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鐘が鳴る。
どこからともなく、夜の空に響き渡る。
それは美しくも悲しい音をしていた。
りんごぉん、と一度長く音が鳴ると、鈴のような高い音が続き、最後に小さく……とても小さく、りぃん、と鳴る。
そうして、一日の空が変わるのだ。完璧に作られたこの世界では、こうして空が変わっていく。
その鐘の音で、スティアとエンデは目を覚ました。
まず、二人は煙草に火を点けて、温かいお茶を飲んだ。その後カップを手早く払うと自分のトランクにしまう。
「さて、行きましょうかスティア」
「えぇ。まずは長の家よ。名前は忘れたけど」
「忘れていて結構ですよ。どうせ今日でお別れですから」
「それもそうね」
互いに笑い合い、煙草を床に落として靴底で火を揉み消す。
当然なのだが、長の家の灯りは消えていた。しかしそれに構わずスティアはドアを強く何度も叩く。
やがて長のラムルが眠そうにそのドアを開けると、二人は満面の笑みを浮かべて頭を下げた。
「長、お世話になりました、予定より早いですが出て行きます」
エンデがそう言って、その隣のスティアはうんうんと頷いている。
「はぁそうですか……しかし、随分と急ですな……」
まだラムルは寝ぼけているのだろう。声は低く、瞼が開き切っていない。しかし二人はかまわず話を続けた。
「えぇ、昨日の懺悔の時に決めたの」
「はぁそうですか……」
「だからね、お礼をさせていただけないかしら?」
長は眉間に皺を寄せる。彼女らの姿から見て、何か謝礼を出せるとは思っていなかったのだろう。
「いえいえ、受け取れませんよ。この縁もエリストエルム様のお導きでございますから……」
大したものではないと思っているのか、それとも本心からかはわかりかねるが、ラムルはそれを断ろうとしたのだが。
「遠慮なんてしないでくださいな」
「そうですよ、遠慮なんてしないでください」
二人は笑顔のままラムルに詰め寄った。
「は、はぁ……ではそこまでおっしゃってくださるのでしたら……」
その言葉を聞いたスティアは口が裂けるのではないかというほどに口角を上げた。
「嬉しいですわ。では受け取ってくださいな」
めきりと大地が鳴いた。
「お前ら全員の絶望ってやつをね」
大きな樹の根が一直線に空に伸び、ラムルの家を瞬時に破壊した。
「は……?」
何が起きたか理解できないラムルの呆けた声。
しかし、そんな声はとうにスティアとエンデの二人には届かない。根と共に大きく隆起した大地の上に二人は立っていたためだ。
「起きろ屑どもぉ!!」
そんなスティアの叫びと共に、エンデが手を空へと翳すと、轟音を伴って雷がいくつも落ち始めた。そしてエンデが翳していた手を今度は横に払う仕草をすると、村を囲っていた柵に炎が灯り、徐々に周囲に熱が蔓延していく。
「若き命を虐げる屑ども! 見て見ぬ振りを決める屑ども! 懺悔の空はもう過ぎた! 懺悔をしてももう遅い! くだらない神の教えに怯えながらもその神の教えすら守れぬ屑ども! お前らは死ねっ!」
ようやく事態が深刻だと悟ったのだろう。
村人たちは家から出てくると今の状況に叫び声を上げ、とにかく逃げようとするのだが。
「あははっはははははははははははははっ!! 逃げられるとお思いですか!? こんな状況で? あっはははっはははははっはははははっ! 無様ですねぇ!」
エンデは至極ご機嫌に炎と雷を舞わせ、村人の逃げ道を塞いでいく。
「スティア、あそこにノアが」
エンデはそんな状態でも冷静にスティアに言った。
「あら本当ね」
ノアは今何が起きているのが全く理解できないのか、紅い瞳を大きく見開いてやがて耳を塞いでその場に座り込んだ。
「丁度いいわ」
スティアが指を鳴らすと、ノアを土が覆い隠した。
「あれでは酸欠で死ぬのでは?」
「大丈夫大丈夫。水と風もあそこにはたっぷり行くようにしたから。勿論熱は通さないし、あの厚さなら音も届かないわよ」
「器用ですねぇ」
「でしょう?」
あっはっはっ、と高々に笑っていたが、ラムルの怒号に二人は眼下に目線を落とした。
「何故このようなことをっ! あなたたちは何がしたいのです!?」
「あら、問答がご希望かしら?」
右足の先で軽く踏むようにすると、ラムルの足元の地面が隆起し、彼らと同じ高さへと上って来る。
「ご機嫌よう……えーっと、名前は忘れたけどここの長だったわね?」
「あ、あ、あなたたちは、なん、何故このようなことを……!?」
ラムルの顔は煤で汚れてしまい、口の端には泡が見える。そんな姿を不愉快そうに見ていた二人に、ラムルはさらに続けた。
「何故このようなことをするんだ!?」
「したいからだけど?」
「は? それだけ、で?」
「そうよ」
「じ、自分の、欲、欲望のためだけに、この、このようなことに、エリストエルム様の祝福を、使う、のかっ!」
「あらぁ? エリストエルム様の祝福って、どれのことかしら?」
「ふざけるのも大概にし、しろっ!」
「この大地を操ることを許された祝福のこと? それとも水? それとも傷を癒す光? はたまた植物を自在に成長させる祝福のことかしら?」
「スティア。もしかしたら私の雷を自在に作り出せる祝福や、氷、炎を出したり、腐食を進める私の祝福のことかもしれませんよ?」
「は、はぁ……? ああああ、有り得ん! 祝福を授かれるのは、ひ、一人、一つ、ひとつ、のみで!」
「あーははははははははははっはははあはっははははははははっ!! じゃあ私たち、とーってもエリストエルム様に祝福されているのかしらね! あんたたちみたいな屑よりもさぁ!」
体中を怒りと驚きで震わせるラムル。
「裁きが……エリストエルム様の裁きが下るぞ!!」
「あらそうなの? でもさ、裁きが下るのは今日の終わりよ? その前にあんたたち、死んじゃうわよ」
「背信者め……背信者めっ!」
「あはっ! それを決めるのはあんたらじゃないっての! あんたらがだぁい好きなエリストエルム様が決めるのよ!」
「裁きが、裁きがくだ、下る、ぞ!」
「しつこいっての!! そんなに言うなら今から祈って裁きを下してもらいなさいよ! あーはっはっはっはっ!」
スティアが失せろとでも言うように手を振ると、そこから強風が吹き、ラムルを突き落とした。
「あ、やっちゃった」
「まぁ良いでしょう。早いか遅いかの違いです」
肩を竦めつつ、エンデはより強力な雷を落とす。その轟音に村人の悲鳴は掻き消され、また悲鳴が聞こえたのなら轟音で掻き消され……炎の檻に閉じ込められた村人たちは逃げることも出来ずに徐々に徐々に数を減らしていき、やがて声は聞こえなくなった。
炎が爆ぜる音だけが聞こえるようになると、スティアとエンデは高台から下りて、焼き尽くされた村を見た。
「派手にやったわねぇ」
「今までで一番派手だったのでは?」
「かもね。さて、と」
スティアを胸の前で何かを掬うような仕草をして、息を拭く。するとみるみるうちに空に雲が広がり、すぐに強い雨が降り出した。
「雨の祝福……貴女はモノを生かすための祝福を多く授かっていて羨ましい」
「あら? 私は貴方のモノを壊す祝福の方が便利に思えるけどね」
「お互い無いものねだり、ということですかね」
「そうね」
淑女らしく微笑むスティアは、ゆっくりとした足取りでノアを隠していた土に向かった。
「さぁ、ノア。出てきなさい」
その土に手をスティアが手を触れると、ぼろぼろと細かく崩れていった。
ノアは同じ姿勢で震えている。そんな彼の背中を、スティアはぽんぽんと叩いてみせた。
「ノア、終わったわよ」
震えながら顔を上げたノアの目に映ったのは、優しく微笑むスティアの姿だ。
「お姉ちゃん……?」
「うん?」
「何が、あったの?」
「あんたをいじめた奴ら全員、殺してやったのよ」
「え」
スティアの顔は変わらない。
「何で、そんなこと……?」
「私が気に入らないからよ」
「な、え……?」
「だっておかしいじゃない? 若い命は尊ぶべきってやつを、本当はあんたらエリストエルムの信者は守らないといけないのに、あんたをいじめたのよ? 殺されて当然よ」
「ちが、違う、よ。僕ら、僕らは、そんなことしちゃ、いけないんだよ……?」
ノアの表情が明確に恐怖へと変わる。
「そんなの私にはどうでもいいの。顔も知らない神様が決めた正義だ悪だなんての、くそくらえだもの。私は私が正しいと思うことをこれからもやっていくわ。それで裁きが下るのならば、仕方ないでしょうね。ま、今まで一度もそんなことはなかったけど」
「今まで……?」
スティアは頷く。
「そうよ。何回か派手に暴れたけど、今まで一度も裁きなんてなかったわ。ほら、私たちっていっぱい祝福もあるし、きっとエリストエルムに気に入られているのよ」
スティアは何となしに放った言葉だったが、そんなことを聞いたノアは彼女から距離を取る。
「どうしたの、ノア?」
子供ながらにも彼には理解できている。
同じようなことをして、裁きが下ったことがない。
彼女はそう言ったのだ。自分を止められる者など、例え神であれ、この世のどこにも存在しない、と。
「こ、殺さない、で……」
「貴方は殺さないわ。だって、とっても綺麗な目をしているんだもの」
スティアはノアの顔を両手でがっしりと掴み、その紅い瞳を覗き込む。
「ねぇ、ノア?」
「ひぃ……!」
逃げようとするが、女性とはいえ大人のスティアの力には敵わない。
「エリストエルムが見せた悲哀よりも、こっちの方が良いわよね?」
「ちが、違う……!」
「そ。じゃあエリストエルムが見せた運命のが良いのね?」
スティアの声から、優しさが消える。
彼女は立ち上がってノアを見下しながら、
「選べ。何が正しいかを、お前自身で」
そう言った。
そしてスティアは彼に背を向けた。エンデはちらりとノアを名残惜しそうに見たものの、すぐに彼女の後を追う。
たった一人残されたノアは、茫然自失の状態で雨に打たれる。
どれぐらい経っただろうか。
雨が止んで、空に太陽が昇り彼を照らした。
裁きの空が始まるのだ。
自分以外、誰もいないこの村で。皆、殺されたこの村で。
懺悔はもう済ませている。あとのことは、神のみぞ知る。
生かすか、殺すか。
いいや、違う.
「生きるか……殺されるか」
――選べ。何が正しいかを、お前自身で。
旅人はそう言った。そうして最後に生き残った一人は言ったのだ。
――お前を……殺す。
震える唇から、掠れた声が漏れた。
「僕は……生きる」
このような未来、許されるわけがない。あってはならない。例え神が許しても、自分は許されない。
「僕は生きる……」
生きて……生きて生きて生きて生きて、この未来を否定しなければならないから。
旅人が望んだ未来ではなく、神が見せた未来でもない。
自分はこれから、この未来を否定するために、生きるのだから。
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