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 穏やかな村だった。一足先にエンデは廃屋を出ており、スティアはそれからひと眠りしてから外に出た。

 空は朱色に染まりかけており、間もなく陽が落ちることを示している。

 村の所々では祈りを捧げる者が多く見られた。


「祈りを捧げよ、ね。ふん」


 スティアは牧場の中にある柵を辿るように村を回った。

 この村は本当に長閑で、穏やかで、退屈な村だった。しかしそれを嫌う程彼女も捻くれてはいない。

 風が優しく吹いて、スティアの黒い長髪を撫でる。牧草と動物と、時折臭う家畜の糞尿。


「くっさ。だから田舎は嫌なのよ」


 などと言いながらも、スティアは笑みを浮かべた。


「服に臭いが付いたらあとでエンデに洗わせてやる」


 柵を背にスティアは空を眺める。


「祈りを捧げるには、ちょっと空が朱すぎるわね」


 そのようなことを口にはするが、彼女は唯一神エリストエルムに祈りを捧げるつもりは一切ない。それはエンデも同じであり、二人はそもそもエリストエルムを信奉していないのだ。


「お姉……ちゃん」

「ん?」


 聞き覚えの声に彼女は視線を下ろす。そこには、〝悲哀の祝福〟を授かった少年ノアがいた。

 彼は彼女の正面に立って自分の服の裾を掴みながら目を伏せている。


「あら、ノアじゃない。どうしたの?」

「どうして、僕の名前……」

「長の家で名乗ってたじゃない。で、どうしたのよ。私こう見えて短気なの、用があるなら早く言いなさないな」


 スティアはノアの前にしゃがみ込んで、じっと紅い瞳を見つめる。その視線に気恥ずかしさからか、それとも別の理由からか目を逸らす。


「あ、あの……」

「あ、その前に貴方の目をもっと見せなさい?」


 両手でノアの顔をぐいと戻し、スティアはよりまじまじと彼の瞳を見る。

 ノアの目はよく見ると、虹彩は血のように鮮やかな深紅で、その中にいくつかの星のようなものが散りばめられている。


「悲哀の未来視、ね。本当に宝石みたい」

「やめ……て」

「綺麗……」

「やめて!」


 ノアはスティアの手を払い距離を取った。


「あ、ごめんなさいね。もう乱暴しないからこっちにおいでなさい」


 ノアは警戒を緩めず、またスティアに近寄った。


「ごめんね、ノア」

「ううん……」


 スティアがじっとノアを見つめることには変わらない。


「なに?」

「なに、って。ふふ、貴方おかしいわね。用があるから私に声を掛けたんじゃないの?」

「あ、その、そう、なんだ、けど……」


 ノアは何度か視線を泳がせる。ここだと人目が気になるのだろう。


「二人で話せる場所、貴方知ってる? 私も貴方とお話したいの」


 首肯すると、ノアはスティアの手を引いた。


「(やっぱり大胆ね、この子)」


 連れて来られたのは、柵を超えた先……牧場の中だった。そこを更に進むと、森と隣接している柵まで連れて来られる。そこには丸太で作られた簡単な椅子があった。


「良い場所ね」


 そこからは右手に村、左手には広がる牧場が見れる。村寄りの場所にノアが石を投げられていた寸胴の建物が見える。


「お話って……なに?」

「貴方が見た悲哀の夢について教えて。貴方もその話がしたかったんでしょう?」


 スティアはノアの頭を優しく撫でる。


「私達が助けてあげられるかもしれないの、だからお願い」


 彼女の言葉は偽りのない本心からだった。

 エンデは言っていた。運命と悲哀が見たその未来は……変えることができる、と。それならばこの子が言う悲しき未来を変えれば、また石を投げられることもないだろう。


「お姉ちゃんたちは……僕らの村を、壊しに来たんじゃないの?」

「まさか。私達は助けに来たのよ」

「ほん、とう?」

「えぇ」


 ノアは紅い瞳を大きく見開いてスティアを見た。その視線を真っ直ぐに受けて、スティアは頷いた。


「夢を、教えれば、良いの?」

「えぇ、教えて」


 ノアはなるべく細やかにスティアに伝えたものの、それはあくまでも子供からしたら、という内容であった。時折合いの手を入れるようにスティアは質問し、そこでまた新しい情報が出てくる。そのような話だった。

 彼が話した夢の内容は簡潔にはこうだ。

 ある男女の旅人がこの村に訪れる。その旅人は、この村の人々を一人ずつ殺していき、最後の一人になった人物に問いを投げかける。


――選べ。何が正しいかを、お前自身で。


 その時、彼の胸に怒りとも悲しみとも、痛みとも苦しみとも、憎しみとも憐れみとも……おおよそ暗い感情と言える全てのものが渦巻いていたという。


「それで、その最後の一人はなんて答えたの?」


 ノアは口を開いたものの、その後の言葉が続かない。ぱくぱくと、魚のように口を動かしているだけだった。


「教えてよ、ノア」

「……エ、エリストエルム様の、お言葉に反するから、言えない」

「良いのよ。エリストエルム……様だって、夢のことを話したからって、裁きを下したりなんてされないわ」


 スティアが言った言葉に納得はしたかもしれないが、それでも十二分に迷って、ノアは口にした。


「お前を……殺す」


 紅い瞳の少年がそう言うと、スティアは言い知れぬ加虐心を煽られた。


「そんなことを、最後の一人は言ったのね?」

「うん……凄い、怖かった。だから、みんなでここから逃げようって言ったんだ。旅の人が来る前に……でも……」


 このままでは皆一人を除いて殺されるのだ、逃げなければならない、と。

 しかし、結果はああなった。


「その夢はいつから見てるの?」

「今から丁度……一週前」


 前の祈りの空からノアはその夢を見始めた。


「大丈夫よ、ノア。私が助けてあげるわ」


 スティアはしっかりと少年を抱き締めた。胸に埋もれる形となりノアは苦しそうに、だけれど少年の顔には苦しさとは違う紅潮が見られるのは明らかだ。


「大丈夫よ、私が……」


 つまらない神様が見せた未来なんかより、もっと楽しい未来を見せてあげる。

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