5 地図
クルトはスケッチブックにかかれたものをマジマジと見つめる。といっても、人の国の境界線。西側の関所からここまでの本当に簡易なものである。
地図というにはあまりに情報が少ないが、クルトには確かに地図だと確信ができた。
「見たいなら、どうぞ」
ディーレはそういってスケッチブックをクルトに渡す。渡されるままに受け取ったクルトはパラパラとページをめくった。
地図はほかのページにもかかれていた。前の方をめくると、今かいているものに比べて書き込みが多いものがいくつかある。正確な距離などは分からないが、大まかな地形や旅をする上で目安となるものはしっかりかかれているように見えた。
風景スケッチに関しては絵心のないクルトでもわかるほど詳細で、つい感嘆の声がもれる。テリトリーから「人の国」までの道のりしかみたことのないクルトにとって、見たことのない風景のスケッチは貴重なものだった。
テリトリーにて市場が開かれるケンタウロスは他のテリトリーに比べて、他種に出会える機会が多い。
クルトも気のいい旅人に旅での出来事。他のテリトリーの様子など聞いたことはある。見たこともない場所や体験したことのない出来事を想像することはクルトにとって楽しいことだった。
しかし、こうして目の前に見える景色があるとまるで違う。あくまで想像だったものが形作られる感覚にクルトはワクワクした。
「上手いもんだろー。ディーレは目は死んでるが、目はいいんだ」
「矛盾してないか?」
腕を組み、自分のことのように誇らしげに話すリューベレンにロキュスが微妙な顔をする。ロキュスの言葉にリューベレンは一瞬止まり、それから顎に手をあてて考えるそぶりを見せ、最終的には満足げに笑う。
「正確にいうなら、瞳から生気は抜けているが、視力はいい。本質を見定める力も持っている。だな」
「本質……」
リューベレンの言葉を聞いたクルトはスケッチをじっと見つめた。細かく正確に風景を写し取ったというよりは、その場の空気を紙の中に閉じ込めた。そんな風にクルトには思えた。
見ているとこの場に行ってみたい。本当にこの風景なのか確かめてみたい。そういった冒険心がむくむくと湧き上がってくる。
大き目な石が地面に横たわり、ケンタウロスのテリトリーに比べると緑は少ない。岩肌が露出した山が連なる姿はクルトにとっては初めて見るものだ。
「ここってどこなんですか?」
「南方。グリフォンのテリトリーにはいる前あたり」
「グリフォンのテリトリーにいったことがあるんですか!」
思わずクルトが声を上げると、周囲がかすかにざわめいた。のんびりと歩いていた他のケンタウロスが驚いた顔でディーレたちを見つめる。
前の方で様子を見ていたゲインが戻ってきて、何の騒ぎだとクルトたちの様子をのぞこんだ。
「ミラの里帰りもかねての調査でね」
そうってリューベレンは荷馬車の奥の方をチラリと見る。奥の方に収まってしまったのか、入り口付近からはミラの様子は見えない。それに対してロキュスが顔をしかめたが、ディーレとリューベレンは気にしていない様子だ。すぐさまクルトへ視線を戻す。
「グリフォンのテリトリーといったら山岳地帯と聞くが……」
ゲインが嫌そうに顔をしかめるのを見て、クルトは手に持ったスケッチをじっと見つめた。ごつごつした岩肌が見える山に緑の少ない地形。切り立った崖に、不安定そうな足場。
このスケッチ通りの場所にテリトリーがあるとしたら、ゲインがそういう反応をするのも無理はない。
山岳地帯をケンタウロスは苦手とする。山の上り下りに関しては強固な足腰で問題がないが、道が狭い。というのが難点なのだ。
ケンタウロスは体が大きいものが多い。他の2足歩行の種族に比べると、歩くための足場も広く必要だ。しっかりした足場であればいくらでも歩き続ける自信はあるが、足場の不安定な場所はどうにも苦手。想像するだけでもクルト、ゲインを含めた一同が眉間にしわを寄せる程度には。
「グリフォン便の力を借りたから楽だったが、実際に上るとなったら大変だったな……」
ロキュスが当時のことを思い出したのか顔をしかめた。
体の丈夫なリザードマンすら嫌がある険しい山を想像して、クルトは冷や汗が流れてきた。
ケンタウロスのテリトリーは平地が多い場所にあり、近くにはあるのは森や川。山が全くないわけではないが、グリフォンを含めた翼種が暮らす場所は標高が高い。ツバサのない他種が入りこめないような場所が多いと聞く。
4本脚を地面につけて生きてきたクルトからすれば、想像できない場所だ。
「テリトリーから出たのは、今回が初めてではないということか」
見たこともない険しい山に思いをはせていたクルトはゲインの言葉で我に返った。
言われてみれば、ディーレのスケッチ。ロキュスの言葉通りであれば、ディーレたちは今回の前にも「人の国」を出て、旅をしたということになる。
人間がテリトリーから出る。それは異種族以上のリスクが伴うと知っているクルトからすると衝撃で、思わずディーレとリューベレンを凝視した。
ディーレは相変わらず何を考えているか分からない様子で、流れる風景を眺めている。自分が話の中心だと思ってすらいなさそうな態度は腹が立ちそうなものなのに、なぜか自然と受け入れることが出来た。ディーレはそういう存在なのだ。そう思えてしまう不思議な雰囲気を持っている。
リューベレンは逆に、自分こそが中心だ。そういった周囲の視線を自然と惹きつける力があった。荷馬車に座ってニコニコと笑っているだけだというのに、いつのまにか周囲の視線が集まっている。それに対して戸惑うこともなく、よく回る口を開いた。
「その通り! 我々は今まで何度もテリトリー『人の国』を出ている! 人間の身でと考えると相当な無謀! 将来的には大バカ者として歴史に名を刻むかもしれない!」
「大バカ者……」
いや確かに、人間がテリトリーの外に出るなんて自殺行為でしかないが、自分でそれをいうのか。とクルトは微妙な気持ちになる。
仲間であるはずのロキュスですら何ともいえない顔でリューベレンを見ていた。よく見ると瞳が遠い場所を見つめているので、今までの旅で気が遠くなるようなことがあったのかもしれない。
「だが、ヴァンパイア様の指示なんだろう? まさか、今更ウソだとはいわないよな?」
先ほどに比べると険しい顔つきでゲインがリューベレンをにらみつけた。
同族からしても迫力満点の顔は、一回りも小さい。小柄な人間からすると恐ろしいだろうに、見つめられたリューベレンは笑みを崩すことはない。
体は小さく、女性のように見える容姿だというのにずいぶん肝が据わっている。そうクルトは純粋に関心した。
「そこは安心してくれていいぞ。正真正銘、ヴァンパイアであらせられるヴェイセル様のお達しだ」
ヴェイセル。とゲインは記憶を探るように小さくつぶやいたが、思い当たることはなかったらしい。
ヴァンパイアからの申請書を偽造。なんて重罪を冒してまでわざわざ安全なテリトリーを出る。そんな本人自身も自覚している無謀を犯す理由はない。そう分かっていても納得がいかないのは、正式な依頼だとしても理由が分からないからだろう。
「そういえば、ちゃんと説明していなかった。あなた達が不安に思うのも仕方ないね」
風景をじっと見つめていたディーレが視線をゲインへと向けた。ちゃんと話を聞いていたのかとクルトは内心驚いたが、ゲインは視線を合わせられたことに驚いているようだった。
行商のリーダーであり、ケンタウロスの中でも屈強。そう評される父がかすかではあるが肩をはねさせる姿を見て、ゲインは意外に思う。ディーレはリューベレンよりもさらに小さく、子どもと勘違いするほどだ。クルトと同じく、聞いていないと思っていたのに急に反応したから驚いたんだろうか。そうクルトは考える。
「俺たちの目的は、現地調査。及び簡易地図の作成」
そういってディーレはクルトが持ったままのスケッチブックを指さした。
「簡易地図……?」
ゲインが驚きのままにつぶやくとディーレはゆっくりと頷いた。
「俺たちの雇い主であるヴァンパイア。ヴェイセル様は地図をつくることで、各種族に情報の共有。物流の拡大。現状、無法地帯と呼ばれている場所にある程度の秩序をつくりたい。そうお考え」
予想を超える大掛かりな話に、クルトとゲインは無言で顔を見合わせる。ゲインは珍しく困惑と驚きをないまぜにした顔をしており、ゲインの目に移りこむクルトも似たような顔をしていた。
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