蠢動する神 2
この先まだどれほどの時間がかかるのだろう――。背の高い
「なにをぼんやりしている」
立ち尽くす少年へ、数歩先に立つイビアスから声がかかった。
「置いていかれたいか?」
「あ、ああ」
現実に引きもどされ、アズナはまばたく。
「……悪い。野宿の用意するんだよな。すぐ燃やせる物をあつめるよ」
日が落ちれば野はとたんに冷えはじめるのだ。夜露にしめされてしまう前にたき木をあつめ火を
だが。
「必要無い」
イビアスが言った。
「は?」
「必要無いと言った」
「なんで? 火、
完全に火の
いぶかる少年に、
「この足の下が、ケルスタニアだ」
「はぁ!?」
アズナの
*
しかし岩山の内部、岩盤をくり抜き造られた
「すぐ
あざやかな色味の町のようすに目をまるくしつつ隔壁をくぐり抜け、
「おまえは……」
半歩先を歩くイビアスがこめかみを押さえる。新しい嫌がらせなのか、近ごろアズナが物知らずなことを言うたびに、頭痛をこらえるしぐさをするのだ。
「
アズナは歩きながら、むぅと口を尖らせる。
「バカにするな、ちゃんと
アズナが期待してしまうのも無理は無いのだ。なにしろ、
「同じ
イビアスは立ち止まり、下働きの者を一人
「この者を頼む」
かくしてアズナは
なじみの夢見の悪さにげんなりしながら、備えつけの化粧だらいで顔を洗い、用意されていた
手持ちぶさたのアズナは、そのままうろうろと室内を歩きまわる。
下働きの者へあずけられ別れたきり、イビアスとは会っていない。町を抜けるあいだに、休眠状態にあるロゼニアを回復させるため一度
そこまで考え、アズナは立ち止まる。
……脱力した。
ようやくわかった。つまり自分は心ぼそいのだ。
考えてみれば、出会ってからこちらイビアスやロゼニアが常にともにあって、一人になる時間など無かったのだ。きっとそのせいだろう、年長である彼らに知らず知らず頼り、頼らせてもらえる状態に安心しきっていたのだ。情けない。
「ったく。これじゃオレ、全くのガキじゃないか」
しっかりしなければ。アズナは思う。村の状況をくわしく知るのは自分だけだ。
緊張のあまりこわばる
彼が今泊まっているのは、
イビアスからは、
ふと、こちらからイビアスを迎えに行ってはどうだろうかと浮かんだ。
――別に来るなとは言われなかったよな。
言いわけのように胸の内で確認すると、アズナは扉に手をかけてそっと押してみる。
軽い手ごたえとともに扉は開いた。
すべすべとした表面の石壁や、そびえる
そう言えば
「そこの子ども」と呼び止められたのは、五つ六つ大きな扉の前を通り過ぎてからだった。
「聞こえなかったの? 子ども、おまえよ」
再度呼ばれて向けた視線の先、立っていたのは同じ年ごろの少女だ。仕立ての良さそうな
少女は上品な見た目に似合わない粗雑な足取りで近寄ってくる。
「おまえ、
「
いきなり質問をぶつけられてアズナは面食らった。
「そうよ」
少女がつづける。
「
「って、言われても……」
「知らないの? 使えないわね」
「おい」
少年の眉根が寄る。なんなのだ、この少女は。身なりはたしかに良いのだが、この、こちらに対してのえらそうなもの言い。
自然、声色が
「失礼だろ、おまえ。初対面の人間に対する態度かよ」
「失礼?」
少女が黒い目をまたたかせた。
「おまえは見習い武官でしょう? 失礼になるの?」
心底驚いたようすにうそは無さそうだ。
「なんだよそれ」
アズナは言った。
「オレは
「だって、
「知らないぞ、そんなの。用意されてたのをそのまま巻いただけなんだから」
二人ともに沈黙した。どこかでなにか手違いがあったようだ。なんて迷惑な。
「あー……」
先に沈黙を破ったのは、アズナだった。
「じゃあ、このままこの帯をしてるのって、まずいってことだよな……。って、言っても、オレの
問題の帯を引っ張って、ひとさし指でカリカリと
少女は
「
「あ、うん。ありがとう。……って、
「どうしたの? 人には
「いや、えーと、ふつう頼むものじゃないのか?」
「ふつうは
少女にとっては当たり前であるようだ。もしかしなくても、かなり身分のある相手なのかもしれない――。アズナの背を、たらりと冷汗が伝ってゆく。
サラと
「とにかく、ついていらっしゃい。わたくしの部屋へもどるわ」
「え」
「え、ではないわ。
「あ、ああ、うん、そうなんだ」
「気のまわらない子ね」
「って、おいっ」
肩越しに眉をしかめた少女のうしろをあわてて追い、そのまま長い
「まだ名乗っていなかったわね。わたくしは、……イーリエ。
わずかにためらったのは、気のせいだろうか。しかし、そんな違和感以上に、
――思いっきり王族じゃないか!
「おまえ、名前は?」
「アズナと言います」
「アズナ?」
あら、とちいさく声をあげてイーリエが立ち止まる。
ぶつかる寸前、あわてて立ち止まったアズナに向き直り、少女は口調をあらためて一礼した。
「わたくしは、もしかして失礼してしまいましたかしら。あなたは
「知りません」
アズナはあわてて否定する。そんな雲の上の方々と間違えられては、なにが起こるかわかったものではない。
「クラフタもティアナも関係ありません。オレはただのアズナです」
少女は今度は、あら、そうなの、とつぶやいて歩き出した。アズナもふたたび少女について歩きはじめる。つんとすましたうしろ姿にさきほどとの落差を見て、あからさまだな、と首をかく。
「変わった名ね。外では
「そんな風って?」
「名とか、いろいろなことよ。わたくしは、
「あ、はい。村からここまで、旅してきたから」
「本当に?!」
イーリエが勢いよくふり返った。ぶつかりかけたアズナは急停止だ。
「
少女の声がはずんだ。
「じゃあ話して! 旅の話よ!
クラトを思い出させる大きな黒い目を輝かせて、彼女は
「ちょっ、ちょっと! そんないっきに質問されてもこたえられないよ!」
アズナは目を白黒させ、押しとどめるように両手を前に突き出した。
「第一、それに全部こたえてたらすごく時間かかる――って、そうだ!」
少女の勢いに巻き込まれて、あやうく忘れるところだったと思い出す。
「オレ、人探しに行く途中なんだった。ええと、オレの連れでイビアスって男を探してるんだけど、どこかで見かけませんでしたか? けっこう背が高くて、枯れ草みたいな金茶色の髪してて、顔に
言葉尻がつぼんでいったのは、イーリエの顔色が変わったせいだ。
「
王太子である少女が、ゆっくりとアズナに確認する。
「あ、うん。こう、顔の右がわに……」
少年は、とまどいつつも自分の
次の瞬間。
「なによそれ!」
イーリエが勢いよく叫んだ。形の良い眉がきりきりと逆立ってゆく。
「右半面が
「なんっ?!」
思わずのけぞったのは、鼻先に指が突きつけられたのと、彼女のけんまくに驚いたせいだ。
「最低だわ! わたくしにうそをつくなんて、なんて子どもなの!」
「うそつきじゃない!」
少年は負けじと叫びかえした。
「っつか、なんだよイビアスが
「わたくしが知るわけないでしょっ。バカではないの」
「バカって言うなっ、バカっ」
「なんですって!? この
混乱する少年は怒り狂う少女とギャイギャイと言い合いはじめる。そのままつかみ合いにでもなだれこみそうな勢いだったが――。
アズナたちがふり返った先にいた人物――それはくだんの
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