プロローグ

世界再訂

 何もない平原の真ん中で、スティアとエンデは焚火を囲んでいた。

 あの村を出てから一日近く経ち、あと少しで裁きの空が終わる頃だ。

 二人の顔に緊張感は全く感じられない。自分たちが裁かれるなどと、夢にも思っていないのだ。

 スティアは大きくあくびをする。

 エンデはそんな彼女を見て微笑みつつ、手の書物に目線を落とす。


「あんたも毎回飽きないわよねぇ」

「記録は大切ですから」


 エンデは毎回立ち寄った場所の記録を、自分が持っている本に書き記していた。


「さいですか……」


 煙草に火を点け、スティアは紫煙を燻らせると、


「エンデ、お酒ない?」


 と彼に言う。


「……あの不味いワインならありますよ。出るときに拾ったものですが」

「それでいいわ。冷やさないでちょうだい」

「おや、珍しいですね」

「たまにはね」


 エンデはトランクからあの村で買った不味いワインを開け、二つのカップに注ぐ。


「どうぞ」

「どうも」


 何を言うでもなく、二人は一口飲んだ。


「あら?」

「ふむ?」


 その味に首を傾げた。


「美味しい……?」

「そうですね……温度でこんなにも味が変わるものですか……」


 渋かった濃い味はとろりと舌を撫で、滑るように喉を流れていく。残る渋味がその滑らかさに程よい重みを残し、飲みごたえのあるワインと言えた。冷やした時とは本当に別物で、彼女らが首を傾げるのも無理はない。

 エンデは何も言わずにつまみの乾燥チーズをスティアに渡し、二人でそれを口にする。


「合うわね」

「えぇ、とても」


 しばらくワインとチーズを愉しんだ二人は、やがて話のネタもなくなり黙ることになった。それは嫌な沈黙ではない。静かで、とても落ち着く沈黙だった。

 やがてエンデは筆を持って、書物に記録を書き足していく。


「何て書いてるの?」

「未知を恐れ迫害する。そんな人間の残虐性を目にした。悲哀の未来視が見せるのはたった一つだけだというのに……」

「暗い。そんな暗いことばかり書いてないで、もっと楽しいこと書けば?」

「例えば?」

「今回はなかったわ、残念だけど」

「貴女は本当に全く……」

「ふん。もう寝るわ。貴方も早く寝なさいよ」


 スティアが瞼を閉じ、すぐに性格に合わぬ静かな寝息を立て始めた。

 エンデはそんな彼女の姿を愛しく見つめた。


「スティア?」

「ぅむん……」

「貴女は本当に……このくだらないで、誰より美しく、気高く、清らかです……」

「…………ぅ」


 エンデは書物に更に付け足していく。


「(自らの不幸を信じず、それを口にした者を迫害する。それが例えエリストエルムの……いいや、美しきから与えられた祝福だとしても。なんと愚かなのだろうか。何のためにエリスエルムが……が争いを終わらせたと思っているのか)」


 鐘が鳴る。

 今を生きる人間には決して届かない遥か彼方に設置された鐘が、夜の空に響き渡る。

 それは美しくも悲しい音をしていた。

 りんごぉん、と一度長く音が鳴ると、鈴のような高い音が続き、最後に小さく……とても小さく、りぃん、と鳴る。

 エンデは今回の村の件を書き終えると、ぺらぺらと前の分を確認していった。


 人間は、どれも身勝手だった。


 生かすべき人間など本当に極々僅かで、純粋に善き者として生きる者は、損ばかり押し付けられていた。


 何故、ただ生きることができない? 善悪は判断すると言ったではないか。


 何故、誰かを虐げて生きるのだ? だから世界を私が……エルムが壊したというのに。


 何故、手を取り合って生きられない? エリスがやり直す機会を与えたというのに。


 何故、私とエリスを同一の神とした? 私たちはエリスとエルムだというのに。


 何故、君は人間を信じ記憶を消してまでこの旅をしたいと言ったのだ? 人間はこんなにも醜いのに。


 何故、君は人間の最後を私に託したのだ? 人間を愛している君ではなく、人間を忌み嫌う私に彼らの最後を託したのだ?


「エリス……人間を蹂躙する君は……どうしてそんなに美しいんだい?」

「…………」

「……君はこの旅で、何を私に教えようと言うんだい?」

「うるしゃいわよぅ……エンデぇ……」

「ごめんよ……」


 そしてエンデは書物を閉じた。

 その本にはタイトルがない。

 しかし、その本のタイトルをスティアとエンデは既に知っている。


 裁きの預言書。


 人類を生かすか滅ぼすかの決定を記したといわれる、預言書である。

 そう……彼らの裁きの預言書を探すというこの旅は。


 

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