12 遠吠えの山

 ディーレは通った道、通らなかった周辺のこともクルトとカインに訪ねた。分かる範囲で答えていくとあっと言う間にスケッチブックはメモでいっぱいになった。

 今はただの紙。しかしこれが未来の地図になるかもしれない。

 大きな歴史の変化に関わっているような気がして、クルトはドキドキした。


「この先には後、何があるんだい?」


 話が一区切りついたタイミングで、リューベレンはカインに声をかけた。もう少しでテリトリーという話は朝からしていたので、リューベレンは先が気になって仕方がないらしい。


「後はここの山を迂回して、……禁忌の森を横切ったらすぐにテリトリーだな」


 カインはそういって目の前に現れた山を見上げる。木々に覆われた山は所々に大きな岩があり、地面を木々の根が縦横する様はケンタウロスからすると苦手な場所だ。

 単体でもイヤだというのに荷車をひいている今としては、余計に近づきたくない。だからケンタウロスは遠回りでも山を迂回して、テリトリーへと進む。


「禁忌の森を横切ったらということは、テリトリーに近いのか」

 ロキュスが驚いた顔をした。それに対してカインは顔をしかめる。


「我々だって、近くにあるというのは不満だが仕方ないだろう。テリトリーを選んだ先祖は、責任感のある人たちだったらしく、他種が知らずに禁忌の地に足を踏み入れないように監視する。その役目を果たすために、近くにテリトリーをつくったらしい」

「へぇ。ずいぶんと立派なご先祖様だねえ」


 リューベレンが素直に感心した声をあげるとカインは満更でもない様子で頷いた。クルトとしても先祖を褒められることは嬉しく、ついつい顔がにやけてしまう。


「ってことは、禁忌の森はケンタウロスが監視してきたの?」

「最近はここが禁忌だって広まったから、他種が入ることもない。旅人がうっかり迷いこまないように注意するくらいだけどな」

「それだけ危険な所だと言われると、逆に興味がわいてくるね」


 浮かれた様子で声をあげたリューベレンをカインが睨む。いつになく鋭い視線に流石のリューベレンも察したものがあったのだろう。冗談だよ! と無理やり声を張り上げた。


「それよりも、やっとテリトリーにつくんだね!」


 空気をかえるためか、リューベレンが立ち上がる。不安定な荷車の上だ。落ちるんじゃないかとクルトはギョッとしたが、意外と器用にリューベレンはバランスをとっていた。

 出来るだけ遠くを見ようとする姿はまるっきり子供。そのはしゃぎようを見ていると、自分よりも年上の男性だということを忘れそうになる

 その姿に呆れをみせるのはカインとロキュス。ディーレは小さく肩をすくめた。


「テリトリーについてもはしゃぐなよ。女性相手に無断で触ったら、蹴られても知らないからな」


 ロキュスの険しい声にクルトは内心で同意する。初めて会ったときのようなテンションで、ケンタウロスの女性に触れたならばただではすまないだろう。強靭な足でけられ、つぶされたら、細身のリューベレンではひとたまりもない。

 しかしリューベレンは、大丈夫だ。と本当に分かってるのか怪しい表情で、楽し気に前方を眺めている。


「はしゃぐとしてもテリトリーについてからにしてくれ。ここからが本当に危ない所だからな」

「禁忌の森があるからかい?」


 リューベレンの言葉にカインは首を振った。その反応にロキュスは眉を寄せ、双眼鏡で遠くを見ていたディーレはカインへと視線を向ける。


「この山には禁忌の森と同じく、しっかりと名前がついている。ホイベル。意味は遠吠えの山」

「遠吠え……?」

「この山はテリトリーを追い出されたワーウルフが住み着く山でな、よく遠吠えが聞こえる。でもって……」


 カインが言葉を続けようとした瞬間、遠吠えがあたりに響いた。

 オォオオ!! という獣唸り声。空気を振動させるような声が複数。折り重なるように響いてくる。ただこの声だというのに、何重にも重なるとそれだけで威圧感がある。そうクルトは初めて実感した。


 穏やかに歩いていたケンタウロスの様子が変わる。一斉に山を見上げて、背中に、腰につけていた武器をとる。荷車をひいていたケンタウロスは足を止め、荷車を引く手を強く握りしめた。


「えっ……何!?」

 状況が分からずクルトがオロオロしていると、前方からゲインの鋭い声がした。


「武器を持て!! 荷車を押しているものは足をとめるな!」


 ゲインの言葉で荷車が再び進みだす。先ほどよりも速足のそれにクルトが戸惑っている間に、カインが荷車の後ろへと移動する。クルトに対して手で武器を取れと示しながら、後方を警戒しながら弓を構える。


「野盗か……」


 落ち着いたこと同時にロキュスがサーベルを抜く音がした。当たりを警戒しながら、ミラ! と荷車に向かって叫ぶと、ミラが不機嫌そうな顔で現れる。わかってる。と小さくつぶやくと、ぐぅっと背伸び、準備運動をするように肩を回す。

 それを待っていたかのようにピタリと遠吠えがやみ、続いてこちらに何かが近づいてくるような木々のこすれる音。荒々しい足音が響いてきた。


 緊迫した空気に立ったままだったリューベレンが目を丸くし、それから納得した様子でポンっと手を叩く。何とも場違いな緩い空気にロキュスが嫌そうな顔をした。


「なるほど、これたは確かに遠吠えの山だな」

「感心してる場合か!! 奥はいれ!」

「ケンタウロスとワーウルフの戦いだぞ! 生でみ……!」

「邪魔」


 最終的にはロキュスとミラの2人係でリューベレンは荷車の奥へと押し込まれた。最後の最後まで抵抗していたようだが、どこからともなくロープを取り出したディーレが無言で中に入り、ひときわ高い絶叫が響いたかと思ったら大人しくなった。

 一体何があったんだ。とクルトは怖くなったが、そんなことよりも優先すべきはワーウルフだ。リューベレンのお陰で緩みそうになった空気を引き締め、クルトは弓を構えて山を見上げる。一体どこから現れるのか。そう思うと落ち着かず、脂汗で弓が持ちにくい。


「ワーウルフは集団戦を得意とする種だ。下位種だが、数で攻められると分が悪い」


 リューベレンを押し込めたロキュスは、そのまま荷車の上で仁王立ちだ。逃げるのが最優先にしているため、馬車は大きく揺れている。そんな事実がないかのように、悠然とたたずむロキュスは歴戦の猛者にみえる。その隣に立つミラも、気だるげな様子を隠す気はないが一切の動揺がない。

 この2人はこういう状況に慣れているんだ。クルトはそれに気づくと心が落ち着いてくるのが分かった。初めての経験に戸惑っていたが、こうして落ち着いてる人間を見ると緊張が和らぐ。


「だから、走って逃げた方がいいってこと?」


 普段よりも早いペースで進む荷車。荷を押すものは全速力で走っている。子供のクルトは気を抜くと置いて行かれそうになるので、必死についていきながらロキュスに問いかける。


「ああ、囲まれたら包囲網を突破するのは難しい。囲まれる前に逃げるのが得策だな」

「ワーウルフは遠吠えで意思疎通もとれる。聴覚も嗅覚もここにいるどの種よりも鋭い。下位種なんて舐めてると痛い目見るよ」


 ミラはそういうと軽々と荷車の天井に飛び乗った。ツバサを出していないにも関わらず、重さを感じさせない軽やかさ。思わず見惚れてしまったクルトの体をロキュスが軽く蹴る。見惚れてないで集中しろという叱咤だ。


「足を止めるな! 前進しろ! この山は奴らの縄張りだ!!」


 前方からゲインの声がして、荷車のスピードがさらに上がる。ゲインもロキュスと同じ考えのようで、ケンタウロスは一丸となり、周囲を警戒しながら突き進む。

 強靭な足と大きな体を。それを駆使して全速力で走るケンタウロスを止められる種族は少ない。逃げ切れるかもしれない。そう頼もしい先輩たちの姿を見てクルトは思った。


 ワオォオオン!


 その気持ちを打ち破るように、再び遠吠えが響いた。

 先ほどと違って四方八方から、折り重なるように聞こえる。もはやどこから聞こえてくるのかもわからず、耳が痛い。それほど聴覚がするどい種ではないはずなのに、キンキンと頭に響く。


 続いて背後から何者かが追いかけてくる足音が聞こえた。カインの「近づいてくんな!」という怒鳴り声にクルトの心臓が跳ねた。

 振り返れば、3頭のワーウルフがいつの間にか背後に回り込んでいる。未だに遠吠えは聞えている。となれば他のワーウルフが吠えているに違いない。何体いるのかとクルトは恐怖を覚えた。その衝動のままに弓を構え、背後のワーウルフへと狙いを定めた。


「あれは、囮だ! 普通の狼! ワーウルフじゃない!」

「えっ」


 ロキュスの言葉でクルトは弓を持つ手を緩める。

 もう一度背後をまじまじと見るが、血走った眼でこちらを追いかけてきている姿は狼だ。獣化したワーウルフは狼とそれほど変わらない。野生の狼の中に紛れて行動するという話も聞いたことがあるが、一直線にこちらを追いかける姿は野生動物とは思えない。


「ワーウルフは野生の狼、犬とも意思疎通が取れる。普通の狼よりも一回り大きくて、魔力の波動があるやつ。それがワーウルフ」


 ミラはそう言いながら荷台の上から周囲を見渡している。何かを探しているように見えるが、クルトにはミラが何をしているのか見当もつかない。


「ワーウルフって狼も仲間にするの!?」

「あいつら獣化するとパッと見、区別がつかないだろ。それを利用して陽動とか囮に使う」

「あとは野生の狼をけしかけて疲弊したところで止めを刺すとかね。野生動物は数が多いから」


 ミラの落ち着いた声がクルトにとっては恐ろしかった。つまり、自分たちは今、とても分の悪い勝負をしているという事だ。


「ワーウルフって下位種のはずなのに……!」


 クルトだってこの山にワーウルフが出ることは聞いていた。一番気を付けなければいけない場所だと注意を受けた。しかし、ワーウルフは下位種。中位種であるケンタウロスほど強くはない。そう皆笑っていたし、クルトだってどこかでそう思っていた。


「下位種だからこそ知恵を使うし、力を使う。正面から攻撃したら負けるって分かってるのに、正面突破してくるはずがないだろ」

「ワーウルフは大戦を生き残った種。下位種だからこそ、私たちみたいな中位種よりも潜り抜けた死線は多い。油断は命取り」


 ロキュスとミラはそういうと油断なく武器を構える。ミラは小型のナイフを。ロキュスはサーベルを。不安定な荷車の上でもぶれない2人の剣先を見て、2人はいくつも死線を潜っているのだとクルトは気付いた。

 だからこそ恐怖する。自分はこの死線を乗り越えることが出来るのかと。どこからワーウルフが見ているのかも分からない。囮だという狼、ワーウルフがどのくらいいるかもわからない。

 ずっと四方から聞こえ続けている遠吠え。こちらの不安をあおっているのもあるが、常に音を当てることで自身の位置を特定させない。そのうえでケンタウロス側の意思疎通もできないように妨害している。

 

 先ほどからゲインの声がかすかに聞こえるが、何を言っているかまでは聞き取れない。カインも荷車を引くケンタウロスも時間の経過とともに焦っているのが分かる。初めての経験であるクルトは不安で、怖くて、今にも泣き出したい。

 訓練だってしたし、話だって聞いていた。行商に参加できるようになって、大人の仲間入りができた。そう思っていた。しかし、本当の意味での覚悟は何もできていなかった。そのことに気づいた瞬間、


「上!!」


 普段の眠たそうな姿とはかけ離れた、ミラの声がした。

 はじかれたように上を向くと、切り立った崖を滑り落ちるようにして黒い獣が飛び降りてくる。ひときわ大きな遠吠えが響き、もたつく手で弓を構えようとした時には遅く、真っ赤な舌が、白い牙が、目の前に迫ってきていた。

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