第26話 木の精霊
私は前世で人を殺した。殺して、殺して、殺しまくった。三十数名をこの手で斬り裂き、
圭助の腕の中、生々しい記憶に震える。爆発事故のショックより、自らの罪の方が恐ろしい。
新宿駅まで車で迎えに来てくれた圭助の部屋に戻るなり、私は圭助を求めた。前世を思い出したことを全部忘れたかったのに、忘れられたのは抱かれている間だけ。
「どうした? 清流。足りないのか?」
「足りてるわ」
体は満たされているのに心が乾くというのは、こういう状態なのか。滅茶苦茶にされたいという願いは、自らの罪悪感を薄める為の衝動なのだろう。
「そろそろ、俺と結婚してくれてもいいんじゃないか? くららも彼氏ができたんだろ?」
就職してから圭助は私に何度もプロポーズしていて、今では口癖のようになってしまった。くららの彼氏と聞いて、彼氏候補から脱落しそうな宗助のことを思い出す。
「……宗助って馬鹿よね」
「こら。俺の弟とはいえ、ベッドで他の男の話をするなよ。まぁ、馬鹿だけどな」
宗助はくららのことが幼い頃から好きだった。小学六年の時、くららの意思を無視して暗がりに連れ込もうとしてから、私の中では敵。私がくららを護るようになってからは一切手を出せず、中学生の時に他の女に告白されて断り切れずに付き合った。
「他の女が好きでいいなら付き合ってもいいなんて、俺は絶対に口にできない」
顔もスタイルもいい宗助に、何人もの女が寄ってきた。誰もが自分なら振り向かせることができると思い、付き合っては諦めて去って行った。
「……くららは宗助に好意は持ってたけど、他の女と付き合ってるって知って、ショックを受けてたわ。高校の時に朝帰り目撃した時なんか落ち込んで、酷い状況だったんだから」
「それは俺も知ってる。思いっきり避けられて宗助も落ち込んでたからな」
「落ち込んでても、ヤることヤってたんだから説得力皆無よ」
経済基盤のない中高生でヤるなんて無責任極まりない。
「まぁなぁ、あいつは中二の時には童貞卒業してたからな」
私がすべてを許したのは、圭助が就職してからだった。圭助は我慢強い性格だと思う。私が嫌だと言えば、無理をしてでも止めてくれた。
「好きな子に意地悪言ったりするなんて、子供なら許されるけど、大人がするとただの馬鹿よね。兄弟なのに全然違うのはどうして?」
圭助は私に甘い。スイーツ店への同伴だけは中々了承してくれなくても、他の願いは叶えてくれる。
「俺に聞かれてもわからん。俺は清流一人だけと子供の頃に決めた。好きな女の心を傷つけて喜ぶ性癖はないぞ」
「宗助って、くららいじめて喜んでるの?」
「いや。よく自己嫌悪に陥ってる。何でかわからんが、意地の悪いことを言ってしまうらしい」
「なんだ。ただの馬鹿じゃない」
「ああ、馬鹿だな」
くららを大事にするのなら、宗助を応援できたかもしれないのに。何の障害もなく
「……くららの彼氏、異世界で騎士だったの」
「これはまた、突拍子もない設定だな」
優しい手が髪を撫でる。微睡む直前の、お伽話とでも思ったのかもしれない。
「そうよね。異世界で騎士やってた男が、この世界に転移して、それを追いかけるようにくららが転生して、私も転生した……何のお伽話かしら」
「ん? 騎士は転生じゃないのか?」
「三年くらい前に転移してきたみたい。異世界にいた頃とほとんど変わってないし、記憶も持ってる」
あの男は三年前に突然モデルとして登場した。その時から言いようのない不快感に駆られたのは、きっと前世の出来事のせい。
「……私が殺人鬼だったら、どうする?」
「別に構わない。何だったら、俺も殺していいぞ。……どうした、突然」
髪を撫でていた圭助の手が背中に回る。強く抱き寄せられると、どうしようもなく頼りたくなった。圭助なら、きっと私を嫌ったりしない。
「…………前世で人をたくさん殺したの」
「清流のことだから、誰かの為に殺したんだろ?」
「誰かの為じゃなかったの。私の為。……前世のくららが殺されて、私は怒り狂って復讐して回った。人を斬り裂き、首を絞め、その腕や足を引き千切った」
「おいおい。女の細腕で出来ることじゃないだろ」
「……私、前世で精霊だったの。力の弱い木の精霊で、毒を盛られたくららを助けられなかった」
精霊は気に入った人間と守護契約を交わすことで、力を増幅させることができる。力が弱すぎた私は、契約しても大した力は得られなかった。唯一の力と言ってもいい治癒魔法は目に見える怪我にしか通用せず、体を蝕む毒は気が付くこともできなかった。
「木の精霊か。それは本当かもしれないな。お前の植物に関する妙な力は、それが理由かもしれない」
私が前世で人を殺したと知っても、圭助の瞳は優しい。不安が少し薄れたような気がする。
「……思い出したの。私は怒りの感情に支配され、治癒魔法を逆転させて逃げ惑う人々を殺した。その感触は、今もこの手に残ってる――」
赤と緑の二つの月が常に空に輝く異世界で精霊だった私は、旅芸人の一座にいた幼いクラーラと出会って精霊契約を結び、友人になった。
成長したクラーラは竪琴の名手として宮廷楽師の試験を受けて合格し、王宮での生活が始まると物珍しさを求める貴族の男たちが平民出身のクラーラに群がった。
純真で音楽だけを愛していたクラーラは、食事の誘いも贈り物もすべて断り、王宮庭園で竪琴を弾く毎日。その竪琴の音色に惹かれた騎士に出会った。騎士は自らも楽器を奏で、時間を作っては二人で仲良く演奏していた。
騎士は公爵家の第三子。高位貴族の登場に恐れをなした男たちは消え失せ、最後に残ったのは年若い侯爵一人。
侯爵には、既に婚約者がいた。クラーラが断っても断っても男は言い寄って、腹を立てた婚約者は間諜を使ってクラーラに毒を盛った。
我慢強いクラーラは深刻な体調不良を誰にも訴えることなく、騎士と共に出演した演奏会の舞台の上で血を吐いて倒れ、そして死んだ。
クラーラに毒を盛った子爵家の娘は自らも毒を飲んで死に、没落した侯爵は誰にも看取られることもなく凍死した――。
「……前世のくららが死んだ時は、誰が毒を盛ったのかわからなかった。だから私は調べたの。騎士は止めたんだけど、調べて調べて、真相にたどり着いてしまった。婚約者が自分以外の女を追いかけているのが気に喰わないなんていう、くだらない理由で殺されたことを知って、私は激怒した。それで、少しでも事件に関係した人間を殺して回ったの」
あと一人。クラーラの異母兄を殺すことができなかった。事件に関係はなかったものの、クラーラが宮廷楽師になる後押しをしたことを当時は逆恨みしていた。
「前世のくららは騎士が好きだったのに、騎士はくららを妹のようにしか見れなかった。最期にキスして欲しいってくららが願ったのにキスしなかったの」
「それは仕方ないだろ。妹にキスしてくれって言われたら、俺だって出来ない」
脱線の多い私の話を黙って聞いていた圭助が口を開いた。
「……そういうもの?」
「妹なら絶対無理だな」
「そっか。騎士にとっては完全に妹だったわけね」
私には前世も今も兄弟姉妹がいないから、わからなかった。どうしてキスしないのか騎士を責めた。
一緒に眠っていながら、あの男がくららに手を出さないのも、妹としか見ていないからだろうか。再会したあの男がくららを見る目は、昔とは違う熱を持っているように感じたのに。
「清流が精霊の生まれ変わりってことは、異世界では精霊って死ぬものなのか」
「殺されたの。精霊ってね、自分の意思で人を殺すと心が壊れるっていうか、もっと人を殺したいって思うようになって止められなくなるの。私は人を殺し過ぎて、正常に戻れないどうしようもない状態だった。だから騎士が私を魔法で封印して休眠状態にさせた」
鎮まったのかとあの男に聞かれて、封印される瞬間に『すまない。君の心が鎮まるまで、眠っていて欲しい』と言われたことを思い出した。
「殺されたんじゃなかったのか?」
「騎士は私を眠らせただけ。封印が解けて、暴走状態になった私を殺したのは〝黄金の騎士〟と〝漆黒の騎士〟。状況から考えると〝青玉の騎士〟と呼ばれてたあの男がこっちの世界に転移した後の話かしら」
「前世のお前を殺したのが〝青玉の騎士〟でなくてよかったな」
「どうして?」
「くららの彼氏が前世の自分を殺した男だったら、素直に祝ってやれないだろ?」
「……それもそうね」
あの男は、くららを受け入れることができるだろうか。妹としてしかみれないのなら、異世界転生までして追いかけてきたくららの想いが叶うことはないのかもしれない。
圭助が私の手を取ってキスをする。くすぐったくて笑うと、圭助も笑う。
「生まれ変わったんだから、前世は分けて考えればいいだろ。俺は今の清流しか見ていない。今生では花や木を愛でる手に生まれ変わってるんだから、それでいい」
「単純ね」
「いろいろ深く考えたって、俺は清流が好きだ。愛してるっていう結論に行きつく。お前が異世界に転生したら、俺も絶対に追いかけていくからな」
「追いかけてくるの?」
「ああ。どこまでも追いかける。覚悟しろよ」
その囁きは甘く、真剣で。私が異世界に行っても追いかけてくるのかと想像すると、硬くなっていた心が緩んでいく。
「……何か圭助に話したら、悩むのが馬鹿馬鹿しくなってきた」
「前世なんて変えようがないから、悩むだけ無駄だ。目の前の俺を愛してくれたら、それでいい」
「もう、何で、そんなにカッコイイの?」
「清流の笑顔が俺の一番欲しいものだってわかってるからな。笑顔の為なら、何だってするさ」
「じゃあ、もう一回抱いて」
「お望みのままに。お姫様」
笑いながらキスをすれば、感じていた不安が消えていく。この世界に来れて、圭助に出会えてよかった。
前世は忘れて、今を圭助と生きる。私は心に誓った。
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