眠れる水の守り 3

 ふり返りざまに真空ので怪物の胴を真二つにする。白金プラチナの杖がまとうは最上のやいばだ。当てるだけでよく切れる。

 しかし速さが落ちかけている。気づいた瞬間、舌打ちする。同時に襲う三体を、イビアスは杖でなぐり飛ばした。

「クソッ、やっかいな」

 走りながらき捨てる。怪物にが触れるたび、杖からしんりょくが消えてゆく。杖の白い輝きが、見るからににぶくなっていた。

「きりがないね」

 タキアもなげく。女武官のけんもまた、怪物の頭を切り飛ばす勢いがずいぶんと落ちている。

かみみやに着く前にこっちの体力が尽きちまうよ」

 朽ち葉をってまた一匹。切り捨て終えたけんさきから、緑の液がしたたり落ちる。

「こらえろ」

 怪物をなぐり、こたえるイビアス。ついに杖が明滅しはじめた。

「クスビとおなじなら、かみみやの装置で止められる」

 万に一つクスビが暴走したときのため、彼らを無力化する手段を、かみみやはたいてい持っている。アズナたちが向かう先にも、装置がきっとあるはずだ。イビアスはそれにけている。

 尽きぬ数の怪物相手に、杖とけんをおのおのふるう。

 ついに最後のしんりょくが吸われ、杖の光がかき消えた。

 ガチと嫌な音を立て、杖に牙がらいつく。

 ――しまった!

 くろぎぬの下であせりを浮かべる。

「イビアス!」

 一瞬動きを止めたすきに、こちらを見やったタキアともどもイビアスは群れにみこまれた。


 だれかの叫びを耳にして、アズナはうしろをふり返った。イビアスたちはどうなったのか、木々のあいだに押し寄せる濃緑の群れが見て取れる。

「ロゼニア、来た!」

 あさぎ色からつぼに。走りながらふり返るクスビの瞳が変化する。

「いそいでアズナ! ハドリ、かみみやはマダ!?」

「め、目印の柱が見えればすぐです」

「あそこ!」

 視線をもどした少年は、直後見つけて声をあげた。指さす先には朽ちた円柱。くずれた石のさんどうが切れ切れに前へ伸びている。

 早く、一瞬でも早く。かみみやしてひた走る。

 落ち葉を、草を踏みしだく音。

 ――近い。

 迫ってる、すぐあとに。

 ――まずい。

 追いつかれた!

 少年の肩をかすめ、てつこんやりが背後へ伸びた。ロゼニアのあごある触手だ。怪物の胴をくしして、そのまま群れをぎ払う。

「二人トモサキニ行ッテ! スグニオイツク!」

 展開した触手を盾に、アズナにハドリをあずけるロゼニア。一瞬のちゅうちょのあとで、アズナはハドリに肩を貸し、ふたたび先へと走り出す――。

 だが遅い。遅すぎる。ただの人間の子どもでは、ささえはできてもけ切れない!

ぼくは置いて、アズナ君、先へ!」

「嫌です!」

「アズナ君ッ」

「ぜったい嫌だ!」

 そうだ、一人なら逃げられる。さんどうかみみやへ、走り抜けることはできるだろう。

 だがそれでは。自分一人助かればいいと考えるなら。

 ――オレをにえに差し出したやつらと、なにが変わるっていうんだ!?

 ここでハドリを置いていけば、きっとクラトと目を合わせられなくなる。が身かわいさに人を見捨てたと、一生つみから逃げられなくなってしまう。

「自分のために人を見捨てるようにだけはなりたくないんです!」

 アズナは歯を食いしばり、かかる重みに耐えて進む。

 後方で苦鳴があがった。ロゼニアの声だ。負傷したのか。

「アズナ君っ」

 ふり返った技術士の叫び。

 悪夢の緑が殺到する。

 泥のような生臭さ。のしかかる重み。打ち倒される。視界が濁る。ももに食い込むなにか。熱い。なにか、痛み。熱い。鋭い、牙の、熱い、熱い、痛み、それは――、


 死が、あぎとを開く。


 ――ダメ、だ。


 ……どうか、と。祈ったのは、染みついた意識によるものだ。


「慈悲を」

 い願った先は、かの神。


 助けて、まだ死にたくないと、ここではまだ死ねないからと、せつな、彼はきんを破る。秘されし四人目のにして日の女神の双子、その名。


けの女神――」


旭日の柱女神オルフレイアよ!』



 しん、と。


 音が消えた。


  *


 丸石のつぶが内からはじけ、おのおのちいさな水たまりを作った。

「ラナティアナ!」

 逆流したしんりょくに手のひらを焼かれ苦鳴をあげる。のけぞる少女にサイアスがけ寄った。けいれんする幼い体を、彼は両腕に抱きしめる。

「よくも……生意気なまねを」

 うめき、ちぢれ髪の少女は、血が出るほどに唇を噛む。

「このままではすませないわ」

「ダメだよ、ラナティアナ」

 もう一度地につけようとした手を、サイアスがそっとつかまえた。

「これ以上は、あなたが壊れてしまう」

「でも、サイアス」

 ラナティアナは彼をあおぎ見る。

「このままじゃあなたのしんりょくが尽きてしまう。今のでずいぶん消費してしまったのよ?」

「いいんだ」

 サイアスが首をふった。少女の手は持ち上げられて、ただれた指に口づけがる。

「まだ、もうしばらくはだいじょうぶだから。あなたが壊れてゆくほうが辛いよ、わたしの……。それより傷を治そう」

 青年は自身の手首に爪を立てる。あわく光る水のようなものが、傷口からにじみ出す。

 光る水は少女の手のひらにしたたり落ちると、くずれたはだの奥にしみ込んでゆく。

 まるで時をもどすように――いや、時を早送るように、赤くただれていたはだは白くやわらかいなめらかなはだへとみるみるうちに再生した。

 いくぶんほおじょうさせ、ありがとう、と少女は言った。彼女の姿はもうすでに幼い少女のものからはずれ、娘のまろみをおびはじめていた。

「もうだいじょうぶだわ、サイアス。さかをやめて。進みすぎてしまう」

「ああ」

 手を離した青年の目が、少女の――いまや娘と言っていい姿のラナティアナをとらえ、たたえるうれいをつかのま消した。

 おだやかな笑みが彼の顔に浮かぶ。

「その姿は久しぶりだね」

「あなたがはじめて会ったころと同じくらいかしら。昔を思い出す?」

「とても。……なつかしい」

「わたしもよ」

 ラナティアナも同じくほほ笑みかえした。ほおる唇がくすぐったい。サイアスの胸で、声をあげて身をよじる。

「ラナティアナ、しばらくはいいしさとへ行こう。あそこなら、まだいくらかわたしたちへの祈りが残っているはずだよ」

しろみやも知っている場所よ、サイアス。危険ではないの?」

「長い時がたったもの、かえって安全だと思うよ。だいじょうぶ、わたしもあなたも――隠れるのは得意だよ」

「そうね……」

 ちぢれた髪の美しい娘は、しばし考えをめぐらせる。あのさとならすこしはしんりょくを取りもどせるかもしれない。

「行ってみるのも、いいかもしれないわ」

 うなずき、彼女は青年とともに立ち上がった。

 そのまま手を取り合い木々の奥へ、二人静かに歩み入ってゆく。


  *


 頭の上のどこかの枝で、なごやかに鳥がさえずりはじめた。もとのおだやかさを取りもどした森は、ふたたび緑の色濃いけはいにすっぽりとつつまれている。

 身を起こす動きにつれて、ぼろりとなにかがくずれ落ちた。怪物であったものだ。悪夢じみた醜悪な姿は、すべていびつな炭になっている。

「なに……が……?」

 あっけにとられたおもちであたりを見まわすアズナたちに、ひとがたにもどりやってきたロゼニアが常よりいくぶん血の気の引いた白い腕を差しのべた。

「だいじょうぶ? ふたりとも」

ぼくはだいじょうぶです」

「あ、うん。オレも、だいじょうぶ」

 ハドリが彼女の手を借りる横で、アズナは自力で立ち上がった。感じたと思ったあの痛みは、もしやまぼろしだったのだろうか。ころもこそやぶれてはいても、食いつかれたはずのふとももには、傷ひとつとしてついてなかった。

「すごいね」

 炭の塊をハドリがこわごわのぞき込んだ。

「きれいに炭になってる……。これはクスビの力なの?」

 ロゼニアが首を横にふった。

「ワタシにはできない。でも……」

「でも?」

「いっしゅんしんりょくの波が――」

 つづきを口にする前に、三人を呼ぶ声がとどいた。

「ハドリ、アズナ、ロゼニアじょうちゃん、全員かい!?」

 あちこちに緑の汚れをこびりつかせて、け寄ってきたのはタキアだった。つづいて、「食われてはいないようだな」と、右のほおから首もとにかけてもんようのようなあざがある男――。見知らぬ男だ。

 いや、違う。よく知っている。この男はイビアスだ。ひねたもの言いと声から気づいて、アズナは目をまるくする。目の前にいるのは、青紫のあざ以外は髪色もごくふつうの、人形のように静かな顔立ちの若い男。今までは言動から、どんなきついかおだろうと想像していたのだが。

 くろぎぬの下はこんな風だったのか、とまじまじとながめる。

「なんだ?」

 気づいた男が眉をあげた。

「あ、いや。いつも布かぶってたから、あんたってそんな顔してたんだな、て思ってさ」

 思わず正直にこたえると、嫌そうに顔をしかめられた。

「珍しいのはわかるが、あまりじろじろ見るな。金でも取りたくなる」

 しつけな視線に気分を害したというよりも、他人に顔を見られること自体があまり好きではないようだ。

 だが、もの言いに腹が立つのは変わらない。

「水面でも見て言ってろ」

 いつも通りアズナはやりかえした。

「なにがなんだかわからないけど、とにかく助かったよ」

 タキアがけんさきで炭をつついた。

「正直、数が多すぎてダメかと思ったからね。かってに炭になってくれて幸運だったさ。――って、まさかここから新しくえてきたりしないだろうね?」

「その想像はうれしくないよ、おくさん。怖すぎる」

 女武官は足を引きずるハドリに気づき、「したのかい」と眉をひそめる。

「安心しろ。クスビはかってにえてきたりはせん」

 タキアが技術士の手当てをするあいだ、沈黙するアズナに気づいたイビアスが、珍しくづかいの言葉をよこした。

「さてと」

 手当が終わった技術士が、「お待たせしました」と全員を見まわした。

「怪物が炭になった理由は気になるけど、いつまでもこうしているわけにはいきませんよね。あとすこしのようですし、日が傾く前にかみみやへ移動しませんか。正直あんまり見ていて気持ちのいいものじゃありませんから、ぼくは早くこの場所を離れたいです」

 たしかに、ハドリたちの目的はとりふねの装置の修理だ。怪物のじょうや全滅のわけは気にはなっても、調べるのは余裕があればの話だ。

「そうだな」と、ちらりとからもれる光の具合をたしかめて、イビアスが首を縦にする。クシのたみである彼も、怪物の件はひとまず置いて、先へ進むべきと考えたようだ。

 アズナやタキアもうなずく横で、ロゼニアだけは反対らしい。しばし不服そうなそぶりを見せていたが、みなの決定は変わらないと見て、ついには首を縦にふる。

「じゃあ、行こう。おぶってってやろうか? ハドリ」

「いや、だからね、おくさん? なん度も言うけど、ぼくは男として――やっぱり肩だけ貸して」

 あいかわらずの掛け合いをつづける夫婦とともに、アズナたちは歩きはじめる。

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