第122話 エルズベリーの娘

 ボロウは別宅と話したが、とてもそうは見えない。

 長らく安普請のアパート暮らしをしていた優志にとってはとんでもなく豪勢に映るのだが、御三家の基準で言うならたいしたことのないレベルのようだ。


「さあ、こっちだ。お嬢様が御待ちだぜ」


 案内されるがままに、優志は屋敷の中へと足を踏み入れる。

 最初こそ断って帰ろうかとも思ったが、ここまで来たら御三家の一人くらいにはあって行こうかなと考えを改めた。

 仕事を無断で休む形になってしまい、リウィルたちには申し訳ないが、ここで御三家と良好な関係を築ければそれはそれで今後の経営におけるアドバンテージになるだろう。

 当然ながら、当主たちが考えている結婚話については辞退させてもらう予定だが。


 屋敷の中は外観からのイメージ通り、華やかなものであった。

 しかし、どこかひんやりとした空気が流れている気がする。

 さらに先へと足を延ばすと長い廊下へと出たのだが、そこは明かりもまばらで昼間だというのに薄暗い。

 なんとなく、歩を進めることをためらってしまう雰囲気だ。


「どうかしたか?」

「あ、いや……」


 ずかずかと大きな歩幅で前を進むボロウ。

 大雑把で乱暴な振る舞いの多いボロウだが、今についてはその態度がとても頼もしいと思う優志であった。


 頼れる大男の背中についていくと、たどり着いたのは一際派手な装飾が施された大きな扉であった。


「トニアお嬢様!」


 その大きさから、それなりの重量がありそうな扉であると推測されるが、そんな重量感をまったく感じさせない軽々しさで開け放つ。


 開かれた扉の正面にはイスがあった。

 ゆったりと背中を預けられるだけの余裕がある大きめのイスだ。


 そこには一人の女性が座っていた。

 年齢は18~20ほど。

 美弦よりも年上だがリウィルよりも年下くらいの年だ。

 空色の髪の毛をおさげにして垂らしており、銀縁のメガネが知的な感じを漂わせている。絵に描いたような文学少女の出で立ちで、それを証明するかのように手には文庫本サイズの本が置かれている。

 全体的な容姿の評価として、グレイスにも負けず劣らずの美人と断言できるだろう。


 その女性こそ、エルズベリー家の令嬢――トニア・エルズベリーであった。

トニアはボロウを目にすると「はあ~」と盛大に息を吐き、


「ボロウ……ここは書庫よ? 書庫に入る時はノックをして返事があったら静かに開けて入ってくるようお願いしているでしょう?」


 ボロウの粗相に対し、優しい口調ながらも伝えるところはしっかりと伝える。

 それはまさに正しい大人の対応と言えるだろう。


「おっといけねぇ! そうだった!」


 肝心のボロウは「わかっているようで実はわかっていない」という典型的なリアクションだった。トニアが呆れたように言ったのも、実はこれが初犯ではなく、何度か同じようなことをしていたから出たものだろう。きっと、そのたびに、さっきのようなやりとりが繰り返されていたに違いない。


「それで、なんの用かしら?」


 パタンと静かに本を閉じて、トニアはボロウへ視線を移す。


「実は今日はお土産がありまして」

「お土産? あなたがそんな気遣いをするなんて珍しいですね」


 普段のボロウの態度が透けて見える発言だった。


「こいつを見たらきっと驚きますぜ!」


 そう言って、ボロウはサッと横へと飛び退いた。

 すると、その大きな背中に隠れていた優志の姿があらわとなる。



「「あ」」



 ボロウの想定外の動きによって、なんの予告もなく目を合わせることになった優志とトニアの二人。


 優志は初めて見るトニア・エルズベリーについて、「まさに深窓の令嬢だな」という印象を受けた。一方、トニアの方は、


「あ、えっと……」


 明らかに困惑の色が窺えた。

 どう見ても、優志がここにいることに対して「意味が分からない」といった様子。

しかし、


「ふっふっふっ」


 ボロウの方は満足げな笑みを浮かべている。


「お、おい」


 事態が呑み込めない優志はボロウへ耳打ちをした。


「なんだよ」

「お嬢様の方は凄く困っているようだけど?」

「そりゃあ困るだろうな。――何せ、想い人が突然目の前に現れたのだから」

「想い人?」


 その言葉がトリガーとなってハッと優志は思い出す。

 イングレール家のエイプリルと結婚話が出ていたのだが、このエルズベリー家でも似たような話が持ち上がっていたということを。

 しかも、どうやら事情はイングレール家と異なるようで、


「あっちとは違ってこっちはお嬢様自身が望まれたこと。あんたが首を縦にさえ振れば、エルズベリー家のすべてをあんたが受け継ぐ形になる」

「…………」


 傍から聞いていたらいわゆる玉の輿の「おいしい話」――だが、優志にはどうにも解せなかった。


 それはトニアのリアクション。


 ボロウが言うには、トニアは優志に惚れているらしい。優志との結婚をトニア自身が望んだと言っていたが、


「あ、あの……」


 その表情は間違いなく「想い人を前になんて話をしたらいいかわからない」という甘酸っぱい戸惑いではなく、「なんであなたがここにいるんですか?」というガチの戸惑いだった。

 どうにも食い違っている気がしてならない。

 これは一度じっくりと話をした方がよさそうだ。


「な、なあ、ボロウ。さっきの話しなんだけど――」

「やあ、よく来てくれたね」


 優志の言葉を遮るように、背後から声がした。

 初老のダンディな紳士。

 その人物こそ、


「お父様!」


 トニアの父でありエルズベリー家の現当主――ロブ・エルズベリーだった。

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