蠢動する神 2

 あめみちを抜け出た先は、だだ広い草原だった。地平に沈みゆく赤日を受けて、そおに浮かびあがるいわぐすと、見わたす限りのあしの原。ほかにはなにも無い。

 この先まだどれほどの時間がかかるのだろう――。背の高いあしをゆらし吹き渡ってゆくゆうべの風に、アズナはかすかに身をふるわせる。岩影ひとつ無いこの野をよぎり、こうへたどり着けるのは、いつなのだろうか。

「なにをぼんやりしている」

 立ち尽くす少年へ、数歩先に立つイビアスから声がかかった。

「置いていかれたいか?」

「あ、ああ」

 現実に引きもどされ、アズナはまばたく。

「……悪い。野宿の用意するんだよな。すぐ燃やせる物をあつめるよ」

 日が落ちれば野はとたんに冷えはじめるのだ。夜露にしめされてしまう前にたき木をあつめ火をおこさなければ、夜通しこごえるはめになる。一人分手が少なくなったことを考えれば、なおさら急がなければならない。

 だが。

「必要無い」

 イビアスが言った。

「は?」

「必要無いと言った」

「なんで? 火、おこさないと辛いだろ?」

 完全に火の無しで外で夜を過ごせるほど、季節は夏に入りきっていないのだ。

 いぶかる少年に、てんたんとクシの民がかえした。野宿の必要は無いのだ。なぜなら、

「この足の下が、ケルスタニアだ」

「はぁ!?」

 アズナのあごがカパリと落ちた。


  *


 こうケルスタニア。上下すべての身分を合わせ、十五万あまりの人々が暮らす都。かつて創世二神がそれぞれ〈あめ〉と〈くら〉へ去ったあと、残されたさんり立ち、いまどころと定めた地がもととなって生まれたというこの都の外観は、いわぐすの大木と広大なあしはらを平らないただきにもつ、巨大な岩山でしかない。

 しかし岩山の内部、岩盤をくり抜き造られたじょうさい都市については、こう形容すればわかりやすいだろうか。巻貝をさかさまに突き立てたような、らせん状の構造をしている、と。こうは、外側から順に、平民、富裕民、貴人という三つの区画に分かれ、それぞれ堅牢な隔壁によりへだてられているのだ。

 しろつきしろみやは、最も深い場所にあるてんきょくと呼ばれる部分に存在しており、これら三つのかみみやに用のある者やはしらがみえっけんを求める者は、各みやに付属するおもてみやのうち、特につきしろおもてみやへ滞在することと決められている。

「すぐ日の柱女神オルメサイアに会いに行くんじゃないのか?」

 あざやかな色味の町のようすに目をまるくしつつ隔壁をくぐり抜け、てんきょくへ入った直後にアズナは尋ねた。

「おまえは……」

 半歩先を歩くイビアスがこめかみを押さえる。新しい嫌がらせなのか、近ごろアズナが物知らずなことを言うたびに、頭痛をこらえるしぐさをするのだ。

おれが教えたことは耳をどおりか? 今までなにを学んできたんだ」

 アズナは歩きながら、むぅと口を尖らせる。

「バカにするな、ちゃんとおぼえてる。けど、おまえ、えらいんじゃないのかよ? クシの民ってそのくらいの力持ってるんじゃないのか?」

 アズナが期待してしまうのも無理は無いのだ。なにしろ、てんきょくの入り口からこちら、みやびととおぼしき人々がみなイビアスの顔を見るたびに驚いたように目をみはり、次いであわててこうべをたれるのだ。はてはだれかに知らせるためだろう、あたふたと奥へ走ってゆく者までがいた。彼らがそのようにするのは、イビアスの――クシの民という身分がよほどに高いからだろう。そう考えたのだ。

「同じみやの者相手ならともかく、いくらおれでも最高神にそうほいほい会えるわけないだろうが。おれが手つづきをすませているあいだに清められてこい」

 イビアスは立ち止まり、下働きの者を一人つかまえる。

「この者を頼む」

 かくしてアズナはみやにあずけられ、うむを言わせず清め――すなわち旅のほこりを落とすに放り込まれてすみずみまでみがき上げられ、月のおもてみやに一晩とどめられたのだ。


 なじみの夢見の悪さにげんなりしながら、備えつけの化粧だらいで顔を洗い、用意されていたころものうこんの帯を身につける。部屋のちいさなまるテーブルにせり上がってきたこめがゆあぶった肉、二種の塩という朝食を食べてしまうと、あとはなにもすることが無くなってしまった。

 手持ちぶさたのアズナは、そのままうろうろと室内を歩きまわる。さくから感じていたが、どうにも一人でいるのが落ちつかないのだ。

 下働きの者へあずけられ別れたきり、イビアスとは会っていない。町を抜けるあいだに、休眠状態にあるロゼニアを回復させるため一度みやへもどるとは聞いたのだが、あのあと彼はどうしたのだろうか。自分と同じようにみやのどこかに泊まっているのか、それとも、長らくけていた家にでも帰ったのだろうか。いつだったかせいは捨てたと言っていたが、まさか家族までも完全に捨ててしまったわけではないだろう。では、今ごろは再会した彼らと仲むつまじくつもる話などしているさいちゅうか――。

 そこまで考え、アズナは立ち止まる。

 ……脱力した。

 ようやくわかった。つまり自分は心ぼそいのだ。

 考えてみれば、出会ってからこちらイビアスやロゼニアが常にともにあって、一人になる時間など無かったのだ。きっとそのせいだろう、年長である彼らに知らず知らず頼り、頼らせてもらえる状態に安心しきっていたのだ。情けない。

「ったく。これじゃオレ、全くのガキじゃないか」

 しっかりしなければ。アズナは思う。村の状況をくわしく知るのは自分だけだ。日の柱女神オルメサイアに会い、マガツヒのことを伝えられるのは、ここにいる自分だけなのだ。イビアスが「ついていてやる」と例のひねた調子で言ってくれはしたが、こればかりは助けてもらいようがない。もっと落ちついて、一人で立てるようにならなければ。もっとしっかり大人にならなければ。

 緊張のあまりこわばるほおや首をもみほぐし、アズナはあらためて室内を見まわした。

 彼が今泊まっているのは、つきしろおもてみやの一室。厚い木の扉でろうとへだてられた、窓の無い部屋だ。息苦しさを覚えないようにとだろう、天井は高く、また天井全体が光る仕掛けによってあかるさもほどよく調整されている。壁の一辺全部をおおっている色つきの彫刻は、客の退屈をまぎらわせるくふうだろうか。彫られているはどうやらひと連なりの物語りになっているようだが、もとの話を知らないアズナにはよくわからなかった。

 イビアスからは、えっけんの時が迫れば迎えの者をよこすと伝えられていた。しかし、時をはかるものがなにも無いこの部屋では、それまであとどれほどの時間があるのかわからない。

 ふと、こちらからイビアスを迎えに行ってはどうだろうかと浮かんだ。

 ――別に来るなとは言われなかったよな。

 言いわけのように胸の内で確認すると、アズナは扉に手をかけてそっと押してみる。

 軽い手ごたえとともに扉は開いた。

 ろうへ身をすべり出した少年は、興味深くあたりをながめながら、かすかに聞こえるざわめきのほうへ歩きはじめる。だれでもいい、出会った者にイビアスのいそうな場所を尋ねようと考えたのだ。

 すべすべとした表面の石壁や、そびえるした優美な柱のろうは、とりふねのある古いかみみやに似た造りだ。だがみやの一部とはいえ、人の多く生活する区域を無機質にしない配慮だろう、ここではやわらかい光をらせているのは天井であり、要所要所にほどこされたせいうきぼりにも、あざやかな色がられている。

 そう言えばさくなかを通り抜けたさいにも、こんぜんとした豊かな色彩に驚かされたのだ。縦に伸びる家々の壁や柱にほどこされたさいしきは、いんうつになりかねないがんくつの都市を、あかるく活気あふれるものにしていた。

「そこの子ども」と呼び止められたのは、五つ六つ大きな扉の前を通り過ぎてからだった。

「聞こえなかったの? 子ども、おまえよ」

 再度呼ばれて向けた視線の先、立っていたのは同じ年ごろの少女だ。仕立ての良さそうなせっぱく衣裳きものを身に着け、よく手入れされいあげられたつややかな黒い髪にちち色の花を一輪飾る少女。彼女もアズナと同じくみやに泊まる客なのか、それとも、まさかこの若さにしてみやびとの一人なのだろうか。

 少女は上品な見た目に似合わない粗雑な足取りで近寄ってくる。

「おまえ、ケルス王太子ラン・ケルスに連れてこられた者を知らない?」

ケルス王太子ラン・ケルス?」

 いきなり質問をぶつけられてアズナは面食らった。ケルス王太子ラン・ケルスなどと、アズナにしてみれば雲の上のじんなのだが。

「そうよ」

 少女がつづける。

さくてんきょくへもどられたさいに、ケルス王太子ラン・ケルスは人をともなっておられたと聞いたわ。人嫌いのあの方がだれかを連れられるなんて、とても珍しいことだもの。わたくしは、それがどのような者か見てみたいのよ」

「って、言われても……」

「知らないの? 使えないわね」

「おい」

 少年の眉根が寄る。なんなのだ、この少女は。身なりはたしかに良いのだが、この、こちらに対してのえらそうなもの言い。くだされているようで、良い気がしない。

 自然、声色がけわしくなった。

「失礼だろ、おまえ。初対面の人間に対する態度かよ」

「失礼?」

 少女が黒い目をまたたかせた。

「おまえは見習い武官でしょう? 失礼になるの?」

 心底驚いたようすにうそは無さそうだ。

「なんだよそれ」

 アズナは言った。

「オレはしろみやに用があって、昨日ここに来たばっかりだぞ」

「だって、こん帯をしているわ。のうこんの帯は見習い武官のするものよ」

「知らないぞ、そんなの。用意されてたのをそのまま巻いただけなんだから」

 二人ともに沈黙した。どこかでなにか手違いがあったようだ。なんて迷惑な。

「あー……」

 先に沈黙を破ったのは、アズナだった。

「じゃあ、このままこの帯をしてるのって、まずいってことだよな……。って、言っても、オレのころも、たぶん洗いに出されてるんだけど……」

 問題の帯を引っ張って、ひとさし指でカリカリとほおをかく。

 少女はおおようにうなずいた。

側使いまかだちにかわりを用意させましょう。最初に用意した者は、あとで探してしかるようめいじておくわ」

「あ、うん。ありがとう。……って、めいじるって……」

「どうしたの? 人にはめいじるものでしょう?」

「いや、えーと、ふつう頼むものじゃないのか?」

「ふつうはめいじるわ」

 少女にとっては当たり前であるようだ。もしかしなくても、かなり身分のある相手なのかもしれない――。アズナの背を、たらりと冷汗が伝ってゆく。

 サラとせっぱく衣裳きものすそがひるがえった。

「とにかく、ついていらっしゃい。わたくしの部屋へもどるわ」

「え」

「え、ではないわ。ろうで着替えるわけにはいかないじゃないの」

「あ、ああ、うん、そうなんだ」

「気のまわらない子ね」

「って、おいっ」

 肩越しに眉をしかめた少女のうしろをあわてて追い、そのまま長いろうを進む。来た方向とは別だが、していたざわめきからも遠ざかってゆくようだ。しかしこれはしかたがないだろう。

 みがき上げられた灰色の石床に、二人分の足音がひびきわたる。

「まだ名乗っていなかったわね。わたくしは、……イーリエ。フェミア王太子ラナ・フェミアよ」

 わずかにためらったのは、気のせいだろうか。しかし、そんな違和感以上に、

 ――思いっきり王族じゃないか!

 王太子ラナという称号を耳にして、いっきに背がこわばったアズナだ。

「おまえ、名前は?」

「アズナと言います」

「アズナ?」

 あら、とちいさく声をあげてイーリエが立ち止まる。

 ぶつかる寸前、あわてて立ち止まったアズナに向き直り、少女は口調をあらためて一礼した。

「わたくしは、もしかして失礼してしまいましたかしら。あなたはクラフタ王系男児アズナ・クラフタ? それとも、新しいティアナ王系男児アズナ・ティアナでいらっしゃって? ケルス王系とフェミア王系には今、しろの遺伝形質をもつ男児はおりませんものね」

「知りません」

 アズナはあわてて否定する。そんな雲の上の方々と間違えられては、なにが起こるかわかったものではない。

「クラフタもティアナも関係ありません。オレはただのアズナです」

 少女は今度は、あら、そうなの、とつぶやいて歩き出した。アズナもふたたび少女について歩きはじめる。つんとすましたうしろ姿にさきほどとの落差を見て、あからさまだな、と首をかく。

「変わった名ね。外ではみなそんな風なの?」

「そんな風って?」

「名とか、いろいろなことよ。わたくしは、おもてみやより先に出たことが無いのよ。みやへ来るのはちんじょうの年寄りばかりだし、わたくしは気軽に話を聞けないし。だからてんきょくの外がどんなだか知りたいの。ねえ、アズナは旅をしたことがあって?」

「あ、はい。村からここまで、旅してきたから」

「本当に?!」

 イーリエが勢いよくふり返った。ぶつかりかけたアズナは急停止だ。

てきだわ!」

 少女の声がはずんだ。

「じゃあ話して! 旅の話よ! みやの外は、このケルスタニアの外は、どんな風なの? 絵ではない川や森、そびえる山を見たことがある? もしかして空の下で眠ったこともあるの? 屋根の無い場所で眠るのってどんな感じがするのかしら? 教えなさいよ」

 クラトを思い出させる大きな黒い目を輝かせて、彼女はばやに質問してくる。

「ちょっ、ちょっと! そんないっきに質問されてもこたえられないよ!」

 アズナは目を白黒させ、押しとどめるように両手を前に突き出した。

「第一、それに全部こたえてたらすごく時間かかる――って、そうだ!」

 少女の勢いに巻き込まれて、あやうく忘れるところだったと思い出す。

「オレ、人探しに行く途中なんだった。ええと、オレの連れでイビアスって男を探してるんだけど、どこかで見かけませんでしたか? けっこう背が高くて、枯れ草みたいな金茶色の髪してて、顔にもんようみたいなあざがあって、それで、根のクシの民なんだけ……ど……」

 言葉尻がつぼんでいったのは、イーリエの顔色が変わったせいだ。

もんようみたいなあざって、青紫色の?」

 王太子である少女が、ゆっくりとアズナに確認する。

「あ、うん。こう、顔の右がわに……」

 少年は、とまどいつつも自分のほおから首もとにかけておおよその形を指で描いてみせた。

 次の瞬間。

「なによそれ!」

 イーリエが勢いよく叫んだ。形の良い眉がきりきりと逆立ってゆく。

「右半面がげいめんの男って、みやにはお一人しかいらっしゃらないわ! ケルス王太子ラン・ケルス殿でんよ。じゃあ知らないもなにも、おまえがケルス王太子ラン・ケルスに連れてこられた者じゃないの! このうそつきっ」

「なんっ?!」

 思わずのけぞったのは、鼻先に指が突きつけられたのと、彼女のけんまくに驚いたせいだ。

「最低だわ! わたくしにうそをつくなんて、なんて子どもなの!」

「うそつきじゃない!」

 少年は負けじと叫びかえした。

「っつか、なんだよイビアスがケルス王太子ラン・ケルスって! 聞いてないぞ! なんでオレにだまってるんだよ!?」

「わたくしが知るわけないでしょっ。バカではないの」

「バカって言うなっ、バカっ」

「なんですって!? このれいものっ!」

 混乱する少年は怒り狂う少女とギャイギャイと言い合いはじめる。そのままつかみ合いにでもなだれこみそうな勢いだったが――。

 白金プラチナの杖が割って入るように二人のあいだに差し入れられ、「なにをやっている」と、あきれた声がってくる。

 アズナたちがふり返った先にいた人物――それはくだんのケルス王太子ラン・ケルス、イビアスだった。

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