第27話 くららとクラーラ
爆発事故から一週間が過ぎた頃、原因は来日していた外国の医療チームを狙った外国人による自爆テロだと判明した。
犯人の動機は、自分の兄が臓器移植の為に殺されたと思い込んでの逆恨み。担当した医師は優しい人で何度も抗議に来た犯人を警察に突き出すことなく、自分がその場から姿を消すことで対処していたのが仇になった。
被害の総数は未だ不明。監視カメラや公共交通機関の利用履歴を辿って調査中で、重軽傷者は三百名を超えている。
不思議なことに医療チームの話が出た後、事件の報道が極端に減った。テレビやラジオ、WEBニュースも朝から晩まで特集を組んでいたのに、大物芸能人の不倫の話題が大きく取り上げられるようになった。
事件の報道を目にする度に惨状を思い出していた私は、報道が減ったことでほっとしていた。ガブリエルが助けてくれなかったら、私たちもテロに巻き込まれていたのかと思うと恐ろしくなる。
悲しい事件が起こっても日常は続いていく。私は事件のことをなるべく思い出さないように努めた。
◆
ガブリエルと暮らす毎日は続いていて、朝になるとベッドの中で抱き枕のように抱きしめられていることもある。二人で顔を真っ赤にして、おはようの挨拶を交わしてもキスはない。
車のCM撮影を翌日に控えた朝、ガブリエル宛てに大きな荷物がいくつも届いた。荷物の受け取りは、エントランスにある宅配ボックスで行われる。大型の荷物が届いたという
ジョギングから戻ってきたガブリエルに荷物が届いたと伝えると、時間が空いたら部屋に戻って欲しいと言われ、午前中の仕事を片付けてから部屋に戻った。
「何が届いたの?」
「直接見て欲しい」
笑顔のガブリエルは、私の手を引いて演奏部屋へと入る。握られた手が熱くて、どきどきが止まらない。一体、どんな楽しいことを見せてもらえるのかと期待に心が躍る。
演奏部屋の机に置かれていたのは、パールホワイトに塗装された外国の竪琴。
「昔、使っていた竪琴に近い色に仕上げてもらった。足りなかった弦も増やしてもらったから、好きなだけ弾いていい」
昔というのは、きっと異世界の話。……竪琴を見て懐かしいと思う心が悲しい。
「それから『届かない月を掴む』の楽譜も思い出せる所まで書い……くらら?」
慌てるガブリエルを見ながら、涙が零れていく。胸にあったもやもやが、今、はっきりと形になった。
「ガブリエル。私、ずっと思ってたの。私は……私はクラーラなんていう女じゃない。私は
「くらら……」
繋いだ手を振り払い、私を抱きしめようとするガブリエルの腕を強く押し戻して睨みつける。
「触らないで。ガブリエルは私がクラーラの生まれ変わりだから優しくしてくれてるだけなんでしょ? 私がそうじゃなかったら、きっと見向きもしなかった」
ガブリエルの寂し気な瞳が胸を刺す。綺麗な瞳に映るのが、私じゃないことが悔しくて涙が零れる。
出会いからそうだった。私にクラーラの面影があったから声を掛けただけ。ずっと憧れていたガブリエルに優しくされて、嬉しくて舞い上がって、違和感に目を向けられなかった。
「竪琴なんていらない。私は、クラーラの身代わりになりたくない」
『身代わりとは思っていない。私はくららが喜ぶと思って……』
「それは余計なお世話。竪琴が本当に弾きたいと思ったら、きっと自分で買ってる。それをしないのは、私が楽師のクラーラとは違うからよ」
ずっと楽器にも音楽にも興味はなかった。竪琴を弾いたのも、音楽が頭にしみ込むように入ってくるようになったのも、ガブリエルに会ってから。
「ごめんなさい。私はクラーラにはなれない。私は音代くららなの」
呆然と立ち尽くしたままのガブリエルを部屋に残して、私は仕事へと戻った。
◆
夕食と夜食の支度をした後、私は午後五時の定時に財布とスマホだけを持って竹矢のマンションを出た。もうガブリエルの部屋には戻りたくない。
コンビニでアルミ鍋に入った冷凍のきつねうどんと、おにぎりを買って自分の部屋へと戻った。
「……何できつねうどんなんか買っちゃったんだろ……」
私の好みは月見うどん。いつもは味付けなしのうどんを買って、めんつゆで出汁を作って卵を落とす。
一人だけの食事が寂しくても、以前に戻っただけと心の中で繰り返す。
「丼使えば良かったかも」
洗い物が面倒で、アルミの鍋から直接食べているから寂しく見えるのかもしれない。一人の食事でも見た目は大事だと気が付いた。
きつねうどんを食べていると、初めてあった日の夜、ガブリエルにラーメン丼に入れて出したことを思い出す。甘辛く煮た油揚げを狐の肉と勘違いして目を輝かせていたと笑みが零れる。
ガブリエルを嫌いにはなれない。こんなに好きなのに、私を好きになってもらえないことが辛い。隣にいたいと思っても、クラーラの身代わりにされることだけは嫌だった。
うどんを食べたらお腹いっぱい。おにぎりは明日の朝食べようと冷蔵庫にしまった時、玄関のチャイムが鳴り響いた。
古いワンルームマンションにはインターホンも何もない。チェーンロックを掛けてドアを開けると宗助が立っていた。
「宗ちゃん? どうしたの?」
チェーンの隙間から見えるのは、いつもの意地悪でカッコイイ宗助の姿じゃなかった。服装はきっちりしていても、髪はなんとなくぼさぼさで目の下にはクマ、頬もこけている。
「くらら! すまん!」
いきなり土下座する宗助に驚いて、チェーンを外して扉を開ける。
「そ、宗ちゃん? ちょっと、止めて。土下座なんて意味わかんない」
「今まで、俺が悪かった。俺は昔からずっとお前のことだけが好きだった」
土下座のインパクトが凄すぎて、告白されていると脳が理解するまでしばらくかかった。
「と、とりあえず、立って。お茶淹れるから」
「いいのか?」
「お茶淹れるだけ。飲んだら帰って」
土下座をやめさせたい一心で部屋の中に入れてしまったことを、たった数十秒で後悔した。宗助は部屋に入るなり周囲を見回して、あちこちチェックしている。片付けてはいても、不安で不愉快。止めさせるために、座るよう勧めた。
「へー、これがお前の部屋か。このワンルーム狭くないか?」
「一人暮らしなら、ちょうどいいの。あ、そのクッション使わないで」
ガブリエルの為に用意したクッションは、もう使われることがないと思っても大事にしたい。未練がましい自分に苦笑するしかない。
「あの男の写真でも飾ってるかと思ったのに、飾ってないんだな」
「賃貸だから壁に貼れないだけ」
「あんなチャラチャラした男のどこがいいんだか」
「……文句を言うだけなら、今すぐ出て行って」
「す、すまん。つい……」
「つい、何なの?」
「……くららの前では、カッコつけたくなって……」
「カッコつけたいからって、ムカつく言葉をぶつけるの? それ、おかしくない?」
「ああ。おかしい。俺はずっと異常だったんだ」
俯いて沈黙してしまった宗助の言葉を待ってみたけど、気まずいだけ。私は立ち上がって、小鍋でお湯を沸かし始めた。
お気に入りのティーポットで紅茶を淹れて、ティーカップを出す。ガブリエルの為に用意していたペアのティーカップは、結局使われることなく新しいまま。
迷いを振り切って、温めたティーカップに紅茶を注いで項垂れたままの宗助の前に置く。
「砂糖とミルクは?」
「……いらない」
「紅茶飲んだら帰って。久しぶりの連休だから一人でゆっくりしたいの」
「休みなのか?」
宗助が顔を上げた。しばらくみないうちに、かなり痩せてしまったように思う。
「そう。四日間の休み。掃除もしたいし、片付けもしたいし」
郵便物を確認に戻るだけで、三カ月以上部屋を空けていたから冷蔵庫の中身や調味料も消費期限を過ぎているだろう。処分するものがたくさんある。
「片付け? 何故だ?」
「自分の部屋なんだから、当たり前でしょ。何かおかしい?」
「戻ってくるのか?」
「どういう意味? ここは私の部屋よ」
「ずっといなかっただろ? ……あの男の所にいたのか?」
「……職場にいただけよ」
「そうなのか?」
まさか毎日、私が帰ってきているか確認していたのだろうか。
「宗ちゃん基準で考えないで。別に変なことも何もないし、社員として大事にされてるだけだから」
「……すまん。俺は……お前が心配で……」
「心配だからって、変な仕掛けとか普通、する?」
「変な仕掛け? ……そうだな……変だよな……」
あの髪の毛の仕掛けは、やはり宗助だったらしい。宗助の瞳が、私の目を真っすぐに捉えた。
「くらら、今までのことは全部謝る! だから……俺と結婚してくれ!」
「ちょっと、待って宗ちゃん! いきなり何言ってるの? 意味わかんない」
結婚ということはプロポーズ。頭が追い付かない。
「俺はずっとお前が好きだった。好き過ぎて、優しくしたいと思ってるのに、正反対の言葉しか出なかった」
「……そんなの……今更言われても……。だって、宗ちゃんにはいつも彼女が……」
「告白されて付き合っただけで、俺は本気じゃなかった。お前と付き合いたいと思っても、清流が邪魔をした」
「清流が? そんなの嘘。信じられない」
「清流はお前を護ってるつもりだったんだろ」
護っているというのなら、わかる気がする。
「いきなり結婚が無理なら、まずは付き合ってみないか。俺は今までの態度を改めるように努力するから」
「そんなこと言われても……」
「もう他の女とは切れてる。連絡先も完全に消した。お前、あの男と付き合ってるのか?」
「……付き合ってない……」
そう。ガブリエルと私は付き合っていない。ガブリエルは私をクラーラと同じ妹のように思っていて、前世で護れなかったから大事にしてくれているだけ。
「じゃあ、問題ないだろ? まずはどこかに遊びに行かないか?」
「……付き合うかどうかは決められないけど、遊びに行くだけなら」
宗助の強引な誘いを断り切れなかった私は、一緒に出掛ける約束をしてしまった。
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