/6

 そして二人は外に出た。

 エンデとしては買い物を先に済ませたかったものの、スティアはそうでなかったらしく、村を回ることになった。

 柵を左手にするように、二人はゆったりと歩き始めた。所々で村人は膝を付いており、小さく口を動かしていた。


「祈りと懺悔の違いって何なの、エンデ」

「簡単ですよ、スティア。誰かのためか自分のためか、です」

「ふうん。どっちがどっち?」

「祈りが誰かのためにするもの、懺悔が自分のためにするものです」

「博識ね」

「どうも」


 やがて二人は、また縦に長い寸胴の建物の前に着く。

 そこには昨日と同じような光景が繰り返されている。


「背信の子め!」

「裁かれてしまえ!」

「さっさと消えろ!」


 ノアはその場に蹲り、暴力に耐えていた。

 この光景を目にした二人の表情には、はっきりとした違いは見られない。しかしその胸中には、色は違えど激しい怒りが渦巻いている。

 瞬間、


「不愉快ね、失せなさい」


 静かな声であったが、それは威圧的で刺々しい。ノアを囲んでいた者たちは何か言う前に去ってしまうほどに、恐怖心を煽る響きであった。

 その去って行く者たちの背中を、スティアは大きく目を見開いて眺めていた。見る人によっては、それだけで人を殺せてしまうのではないかと考えてしまうだろう。


「スティア」


 エンデも怒りは抱えているものの、冷静を装いつつ彼女に笑顔を向ける。


「エンデ。私、決めたわ」

「……その話は後で。それよりも彼は良いのですか?」

「……そうね」


 スティアは大きく息を吸い込んでから、ノアの傍らに座り込む。


「大丈夫かしら?」


 女性らしい柔らかい色の声に、ノアは顔を上げた。

 昨日よりも痣が多く、彼の美しい紅い瞳の片方は瞼が腫れて見えなくなっている。それがよりスティアの怒りを増長させたが、それを表情に出すことはなかった。


「お姉……ちゃん?」

「ひどいことするわね。あなたの綺麗な目が片方見えないわ」


 スティアは懐からハンカチを取り出し、それを自らの水の祝福で濡らしてから、彼の左目に当てる。


「あれ……お姉ちゃん、治癒……じゃ、ないの?」

「秘密よ?」


 言って、スティアはノアの頭を優しく撫でて自分の胸に抱き寄せる。


「辛かったわね」

「……」


 肯定も否定もノアはしない。涙は流すが嗚咽は漏らさず、されど恨み言も口にせず、ただ彼女の胸にその顔を埋めている。

 何とも幼気な姿だろうか。

 そしてそのような姿に、スティアは更に怒りを滾らせた。


「さぁノア、もう一度顔を見せて? 治してあげる」

「うん」


 彼の顔にスティアは右手を触れると、前と同じ優しい光が漏れ、傷を癒した。


「これで元通り。大丈夫?」

「うん……」


 ノアはまたスティアの胸に顔を埋めた。


「おうちに帰りましょ、送ってあげる」

「うん」


 スティアは彼女を抱きかかえて立ち上がる。その時にちらとエンデの顔を見る。買い物の予定は後回しね、という意味を察したエンデは首肯した。

 ノアを抱えながら歩くスティアは相当に目立ち、多くの者たちから奇異の目線を向けられた。だが、勿論彼女らはそんなことを気にしない。

 ノアから何度か場所を聴きつつ、やがて三人はノアの家に辿り着く。

 スティアはノアを抱えているので、エンデが代わりにドアを叩く。

 少ししてからそのドアが開いた。


「はい……」


 ノアと顔立ちは似ているが、やつれていた。スティアはノアを下ろして頭を撫でる。


「ノア、着いたわよ」


 すぐに母に駆け寄るかと思ったが、ノアは俯いてそこに立っているだけだ。


「……ノア、家に入ってなさい」

「……はい」


 母からの冷たい声。事情など知っているはずなのに、母は彼を心配するような素振りも見せない。

 ノアの背中が見えなくなると、スティアは母と同じくらいの冷たい声で問いかけた。


「あんたの息子、あの縦長の寸胴建物の前でいじめられてたわよ」

「そう、ですか」


 もう扉を閉めようとするが、その隙間にエンデは足を挟めて防いだ。


「ところで懺悔はお済みですか、マダム?」

「えぇ、もう済んでます」

「それなら良かった」


 言ってから、エンデは足を引く。

 震えるように大きく息を吸い込んだ母は、「何も知らないくせに」などと呟いて、今度こそドアを閉めた。


「……知らないだけで、わかるものなんですけどねぇ」


 苦笑しながらエンデはスティアの肩に手を置いた。


「行きますよ、スティア。買い物は今の内に済ませたいので」

「えぇ、そうね」


 二人は当初の予定通りに買い物を済ませると、長の家に寄ることはなくそのまま廃屋に戻った。

 不機嫌な顔のままスティアは軋むソファへと横になり、


「お茶、温かいやつ」


 と言った。

 そんな彼女の横暴な態度に、エンデは何も言わずに黙ってお茶を淹れた。まずスティアのカップを渡してから、軋む椅子を彼女の近くに持って来た。そして自分のカップを手に持って、椅子に座った。


「スティア」

「何よ」


 ずずず、と音を立ててスティアはお茶を飲む。


「やり方は任せます。ただ、やるなら鐘が鳴ってからです。一応確認しますが……本当にいいのですね?」

「どうでも良いわ、あんな奴らと母親を見たし。ここに裁きの預言書があったとしても、そこに書いているのはきっと、、でしょうよ」

「わかりました。では派手に行きましょう、それが私の要望です」

「そうね。ノアの悲哀を吹き飛ばす程の、派手で素晴らしい未来にするわ」


 そして二人は懺悔をすることもなく、眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る