7 テント
一日目の帰路は順調と言えた。不安の種だったディーレ一行も大人しく、意外と旅慣れした様子を見せたことから、予定通りに野営地にたどり着くことが出来た。
野営地は「人の国」にむかう途中に何度も使われている川の側。いつも使っているため、そのあたりだけ踏み固められ、他の場所に比べて土が見えている。
そこに荷車を止めるとすぐさまケンタウロス達は動き出す。クルトを含めた数人が見張り役兼、テントを立てる係。他のものはゲインを筆頭に食料、薪を集めに武器を構えて野営地を後にする。
本当に休めるのは全ての準備が整ってから。準備は時間との戦いだ。暗くなる前に寝床と食料の準備を終わらせ、夜通し交代で火の晩と野盗に警戒しなければいけない。
テリトリーの外に出ている間、本当の意味で心の休まる時間はない。警戒を解いてはいけない。そうクルトは何度も教わった。いつどこでどんな種族と出会うか無法地帯では予想もつかない。屈強だと言われるケンタウロスであっても、油断は禁物なのだ。
「私たちにも手伝えることはあるかい?」
クルトがせっせとテントを組み立てているとリューベレンが声をかけてきた。ゲインがいない今、比較的声をかけやすいのはクルトだと思ったのかもしれない。実際他のケンタウロスたちは、リューベレンの声が聞こえるほど近くにいても何の反応もしない。
一応チラリとこちらに視線を向けてはいるが、未だに人間に対してどう反応していいか戸惑っている。
リューベレンたちが悪い人ではない。そう分かったクルトは手伝いを頼むのに抵抗はないが、クルトはこの中で一番の年下。決定権はない。どうしたものかと一緒に作業していたケンタウロス――カインを見上げる。
クルトよりも10歳ほど年上のカインは、この中ではクルトの次に続いて若い。そのためクルトをよく気にかけてくれる兄のような存在であり、クルトが気楽に話しかけられる相手でもある。
しかし、今のカインはいつもよりも警戒心が強いように見えた。あからさまに眉を吊り上げて、値踏みするようにリューベレンを見ている。
それに対してのリューベレンの対応は穏やかだった。不躾な視線など気づいてすらいないような温和な表情で笑っている。もしかしたら、こういった反応に慣れているのかもしれない。
「ディーレと私は無理にとは言わない。邪魔だったら自分たちのテントに引きこもっているさ。だが、ロキュスとミラは私たちよりも役にたてると思うんだが、どうだい?」
リューベレンの言葉に奥を見れば、クルトが見慣れたものに比べると小さなテントが2つ出来上がっていた。いつの間にとクルトは驚いて目を見開く。隣のカインを見上げると、カインも意外そうな顔をしていた。カインの中ではリューベレンたちは何も出来ない。そういう位置づけだったのだろうとクルトは察した。
テントの前ではスケッチブックを開いて何かを書いているディーレ。その隣で退屈そうにしているミラ。こちらの様子を仁王立ちでうかがっているロキュスの姿がある。ミラはあれだけ寝たというのに未だ眠そうであり、頼りになるとは思えなかったが、ロキュスはどう見ても手持無沙汰の様子だった。
「ロキュスも狩りは得意だ。我々の現地食料はだいたいロキュスが集めてきてくれる。力仕事も得意だから、テントを張るのも手伝えるだろう。ミラはああ見えて翼種だからな。薪を探すにも食料の動植物を探すのも得意だぞ」
「……えぇ……私……」
ものすごく嫌そうなミラの声が聞こえたが、リューベレンの笑顔は一切崩れなかった。反応は予想通りであっても、やめる気はないようだ。
ディーレがミラの肩をポンポンと叩く。何かをいっているように見えたが、クルトには聞こえない。聴覚が鋭い猫又やワーウルフだったら聞こえたんだろうか。そうクルトは考えた。
「一週間、何もせずに乗せてもらうだけ。というのも心苦しい。少しばかりは手伝わせてくれないかな。君たちの邪魔にならない程度でいい」
リューベレンが少しだけ眉を下げる。クルトが隣にたつカインを見上げると、カインは考えるそぶりをみせた。
人手についてはあった方がいい。現地調達できなかった用の予備食料は用意しているが、残りは6日。なるべく温存した方がいいに決まっている。日持ちするものなので、使わずに持ち帰ったとしても問題ない。テリトリー外では慎重すぎるくらいでちょうどいい。生き残ることに全力をつくせ。そうゲインにクルトは何度も言われている。それはクルトだけでなく、目の前のカインも同じだ。
クルトがゲインの言葉を思い出している間に、カインの中でも考えがまとまったらしい。リューベレンと視線を合わせる。
「手伝ってもらえるなら有り難い。テントの方は俺たちだけで十分だから、薪と食料集めを手伝ってもらいたい」
カインの言葉にリューベレンは嬉しそうにうなずいた。任された。と胸を張ると、ロキュスとミラへと振り返る。
任されたのは私たちなんだけど……。とミラが億劫そうに立ち上がり、ロキュスがいいから行くぞ。といった様子でミラの背を押した。
ミラは心底面倒くさそうだが、抵抗はしない。手伝わなければ。という意識が少しばかりはある様子を見て、クルトは意外に思った。ここに来るまでの間ずっと寝ていたから、本当に一切動かない女性なのかと思っていたのだ。
「お前たちも何もないのなら、テントの組み立てを手伝ってほしい」
ぼんやりとロキュスとミラの後姿を見送っていたリューベレンとディーレを見て、カインが声をかけた。クルトは意外に思った。
リューベレンも意外そうな顔をしたが、次の瞬間には嬉しそうに笑う。足取り軽く近づいてくると、何をしたらいい? とニコニコと笑みを浮かべてカインを下からのぞき込んだ。
髪が長く、ケンタウロスに比べてずいぶん細身のリューベレンは男だと分かっていても、やはり女性に見える時がある。カインが一瞬戸惑った顔をしたのをクルトは見逃さなかった。
カインは異性に対してとことん奥手で、ゲインなどの所帯持ちにはたびたびからかわれていた。そのたびに、興味ない。と突っぱねていたが、やはり興味がないよりも慣れない方が正しかったらしい。
「見た目だけだから、リューベレンがまともに見えるのは」
いつの間にか近づいて来たディーレが、カインの腰のあたりをポンと叩く。本当は肩を叩きたかったのだろうが、身長が届かなかったらしい。
リューベレンは自分で聞いたわりには既に興味が失せたらしく、テントの見ながら、大きい。丈夫そうだ。などとはしゃいでいる。クルトからするとなんの変哲もないテントに見えるのだが、リューベレンからすると違うらしい。不思議に思いながら改めてリューベレンたちのテントを見ると、クルトたちが普段使っているものよりも一回り小さかった。
「これを組み合わせればいいのかい?」
説明したわけではないのに、仕組みを理解したらしいリューベレンが骨組みになる棒を持ち上げる。それにカインが戸惑った様子で頷くと、リューベレンは鼻歌交じりに棒を持ち上げた。見た目は女性のようだが、力はある程度あるのだなとクルトは妙な関心をする。
「私たちが使っているテントと大きさが違う位でよかった。これなら手伝えそうだ」
意外と手際よく作業するリューベレン。無言でありつつ、スムーズにリューベレンの手伝いをするディーレ。慣れていると分かる作業を見て、クルトとカインは顔を見合わせる。これならば思ったよりも早く終わりそうだと、クルトは思った。
「どのくらい旅をしてるんだ?」
「四カ月はたったかな?」
「だいたいね」
リューベレンがディーレに確認すると、ディーレは手を止めることなく答えた。当たり前の用なやり取りだが、クルトはその返事に驚いた。カインも予想外だったらしい。
「四カ月の間ずっとか?」
「定期的に王都には帰っているが、王都にいるのは長くて一週間くらいだな」
「ヴェイセル様は人使いが荒い」
リューベレンは楽しそうに、ディーレは心底面倒くさそうにため息をつく。作業は息があっているというのに、返答は真逆。そのちぐはぐさと言っている内容にクルトは戸惑う。
リューベレンの話が本当であれば、彼らはクルトよりよほど経験が豊かで旅慣れしている。
「すごい……!」
素直にその言葉が出ると、リューベレンは目を丸くした。それから声をあげて笑う。その反応の意味が分からずにクルトが首をかしげると、ディーレが補足するように口を開いた。
「リューベレンが旅してるのは趣味。俺は巻き込まれただけ。ヴェイセル様は利用しただけ。ロキュスとミラも巻き込まれ。だから、すごいなんて言われるようなことは何もない」
淡々とした口調だ。謙遜というよりは事実を口にしているというような。それに対してリューベレンは何も言わない。それが事実だと肯定して、それでも上機嫌な笑みを浮かべている。
「だから、クルトの方が偉いしすごい」
「え……?」
予想外の言葉にクルトは驚いた。自分が偉いと言われる意味も、すごいと言われ意味も分からない。
「俺たちよりも年下なのに、大人と一緒に危険な旅をこなしている。俺たちみたいな半分道楽みたいなものじゃない、ケンタウロスにとって大事な仕事だ。大勢の役に立とうという志も、責任もしっかり持っている。俺たちよりよっぽど立派だし大人だ」
「そうだとも! 私たちはいうなれば大きな子供だ! やってることの規模が大きいだけで、責任なんてものはない。ただ好きでやっているだけのこと!」
ハッキリと言い切るリューベレンにクルトは驚いて手を止める。やけに芝居がかった言葉だったが、リューベレン、そしてディーレがクルトを見る目は優しい。
クルトが戸惑っていると、肩に手が触れた。見ればカインが優しい顔でクルトを見下ろしている。ポンポンと軽く肩を叩かれて、クルトは何だか気恥ずかしくなった。その通りだ。お前はよくやってる。そう言葉なく褒められたのだと分かったからだ。
「いや、俺なんてまだまだだし……狩りもうまく出来ないし……」
「出来ないことがあった方が、大きく成長できるものだよ」
リューベレンは楽し気にそういうと、器用に布を巻き付けた。きつく土台となる棒に縛り付ければテントは完成。全体を見てリューベレンは満足げにうなずいている。
「さて、他のも手早く済ませよう。それから他の者が帰ってくるまで休憩しようじゃないか」
明るくそういって、次のテントに取り掛かるリューベレンを見て、クルトは不思議な気持ちだった。何だか心がぽかぽかするし、浮足立っている気がする。
褒められたことがないわけじゃない。父も母も、他のケンタウロス達もよくやっている。偉いぞ。とクルトのことは褒めてくれる。けれど、クルトにとってケンタウロスたちは身内。身内以外に褒められた経験がクルトにはなかった。
「クルト手伝ってくれ」
「わかった!」
足取り軽く近づくと、リューベレンとディーレは当たり前のようにクルトを仲間に入れてくれる。会って一日もたっていないというのに、妙に居心地がいい。
不思議な人たちだ。と何度も思ったことをまた思う。人間とは皆こんな人たちなのだろうか。この人たちが特別なのだろうか。気づけばそんなことを考えていたクルトは、いつの間にか人間という種に大きな興味を抱いていることに気が付いた。
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