2021年10月25日 【窓の向こう】
僕は飛行機に乗って雑誌を眺めていた。そこに、コンコンと窓を叩く音。不思議に思って窓の側に視線を向けてみた。そこには1人の人間がいた。僕は目を疑った。ここは空の上なのに。その人間は窓の外側にいたのだ。人間は何も持っているようではなかった。頭上にパラシュートのようなものも見当たらない。だとしたら、この人間は一体どうやって飛んでいるのだろうか。
「なんで飛行機なんかに乗っているの?」
その人間は僕に聞いた。窓の外から声が聞こえてくるなんて変な話だ。
「なんで、って。人間は飛行機じゃないと空を飛べないからさ」
そういうと、その人間はびっくりしたように僕を見た。
「君、何を言っているんだい。人間はこんな重い金属を走らせなくたって飛べるさ。人間のほうが軽いんだから、当たり前だろう」
「そもそも、君はどうやって飛んでいるんだ」
僕が尋ねると、人間は自信満々に答えた。
「飛べると思ったら飛べるのさ。……なるほど。君、自分が飛べないと思っているんだろう。飛べないと思っているやつは、たいてい武装するものさ」
何だか癪に障る言い方だった。
「そんなに言うなら君、僕を飛ばせてみろよ」
そう言い返すと、人間はやれやれと言うように肩をすくめる動作をした。
「人任せにされても困るよ。僕が飛ばそうにも、君自身が飛べると思わないと無理なんだ。でも、そうだな。君に飛ぶ気があるなら、手くらいは貸してやろうか」
人間が僕に手を伸ばす。その手は窓の外にあったはずなのに、窓を貫通して僕の前までやって来た。
「すごいな。どうやって手をだしているんだい」
人間の言い方に突っかかる気がなくなるくらい、僕は素直に感動した。僕の言葉に少し気を良くしたようだ。人間はへへっと得意そうな表情を見せた。
「こんな塊、幻想みたいなものさ。僕がないと思ったらないんだよ。さぁ、飛びたいと思うなら、僕の手を取ると良い。ただ、この分厚くて頑丈な塊の中から出てくるには君自身の力が必要だ。いいかい。君がここから出たい、飛びたいと思わないとできないんだからね」
僕はためらった。本当に飛べるのだろうか。でも、実際目の前の——窓の外ではあるが——人間は飛んでいる。僕と同じ人間のはずだ。
「もたもたしてるなら、僕もう行くよ。僕だって色々と忙しいんだから」
その言葉に、考えるよりも先に手が伸びた。ひっこめようとした人間の腕をとっさに掴む。人間はニヤリと笑った。
「そう来なくっちゃ」
瞬間、人間が僕の腕をつかみ返してぐんっと引っ張った。飛行機の外壁、窓の外へ向かって。
あ、来る——。
僕は衝撃に備えてぎゅっと目を瞑った。
しかし、衝撃の変わりに来たのは、新鮮な空気と体にあたる風。瞼を閉じていてもわかるほどのまぶしい光。
「なぁんだ。君、出れたじゃん」
隣で人間の弾んだような声が聞こえた。僕はそろりそろりと目を開けた。
一面に広がる青。青。青。びっくりしているとがくんとバランスを崩した。うわっと人間の叫び声が聞こえた。
「ちょっと! 危ないじゃんか。僕、2人分の体重を支えるほどの力はないからね。気を付けて飛んでよね!」
「え、僕飛んでるの」
「君の他に誰が君を飛ばすのさ。だから言ったろ。人間は飛べるのさ」
もう大丈夫だね、と人間は僕から手を離した。僕は改めて自分の体とその周囲を観察した。僕は一人で空に立っていた。慣れたら姿勢変換もできると思うよと、隣で人間が胡坐をかいたり寝そべってみたりとお手本を見せてくれた。
「後は好きなように飛びなよ。山でも海でも夜空でも。自分で行きたいところに行けばいい」
「君はどこに行くの」
僕は尋ねた。何だか離れがたく、もう少しこの人間と行動を共にしてみたかった。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、人間は飄々とした表情で遠くのほうを指さしながら言った。
「僕はね、ここからずーっと先にある、カエデっていう木を見に行くんだ。なんでもこの時期になると木の葉が赤や黄色に染まってきれいなんだって」
赤色や黄色に染まる葉など聞いたことはなかったが、この人間が言うと本当にありそうな気がした。
「時期を逃したら嫌んなっちゃうから、僕もう行くよ。じゃあね!」
別れの言葉をかける間もなく、人間はピュンと先へ行ってしまった。一人取り残されたような気分になり、さみしさで胸がチクリと痛んだが、なぜだかまた会えそうだという気配も同時に肌で感じ取っていた。
僕はふよふよとのろまに進みながら、これからどうしようかと一人夢を膨らませた。
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