11 地名

 ケンタウロスとの旅路は実に順調だった。荷車に乗っていれば歩かなくていいから楽。そのうえケンタウロスは一度仲間だと認めた者には情が深いらしく、あれやこれやと気を使ってくれる。見つけてきた木の実や果物を分けてくれたり、今までに会った面白い出来事や種族の事を教えてくれたり。こちらの質問にも快く答えてくれる。

 生真面目な性質が一致したのかロキュスもいつになく機嫌がいい。ずっと寝ていられるためミラの体調も万全のようだ。唯一問題点があるとすれば、リューベレンがだんだんと退屈してきたところだろうか。


 最初の数日ははしゃいでいたが、リューベレンにとってずっと荷車での移動、代り映えのない景色は飽きるらしい。たまには我慢を覚えろ。とロキュスはしたり顔だったが、旅の間にたまったフラストレーションをケンタウロスのテリトリーで爆発させないか心配だ。

 そうなったときにはロキュスに生贄になってもらおう。


 もう一つ気になることは、ヴェイセル様がいっていた「光る湖」の事だ。ケンタウロスのテリトリー付近にあるという話だったが、今のところ視界に移るのは平原と山と森。川はあっても湖など全く見当たらない。いったいどこにあるのか。まさかのガセネタなのか。

 たとえガセネタであっても、何かしらの成果を持って帰らないとヴェイセル様の機嫌が悪くなるのは目に見える。あーなんて面倒なんだろう。

 最悪、ヴェイセル様の機嫌取りはリューベレンに押し付けることにしよう。


「ディーレの手記」より


***


 ディーレたちとの旅も、残すところ一日となった。問題がなければ明日にはテリトリーにつくだろうと、ゲインはいつもよりも和やかに話していた。ディーレ一行の合流で一時はどうなるかと思った旅路は、好調。ミラとロキュスの働きもあって、いつもよりも順調といえるほどだった。


 といっても旅はテリトリーにつくまで続く。テリトリーが近づき、気が緩んだ所ほど野盗には襲われやすい。最後こそ気を引き締めなければいけないとゲインは朝から気合をいれていた。しかし、クルトにはどうも実感がわかない。

 幸いにも一度も野盗に遭遇したことがないため、想像がつかない。というのが本音だ。出会わないに越したことはないと分かっていても、体験したことのないクルトは他のケンタウロスに比べて未熟。そんな感覚が消えなかった。

 怖い思いをしたくはない。けれど、早く色んな経験をして一人前になりたい。クルトとしては歯がゆい気持ちだ。


「このあたりに湖ってある?」


 この後の旅路の事を考えていると、スケッチブックを睨みつけていたディーレが口を開いた。ディーレの言葉に、退屈そうに寝っ転がっていたリューベレンが顔を上げ、ロキュスも視線を向ける。

 ミラは相変わらず荷車の奥にいるから姿は見えないが、今の時間であれば熟睡中だろう。


「湖……?」


 そんなのあったっけ? という思いを込めて、近くにいたカインに視線を向けた。カインはクルトの視線を受けると、首を左右に振る。


「聞いたことないな」

「ってことは、今回はガセネタか……?」


 カインの言葉を聞くとリューベレンが天を仰いだ。ロキュスも眉間にしわを寄せて、微妙な顔をしている。ディーレもスケッチブックを睨みつけながら、いつになく顔をしかめていた。


「お前たちは湖を探していたのか?」

「地図を作る、ケンタウロスのテリトリーの視察も目的だが、大本命は湖さ」


 リューベレンはそう言いながら荷車の上にゴロリと横になった。狭い空間だというのに無理やり寝転がるから、ディーレが迷惑そうな顔をしている。それにもお構いなしで、ふてくされた子供のようにだらりと体を投げ出した。


「光る湖って聞いたことないかい?」


 投げやりなリューベレンの言葉にクルトとカインは顔を見合わせた。全く聞いたことがない。そろって首を左右に振ると、リューベレンが唸り声をあげて、髪をぐちゃぐちゃとかき乱した。男にしては長くきれいな髪だというのに、勿体ない。


「一体それはどういうものなんだ?」

「噂程度の話なんだけど、このあたりの森の中に夜でも光輝く湖があって、そこにいくと傷がいえるらしい」


 ディーレの言葉にカインとクルトは顔を見合わせた。そんな話は聞いたことがない。本当にあるのだとしたら、もっと噂になってもおかしくないはずだ。


「このあたりで森っていったら、タァトブールだけど……」


 クルトの言葉にリューベレンが目を輝かせて起き上がった。ディーレもいつもより比較的嬉しそうな顔でクルトをみた。その反応にクルトはとても申し訳ない気持ちになる。


「でもあそこは、禁忌の森って言われてて、ケンタウロスも他の種族も近づかないんだ」

「禁忌の森……?」


 異種族であるロキュスは「あー」と納得した顔をしたが、ディーレとリューベレンは顔を見合わせた。

 種族によっては森や川や山などを神聖視し、聖域として祭り上げるということがある。エルフなどの森と暮らす種族などがよく行うことだが、その逆に、汚れた地として一切近づかない。そういった風習のある種族も多い。

 この感覚が人間にはよく分からないらしく、一説には人間が聖域に立ち入ったのが原因で世界大戦がはじまった。そうも言われているらしい。


「禁忌の森は世界大戦中に戦場となった。様々な種族の屍が積み上げられ、フェアリーやユニコーンと言った汚れを嫌う種族は逃げ出した。戦争が終わった後でも、無念に散っていった種族たちの血や屍で森が汚れ、汚染された恵力が木々を腐らせ、土に染みつき、入ってきたものを無条件に死に至らしめるようになったらしい」

「へぇ、世界大戦中にねえ」


 リューベレンは興味深げに頷くと、ディーレを見る。ディーレも何かを考える様子でリューベレンを見返していた。


「そこに入るのは……」

「無理だ」


 キッパリとカインが言い切ると、リューベレンは目を丸くする。つづいて笑顔を浮かべ、そこを何とか。少しでも。と言い募るが、カインはダメだ。無理だ。近づくなら紐で縛ってでも連れていく。とにべもない。

 しかし、クルトもカインの意見に同意だ。禁忌と呼ばれるような場所に近づくべきじゃない。とくに世界大戦の戦場となった場所は危険な場所が多い。当時に使われていた他種族を殺すための罠がそのまま残っていることもある。当時に放出された高濃度の恵力が大地に溶け込まずに地上に残り、それが原因で恵力暴走を引き起こす。

 異種族にとって恵力の暴走は無視できない。最悪は死に至るような危険な症状だ。


「他の種もってことは、このあたりの種族はみんな禁忌だと認識してるの?」

「この辺りにテリトリーを持つ種族はな。流れ者も、入ればすぐに恵力汚染に気づく。奥まで進む奴はいないだろうな」


 ディーレは何かを考えるそぶりを見せてから、スケッチブックに書き込みを始めた。地図を作るのであれば危険地帯の表記も重要だろう。上司であるヴェイセルへの報告もかねているのかもしれないとクルトは思う。

 リューベレンは納得いっていない顔をしたが、今まで旅をしてきただけあって禁忌の地については分かっているらしい。仕方ないかというようにため息をつき、足をプラプラと揺らす。子供みたいな態度だとみていると、ふと何かに気づいた様子でディーレを凝視した。


「……ディーレ……他に森がないとすると……今回の情報はガセネタだったとそういうことになるのか?」

「……そういうことになるね」


 ディーレは微妙な間を開けてから頷く。それを聞いていたロキュスも苦い顔をした。

 

「……その場合、ヴェイセル様は怒ると思うかい?」

「怒るでしょ。あの人短気だし」

「動かないわりには文句いうのがヴァンパイアだからな」


 ロキュスが追い打ちをかけると、表情を曇らせたリューベレンが頭を抱える。機嫌が悪いヴェイセル様は面倒くさいんだ……と心底嫌そうな声を出すリューベレンを見て、クルトとカインは驚いた。

 ディーレとロキュスは哀れみの目を向けるが、慰めることもない。その反応を見るに、ヴェイセルへの報告役は意外にもリューベレンらしい。そしてディーレとロキュスは報告役を変わる気は全くないようだ。


「本命が見つからないなら、他ので機嫌とるしかない。地図の精度をあげたいから、教えてほしいんだけど……」


 リューベレンを助けるつもりだったのか、単純に自分が巻き込まれる可能性をつぶしたかったのか。ディーレはクルトとカインにスケッチブックにかかれた地図を見せた。

 初めに見せてもらったときに比べ、描き込みは増えている。ここに来るまでの道のりが絵として記録されている事にクルトは感動した。カインも関心した様子ですごいな。と声をこぼした。


「ケンタウロス以外にこの道を使う種族は?」

「どうだろうなあ……無法地帯はどこをどう通ろうと自由だからな……。たまに旅をしているほか種に会うことはあるが、そういうやつらは大概擬態してるから具体的な種族は分からないし」

「種族を隠しているということかな?」


 カインの言葉にリューベレンは興味深げに目を輝かせた。さっきまでこの世の終わりという顔をしていたというのに、あっさり立ち直った姿にカインが驚いている。ロキュスは呆れ切った顔をして、頭を左右に振った。


「旅に慣れてるやつらほど種族は明かさない。種によってはもめ事になるからな。俺たちも聞かないが暗黙のルールだ」

「無法地帯で争いになったら種族ルールは適応されないしな」


 ロキュスはため息をつく。護衛などで生計を立てるリザードマンからすると、無法地帯でほか種と鉢合わせするのは色々と面倒なのだろう。

 クルトは今のところ、移動中にほか種に遭遇したことはない。このあたりにテリトリーを持つ種族は、ここがケンタウロスの移動経路だと知っている。積み荷を運んでいる時は警戒態勢であるということも分かっているので、不用意に近づいて刺激するなんてことはしないのだ。


「それじゃあ、ここはケンタウロスに名前を付けてもらった方がいいかな」

「名前?」


 何の話だとクルトとカインが顔を見合わせていると、ディーレは描き途中の地図を示す。何日か前に通ってきた平原だ。


「ここ、ケンタウロスの間ではなんて呼んでる?」

「ゼーヴィエ」


 さらりと答えたカインにリューベレンが目を輝かせた。


「ちゃんと名前があるのか! 意味は!」

「平原」

「そのままか!!」


 リューベレンがオーバーリアクションで天を仰いだ。その反応にカインがイラッとした顔をする。クルトはまーまー。とカインを落ち着かせていたが、ディーレは気にした様子はなくスケッチブックに書き込んだ。


「えっ、そんなのでいいの?」

「地名なんて、そんなもの」


 ただ仮称として適当に呼んでいた名前が記録されている。しかもディーレたちの目的を考えたら、そのうち正式なものとして発表されるのだ。いいのか? そんな適当で? とクルトは冷や汗を流したが、ディーレもロキュスもリューベレンも涼しい顔だ。


「……今までもそんな感じだったの?」

「そんな感じ。仮称すらなくてその場で名前決め大会が始まったこともあったぞ」

「あれは盛り上がったなあ……」


 リューベレンが懐かしそうに腕を組み、頷いた。ロキュスはそれに対して顔をしかめている。真逆の反応を見るに、良くも悪くも大騒ぎになったことは間違いないようだ。


「こっちで適当に決めると人間の意見になるから。それは本意じゃない。地図は皆のもの。無法地帯だって本来は、全ての種族が平等に使える空間。っていうのが理想らしいよ。ヴェイセル様的には」


 ヴァンパイアは偉そうで傲慢で、他種のことなど考えていない。そう聞いてそだったクルトはディーレたちの話を聞くたびに不思議な気持ちになる。

 ディーレたちだって、ヴェイセルというヴァンパイアのことを短気でお怒りっぽい。無茶ぶりしてくる。そんな風に文句をいっているのに、こうして地図を作るという大変な旅をしている。

 それはヴェイセルというヴァンパイアが、言葉通りの嫌な人ではないから。そうでなければ、苦労してまで協力しようなんて思うはずがないのだ。


 どんな人なんだろうと、クルトは会ったこともないヴァンパイアに興味を持った。

 ヴァンパイアがテリトリー。ましてや「人の国」から出てくることはよほどのことだ。そうなると「人の国」に入れないケンタウロスが会えることはないだろう。それがとても残念に思えた。

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