眠れる水の守り 4

 さんどうが尽きた先には、ぽっかりと木々のひらけた空間が広がっていた。しばに似た短い草におおわれているちいさな広場にはんだ水が流れを作っており、その向こうにあるいしづくりのかみみやは、歳月に姿をくずすこともなく堅固に大地から立ち上がっている。

「うれしいね、水があるじゃないか」

 広場の片すみにき出す泉を見つけて、タキアが喜びの声をあげた。すずやかな水音を立てる泉は、初夏の空を映した青をたっぷりとたたえている。

「すまないけど、みな先に行っててもらえるかい。あたしはちょいとだけ足を止めて汚れを落としていくよ。さっきから臭いにへきえきしててさ」

 女武官は緑色がこびりついた赤毛をつまんでみせる。武官とはいえ、やはり女性だ。異臭を放つ怪物の体液を浴びたままという状態が、気になるようだ。

 アズナたちはひとまずタキアだけを泉のそばへ残し、かすかなしずくの音がひびくかみみやのうちへ足を踏み入れる。

 ――すごい、これがこうの技術ってやつなのか……!

 アズナはわれ知らずため息をもらしていた。

 どんな仕組みが働いているのだろうか、鏡のようになめらかな表面の石壁が内側からあわく発光し、アズナたちの進む先を次々に照らしてゆく。壁の要所要所にほどこされたせいうきぼり。そびえるした優美な柱が立ちならぶかみみやの内部は、つい先ごろまで手入れする人間が存在していたかのように、整然とした美しさをたもっている。

「動力は生きているな」

 うきぼりの一部を押し、横にすべり開く扉をながめてイビアスがつぶやく。人々に忘れられようとも、ただありて動きつづける古きかみみや――生まれてはじめて見る高度な技術に、アズナはひたすら目をまるくするばかりだ。

 扉をくぐり抜けた先は、床一面が深緑のこけにおおわれた、窓の無い部屋だった。中央にわる背高な水盤の光が、あわいあみの目もんようを天井に描いている。水盤の隣には、いしづくりのちいさなまるテーブル。かむくらであるのか、部屋のすみには一段高くこけの盛り上がった場所がある。なにが気になるのか、一瞬動きを止めたイビアスが、すぐに独りそちらへ向かう。かがみこんだ彼がなにかをつまみ上げるのが見えたが、直後聞こえたうめき声にアズナの注意はまるテーブルへ引き寄せられた。

「ハドリさん、どうかしたんですか?」

 取りついた機械技術士が、難しい顔になっていた。

「ああ、アズナ君。ごめんよ、ちょっと思っていなかった事態でね」

「え?」

とりふねを起動させるのに、しんりょくが足りないんだ。装置は正常なんだけど、どうしてだかふつうじゃありえない数値まで、このかみみやにあるはずのしんりょくが減ってしまってるんだよ。道理でこうから遠隔操作できなかったはずだ」

 ええと、と少年は頭をひねる。

「それじゃ、どっかから持ってくればいいんじゃ?」

「ところがそう簡単にはいかないのさ、しんりょくってヤツは」

 別の声が割って入った。ふり向くと、さっぱりと汚れを洗い流したタキアが、扉をくぐるところだった。「待たせたね」と軽く片手をあげた女武官は、大またに歩み寄ってくる。

「アズナ、しんりょくってもんの成り立ちについて、あんたは知ってるかい?」

「あ、いや。全然」

「なるほど。じゃあ、説明はそこからか。っても、あたしも大ざっぱにしか理解できてないんだけどね」

 親切な女武官は、わかりやすく噛み砕き、少年へ知識をあたえてゆく。

「神やしん使たち――って、しん使ってのはクスビやクシの民だってわかるよね? 彼らの使うしんりょくってものは、もともとあたしら人間をふくむ草木動物すべてのまわりに、薄ーくただよっているもんなんだ。いきものが動けるのは、この薄ーくただよってるしんりょくのおかげだって言われてる。

 しんりょくは、自然のままでも人間の意思に反応して、たとえばここの水盤に使われてる鉱物のケルサライト、これに干渉して姿を変えさせたりもするんだけど。でも、ふつうはそのままだと薄すぎてとても使いものにはならないんだ。

 だからそのうっすいものを、みつはしらのおおかみ様方がご自身方への信仰、つまり祈りの力であつめてこごらせるのさ。こごらせたしんりょくは、人間が持ち運んだり使ったりできるようになにかにこめられるけど、込めるわざおおかみ様方だけしかご存じないんだ。

 で、そうやっておおかみ様方が運べるようにしてくださったしんりょくは、こうにたくわえられたり、各島のおおきみたちのもとへ必要な量に照らして配られたりする。これは普段から島と島の伝送や長距離輸送に使われる分だから、余分は無いのさ。

 そういうわけで、しんりょくってのは、無くなったからってほいほいとそこいらから調達できるものじゃないんだよ。だから困ってるのさ」

「じゃあ、結局この装置は使えないってことなのか……」

 理解とともに落胆がアズナを襲った。

「いいや、使えないことはない」

 もどり来たイビアスが口を挟んだ。

「感謝しろよ、アズナ、おれたちがいて。――ロゼニア」

はいヤー

 呼ばれたクスビが進み出る。

か?」

みやへもどるまできゅうみんしてもいいなら、まわしてあげられる」

「かまわん。クシの民の契約によってではなく、の権限によってめいじ、以下を許可する。可能な限りのしんりょくをすべてまわせ」

命令ヲ受諾致シマシタヤー・トゥリ・ラン・ケルス

 うやうやしくこうべをたれたロゼニアの声が変化する。

「コレヨリシンリョクノ転送ヲ開始シマス。自己統合保持機能ヲ全解除」

 直後、娘の姿があさなわをときほぐすようにほどけた。

 黄金の瞳を持つ太い輝きが八条、水盤のあしにからみつきはい上がる。のクスビのほんしょうであり、また凝縮されたしんりょくの塊であるそのいきものは、はっしゅはちで一体をなすあかがね色の大蛇おろちだ。大蛇おろちは水面へたどり着くと、八つの首すべてを水中に差し入れる。

 一瞬の静寂。

 すぐにさざなみを立てきらめいていた水がうずを巻き、大蛇おろちのからみついた水盤が、赤く光って鼓動をはじめた。

 いや、水盤だけではない。部屋全体が脈動している。まるで巨大な生物の心臓に入り込んだかのように。

「起動文字式を」

「あ、はい」

 それが制御装置なのだろういしづくりのちいさなまるテーブルに指をすべらせ、機械技術士が複雑に文字を組んだもんを描く。

 いまや部屋とともに一個の有機体となった水盤が、音高く水を噴き上げる。

 声も無いアズナの頭上、音も無く天井が割れた。

 空中でこまかく枝分かれした水は、天を恋いしたい空へと伸びあがる。

 さらにからみあって伸びつづけながら姿を変えていくそれらは、ついに青々と豊かにしげるあまたの葉や枝となった。

 遠目に見ればかみみやは今、天高くそびえ立つ大樹のように見えるだろう。「とりふね」またの名を「あまつらぬくいわくすふね」という、あめみちを開き人をあまけさせるこの装置は、清き水のく地にのみ根付き、ばくだいしんりょくを消費する、巨大な有機機械だ。

 技術士がまるテーブルから顔をあげ、アズナたちをふり返った。

「座標固定完了しました。使えますよ」

 イビアスがおうようにうなずく。

れいを言う。ハドリ、タキア、たいであった。――ロゼニア、アズナ、行くぞ」

 水盤から離れた大蛇おろちを腕に巻きつかせ、クシの民は両手のひらをいわぐすに押し当てる。やわらかい泥に沈むように、彼の姿はみきみ込まれた。

「うわ……」

 ためらうアズナの背を、ハドリがポンとたたいた。

ねんのためぼくたちは装置のようすを見なくちゃならないからね、あとから行くよ。アズナ君、お先にどうぞ」

「あ、ありがとうございます、ハドリさん、タキアさん!」

 少年はあわてて向き直り、それぞれに頭を下げる。つかのま出会っただけのあいだがらだったが、二人から受けたおんをこの先も忘れることはないだろう。

 目を閉じ、息を止めて、アズナはいわぐすへ一歩、思い切って踏み出す。

 次の瞬間、彼の身体からだは弾力のある質感につつまれ、すぐにそれを通り抜けた。


『鳥のごとくあまけよ』

 耳もとをだれかの声がけ抜けていった。

け、清き水の地をつなげ』

 すずやかな声だ。若く、力強い男の像をのうに描かせる。

 目をあければ半透明の青いくだの中にいるような、ふしぎな空間が広がっていた。恐れていたような息苦しさはない。むしろ過ぎるほどにすがしい木のがあたりに満ちている。

 さらさらと光の流れる壁の向こう、頭上には昼だというのに星が見えた。

 足もとに目をやると、今度は、はるか彼方かなたに灰と緑の島影が見える。あまりの遠さ高さにくらりと目まいがした。

 ふらついたアズナの腕を、イビアスがらえる。

「気をつけろ。みちはずれるとどこに出るかわからんぞ」

「あ、ああ」

 少年は目をしばたかせる。それから気づいた。なかば以上けてはいるが、足もとにはしっかりとした固い床の感触がある。

「……すごいな、ほんとにすごい……」

 自身の立つ横を次々に過ぎ去ってゆく景色をながめて、アズナはもういく度目かわからないため息を落とした。いったいこうの技術とは、どこまで高度なものなのか。こんなふしぎを可能にしてしまう、しろつきしろみやという存在は、はしらがみたちとは、どれほどの力を持つ存在なのか。助けを求めると決めたとはいっても、本当にうったえをとどけられるのだろうかと、今さらながらに気が遠くなる。

「自分の意志をしっかりもっていろ。神を動かすのは、いつの世も人の意志だ」

 不安を見抜いたのだろうか、イビアスが肩をたたいた。アズナはもんようのようなあざのある横顔を見上げる。

 そうだ、決めたのだ。自分は一歩を踏み出し、やりとげると誓ったのだ。いつまでも迷い、まどわされていたのでは、日の柱女神オルメサイアを説得し助力をうことなど、とうていできないだろう。

「言っとくけど、オレ、がんだからな」

 アズナは男の横顔から視線をはがし、前方にうずまくあわい光をまっすぐに見つめた。

「オレはたしかにガキんちょで、いろいろものを知らなくて、力も無い。できることも少ないさ。けど、人とする約束だけはぜったいだと思ってる。自分がした約束を、裏切っちゃならないと思ってる。だから、投げ捨てない。負けやしない。たとえなにがあっても。親友と約束したんだ――、だから」

「ああ。そうだ、そのだ」

 隣でかすかに笑うけはいがする。

「忘れるな。人の意志は、なによりも強い」

 男の言葉は、なぜかアズナの耳には、男が自分自身へと言い聞かせているように聞こえた。

 ――イビアスにも、なにかあるんだろうか?

 ふとそんな考えが頭をよぎった。一見そんなクシの民である男、イビアス。こうかみみやにつながり、恐れるものなど無さそうな彼にも、自身をしっしなければならないなにかがあると?

 を浴びた梢のような強く輝く緑が近づいてくる。あれがきっと出口なのだろう。

 少年は頭を切り替える。これから自分がなすべき事へと。

 日の柱女神オルメサイアに助けを求め、村にむマガツヒを退しりぞける。その先にはかならず心れる未来が待っているに違いないのだ。

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