眠れる水の守り 2

 先を歩くアズナたちの靴跡が、緑色のこけともともつかないものの上に残っている。

 人の手が入らないまま長く放置されつづけた森の中は、うっとうしいほど濃い緑のけはいに満ちている。突き出した葉枝とすべりやすい足もとのためにうっかりすると見うしないそうになる彼らの姿を求め、タキアは首を伸ばした。

 ――実のところは半信半疑だったけど、存外使える坊やじゃないか。

 木の根元あたりとじゅかんをたしかめつつ方角を定める少年は、なるほどイビアスの言う通り森歩きにれているらしく、足取りに迷いが無い。

 古いかみみやの周辺ではよくあることだが、試しにとタキアたちが用意してきた方位磁石は森に入ったとたんに壊れて使いものにならなくなっている。せいぜいが十四、五の、平凡な子どもにしか見えないアズナの特技がなければ、やはり、と落胆して終わりだっただろう。村での出会いは、まさしくぎょうこうだったのだ。

「ううん、けっこうきついね」

 すぐ前を歩いているハドリがこぼした。見た目にすぐわからないほどにゆるやかとはいえ、ずっとつづく坂道なのだ。ただ歩くにしても足腰に相応の負担がかかる。特に彼は普段激しい運動をすることもない上、身についた肉がおもりとなってしまうのだろう。噴き出した汗がころもの背をぐっしょりとぬらしていた。

「だいじょうぶかい、ハドリ? おぶってってやろうか?」

「さすがに男として遠慮するよ、奥さん」

 息を切らせながらハドリがこたえる。

「アハ。でもももすねのあたりがミシミシ言ってるな。ロゼニアちゃんはともかく、イビアスさんやアズナくんはすごいね。……おっと!」

 足をすべらせた夫の背中を、女武官は軽々とささえた。

「イビアスはもともとのいえがらいえがらだったからね、今でもきたえてるはずさ」

「ありがとう。そう言えば前に言ってたね、上とお母上の噂のせいで……って。もったいない話だ、って」

「ああ。でも、今ならわかるかな、ああいう人たちだからこそのいろいろがあるんだろうってさ。しかし、あのぼうやがすごいってのには同意だよ。足腰の強さは育ちのものだろうね」

「それにしては地図の字が読めてたのがふしぎじゃないかな」

 ハドリの指摘にタキアは、たしかにね、とうなずく。こうをふくめ教育の普及しはじめたおおきみちょっかつの各都を除けば、この国のしきりつはけっして高いとは言えない。家が裕福で都とのつながりが強く教育に力を入れているのならともかく、ふつうの子どもが文字を読めることはあまり無いのだ。しかしアズナの言動からすれば、彼がそんなふうな家の子どもであると考えるのもなかなかに難しかった。

「イビアスは、あのぼうやをどこでひろってきたんだろう?」

「あとで尋ねてみるといいと思うよ。隠す理由が無ければこたえてくれる、よね? たぶん」

「ああ。気が向かなくちゃ教えてくれないのも、イビアスなんだけどさ」

 したやみに溶け込むくろぎぬを見やってタキアはこたえ、そんな気がしたよ、とハドリがちいさな笑い声を立てた。



 最初の異変は足もとのちいさないきものたちだった。厚く落ち葉がりつもりかい綿めんのような弾力をもつ土の下には、土地の豊かさをしめすあまたの虫たちが生息している。その彼らが土中よりはい出し、群れをなしていっせいに逃げはじめたのである。

 ――なんだ? なにを逃げまどってる?

 アズナは立ち止まり、あたりを見まわす。すぐあとにつづいていたイビアスも同じく立ち止まり、「どうした?」と声をかけた。

「いや、虫が……」

「虫がどうかしたの?」

 タキアとともに追いついた機械技術士が、ふしぎそうに尋ねる。

「なにかくる……」

「なにか来るね」

 同時につぶやいたのは、ロゼニアと女武官だ。次いで気づいたくろぎぬの男が、すばやく杖を引き出して握る。たがいの背を背に、警戒する態勢を取った彼らの頭上で、逃げゆく鳥たちがおんに鳴き交わした。


 カサ、と朽ち葉を踏む音がした。

 カサ、コソ、と。ひそやかな音を立て、朽ち葉の上、逃げる虫たちを踏みつぶして、いくつものけはいが四方から近づいてくる。

 低く地をはうそれらの姿を見て、ヒ、とのどを鳴らしたのは、アズナ自身だろうか、別のだれかだっただろうか。

 それらは形だけを見れば、腹ばいになって手足を広げつまさき歩く人のようだ。だが人ではありえない。人のはだがからみあいぜんどうする濃緑のつるの塊であるわけがない。顔と思われるあたりにぽっかりと開いた二つの穴は、あるべき目玉をうしなったがんに見える。ニタリとひらかれた口は、ほとんど首のうしろまで裂け広がっていて、尖った歯のあいだからねんせいのなにかを地にしたたり落としていた。

 ス、とイビアスがふところに手を入れ、魔けの効果もある黄色い粉を引き出した。杖の力で起こした風に乗せ、怪物たちの足もとにいくばくかを流しやる。魔が相手なら効果を得られるはずだと踏んでのことだろう。

「ちがう、イビアス」

 ロゼニアが伝えたのと、怪物たちが粉を踏み越えたのは同時である。なにも起こらない。なにも反応しない。つまりは――魔では、ない?

「あれはクスビにちかいけはいがする。とてもイヤな、イヤな――アイテ」

 アズナ以外の者たちにはその意味がわかるのか、みなの顔色がわずかに青ざめる。そうとうまずい相手のようだ。

 舌打ちしたくろぎぬの男が、アズナ、と低く呼びかけた。

かみみやの方角はちゃんとわかるな?」

「あ、ああ」と、とまどいをおさえてアズナ。

 男がばやに指示を出しはじめる。

「合図したらハドリを連れて走れ。かみみやへ向けて、できるだけ早くだ。ロゼニアは二人を護れ。かみみやを作動させろ」

わかったヤー

 ロゼニアが表情を引きしめ、次いで、

「タキア、悪いがおれといっしょにしんがりだ。走りながらぞ」

「あいよ、まかせな!」

 やや険しいおもちながらも威勢よくタキアが受けた。

 直後。

 濃緑の怪物たちが、いっせいにをたわめる。

 ――来る!

「走れ!」

 ひきのように飛びかかってきた怪物たちへ、イビアスが圧縮空気の塊をぶつけ、一角を切りくずす。生まれた輪のとぎれ目を、あかがねの髪のクスビに護られながら少年と機械技術士が全力で走り抜けた。

 つづいて、追いすがる怪物どもをたたき伏せ切り捨てながら、しんがりを担うイビアスとタキア。飛び散る濃緑の体液で、森が不自然な緑に染まってゆく。


  *


 森の奥、古いかみみやに背を向けて、ものげな青年をともなう少女の姿があった。

 ちぢれた黒い髪の少女は地に両手をつき、遠くをかすようにじっと前を見ている。

「さあ、正体をあらわしなさい、隠されたもの」

 唇を舌でしめし、少女は低い声でつぶやいた。

 黒い丸石のつぶを周囲にめぐらせひざまずく少女の足もと、青とも緑ともつかないあわい色の光がおんにざわめいている。

「あなたのために、たくさんのはいずるものたちを生み出してあげたのよ」

 呼応するように、光のざわめきが強まる。クク、と幼いのどからいな笑いがもれた。少女のまとう空気は、もはやようじょじみている。

「抵抗するのね、からまるものたち、その使い手。でもよ。あなたたちのしんりょくは、わたしたちがもらうわ」

 少女はつぶやくことをやめ、さらに深く集中しはじめた。

 かみみやの柱にもたれかかり立つ青年は、少女を悲しげに見つめている。


  *


「ぶ、に逃げおおせた、ら、……減量、にっ、はげむ、っよ」

 全力しっそうでのぼり坂をける人生初の大試練の中、アズナはすぐうしろを走るまるい技術士の宣言を聞いた。

「もうちょっと、きたえるっ、ことにするっ」

「しゃべると、よけい、きつくなり、ますよ?」

 聞こえている呼吸の音は、ふいごのような激しさだ。とは知りつつ少年は、忠告を口にする。

「わかってる、けど、っ……気をっ、まぎらわし、っ、たい、んだ!」

 切れ切れに返ってくる言葉へ、

「っ、しりとりでもっ、しますかっ?」

 息切れしながらせいいっぱいの軽口をたたく。肺が悲鳴をあげようとも、口をひらかずにいられない。ハドリの心情はよくわかる。怖いのだ、つまり。

 あの怪物たちはなんなのか。なぜ自分たちが襲われるのか。ロゼニアが言う、「クスビに近い」という意味は。イビアスの「かみみやに行け」との指示は。行けば自分たちは助かるのか。かみみやになにがあるのだろうか。わからないまま走っているが、考えて止まれる状況ではない。怪物のあのおぞましさを見れば、つかまってでいられるなんて、とてもじゃないが思えない。

 わかりにくく隠れた木の根にいく度もころびかけすべりながら、ふるえる足をしっして、ひたすら坂をけのぼる。背後の激しい物音に、チラリ、肩越しにふり返れば、かぎ爪のある腕を出し応戦するロゼニアが見えた。

ダメネイッ!」

 護りを抜けた影が一体、頭上を飛んで着地した。とつじょあらわれた怪物をとっさに避けた少年は倒れ、まきぞえになった技術士とそのままころがり木にぶつかる。

 迫る牙。追いつくロゼニア。怪物の胴をかぎ爪が勢いよく突き通す。噴き出た緑が降りそそぎ、あたりの朽ち葉をまだらに変える。鼻につくの生臭さ――。

「ケガは無い?」

 尋ねるクスビに「平気」とかえす。アズナはすばやく立ち上がった。すり傷程度は傷には入らない。走れるのならのうちだ。

 巻き込まれた技術士のほうは、少年のようにはいかなかった。立ち上がりかけてくずれ落ち、足を押さえてうめきをあげる。

「やった……」

 どうやらひねってしまったらしく、みるみる足首がれていく――。実にまずい。

 ひとがたにもどりロゼニアが、まるい男を担ぎあげた。荷物のようなあつかいに、驚き、手足をばたつかすハドリ。

「お、男としてごえんりょを……」

「いまは聞かない!」

 抗議をいっしゅう。おとなしくなった大人を肩に、ふたたび彼らは走り出す。

 離れたうしろで応戦する音。いまだ怪物のけはいは絶えない。ロゼニアがほふったものもかなりの数にのぼったが。あれだけの群れを相手取るイビアスたちはだいじょうぶかと、アズナはそれが気にかかる。

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