9 最弱種

「何でテリトリー区分なんてものがあるのか。私はそれが昔から疑問だった。別に皆好きなように生きればいいし、好きな場所にいけばいい。生き物が生きる場所をわざわざ限定させ、それによって無法地帯なんてものまで生まれてしまった。意味が分からないとはおもわないかい?」


 リューベレンの言葉にクルトは考える。 

 テリトリー区分。クルトが生まれたときには既に存在していた世界の決まり。この決まりによって各種族は暮らす地域が決まっている。その決められた範囲を自由に開拓することが許され、その範囲を治め、外部からきた存在を排除する権利を持つ。

 ケンタウロスであれば西方の平原。その中ではケンタウロスの決めたルールが全て。

 市場で栄えるケンタウロスは、他の種族があきらかに不利になるようなルールは決めていない。しかし、他の種族では極端な話、他種族が許可なく入った時点で殺していい。なんて物騒極まりないルールがあると聞く。


「無法地帯に関しては我々ももう少しどうにかなってほしいと思っているがな、テリトリー区分に関しては気を付けさえすれば問題ない。むしろほか種と変に揉める必要がなくて楽ともいえる」


 ゲインの言葉にクルトは頷く。

 テリトリー区分は、異種族同士の争いをなくすためにつくられた。


 クルトが生まれる数百年ほど前に、世界大戦と言われる大きな戦争が起きた。様々な種族がぶつかり合い、長きにわたって泥沼の戦いを繰り広げた。池が血で真っ赤に染まった。一夜にして町が焼け落ちた。種族も形すらも分からないような死体が積み重なった。

 クルトからすると想像もつかない惨たらしい状況だったという。

 そんな戦いを終わらせたのは、現在上位種と言われる種族。特に活躍したのが竜種であり、当時争っていた種族を平等に殴り倒す。という力業で争いを終わらせたらしい。

 その後はヴァンパイアが主流になって、もう一度戦争が起こらないように様々なルールを決めた。その一つが今現在まで伝わっているテリトリー区分だ。


 現在の世界を見れば分かるが、それは正解だったといえる。

 大戦前は小競り合いや衝突、力の強い種族に怯えて暮らすというのが当たり前だった。力の弱い種族は逃げ、抵抗できる種族は戦い、能力で劣る種は協力したり知恵を絞り、強い種に立ち向かった。それは生き残るためには仕方のない事だと、誰もが武器を持って己の尊厳と平和な暮らしを守るために戦ったのだという。会話する余裕などなかったし、今のようにほか種について知ろうなどとは思わなかったとゲインの祖父は言っていたそうだ。


 しかし今は、他の種族には侵略されない不可侵の場所――テリトリーがある。それによって多くの種、特に下位種の生活は大きく変わった。

 他種族と揉めたくなければテリトリーから出なければいい。テリトリーはその中だけで生活できる十分な土地と資源が含まれていた。ヴァンパイアに頼めば、ある程度の配慮もしてもらえ、生活は大きく改善された。

 それに加えて、他種族と対等な立場で交渉できる場所、「人の国」が出来上がったことも大きい。


 「人の国」は中立だ。人間という種は異種族同士のもめ事に不介入。介入してくることがあるとすればヴァンパイアだが、人間の不利になることさえしなければ、基本的に異種族同士の話し合いに委ねることが多かった。

 どちらかのテリトリーで話し合えば、場所を提供した側が有利になる。だからといって無法地帯で落ち合えば、約束の効力はないに等しい。そのうえ第三者が介入してくることすらある。それに比べて「人の国」はちょうどいい交渉の場所だった。


「たしかに、もめ事はテリトリー区分が出来る前より減ったようだ。戦禍で消えなかった数少ない資料にもそうした記録は残っている」


 リューベレンはそこで言葉を区切る。


「しかしだな、単純にもめ事を減らす方法ならテリトリーを決める。なんて大掛かりで面倒な方法以外にあったと私は思う。同時期にできた、異種族の階級制。それを利用してもいい。少々野蛮ともいえるが、上位種は下位種に対しての絶対発言権を持つ。なんてものでも、ある程度のもめ事は減らせたはずだ」


 リューベレンの言葉にクルトとゲインは顔を見合わせた。言われてみればリューベレンのいうことは間違いではない。

 上位種に逆らえない。というのは精神的な不満はあるにせよ、事実である。ケンタウロスは中位種という位置づけだが、竜種やヴァンパイアを相手にしろと言われたら、黙って降伏した方が被害は少ない。そう考えるだけの実力差がある。


「上位種が権力を握って、中位種や下位種を好きにこき使う。それだったら君たちも不満を盛っただろうが、現状を見れば分かる通り、基本的に上位種は放任主義だ。ヴァンパイア以外はおいそれと他の種が近づけない土地に引きこもって、出てこない。

 テリトリーなんて面倒なことを決めなくても、世界はうまく回ったとは思わないかい?」


 リューベレンの言葉にゲインは腕を組んで考えた。クルトも聞いたばかりの言葉を反芻して、言われてみればそうだと納得し、首をかしげる。

 小さい頃からそういうものだ。そう聞かされて育ったもの。当たり前のもの。守るべきルール。ではなぜそれが必要だったのか。別の方法でもよかったのではないか。そう言われるとクルトの考えはまとまらずにグルグル回る。


「私は思っているんだ。この決まりはある特定の種族を納得させるための大掛かりな詭弁なのではないかと。本当の目的を隠し、頭かも全種族のために作り上げたルールだと見せかけ、本質はたった一種。それを閉じ込めるためだけに作り上げたのではないかと」


 ゲインがハッとした顔でリューベレンを見て、それから眉間に深い皺を寄せる。

 クルトはゲインの反応の意味が分からず、ゲイン、そしてリューベレンへと視線を動かした。


「異種族はテリトリー区分がなくとも、大戦前も生きていた。今よりももめ事は多かったようだが、それでもテリトリーなど決めなくても自力で街をつくり、戦い、ほか種と協力し、この世界で生きてきたのだよ。君の遠い祖先だってそうだ」


 リューベレンはそういうとじっとクルトを見た。


「そうして生きられなかったのは異種族ではない、私たち人間だ。

 テリトリー区分とは、異種族のもめ事を避けるためにつくられたのではなく、他の種族から守られる場所がなければ生き残れない、最弱種である人間のためにつくられた。そう私は思っている」

「……え?」


 クルトは目を見開く。それからゲインを見た。ゲインは腕を組んだまま、険しい顔で地面を睨みつけていた。

 ゆらゆらと揺れる焚き木の灯りで、ゲインの影が揺れる。それがとても不安に思えて、クルトはリューベレンを見る。

 リューベレンは朝の騒がしさが嘘のように、静かな表情を浮かべてクルトを見つめていた。にこやかな笑みが消え去って、表情が抜け落ちた顔は彫刻のよう。女性に見間違えるような顔立ちも含めて、クルトには未知の生命体。恐ろしい全く知らない種族のように見えた。

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