぶ。エンシスはバカではない。この件では手を結ぶはずだ。

 だが、もしも。

 もしも、よくを取るならば、そのときは――。

 コツ、とふたたびはしらがみこぶしがひじ掛けをたたいた。イビアスはハッと現実にもどされる。

「〈根〉と〈日〉とで協議が必要だな。結果あちらが動かぬとなれば、あらためて別の手段を講じよう」

ぎょ

 知らず知らずのうちに杖を握りしめていた指を、気取られないように、そっとゆるめた。

「ところでイビアス。子どもを一人連れ帰ったそうだな」

 エンシスが話題を変えた。おもてみやで見せるのと同じ快活な若きおおきみの空気は、さきほどまでまとっていたものとは違う。驚くほどの変化だ。

「おまえの興味をひくとは、どのような者だ? わざわざ連れ帰るほどだ、そうとう気に入ったのだろう? かわいいのか? 美女になりそうか? おれも会ってみたいぞ」

「は、いえ、それは……」

 興味津々といったありさまでこちらへと身を乗り出す男を前に、イビアスは内心舌打ちする。すでにこの男の耳にとどいているとは、予想外だ。おそらく側仕えまかだちのだれかがエンシスの耳に入れのだろうが、あなどれない情報の早さ。だが大事なところが抜け落ちてもいる。

「お会いになられるほどの者でもない。ただの少年です。たまたまこうへ向かうという点で同じでしたので、ともなっただけです」

「なんだ、男か」

 乗り出していた身をもどして、エンシスがほおづえをついた。ご丁寧におとなげなく唇まで尖らせる。

「つまらん。ついにおい殿がちょうを連れ帰ったかと思って、期待していたのだが」

「……ご期待にそえず、もうしわけございません」

 イビアスは、腹立たしさとあきれがないぜになった感情をおさえつつこたえる。

 エンシスが、なだめるように左手を浮かせた。

「いや、おれの早飲み込みだった。それは謝ろう。だがな、イビアス。血をつなぐつもりなら、〈根の柱〉を継ぐ前に、一人くらいは子を作っておけよ。融合を終えたあとでは、ませることはできなくなるぞ」

 聞ききただろうが、とつけ加えられる。

 人の身体からだは異質を受け入れない。体内におのれではない異物と見なすものが入れば、免疫機能を働かせてただちにはいじょにかかる。それはせいぶつとしての人間が自己を保存するうえで必要な機能であり、男女問わずおよそすべての者が持つ自然の力だ。神のこんかくと融合し細胞組成から変わってしまえば、異質となった男の種子を女のはらは受けつけなくなる。はしらがみつぎしろとなった者が自分の血をのちへつづかせたいと思うなら、融合する前に子をもうけておかなければならないのだ。

 とは言っても。

 ――子などたいして欲しいと思えんのは、おれが壊れているせいか?

 イビアスは思う。自分の血を引くいきものなど見たくもないと。

 エンシスは、将来を心配するの顔で、沈黙するおいをしばしながめていたが、やがて、

「もういい。下がっていいぞ」と軽く手をふった。どうやら話は終わったようだ。

「失礼致します」

 クシの民である男は、一礼して立ち上がる。

 そのまま退出しようとする彼を、エンシスが呼び止めた。

「イビアス、隠し事は無いな?」

「ございません」

 ちに投げられたきつもんにも、イビアスはよどみなくこたえる。

「……そうか。呼び止めて悪かった」

 根の柱神クシドレンシスがふたたび手をふり、彼をうながした。

 外へ出ると、はかあなからはい出せた気分になった。けれどまだ気を抜くには早い。この区画にいる限り、はしらがみにつながる監視機器が見ているに違いないのだ。

 イビアスは気を引きしめ、そのままろうを歩き出す。


    *


 扉が閉まると同時に、エンシスはすばやく端末を操作した。常時起動している監視機器につながり、去りゆく背中のようすを観察する。一時的に手首にもぐり込ませた接続子をすぐに切り離すと、彼は黄金のこうさい持つ黒い目を閉じた。

「こたえるのが早すぎるぞ、つぎしろよ」

 いちまつのなげきがまざるがこぼれ落ちた。

 根の柱神クシドレンシスはふたたび目を開くと、だれもいない部屋の中でひとりごちる。

「さて、クシの民で終わるか、まこと〈根の柱〉を継ぐつぎしろとなるか――おまえはどちらだ、イビアス?」

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