緋色の帯の少年 3

 しつこくゆすられて目を覚ますと、目の前には緊迫したようすのロゼニアの顔があった。なに、とアズナが尋ねれば、静かにと合図が返ってくる。それから、押し殺した声で、

「死にたくなければさっさとおきて、はやく!」ときたてられる。

「いったいなにが――」

 起こったのだ、と終わりまで口にしきれなかった。

 すさまじい音を立てて木々の枝をへし折りながら、小山なみのいきものが闇の底からあらわれる。黒い剛毛、三日月形の白い胸もと。熊に似た姿のいきものには、しかし三対もの赤い目を持つ頭が三つ付いている。

化生あやかし!?」

 叫ぶロゼニアの声。

 鼓膜をふるわす魔のほうこう。異様な姿のいきものが、地ひびきを立てて迫りくる。

 紫電がこまかいあみとなって、きょの前に立ちふさがった。空地まわりに張りめぐらされた簡易障壁が発動したのだ。魔と障壁がせめぎあい、いかずちの青い花が咲く。耐え切れなかった障壁装置が、花火となってはじけ飛んだ。

 ぼうぜんとするアズナのうしろえりを、娘の指がわしづかみ、そのまま背後へ投げ飛ばした。

 かんぼくのしげみに受け止められて悲鳴をあげる少年の視界、焚火を背に影のようにくろぎぬの男が伸び上がった。男――イビアスが手を打ち合わせ、左右に大きく両腕をひらく。

 手のひらから引き出されたのは、三本のあしをたばねた太さのあかるく輝く白金プラチナの杖。杖はんだ鈴のに似たいろを自ら発している。

 白金プラチナの長い杖を、イビアスは化生あやかしへふりかざした。無数のゆがみがちゅうにあらわれ、引き放たれた矢のように標的に向け撃ち出された。

 命中。遅れて血が噴きあがる。超硬度の圧縮空気に、まがねの毛皮がうがたれている。

 ほうこう。苦悶によるものではない、ふくれ上がった魔の怒気が、はだをビリビリふるわせる。

 剥き出した歯をガチガチと鳴らし、間合いをつめるいびつないきもの。怒りに狂うかぎ爪が、ち手の男を横にぐ。舌打ちとともに後方へ高く宙返りつつ「ロゼニア!」とイビアス。

わかったヤー!」

 走り出すあかがねの髪の娘。地におりた男のそばをけ抜けた瞬間に、娘の体が膨れあがる。次いで内からはじけるように人の形から変化した。

 かぎ爪を持つ腕が二対、両脇したから生え伸びる。平らな腹より下の体は、あぎとを持ったあまたの触手に。あかくまどりがあらわれた目は、鋭い形につり上がる。瞳のあさぎはつぼに。化生あやかしへいどむ彼女の姿は、まるで悪鬼と言うほかにない。

 金属板がこすれるような鼓膜に刺さる音をいて、悪鬼はあばれる巨大な獲物をからまる触手のうちにらえた。かぎ爪が魔ののどを裂き、獰猛ないくつものあぎとは、しめ上げた体を食い荒らす。うねる触手が血をすすりぞうを食らう光景は、吐き気がするほどおぞましい。

 だんまつの悲鳴がひびく。それがとぎれて消えるまで、さして時間はかからなかった。

 たいとなった魔を放り出し、おぞましい姿のバケモノがさかもどしにひとがたへもどってゆく。

「ゴメン、イビアス、ひとつこわれてしまった」

 いったいどんな作用だろうか、くだけたの髪飾りを手に歩み来るロゼニアには、返り血ひとつ見当たらない。

「気にするな、また作ってやる」

 人にあらざるあかがねの髪の娘はうれしそうにうなずいて、「アズナはへいき?」と少年を見た。

「くッ、来るなバケモノッ」

 顔を引きつらせ、悲鳴のようにアズナは叫んでいた。さきほどの戦いがあまりに衝撃過ぎたのか、やぶに落ちた姿勢のままで腰が抜けて動けない。

「バカ者め」

 舌打ちしたイビアスが、大またに近づいてくる。えりもとをつかみ上げられ、音高くほおを張り飛ばされて、「もの知らずにもほどがあるぞ」と低く怒りをかれたアズナは、驚きに目を白黒させた。

「ロゼニアは、〈クスビ〉だ」

「ク、クスビ……? 魔じゃないのか?」

 ひりつくほおを押さえて聞きかえす。いまだに恐怖はぬぐいきれないが、打たれたことでひとまずの思考力がもどってきたようだ。

 無言でふたたび手があげられる。アズナはとっさに両腕で頭をかばった。

「しかたがないだろっ、ほんとに知らないんだから! ぶつ前に教えろよ!」

 つかみ上げていた手がひらかれ、少年はしりもちをつく。イビアスが、自らを落ちつかせるよう、数度大きく息をととのえた。

はしらがみに仕える者を〈クシの民〉と言い、クシの民の使役するいきものを〈クスビ〉と言う」

 アズナたちの生きるこの地、オルメイス正教を奉じるおうこくケルスには、「あしづえの神話」と呼び伝えられている創造神話がある。

《世界がまだ水や油のように形無くただよっていたころ、水の上におりてきたぎんひらいてがみさまとがみさまがお生まれになった。》

ふたはしらの神さまはお考えになった。水ばかりでなにも無い世界はさびしい、と。ちょうどお持ちになっていたあしたばがあったので、杖のかわりとされ、水の下のはにつちを大きくちいさくかきまわして地をおつくりになった。》

あしづえの神話』の冒頭部分だ。のち国土を創り終えた二神は、おのおの〈あめ〉と〈くら〉へ去るが、そのおりに新たにこの世界を統治するために生み出されたのが、みつはしらのおおかみと呼ばれるさん――日の柱女神オルメサイア月の柱神オドメサイアス、そして〈うみ統べるしろしめすかみ〉あるいは〈嵐の神〉とも呼ばれる根の柱神クシドレンシスだ。さんのうち月の柱神オドメサイアスは数十年ほど昔にうしなわれたが、日の柱女神オルメサイア根の柱神クシドレンシスは今もこうにあり、〈すめらぎのおおきみ〉と〈おおきみ〉としてケルス全土を治めている。

 〈クシの民〉や〈クスビ〉は、はしらがみたちのいわば手足だ。

「俺は根の柱神クシドレンシスとむすぶクシの民だ。ロゼニアは、はしらがみよりさずけられたおれのクスビ。荒ぶる姿だが、魔ではない」

 さくさくと草を踏む軽い足音を立てて近寄ってきた娘がイビアスのかたわらに立ち、少年を見下ろす。

「魔は塩基配列のこわれたいきもの。クスビは、はしら神の創造ぶつ。きよいいきもの。いっしょにするのは、とてもしつれい、しつれい――なコト」

 クスビの言語だろうか、わからぬ言葉を一部まじえながら少年の考え違いを正した。

「……知らなかったんだよ」

 きまり悪くつぶやき、アズナは汚れた尻をはたきながら立ち上がる。

「けど、バケモノなんて言って悪かった。ごめん」

 一歩退いて場所を空けてくれた二人に頭を下げた。針山のような警戒心さえ取れてしまえば、もともと素直な性質なのだ。

「アズナは、とてもいい子」

 人にあらざる娘がにこりと笑みくずれ、自分よりもわずかに高い位置にある少年の頭をなでる。しばらくはされるにまかせていたアズナだったが、いつまでたっても止まらない手に、さすがに閉口して逃げ出した。

 少年がロゼニアの手から逃げまわっているうちに、イビアスが杖先で浅い穴を掘り、化生あやかしたいに土をかけた。血にひかれてほかの魔や獣が寄って来ないように臭い消しの黄色い粉をふり、新しい装置で簡易障壁を空き地のまわりに張りめぐらせて安全な場所を作り出す。

 消えかけていた火がおこしなおされ、焚火がふたたび燃えはじめると、アズナはついさきほど思いついた考えを、おそるおそる切り出した。

「あの、さ……、あんたたちってすごい力を持ってるみたいだけど、さっきの魔みたいに……ええと、たとえば、マガツヒもくだすことができたりするのか?」

 自然と視線に熱がこもる。ふむ、とイビアスが考えるそぶりを見せた。

おれはまだ試したことは無いが……。どこぞに退しりぞけたいマガツヒがあるのか?」

「そういうわけじゃ……」

 思わず引いてしまった少年を、くろぎぬの男はすこしつついてみる気になったらしい。

「ただの興味か。たしかにおれやロゼニアの力は強い、根の柱神クシドレンシスの眷族の中でもな。だからたいがいの魔を相手取って戦えるし、討ち滅ぼすことができる。だがその分代価は高くつくぞ。おれたちにけさせたいなら、銀三十つぶは欲しいところだ」

 アズナはヒュッと息をむ。

 ――銀三十つぶ!

 村一つを丸一年養えるほどの額だなんて。

「そんな大金無理だ!」

 語るに落ちてしまった。

「ろくに話しもせずにけさせようというのなら、そのくらいは覚悟してもらおう」

 追討ちをかけた男が、にんまりと人の悪い笑みを口もとに浮かべる。ひっかけだったとようやく気づいてうろたえる少年に、アズナ、とかたわらで聞いていたロゼニアが声をかけた。

「かくしたまま、たのむの、よくないコト。ききたいコトやたのみたいコトがあるなら、ちゃんと話せばいい。そうすれば、ワタシたちをうごかせる」

 少年は唇を噛む。マガツヒとそれにともなうもろもろを人に話すには、ある危険を村に呼び寄せる覚悟がいるのだ。しくじれば最悪の場合故郷はうしなわれ、多くの者の身があやうくなる。村に残る親友の未来を考えても、慎重にならなければ。

 だが。

 ――わかってる。どのみちこうに助けを求めるなら、遅かれ早かれ同じことをやらなくちゃならないんだ。

 迷っているだけでは、どうにもならないのだ。アズナはきつく目を閉じて、ふたたび開くと、マガツヒのことを二人に話した。

「なるほど。そこまで強いとなると、どうだろうな……。ロゼニア?」

 尋ねられたのクスビが、ふるふると首をふる。

「ムリ。ワタシたちではぎゃくにくわれかねない」

 では二人よりももっと強い者ならどうなのかといえば、相性とでもいうものがあって、どれほど強くても根の柱神クシドレンシスの眷属ではダメなのだという。

「オオマガツヒにたいこうできるのは、日のはしらのちからだけ」

 一瞬こうまで旅をしなくても村を救う手段ができたかと思ったが、そう簡単にはいかないようだ。

「だいじょうぶ、ケルスタニアへいけば、日のはしらめがみとそのけんぞくがいる。アズナがいくなら、ワタシたちもいっしょにいって、めがみにたのんであげる」

 肩を落とすアズナに、ロゼニアからはげましの言葉がかけられる。イビアスからも、頼まれれば同道する、と微妙にひねくれたげんをもらった。

 そうだ、と少年は思い直す。まだマガツヒをくだす希望が無くなったわけじゃない。ロゼニアの言葉によれば、こうにいる日の柱女神オルメサイアの力ならマガツヒに対抗できるのだ。なら自分がしなければならないのは、はじめの予定通りこうケルスタニアへ向かうこと。一人では心もとなかった旅も、イビアスとロゼニアという強い力を持つ二人がいっしょなら、きっとだいじょうぶだ、目的地までたどり着ける。

「ありがとう」

 アズナは言った。

「オレ、行くよ、こうへ。日の柱女神オルメサイアに会いに行く。会って村を助けてもらえるように頼み込む。だから」

 イビアス、ロゼニア、と、この先同行者となる二人に向き直り、深々と頭を下げる。

こうまでオレにつき合ってください。オレは子どもだし、もの知らずだから、旅のあいだたぶん山ほど迷惑をかけると思うけど――。どうか、よろしくお願いします」


 二つの手がこたえて差し出される。

 アズナはしっかりと両手でそれらを握りしめた。


 こうして彼はあらためて誓いなおした。遠くにある友を思い浮かべて。

 かならずこうへたどり着き、日の柱女神オルメサイアの助けを得る。故郷の村と残してきた親友を、救ってみせる、と。

 ――それが、にえから逃げた今のアズナにできる、ただひとつのつぐないなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る