13 一か八か

「クルト!!」


 その声が誰の声だったのか、自分の名前を呼んでいるのかすら、クルトは一瞬分からなくなった。ただ目の前に迫りくる獣の姿。背後を追ってきていた狼よりも大きく、恐ろしい存在に身動きが取れない。

 逃げる。それだけの事なのに、足も手も、動き方を忘れたように動かなかった。


「この、クソ犬が!!」


 気付けば目の前にロキュスの背中があった。それから血の匂い。ロキュスの腕にワーウルフの牙が深々と刺さっているの見て、クルトは喉の奥から声にならない悲鳴がもれた。


 クルトが動けない間にロキュスは噛まれた腕を振り回し、ワーウルフを吹っ飛ばす。すかさずサーベルをワーウルフに向かって切りつけるが、ワーウルフは身をひるがえして距離をとる。

 すぐに逃げた行動から見て深追いをする気はないらしい。しかしながら遠吠えも、唸り声も、背後から迫りくる狼の数も減らない。むしろ先ほどよりも唸り声は近づいているような気がする。


「ロキュスさん血が!」

「気にするな。リザードマンは皮膚が固い」


 青い顔でクルトが駆け寄ると、ロキュスは二ッと笑って噛まれた腕を魅せる。ワーウルフの牙の後はハッキリついてはいるが、血の量はそれほどでもない。

 とりあえず軽症なことにクルトは安堵したが、自分のせいで怪我をした事実は変わらない。謝ろうと口を開きかけたところで、ロキュスは険しい顔をした。


「言いたいことは終わった後だ。今はのんびりしている暇はない」


 そうロキュスがいうと同時に、再び上からワーウルフが降ってきた。今度はロキュスがいる荷車にではなく、前方を走るケンタウロスの方に向かったらしく、怒声が聞こえる。前方がつっかえたことにより荷車の速度が遅くなるが、それに気づいたゲインの怒鳴り声が響く。止まるな! 進め! というゲインの意図は分かるが、無理矢理進むとなれば仲間を引きかねない。どうすればと戸惑うケンタウロスを見て、ふぅっとため息を吐き出したのはミラだった。


「あんまり気乗りしないんだけど……」


 場にそぐわない気だるげな声を出したかと思えば、ミラを中心に恵力のうねりを感じた。えっとクルトが思った瞬間、目の前に現れたのは鷲の頭に翼、馬の後ろ脚をもつ獣。巨大なツバサを大きく広げ、鷲のくちばしで咆哮する。


「ひ、ヒポグリフ……!」


 カインが唖然とした様子でつぶやいた。その名を聞いて、クルトは昔旅人だという男に聞いた話を思い出す。

 翼をもつ獣種の中でも、特に美しいとされる姿をした種族。グリフォンの亜種であり、見ることが出来ればとても幸運なことだと。


「ミラ、頼んだ!」


 ロキュスが叫ぶと、本来の姿になったミラはチラリとロキュスを見た。何も言わずに大きなツバサを広げて飛び立つと、前方で暴れているケンタウロスに向かって直進する。激突するのではとクルトが不安になるほど至近距離を飛んだミラは、器用に鷲の前足でワーウルフを掴んで放り投げ、馬の後ろ足でワーウルフだけを蹴り飛ばす。そのまますぐに空へと上昇すると、威嚇するように咆哮を上げた。


「今だ! 進め!」


 ワーウルフと狼がひるんだのを見て、すかさずゲインが叫ぶ。熟練のケンタウロスたちは全速力でひるんだ狼たちを蹴散らしながら進み、それを見たクルトとカインは荷車の後ろに回りこむ。少しでも早く荷車が進むようにと後ろから押しながら、とにかく進む。荷途中狼やワーウルフが飛び掛かってきたが、ロキュスがその都度、足技と剣技で追い払う。

 ミラも上空からワーウルフや狼を見つけるたびに急降下し、前足で捕まえ放り投げた。吹っ飛ばされる狼なのかワーウルフなのか分からない黒い塊。確認する余裕もなく、とにかく必死で荷車を押す。


「しつこい!」


 2人の活躍によりピンチは脱したかに見えたが、ワーウルフも狼も、負けじと追いかけてくる。隠背後から迫る数は数十匹。しかしそれ以外の声も相変わらず四方から聞こえ続けている。

 ロキュスがイラついた様子でサーベルをはらう。カインは必死で荷車を押しながら舌打ちするが、表情には余裕がない。クルトの足も手も今までにないくらい疲労して、いまにも引きつりそうだった。

 今は何とか距離をあけられているが、これがずっと。テリトリーまで続いたとしたら、体力の方が先に底をつくのではないか。そんな嫌な想像がクルトの頭に浮かんだ。


「あいつら必死だな。そうとう餓えてるらしい」


 ロキュスが舌打ちしながら周囲を見渡す。後ろを振り返れば爛々と輝く狼たちの目が見える。正気を失っているように見える姿はとにかく必死だ。彼らは死ぬ気で自分たちの積み荷を奪おうとしている。その事実にゾッとする。


 クルトはもちろんだが、ロキュスの動きもだんだんと鈍っている。ミラだって何度も急降下、旋回を繰り返して疲れないはずがない。今はミラを警戒して一定数近づいて来ないワーウルフだが、隙を見せた途端に喉元を噛みちぎりに来るだろう。このままだとじわじわ削られ、根負けする。それをワーウルフが狙っていることは明らかだった。


「この先にあるのは禁忌の森だけ?」


 どうにかしなければ。でも、どうやって。焦るクルトの耳に入ってきたのは、場にそぐわぬ落ち着いた声。見れば、ディーレが幌の隙間から顔を見せていた。焦りを感じさせない、いつも通りのディーレの姿を見てクルトは少しだけほっとする。


「他には何も」

「テリトリーまでは逃げられそう?」

「……」


 クルトは無言で隣のカインへ視線を向けた。カインは歯をかみしめて、背後のワーウルフを振り返る。それが答えのようなものだ。


「……積み荷を置いてったら見逃してくれるかもしれないけど」

「それをしたら俺たちは大損だ!」


 カインの叫びを聞いてディーレは二ッと笑った。ディーレらしくない、この場にもそぐわない笑顔にカインとクルトは虚をつかれる。


「だったらさ、一か八か禁忌を犯してみない?」

「は?」

「禁忌の森には他種も近づかないんでしょ? そこに逃げ込めば、ワーウルフはおってこないかもしれない」

「バカか! 禁忌だぞ! 恵力汚染が……!」

「そういうけど、森にはずっと入ってないんでしょ?」


 ディーレの言葉にカインは黙った。ディーレの言う通り、クルトが生まれてから、クルトが生まれる前からずっと森にケンタウロスは入っていない。禁忌の地とはそういうものだ。


「魔力汚染は高濃度の魔力が一か所に短期間で集まったことにより、土地の浄化、吸収作用が追いつかないことで起こるとされている。世界大戦で汚染されたのなら、200年はたってる。魔力を土地が吸収するには十分。すでに汚染は浄化されている可能性がある」


 ディーレの説明にクルトは目を丸くした。カインも驚いた顔でディーレを凝視している。


「だ、だけど、怨念は……?」

「それに関しては何とも。魔力汚染と違って、怨念とか執念は薄れるものでもないし、もしかしたらもっと煮詰まってるかも。でも、それは行ってみないと分からない。少なくとも魔力汚染に関してはもう大丈夫だと俺は思うけど……」


 ディーレはそこで小首をかしげて笑う。どうする? 一か八かにかけてみる? と。


「……このままだとテリトリーまで持たないと思う」


 こうして話している間にも疲労は蓄積している。ワーウルフの足音も息遣いもずっと背後にある。クルトもカインも必死に押しているが、荷車を引くケンタウロスにも疲労が蓄積しているらしく、速度が下がってきたような気がする。


「だけど、クルト!」

「この積み荷は野盗なんかにあげちゃダメなものだよ!」


 カインの言葉にクルトは怒鳴った。積み荷を捨てれば逃げられる。しかし、それをしたら野盗はまたケンタウロスの積み荷を襲うだろう。今はよくても、そのうちもっと被害が大きくなって、行商が立ち行かなくなるかもしれない。他種族にだって迷惑がかかるかもしれない。


「僕らはケンタウロス。ワーウルフに負けたなんて恰好がつかない」


 クルトの言葉にカインは目を丸くし、それから、たしかに。とニヤリと笑う。ケンタウロスは温厚な種族だって言われているけれど、それは怒る必要がないからだ。今みたいに、自分の家族を、プライドを傷つけられて、黙っているような臆病者ではない。


「ミラ! 話聞いてただろ! ゲインに伝えてくれ」


 ディーレが叫ぶと空中を旋回していたミラが一声鳴いた。すぐさま飛んでいく後姿をクルトは祈るような気持ちで見送った。ゲインがこの提案を受け入れてくれなければ、勝機はない。

 ミラが飛んで行ってから数秒、数分。その時間がずいぶん長く感じた。ミラがいなくなったことで、ワーウルフたちはこれ幸いと距離を詰めてきている。追いつかれ、一斉に飛び掛かられたらどうしよう。そんな恐怖に支配される。


「お前ら! 俺を信じてついてこい! 迷うな! 突き進め!」


 そのゲインの声で、ディーレの作戦は採用されたのだと分かった。クルトとカインは目を合わせ、最後のふと踏ん張りだと足に力を込める。先ほどよりも速度が上がったケンタウロスに、ワーウルフが戸惑う気配が分かった。

 ロキュスは荷車にしがみつき、ディーレはいつの間にか奥へと引っ込んでいる。


「突っ込め!!」


 ゲインの声が前方から響く。前方から戸惑う様子が伝わってきたが、やけくそとばかりにケンタウロス達は怒鳴り声をあげる。それにクルトとカインも続き、ケンタウロス達は数百年ぶりに禁忌の森へと足を踏み入れた。

 長年誰も入らなかった森に道などなく、前方をいくケンタウロスたちが無理やり木々をなぎ倒して場所をつくっていく。騒音が響き、鳥が慌てて飛び立つ音、小動物が逃げ惑う音。様々な音がする中、ワーウルフたちの息遣いと足音は全く聞こえない。


 振り返ればなぎ倒された木の向こう側。ワーウルフたちが唖然とこちらを見ている姿があった。狼の姿でも「ありえない」そう思っているのが伝わってくる様子に、クルトは爽快感を覚える。


 禁忌を破ってしまった。それでもクルトは実にいい気分だった。

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