火曜日(4)
ユミカがもう一度溜息をついた後、僕は尋ねる。
「お父さんやお母さんを説得できないの?」
「……うちのお父さんは明治時代からやって来たような性格で、子供は親の言いなり、女は家庭に入って男に尽くすのが当たり前だって考えてるの。お母さんはお父さんに逆らえないし。だからね、高校を出たら家を出て、アルバイトしながらお金を貯めて、それで写真の勉強するために学校に通おうかと思ってる」
なるほど、と僕は相づちを打った。先程の様子を見ていれば本気なのだとわかる。
「そのことでさっき喧嘩してきたんだ。まあ、いつものことなんだけどね」
ユミカは泣いてこそいなかったが、幾分しょげてしまったのが声色から感じられた。寄り添ってあげたいと思ったが、柄でもないし、僕たちの体は離れすぎていたし、なにより、僕は彼女の恋人でも何でもなかった。
「私、帰りたくない」
海の方を見ながら、ユミカはぽつりと呟いた。その意図するところは、僕と一緒にいたいという意味ではなさそうだ。
「ねえ、しばらく豪介の夢の中にいてもいい?」
「……いいも何も、そんなことできるの? 僕の目が覚めたら、この夢は消えるのに」
「ここは君の夢の中でしょ? カメラをぽんと出してくれたみたいに、君が決めれば私の意識はここから出られなくなるんじゃないかな? ねえ、お願い、豪介。私をここに閉じこめて」
いつもの強気な喋り方ではなく、懇願するような口調でユミカは言った。そして、詳しくは話していないものの、彼女は僕の特技について把握しつつあるようだ。……仮にユミカの言うとおりにしたら、現実世界の彼女はどうなってしまうのだろう。前例がないので僕にもそれは分からなかった。
「現実の方はどうするの? ずっと眠ったままだとまずいでしょ」
「どうにかなるよ、きっと」
「どうにかなるって……それに、ユミカをここに閉じこめることができたとしても、僕が一度目覚めた後、またここに戻ってこられる保証はないんだ。二度と会えないかもしれない。そうしたら、ユミカの意識は永遠にここから出られないかもしれないんだぞ」
「いいよ、それでも」
ユミカの口ぶりはまるで人ごとのようだった。
「良くないよ」
思わず僕は語気を荒げて、言ってから口をつぐんだ。ユミカの力になりたい、励ましてあげたいという気持ちとは裏腹に、どうすれば良いのか、何を言えば良いのか、皆目見当もつかなかった。無力な自分が情けない。
「……悪いけど、ユミカをここに閉じ込めるようなことはできない。でも、辛くなったらここに来て、ゆっくりしてくれて構わない。好きなだけ写真を撮ればいいし、僕でよければ話に乗る。だから、朝はきちんと起きて、学校においでよ」
少しの沈黙を挟んだ後、僕は思いついた言葉を並べ立てた。納得したようには見えなかったが、ユミカは「ありがとう」と呟いた。それから「じゃあまた」とだけ言い残して、砂浜の向こうに歩いていった。僕は引き留めることもできず、その背中が見えなくなるまで彼女を見送った。
目覚ましが鳴り、朝がやってきた。ユミカのことが心配だったが、僕は高校生なので学校へ行かなければならない。
案の定、ユミカはその日学校に来なかった。
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