三章 ◆皇都

蠢動する神 1

 しろみやの奥深く。いわと呼ばれほかのだれも入れない一室に、女の姿はあった。

「……ではそのように、引きつづきはげめ。次の知らせもまた、我が心を躍らせてくれるものであるよう、期待しておる」

 送られてきたちいさな物体を指先でころがしながら、いくつかの指示をあたえ、クシの民との接続を切る。

 疲労に黒ずんでいたはだき通るような色にもどったのを確認し、女はあわく光るみずの中に横たえていた身を起こした。

 軽く水気をぬぐった体にうすものをひっかけただけで私室へもどると、かたわらから声がかかる。

「またに入っていたのか、シャイア」

 男が一人、立方晶ジルコニアのまるテーブルにつき、用意されていたしゅはいをかってにけていた。とよあしの穂と形容される白みがかった金茶の髪。〈神〉の遺伝子を発現させたもののみが持ちうる、しっこくに黄金のこうさいの、夜明けとたたえられる瞳。すらりと長く伸びるに、みなぎる力強さを感じさせる彼は、彼女の義弟おとうとがみとされる根の柱神クシドレンシスだ。

 男の姿を認めた瞬間、シャイアは眉根をわずかに寄せる。だがすぐに追い出さなかったのは、彼女の機嫌がこの上なく良く、相手をしてやる気になったからだ。

「エンシスか。いつもながらしつけな男だな、おまえは」

 さきれくらい出せ、と軽くたしなめるだけにとどめ、至高の神、日の柱女神オルメサイアである女は、男の前を過ぎてころもをまとう。真白きはだをおおうきぬかんも、位階をしめす腰帯も、いずれも目をるばかりに輝く白金プラチナあまの色と呼ばれ、彼女以外にはゆるされない禁色だ。

「出したさ。さきれどもの足が遅すぎるのが悪い」などとがみの着替えをながめながらうそぶいたエンシスが、表情をあらためる。

「それほどに負担なら、本格的にくずれる前にさっさとしろえろ。〈器〉の調整など、半日もあれば終わるだろうが」

 エンシスがすすめたのは、肉の器の代替わりだ。シャイアが日の柱女神オルメサイアとなりすめらぎのおおきみの座についてから、二百五十年あまりが過ぎている。神族の寿命は三百年前後。これは彼らの肉体を形作る強化たんぱくしつの耐用年数からくる限界だ。

 しかしこの耐用年数は、置かれる環境の差によってしばしば伸び縮みする。たとえば五代前の日の柱女神オルメサイアティーア。政務にあまりかかわろうとしなかった彼女は、ほかの器より三十年は長く生きた。逆に〈から〉の拡大を防ぐべくいく度も自ら調査におもむいた二代前の根の柱神クシドレンシスユーフォナスは短命で、はしらがみとしてはわずか百年しかもたなかった。

 ついとしてささえてくれる存在の月の柱神オドメサイアスを欠く当代の器が、ほかの代の日の柱オルメサイアたちよりも早くもうしつつあるのは当然だと言える。

「あれとこんかくを融合するつもりはない」

「なぜだ?」

はむしろ飼ってやりたいのでな」

きょうな。だがそれなら取り出すなり眠らせるなりすればいい話だろう」

「つまらぬではないか、それでは」

 シャイアは、義弟おとうとからはいを取り上げると、三分の一ほど残っていた中身を干した。

「あれはまだ熟しきっておらぬ。今乗りえたところでふるえる力は八割がいいところなら――、ならばもうしばし、鳥かごでもがくさまをでておるほうがずっと楽しかろう?」

「……悪趣味め」

 エンシスがうそざむそうにつぶやく。シャイアは薄い笑いだけをかえした。

「して、今日の用向きはなんだ? ただわたしの機嫌うかがいにきたわけではあるまい?」

「おう、それだ」

 エンシスが快活な笑みを浮かべる。

「いい知らせだぞ。航宙船シェルの建造が、予定より早く進んでいる」

「ほう、それは……」

 シャイアは目をほそめた。

ちょうじょうだな。銀珠エンブリオがよみがえるか」

《世界がまだ水や油のように形無くただよっていたころ、水の上におりてきたぎんが開いてがみさまと女神さまがお生まれになった。》

ふたはしらの神さまはお考えになった。水ばかりでなにも無い世界はさびしい、と。ちょうどお持ちになっていたあしたばがあったので、杖のかわりとされ、水の下のはにつちを大きくちいさくかきまわして地をおつくりになった。》

ふたはしらの神さまは、地が乾いて固まったのをご覧になると、その上へおり立ちになって、あしたばづえを地面に突き立てられた。するとみるみるうちに緑の草木がえ広がって、美しい国土が誕生した。》

 これはオルメイス正教の教義とともに民間に広く信じられる『あしづえの神話』の冒頭だ。神話では、このあと二神がまじわりあまたの生命を生み出したと語られる。

 だが、彼らはしらがみの保有する記録は異なっていた。

 神族の寿命にしておよそ七世代半前、創世二神こと最初の器となる男女がこの惑星にり立った。彼らはあしづえと呼ばれる出力端末装置デバイスを使い、航宙船シェル――銀珠エンブリオの力で浅瀬のしまを隆起させ、人間をふくむ多様な動植物たちをそこへ展開した。種子となったものはすべて、二神の乗ってきた銀珠エンブリオに保管され運ばれてきたものだ。

 シャイアたちが欲しているのは、の航行能力と、この大規模輸送能力である。銀珠エンブリオと呼ばれる航宙船シェル本体は創世二神の時代に破損してこうちゅうできなくなってしまったが、設計図は残っているため、みやかんかつ下にて再現を試みられているのだ。水を支配する神ではない根の柱神クシドレンシスが〈うみ統べるしろしめすかみ〉と呼ばれているのは、このと強く結びつく神であるがゆえだった。

「そうだ。このとらわれの地より、ようやくにして外へ向かうことができるというわけさ」

 銀珠エンブリオを動かすためには、固定された座標間のみを行き来するとりふねよりもはるかに多くのしんりょくが必要だ。はしらがみである彼らは千年以上をかけてそれをあつめたくわえてきたのだ、準備はすでにととのっていると言って良い。

わたしもおまえも、本来の姿にもどれるようになる」

「そう。〈楽土フロンティア〉にすらたどり着けぬままで、むざと朽ちることもない――悲願だな」

 エンシスがつづけた。

 遠い、もうずっと遠い昔、はしらがみたちがこの天のはてとらわれた時よりも以前、〈神〉の数は今より多くあった。あるいは世をくまなく探せば、どこかにかすかでも残っていないだろうか、かつては神がみつはしらだけではなかったと。この地に縛られたものたちがもっと違った形で存在するはずだったことを、知っている者がいないだろうか。航宙船シェルにて国土を囲む障壁の外へ脱すれば、そのころのように自由になれる時代がやってくるのだ。

 エンシスが、シャイアのもてあそんでいたからはいを取りかえすと、新たな酒をそそぎ入れる。それから、間近に迫った長きにわたる悲願の達成へ、「前祝いだ」とはいをかかげ、口をつけた。

 さらに二、三の政務にかかわる話と軽口のあとに、エンシスは退出のことばをのべて去っていった。

 根の柱神クシドレンシスの背を見送り扉が閉まるのを見とどけると、シャイアは浮かべていた笑みを冷たく削ぎ落とす。

航宙船シェルか……」

 遠く思いをせるように視線を投げる。楽土フロンティアなどなきものを、とつぶやく言葉を聞く者はいない。

 日の柱女神オルメサイアは、さきほどクシの民より転送されてきた石のかけらを、隠し持っていたそでの内から手のひらへとすべらせる。いとおしむように感触をたしかめたそれは、かつてうしなったはずの存在を、たしかに感じさせるものだった。


  *


 それはいつも夢の形を取っていく度も少女のもとをおとずれた。深い闇のりたみやにめぐらされたとばりをくぐり抜けた先に、なにごとかをなげきつづける人物がいる。流れる涙を吸い過ぎたのか、もとは白かっただろう衣裳きものもくすんだなまりいろに変わり、長い髪はほつれつやをうしなって、もはや見る影も無い。

 その者を、泣くな、と彼女はなぐさめる。泣くな、私がいるから、と。とこしえにあなたをささえる、私がいるから、と。そしてその背に手をそえ――自分の手が見知らぬ男の手にすりかわっていることに驚いて悲鳴をあげるのだ。変わりはてた自分の姿に、同じく変わりはてた声で悲鳴をあげるのだ。

「……またこの夢なの?! もう! かんべんしてよ」

 目がめたとたん襲い来たいらだちに、イーリエはやわらかな羽根をつめた枕をたたいた。

 レトナ・イーリエ・ラナ・フェミア。彼女の名だ。太子ラナの称号を受けながら、王系女児への尊称「レトナ」がついているのは、夏至を迎えれば十七となる今になっても彼女がまだ成人していないためだ。

 ものごころついたころには、彼女はフェミア王の養女であり、日の柱女神オルメサイアつぎしろとなるべくしろみやに送り込まれていた。実の親は知らない。赤子たちが覚えているというぬくもりのかけすらも記憶には無い。仕える者たちはみな忠実ではあったが、彼らの向ける情はあくまで臣下から主人へと捧げるもの。家族のぬくもりとはほど遠いのだ。うなされても抱きしめてくれるのはただ自分の腕だけ――そうして彼女は育ってきた。

 このところ悪夢が頻繁になっている。イーリエは枕を抱きしめながら思った。いく度も見るくすんだ者とその者に寄りそう男の夢は、いったいなにを表しているのかはわからないが。もしかすると、このまま「レトナ」のままでいつづけることになるのではないか、という不安が呼び寄せてみせているのかもしれない。そう分析する。

 ぐらざんにひたりつづけるのは楽しいものではない。イーリエは気分を変えるべくすずを鳴らし、側仕えまかだちの者に茶のしたくを命じた。


 扉の向こうがみょうにざわついていると気づいたのは、茶の道具一式が運び入れられるさいだ。

「なんなの? 今日はさわがしいわね」

 イーリエは枕にもたれたままれたての茶を受け取り、侍女まかだちに尋ねる。女はちゃを切り分ける手を止め、うやうやしくこたえた。

ちんじょうの者が来ておるようにございます」

「いつものことじゃない」

「さようでございますが、お連れになられましたのが、ケルス王太子ラン・ケルス殿でんでいらっしゃいましたので」

「ふうん」と、イーリエはかんばしい茶をすすった。今のケルス王太子ラン・ケルス根の柱神クシドレンシスつぎしろであるが、人をいとってこうを離れ、クスビとともに僻地をめぐっていると聞く。そんな男がこうへともどり、しかも人を連れ帰ったというのだ。連れられた者が男であれ女であれ、たしかにさわぎにはなるだろう。

 ――興味をひかれる。

 イーリエはわんの中身を飲み干すと、寝台からすべりおりる。

 それから、「おもてみやへ出るわ。着替えを手伝いなさい」と、侍女まかだちに命じた。

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