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スティアがノアを家の近くへと送り届け廃屋に戻る頃には、すっかりと夜の帳が下りていた。
「ただいま、エンデ。夕食はどうなったの?」
「おかえり、スティア。見ての通り、何とかね」
エンデは既に夕食の準備をほぼ終えていた。
「貨幣は十分に通じました。少し贅沢に使い過ぎましたが、良いものが買えたので良し、です」
スティアがソファに座ると、エンデは茶を淹れ始める。
「良かった。どっかみたく物々交換しかできない所だったらどうしようかと思ったわ」
エンデは一笑すると。
「一応貨幣があるのですから、あそこが特殊なだけですよ」
「それで結果は?」
「チーズと肉、ワイン、パン。あぁ、あとは携帯食として干し肉に、乾燥させたチーズ、乾パン、面白そうだったので地産の茶葉も買いましたよ。今淹れています」
「茶なんてどうでも良いけど、あんたホントにチーズ好きねー」
エンデは茶の入ったカップを二つ持って、一つをスティアに手渡した。そして椅子に座ると、彼女が茶を飲む姿をじっと見つめつつ、頬杖をつく。
「何よ?」
「いいえ、何も。ただ貴女が美しいと思っただけです、スティア」
「ふん、当然でしょ。私は街でも一番の……」
瞬間、スティアの脳裏に淡い光景が映し出される。
笑う人々、皆が手を取り助け合い、時に喧嘩もするけれど、それでも平和で穏やかなとても小さな……笑ってしまう程に小さな街。
「私は、街で一番の……」
忘れているわけではない、それだというのに彼女ははっきりと口にできなかった。それを口にすることで全てが壊れてしまうように思えて。何もかもが嘘になってしまうからと、誰かが耳元で囁く。
「そうでしたね、スティア。貴女はあのくだらない街でも、一番の美人でした。誰よりも美しく、気高く、清らかで、皆の
囁きとは違うエンデの声。その顔には人を試すような卑しい笑みが張り付けられている。
はっと引き戻されたような感覚に少々戸惑いながらも「そうね」とエンデに応えた。そんな彼女の様子にエンデは眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな表情を作るが、すぐに諦めたようにため息をついた。
「ところでご飯はまだかしら?」
「あぁ失礼」
エンデはほとんど飲まれていない二人のカップを持って、台所に戻ると中身を捨てる。その後夕食の準備を再開した。とは言っても、フライパンで肉を焼き、小さな鍋でスープらしきものを温める。十数分でそれらは仕上がり、質素なテーブルの上には似つかわしくない料理が並べられた。
「チーズが乗ったステーキに、オニオンスープ。久しぶりに豪勢な食事じゃないの」
「もっと言うなら、ワインもあります。赤は常温が良いとのことですが、私は冷えているほうが好みです。貴女は?」
「知ってるでしょう? 私も貴方と同じよ、冷やしてちょうだい」
こくりと頷いて、エンデはそのワインを氷漬けにするとテーブルに置いた。
「雷、炎、氷……貴方も恵まれてるわね、エンデ」
「貴女ほどではありませんよ」
まずスティアがステーキを切り分けて口に運ぶ。エンデが言うように、確かに良い肉だった。しっかり焼いているのに固くはならず、肉本来の甘味も残しつつ肉汁溢れる柔らかさ。少なくとも彼女が旅をしてきた中でも最上位に当たる味であることは間違いない。
「……ふん。肉もチーズも上等ね。鑑識眼の祝福でも授かったのかしら?」
エンデが言ったように、確かにこれならば多少高くても買う価値がある。
「まさか。これは正真正銘私の才能ですよ、スティア。しかし本当に美味しいですね」
エンデも肉を口に運びながらも、何度も頷き舌鼓を打つ。
「ワインを頂戴、エンデ」
「えぇ」
エンデは台所に戻って先程のカップを軽く洗って持ってきた。
席に着いた彼が指を鳴らすと、氷が徐々に砕けていく。ワインを開けるときにテーブルの氷を床に落とし、カップにワインを注いだ。
「んー……ワインは酷いわ」
ワインを飲んですぐにスティアは顔をしかめる。
「どれ」
エンデもワインを一口飲んでみる。
ワインは赤特有の渋味が鬱陶しいくらい濃く、後に残る重い喉越しだった。
はっきり言って、不味いのだ。
「確かに酷い。これは失敗ですね」
「二度と買ってこないでよ、これ」
しかし酒はこれしかないので、彼女らは仕方なくこの悪酒で喉を潤すのだ。
やがて食事を終えて口元を拭くと、スティアは大きくため息を吐いてまたワインを飲む。
「本当にこのワイン不味いんだけど」
「ですねぇ」
エンデも口元を拭きながら。
「味が濃すぎるからかもしれませんね。スティア、薄めてください」
「はいはい」
スティアは指先から水を出して、エンデのワインを薄める。それを躊躇うことなく口に運び、うん、と大きく頷いた。
「やっぱり不味いですね」
「でしょうよ」
不味いワインを薄めても、それはただ不味いものが水っぽくなっただけだ。
渋い顔を崩さずカップを置くと、エンデは食器を台所に持っていく。
「ところでスティア、裁きの預言書はどうでしたか?」
エンデは洗い物をしつつ彼女に問いかけた。その問いに視線を僅かに宙に向け、スティアは答える。
「本はなかったけど、その代わりにノアから未来について聞いたわ」
「ほう、詳しくお願いします」
スティアはノアから聞いた話をなるべく簡潔に、短く伝えた。
「旅人が最後の一人になった者に問いかける、ですか」
洗い物を終えたエンデは手を拭きながら、またスティアの前の椅子に腰かけてワインを一口飲む。
「私達が殺して回る……とは少々乱暴な未来ですね」
「神様もつまんないもん見せるわよね」
スティアはコップの中身を確認し、口にする。
「マジでまっずい」
「今日で飲み切りましょう。明日はまた別のワインも買ってきます。こんな不味いもの明日も飲みたくありませんから」
「そうだけどさ……」
互いに苦笑し、二人はまだノアが見たと言う夢の話を続けた。
「エンデ、貴方ならこれからどうする? 私達が最低な旅人かもしれないとして、さ」
「私は平和主義なので、そんな夢無視してこのままのんびり過ごしますよ。どうせ裁きの預言書なんてここにはないでしょうし。あったのなら、私はエリストエルムの感性を疑います」
エンデは言って、つまみとして出した乾燥チーズを口にする。
「うん、美味い」
「あんたそんなにチーズが好きなら、もう酪農家になりなさいよ」
スティアもそれを食べる。
「本当に美味しいじゃない」
「でしょう? ワインだけが失敗でした。明日はワインだけでなく、このチーズも買い足します」
「そうしなさいそうしなさい」
不味いワインの味を誤魔化すようにチーズをつまみにし、二人はしばらく話を続けたが、いつの間にか二人は眠ってしまっていた。
ソファで眠っていたスティアは朝の陽光で目を覚ました。
重い瞼を半分だけ開けると、途端に頭の奥がずきりと痛んだ。それと同時に胃がきゅうっと締まり、喉がひどく乾く。
「エンデ……エンデ……!」
自分の声のせいで余計に頭が痛む。何度か吐き気を感じたが、その度に深呼吸をして堪えることができた。
「どうしました、お嬢様?」
エンデは呼んでから少しして奥の部屋から現れた。スティアがソファで眠っている間、彼は寝室で休んでいた。飲んだ酒の量としてはほぼ同じであったが、あの悪酒はどうやらスティアだけによく利いたようだった。エンデは何でもないように彼女の近くに膝を付くと、優しく彼女の頭を撫でる。
「貴女はお酒に弱いですねぇ。水でいいですか?」
「うん……」
エンデは立ち上がると、台所で水をカップに注いでそれを渡した。
「ありがと」
一気に飲み干すと、彼女はカップをエンデに渡す。エンデは苦笑するとまた水を注いで彼女に渡した。今度はゆっくりと半分程度飲むと、カップをテーブルに置いた。
「あの酒、二度と買ってこないでよ」
昨日と同じようなことを言って、スティアは大きくため息をついた。
「わかっていますよ。それで、今日はどうするのですか?」
「まずはお風呂に入りたい」
「そうですね、そうしましょうか。水は貴女に任せます」
「ん」
スティアは何とか起き上がると、ふらふらしながら浴室に向かう。どうやら浴室はエンデが昨日掃除していたようで、彼女は浴槽に水だけを溜めると、すぐにまたあのソファに戻った。
「スティア、この村のお茶です。どうやら二日酔いにも利くようです」
独特の茶葉の香りがしたが、それは嫌なものではない。
「ありがと。火はよろしくね」
「えぇ」
エンデは外に出て、風呂釜に火をくべる。
屋内に戻ったエンデは、ソファでぐったりとするスティアを横目に、自分の茶を淹れて椅子に座った。
「中々美味しいですよ」
「ふん、さいですか」
不機嫌そうに顔を歪める彼女に、エンデは続けて言葉を投げる。
「貴女のあとに私も入りますので、お湯は抜かないでくださいね」
「わかったっての」
スティアは額に手をやって半身を起こすと、茶を飲んだ。独特の苦みと微かに感じる茶葉の甘味。香りが青臭いのが難点だが、それは新鮮な香草を混ぜているからだ。
「……お風呂に行く。このお茶も美味しかったわ」
「お風呂から出たら何か食べますか?」
「パン買ってたでしょ? それが良いわ」
「わかりました、用意しておきます」
「ありがと」
スティアの足取りは相変わらずふらついていたがエンデが手を貸すようなことはなかった。彼女は自分のトランクから下着の替えを出して、浴室へと向かって行った。
彼女が浴室のドアを閉めたのを確認したエンデは、自分のトランクから一冊の本を取り出し、それを広げて筆を走らせた。
「悲哀に運命……ですか。珍しいものに出会えたのは嬉しいですが、どうもねぇ……ははは」
苦笑しつつ数行書き記すと、その本をエンデはすぐにトランクに戻して煙草に火を点けた。
しばらく煙を愉しんだエンデは、煙草を靴底で消すと台所に立った。
肉自体は昨日にエンデが凍らせており、それは一日経っても溶けることはなかった。ぱちりと指を鳴らすと、肉の一部だけを露出するように肉の一角が現れる。彼は適当に置いていたナイフを軽く洗ったあとに、指に火を灯し刃を熱して簡単に消毒を済ませる。
そしてナイフで肉を切る。その量は多くない。朝食ということを考慮し少量にしたのだろう。
エンデはその肉を薄く切ると、竈に直接火をくべて、昨日と同じフライパンでそれらを焼いた。薄いためにすぐに肉は焼け、別の皿に移す。その後パンを一口サイズに切り分けると、肉の時と同じフライパンで両面を軽く焼いた。
「ま、あとは出てくるのを待ちますか」
独りごちると、エンデは茶を淹れ直し質素な椅子に座った。
しばらくぼうっとしていると、スティアが至極ご機嫌な顔で戻ってきた。
「はぁ生き返った」
スティアは下着だけの姿で、タオルで頭をがしがしと掻きながら現れる。
「それは良かった。朝食はすぐに用意できますけど、どうします?」
「いただくわ」
スティアは言いながらシャツに袖だけ通す。
エンデは小さくため息をつくと、先程のパンの上に肉を乗せ、さらにチーズを乗せると再三フライパンで焼き直す。少しするとチーズは溶け、かぐわしい香りがする。
「チーズと肉は絶品ね、ここは」
「ですね、ワインは駄目ですが」
スティアと自分の分を皿に取り分け、エンデはそれをテーブルに置いた
「うーん、美味しそう!」
ばくばくっとあっという間にスティアは平らげた。半ば呆れつつエンデはゆっくりと食べようとしたが、彼女は食い意地汚く彼の分にまで手を出した。
「スティア、言ってくれればあげますから……」
大きくため息をついて、彼は皿を彼女の前に置いた。
「あらどうも」
残りもぺろりと平らげて、彼女はテーブルに置いてある飲み物も全て飲み干した。
「お茶、温かいやつ」
すでに冷めてしまった茶が入ったカップを、スティアはずいと彼の前に出す。
「スティア……もう少し女性らしさというものが貴女には必要かと思いますよ」
「そこの給仕さん、お茶のおかわりくださるかしら?」
上品な口調で彼女は言い直す。
「そうではないんですがねぇ……」
言いながらもエンデは彼女に茶を淹れ、ついでに自分の朝食をまた作る。
「スティアは今日どうするのですか?」
エンデはようやく朝食を口にしながら彼女に問う。
スティアは淹れたてのお茶の飲みながら視線を泳がせ、
「書物の格納庫があるか聞いてみるわ。あるならそこに一日中いることにする」
「残念ながらありませんよ。昨日の買い物ついでに聞いてみましたし」
「あーやる気なくなったから今日は寝てるわ」
「拗ねないでください、面倒ですね。本が一番多くあるのは長の家らしいですよ、まぁ高が知れてるでしょうけど」
「……ふうん」
スティアはカップを持ちながら、器用にも軋むソファに寝転がる。
しばらくスティアは何かを考えるような仕草をしていたので、エンデは早々と食事を終えると、食器を洗い、自分のお茶を淹れてまた椅子に座った。
「エンデ、あんたは今日何するの?」
「ワインと乾燥チーズでも買いますよ。その後は……そうですね、ぐるりとこの村を見て回ります」
「付いてきてほしい?」
「いえ、不要で……」
ぎろりと、スティアはソファからエンデを睨み付ける。
「あぁ、そうですね。まぁ付いて来たければ、どうぞ」
「言い方が悪い、やり直し」
「一人だと寂しいので、是非一緒に来て欲しいですね」
「よろしい」
そんな茶番に嘆息したエンデを横目に、スティアはさっさと着替えを済ませる。
「何してるの、早く行きましょ」
エンデは自分のカップに目線を落とした。
まだ半分以上残っていることに再び嘆息した後、仕方なく風呂に入ることもなく出掛ける準備を整えた。
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