第28話 青玉の騎士
私は異世界のヴァランデール王国の騎士だった。
幼少の頃から音楽を好み絵画や芸術に心惹かれ、特に楽器演奏の分野では〝女神に愛される者〟と呼ばれた時代もあった。
私が宮廷楽師になれなかったのは、生家のルンベック公爵家の家訓の為だ。男は全員が騎士になることが生まれた時から定められていた。
十代の頃、自分が女神の世界を壊そうとする男神の企みの一つに挑むことを予知夢で知った。そして、その先の未来が一切見えないことで、おそらくは絶命したのだろうと悟った。
夢見の結果は、変わることもある。武術は得意ではなかったものの、幸いにして私には他の兄弟にはない強大な魔力があった。少なくとも生き残れるようにと、運命に抗う為に魔法を磨き、いつの間にか魔法騎士となっていた。
将来が見えない自分には、伴侶は不要とずっと考えていた。結婚の義務が付きまとうのは貴族で爵位を継ぐ者だけだ。第三子で爵位を持っていないという理由で恋人も作らず、縁談も全て断り、騎士としての鍛錬以外の時間は全て音楽と芸術に捧げてきた。
そんな状況で、女性との距離が理解できなかった私は、クラーラが私に向ける好意以上の感情を受け止めることはできなかった。歳の離れた妹のように扱うことが精一杯だった。
クラーラが毒に倒れた時、最期に口付けを望まれたが、どうしても頬にしかできなかった。ずっと妹のように思っていた為か、禁忌に思えて体が動かなかった。
『私、もう一度、ガブリエルと演奏したい』
クラーラの最期の言葉に、私は同意することしかできなかった。
クラーラが最期の息を吐いた後、彼女の友人、精霊セイルハトィールは怒りを向けてきた。どうして最期の望みを叶えてやらなかったのかと責められた。
罪悪感はあったが、その時は本当に妹としか思えなかった。
そして、今は――。
◆
くららと紗季香のいない夕食は、静かで寂しい。以前の状況に戻っただけだと思い直しても、心の空白は埋められない。くららの存在が自らの心の大部分を占めていたことに、今更気が付いた。
「ガブリエル、くららと喧嘩でもしたか?」
新しいタバコを咥え、竹矢が私に問う。
「……はい」
喧嘩とは違う、拒絶だと頭では理解はしているが感情が理解しようとはしない。
「早めに仲直りしとけよ。喧嘩している間に、他の男にかっさらわれることもあるからな」
苦笑する竹矢の言葉が心に刺さる。他の男――あの幼馴染や弁護士の
「お前らが巻き込まれたテロ事件の情報があるが、聞くか?」
「はい。お願いします」
答えると竹矢の執務部屋へと案内された。
黒い艶のある石で覆われた室内の中、巨大なモニタには新宿駅での被害状況が映っている。日本語ではない言葉で解説が行われているようだ。
「日本では圧力に負けて報道が止まってるが、海外にはまだ骨のある放送局があるのが救いだな」
「圧力?」
「ああ、事件の真相を知られるとマズイと思う奴らがいるってことだ」
モニタ画面が切り替わり、一人の若い外国人男性が映し出された。どこにでもいる普通の若者としか思えない。
「テロリスト認定された犯人は、暗殺者に仕立てられた被害者だ。兄が臓器移植の材料として殺されたのは真実だが、一般人が手に入れることはできない軍用の最新の強化爆薬を使用している。誰かが兄の死亡理由を犯人に知らせて、爆薬を用意して復讐のお膳立てをした。――その誰かが殺したかったのは、この男だ」
隣りのモニタに映し出されたのは温和な笑顔を見せる老年男性。
「スミス・ロッド。もちろん偽名だ。腕の良い臓器移植の専門医として有名だが、裏では元狙撃手でもある」
医師が殺人者を兼ねることは、異世界でも稀にあった。同僚の魔法騎士にも医師でありながら元殺人者という男がいたので驚きはない。
「お前も知っているだろうが、本当の悪人っつーのは普通の顔して人の中に紛れてる。誰もそいつが悪事を働いてるなんて知らない。下手すりゃ妻子もそれを知らないこともある。……これが巻き添えになった医療チームの面々だが、こいつらも悪人だ」
モニタに六名の顔写真と名前が表示された。二十代前半から四十代の男性ばかり。全員が善良な笑顔で写っており、悪人とは俄かに信じがたい。
「こいつらが所属している『
「暗殺指令を出した人間は不明だが、この前うちに
「襲撃がなくなるという保証はあるのですか?」
万が一にでもくららに危害を加えられれば、正気でいられるとは思えない。
「俺の身内に手を出せば、世界中の金融システムが破壊されると理解していなかったのはスミスだけだ。他の奴らは知っているから手を出してこない」
理解できない単語も多いが、竹矢の自信に満ちた表情を見ていると王者の風格すら感じる。
「スミスが来日したのは俺に会う為でもあった。……直接手を下せなかったのが残念だな」
「手を下すとは?」
「スミスは昔、俺の親友を狙撃した。会うついでに、依頼者を聞くつもりだったんだが、当てが外れた。また一から犯人捜しを始めるしかない」
竹矢の瞳が鋭い光を帯び、何か決意をしたように思えた。
「何か私に出来る事があれば、いつでも指示して下さい」
「ああ。頼むこともあるかもしれない。これからよろしく頼む」
この恩人に、私は何かを返すことができるだろうか。
ふとした疑問を口にする。
「貴方は一体何者なのですか? ロマンチストとは?」
「ロマンチストってヤツはな、その理想を護るために戦う馬鹿のことだ」
咥えタバコのまま、竹矢は唇の端を上げて自信に満ちた笑顔を見せた。
◆
キッチンに置いてあったメモによると、くららは自分の部屋へと帰っていた。くららのいない夜は寂しいと感じても、戻ることを強要する資格は私にはない。兄でもなく、恋人でもなかったことを、今更ながらに痛感する。
沈む気分のまま、私はCM撮影の現場へと車で向かった。都内から高速で約二時間で到着した写真スタジオは、以前も使ったことのある場所だった。
「ガブリエル、おはよー。浮かない顔だな、どうした?」
平静を装っていたつもりだったが、小次郎には見抜かれてしまったらしい。
「おはよう。……緊張しているだけだ」
下手な言い訳だと思ったが、小次郎は笑顔で返してきた。
「お前、白ホリ苦手だもんなー。ま、気楽にいこうぜ」
劇場のような場所も苦手だが、白ホリゾントと呼ばれる壁と床の境目が見えにくい背景が特に苦手だ。壁の前に立っていると、この世界に飛ばされる直前に見た、どこまでも白い光に覆われた女神の世界を思い出す。
「テスト撮影行くよー」
ベテランカメラマンの猪川が、デジタル一眼カメラを構えた。今日は三脚での固定ではなく、手持ちで撮影を行うらしい。
「んー。ホント、ガブリエルは笑顔を見せてくれないねー」
猪川が話し続ける中、シャッター音が連続して流れていく。古いカメラの構造上の理由で発生していたシャッター音は、デジタルカメラでは消すことも出来るが、モデルの気分を高揚させる効果があるのでわざわざ音を付けていると聞いた。
初めて写真を見せられた時には驚愕したことを思い出す。化粧をされているとはいえ、これが自分の顔なのかと不思議に思った。これまで、笑顔で映ったのはくららと撮った写真のみだ。カメラマンから笑えという注文もあったが、どうしても笑顔を作ることができなかった。
「恋人はいないの?」
またか。苦笑でもいいから撮影したいと、毎回返答に困る質問をされるが、写真になると苦笑にもなっていない。
「……はい」
恋人という言葉で、初めてくららの顔が浮かんだ。拒絶されてしまった光景を思い出すと胸が苦しくなる。くららとクラーラは同じ魂かもしれないが、違う人生を歩んできた別人だということを本人に言われるまで思いつかなかった。
「お? いいね、その表情。視線をゆっくりと右」
指示されるままに視線を移動させる。仕事中だと忘れかけていた自分を叱咤する。
写真撮影というものは不思議な仕事だ。不自然な姿勢で撮影された写真が、印刷されると自然な姿になる。カメラマンの要求のままに体を捻ると、非常に体に負荷の掛かる辛い姿勢であることも多々ある。異世界の騎士として培った筋肉が、このような形で役に立つとは思わなかった。
「好きな子を待っている自分を想像して」
猪川の声が不思議と心の中に入ってきた。くららと待ち合わせている自分を想像すると心が弾む。
「レンズの向こうに、その子がいる」
それはあり得ないと思っても、レンズを見てしまう。この世界には、元の世界の魔法以上の科学技術が存在している。カメラがネット接続されていてもおかしくない。
「笑って」
猪川の声がくららの明るい声に重なる。全く違う声だというのに、どうやら自分の想像で補っているらしい。くららの顔を思い出すと、頬が自然に緩む。
くららに会いたい。
轟音を上げ渦巻くようなシャッター音に包まれると気持ちが引き締まる。いつもは緊張する状況の中、くららとなら笑うことができる。
「凄いねー。ガブリエルの笑顔って、破壊力抜群だね」
目を丸くするというのはこういうことだろうという顔で、猪川がカメラのファインダーから顔を外す。欲しい写真が撮れたと喜んでいる。
その場で撮影データの仮チェックが行われ、その日の撮影が終了した。
◆
小次郎や猪川、スタッフと軽い夕食の後、ビジネスホテルの一室で買い込んできた缶ビールを開ける。くららと一緒に買い物をするようになって、ようやく食べ物を選ぶということを覚えた。
この世界の酒は味が物足りない。様々な種類を飲んでみたが、ビールと日本酒の一部が元の世界の酒に似ている。
偶然選んだ地ビールは美味かった。缶を片手に窓際に立つと、夜空には一面の星が広がっている。
元の世界とは違う星空を眺めながら、私は自分の本当の気持ちを確認していた。
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