6 最初の一歩

「無法地帯に秩序……そんなこと出来るのか?」


 ゲインは眉を寄せて唸り声をあげた。

 無法地帯というのは名前の通り。各種族のテリトリーから外れ、統治者がいないためにルールが存在しない。そんな場所に住み着くのはテリトリーから追い出された者。自ら出ていった者など。大概ろくな奴じゃない。


「君たちだって無法地帯が落ち着いたら、もうちょっと商売をしやすくなるんじゃないか? 毎回大人数で護衛して行き来するのも大変だろう」


 そういってリューベレンは荷台の上から周囲を見渡す。荷馬車を守るように警戒するケンタウロスが10人。単純に荷物を運ぶだけであったらこれほどの数は必要ない。ケンタウロスは足腰も丈夫な上に力も強い。休憩やトラブルを考えても3人いれば十分。

 それなのに10人もの頭数をそろえ、全員が武器を持ち、日夜体を鍛えている。それほどまでにテリトリーの外、無法地帯は危険だという事だ。


「たしかにお前たちの言う通りになれば俺たちも安心できる。けどなあ、そう簡単なものじゃないだろ。地図くらいでどうにかなるとも思えない」

「それはそうだ」


 ゲインの言葉をリューベレンはあっさり認めた。その反応にゲインは眉をひそめる。馬鹿にしているのか。そう言葉が出そうなゲインの怒気にリューベレンは「勘違いしないでくれ」と軽快に笑った。


「地図だけでどうにかなるなんて、私たちも、ヴェイセル様も思ってないよ。地図も一つの手さ。いや、表向きの理由といった方が正しいか」

「表向きの理由?」

「私たちの雇い主であるヴェイセル様は、まだ若い。年齢だけみたら私よりも年下だ」


 意外な言葉にクルトとゲインは顔を見合わせた。

 ヴァンパイアは千年もの月日を生きる長寿種だ。そのために大きな方針を決めるのは4桁。少なくとも3桁は生きている者であり、人と変わらない年齢の者はまだまだ赤子。そういった扱いを受けると聞く。

 無法地帯に秩序なんて大それた話、その決定権を持つとはとても思えない。


「お察しの通り、地図作りを含めたケンタウロスのテリトリー訪問はヴェイセル様の独断。表向きにはただの私用ということになっている。私たちは調査員というよりはお使いという名目だ」

「そうしないと勝手なことをするな。って頭の固いジジババに言われるんだってさ」


 ディーレが補足にしては遠慮のないことをいう。

 ロキュスは顔をしかめたがクルトからすると分かりやすい。そして簡単に想像ができることだった。

 ヴァンパイアではなくとも、若者がしようとすることを年長者が止めるのはよくあることだ。クルトがこうして行商に同行できるようになるまでも、多くの大人に危険だ。もうちょっと大人になってからの方がいい。そう止められた。

 父であるゲインと母が全面的に後押ししてくれなければ、クルトは未だに落ち着かない気持ちでゲインの帰りをまっていたことだろう。


 そう考えれば、クルトよりも大きなことをなそうとしているヴェイセルというヴァンパイアがとてもすごい人のようにクルトには思えた。

 大人と一緒にテリトリーから出る。それだけでもクルトは苦労したというのに、ヴェイセルは世界の仕組みを変えようとしているのだ。


「それだけ若くして、無法地帯に秩序をつくろうとは……なかなかに聡明で大胆な方なんだな」

 ゲインも同じことを思ったのか表情が明るい。口調には先ほどまではなかった親近感が見える。


「無謀とはいわないんだな」


 意外そうな反応をしていたのは、話を聞いていたロキュスだった。

 ロキュスの言葉にゲインは表情を引き締める。


「たしかに無謀だろうな。世界の形がこうなってから数百年。やっと長寿の者たちは慣れ、短命な種にとっては当たり前になった。今ここで変える必要があるのか。そう思う奴らの方が多いだろう」


 ゲインはそこで言葉を区切る。大人びた真剣な表情で語っていたゲインは、ロキュス、リューベレン、ディーレを順番に見ると、クルトとたいして変わらない子供のような顔で笑った。


「だが、面白い。俺には思いつきもしなかった。考えてみればその通り。そういうものだと諦めるよりも、やりやすい方に変えた方がいいに決まっている。その方が、俺たちも、その次も楽になるんだからな」


 そういうとゲインはクルトの肩を引き寄せた。

 上機嫌な顔でクルトを見下ろすゲインを見て、クルトも何だか嬉しくなる。ゲインのいっていることの意味は、クルトにはよく分からなかった。ただ、今の状況よりもよくなるならそれに越したことはない。ただそう思った。


「皆がそう前向きにとられてくれたら楽なんだけどねぇ……」

「ケンタウロスは話が分かっていいな」

「リザードマンは頭固すぎて大変だったからね」


 クルトとゲインのやり取りを見たリューベレンとディーレが顔を見合わせて、語り合う。何かを思い出すように細められた目がロキュスを見た。ディーレは無表情だがどこか責めるように、リューベレンは面白いことを思い出したかのような意地悪い顔で。

 種類の違う視線を同時にうけたロキュスは微妙な顔で口をつぐんだ。

 何か思うことがあったらしい。


「リザードマンは仕方ないだろう。あいつらは堅物だ」

「……本人が目の前にいるというのに、よく言えるな……」


 ゲインの言葉に苦虫をかみつぶしたような顔で、ロキュスは低い声を出す。それを見て、ゲインは目を丸くした。


「ロキュス殿は他のリザードマンとは違うように見受けられるが? 失礼な話、他のリザードマンと一緒なら人間と共に旅などしてないだろ。いくら護衛といっても、リューベレン殿、ディーレ殿、ミラ嬢とも打ち解けて見える」


 その言葉に、今度はロキュスが目を丸くした。鋭い顔つきから険しさが抜ける瞬間を目の当たりにして、クルトは意外なものを見たと目を見開く。

 そんなロキュス、もしかしたらクルトやゲインの反応を含めてかもしれないが、リューベレンが笑い声をあげる。体を折り曲げて肩を震わし、お腹を押さえて豪快に笑う姿は初めて見たときの女性的印象は消え去っていた。


「そうか、そうか。人間などとはなれ合わない。ただの仕事だと散々いっていたというのに、ロキュスは意外と打ち解けてたのか。それは良い事を聞いた」

「最近、すっかりオカンポジションになってたしね」

「言われてみればミラ君のことに関しては、私たちよりも面倒見ているな」

「ミラいってたよ、血のつながった叔父さんよりも煩いって」

「それは愉快!」


 リューベレンは言葉通りにさらに声をあげて笑い出す。最初は唖然としていたロキュスの表情が笑い声とともに険しくなっているが、そこには怒りよりも羞恥が見える。その様子を見て、ディーレが口の端をかすかに上げ、リューベレンは指をさして笑う。


「リザードマンが人間と、これほど仲良くしている姿を見られるとはな」


 関心したように告げたゲインの言葉が限界だったらしく、ロキュスは「笑うな!」とリューベレンに叫ぶ。それを見てさらにリューベレンはさらに笑うものだから、荷台は一層騒がしくなった。


 前を歩く事情をしらないケンタウロスたちが、何だ? と首をかしげてこちらを見る。それに対してクルトはうまく説明ができず、気付けばクルト自身も笑っていた。

 おかしな人たちである。クルトにとっては未知の存在すぎてわけが分からない。それでも、何だか嫌な気持ちにはならない。それ以上に何か大事な、新しい事を教えてくれそうな気すらする。


「厄介ごとを押し付けられたかと思ったが、意外と良い出会いだったかもしれないな」


 小さなゲインのつぶやきを拾って、上を見た。いつになく穏やかな顔をしたゲインが騒ぐロキュスとリューベレンを眺めている。

 クルトも改めて騒ぐ2人。それを眺める1人を見て、何だか心が温かくなる。何でなのかクルトにはよく分からない。分からないが、初めて間近でみた人間。そしてリザードマンが当たり前のように近い距離で、友人のように騒いでいる姿を見るのは、とてもいいことだ。そう思えた。

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