第25話 新宿――終わりと始まりの場所

 モデルとして撮影した後、サンプルをそのまま提供してくれるブランドもあるらしい。ガブリエルが着ている服は、そのサンプル品が多い。


 ガブリエルが日常着ることでの宣伝効果も狙っていると紗季香から聞いた。実際、ブランドの認知度と売り上げも上がっているらしい。


「へー。初夏なのに、もう冬物なのねー」

 ガブリエルがもらってきた鉄紺色のコートは、シンプルに見せかけて裏地がエンジ色の市松模様。襟の形やボタンに、どことなく和風を感じるデザイン。ハーフのような顔立ちに不思議と似合う。


「ウールかな? すっごい肌触り良いー」

 ガブリエルや竹矢、紗季香の服を扱うようになってから、ウールはちくちくするという私の思い込みは一掃された。高級品は滑らかで、いつまでも撫でていたくなる。


「メリノウールと言っていた」

「それって、カシミヤより高いウール! メモしとかなきゃ」

 サンプルなので、ブランドタグはあっても品質管理タグがない。普通のクリーニング店なら素材がわからないと言って受け付けてもらえないだろう。いつものクリーニング店は慣れているのか、さっと確認だけをして受け付けてくれる。


 特徴があったり素材がわかる品は、一言伝えて置いた方がいいだろうと思ってメモに残していて、役に立つこともある。


 服のデザインはさっぱりわからなくても、素材についての知識が増えてきた。竹矢に大型タブレットを支給されてからネットで検索するのも楽になり、スマホの小さな画面で見るより世界が広がったように思う。


 夏になっても、夜は温かいミルクティをペアのマグカップで飲む。ガブリエルが電子レンジで温めてくれるだけなのに、甘いミルクティに幸せの味がする。

「明日の予定は?」

清流せいると買い物。ガブリエルはお仕事でしょ?」

「ああ。残念だ」


 何となく気のせいかもしれないけど、ガブリエルは清流に会ってみたいと思っているように感じる。美人の清流に会わせたくないと思う私の心は狭い。


 圭助という彼氏がいる清流は絶対に他の人になびいたりしないとは思っていても、もしも運命の恋というものがあったら怖い。抱き合ったり気安く触れ合うようになっても、ガブリエルは私にキスもしないし手を出さないことも不安。


「くらら? 熱でもあるのか」

 マグカップをテーブルに置いたガブリエルが、私に額を合わせて体温を測る。至近距離で見る青い瞳は優しくて。……どきどきと高鳴る胸を押さえながら、物足りないと思う。キスしたいと思っても、自分から仕掛ける勇気はない。


「熱は無いから大丈夫。お土産買ってくるから楽しみにしてて」

「土産より、無事に帰ってくることが一番だ」

 額が離れて失われていく温度が寂しくて、温かいマグカップをそっと手で包み込んだ。


      ◆


 美人で完璧に見える清流は、遅刻魔という最大の欠点を抱えている。昔は半日待たされたこともあったりして大変だった。清流と待ち合わせる時には、昔は文庫本、今はスマホが必需品。


 今日は新宿駅での待ち合わせの時間が過ぎていても気にならない。日々増えていくガブリエルとの自撮り写真を見ながら、ふやけそうな頬を引き締めていると清流が駆け寄って来た。

「くららー、遅れてごめんー!」

「大丈夫、一時間だけだから」

「あー、そんなに? ごめんー。ホント、ごめんー」


「今日は何に捕まったの?」

 清流は時間の感覚が飛ぶことがあって、それは大抵植物を見ていることが多い。

「神社の古木。樹齢八百年の大イチョウがあるでしょ? あれに呼ばれたの」

 実家近くの神社に生えている立派な木を思い出す。秋になると一面に落ちる銀杏の臭いが苦手だった。


「あー、あのでっかい木かー。それなら仕方ないと思う」

「そう言って笑ってくれるのは、くららと圭助だけだわー。ごめんー」


「何か言ってた?」

 清流の時間が止まっている間、植物の声を聞いていることもある。


「一番太い枝の中が虫に食われて空洞になってて、そろそろ危ないって」

「それ、大変なことじゃない。神主さんには言った?」

「もちろん言った。すぐに樹木医呼ぶって」

 大イチョウの下は参道になっている。もしも人が通っている時に折れたら大惨事。清流の話を信じない人が多い中、神主さんは対処してくれるようで安心した。


「今日はどの店行こうか」

「あ、手芸店って行ってもいい? シルクの布見たい」

「シルク? 何するの?」

「紗季香さんが、顔洗うのにシルクの端切れ使ってるって教えてくれたの。ちっちゃいのでいいんだって」

「ふーん。シルクかー。手芸店って反対側だっけ」


 新宿駅は大勢の人が行き交う。最近バスターミナルが新しくなったからか、大きなトランクやカートを引いて歩いている人も目立つ。


 通路の壁、移り変わる液晶の大画面にガブリエルが映った。何度も繰り返し見たCMも、ついつい目が追ってしまう。


「くらら。余所見しない!」

 清流の腕に引っ張られて、私は大きなトランクにぶつからずに済んだ。持ち主の女性と会釈し合って、また歩き出す。


「ありがとー。助かったー」 

「原因はあの男かー。毎日顔見てるんでしょ? 飽きない?」

「全然飽きない。それよりもカッコ良すぎて心臓が持たない」


「ふーん。で、進展は?」

「……聞かないで」

「全然ってことねー。ホント、おかしな男よね。こんなに可愛いくららと一緒に寝てるのに手を出さないなんて」


「せ、清流! だ、誰かに聞かれたらどうするの!」

「誰も聞いてないって」

 清流も紗季香も、いつも私をからかう。自分から仕掛ければ良いとアドバイスされても、実行する勇気はでない。


「ん? 噂をすればってこと?」

 背の高い清流の視線の先、人波をかき分けながら走ってくるのはガブリエルの姿だった。夏だというのに、デニムのコートとクリーム色のリブニットに黒のチノパン。撮影途中で抜け出してきたのかもしれない。


「あれ? ガブリエル? 撮影じゃなかった?」

『二人とも、早くここから離れるんだ。もう時間がない』

 ガブリエルの表情が硬い。


「時間がないってどういうことよ?」

 清流がとげとげしい声で問いかけると、ガブリエルは無言で私と清流を両腕に抱えて走り出した。


「嘘! 馬鹿ー! 人さらいー!」

 私は恥ずかしくて固まるだけで、清流は怒鳴り散らしている。通路の角を曲がった所で、ガブリエルが私たちを壁に押し付けて覆い被さった途端、それは起こった。


 轟音と衝撃が周囲の空気を震わせて、白い光に包まれて音が消えた。


『女神よ。どうかくららを連れて行かないでくれ』

 音の無い恐ろしい世界の中、ガブリエルの絞り出すような声だけが聞こえた。清流と抱き合いながら何が起きているのかと不安に震える。


 永遠に続くかと思った瞬間は過ぎ去って、音が戻って来た。

「何が起きたの?」

『……わからない。ただ、ここで白い光が発生することだけは幻視した』

 白い光は一瞬。周囲は砂煙が漂っていて、視界はゼロ。


 口と鼻をハンカチで覆い、砂煙が落ち着くのを待ってから通路に戻ると想像もしていなかった惨状が広がっていた。私と清流が歩いていた広場は黒く焼け焦げ、天井にも床にも大きな穴が空いているのが見える。


「何、このにおい……」

 清流が眉をひそめて呟く。焦げ臭いだけではない嫌なにおいが漂ってきた。

『……これは、人が焼けた臭気だ』

 ガブリエルの鋭い目があちこちを見回す。衝撃で正常に機能しなくなっていた耳が完全に元に戻ると、周囲には呻き声や悲鳴が響き渡っていた。


「た、助けなきゃ!」

 黒くクレーター状になっている部分の外、怪我をした人々が床に倒れたりうずくまったりしていて、すでに救護を始めている人々もいる。


『治癒魔法はできるか?』

「できる訳ないでしょ!」

 ガブリエルの問いに叫んだ清流は鞄からハンカチを出して倒れた人の傷を縛る。


『ならば、くららと一緒に避難を……』

「うるさい! ほっとける訳ないじゃない! 何もしないよりマシでしょ!」

 私もハンカチを出し、清流に指示されるままに血を流す人の傷を押さえる。


『刺さったガラスは下手に抜くな!』

「わかってる! ホント、人間っていうのは、ヤワくて嫌だわ!」

 二人の救護活動は迅速。ガブリエルが着ていたデニムのコートは細長く切り裂かれて、止血に使われていく。


 しばらくすると多くの救急隊がやってきて私たちは手を引いた。広場から少し離れた場所には、私たちと同じように血だらけになった人々が座り込んでいた。比較的怪我の程度の軽い人と、救護活動をした人々。警察官が簡単な事情聴取と連絡先を確認して回っている。


 清流は面倒なので移動しようと提案したけど、ガブリエルは後で探されると面倒だと言って警察官が回ってくるのを待つことになった。


 三人共血だらけで、疲れ果てているのに神経が興奮しているのか、座ろうとも思えない。手を拭きたくてもハンカチもティッシュもすでにない。周囲の店舗の店員が使い捨ての手拭きを配っていたので、一つずつもらった。


「ガス爆破か、何かかしら。全然臭わなかったけど。原因、知ってる?」

 清流が溜息混じりでガブリエルに問いかける。

『すまない。原因まではわからない』

 私は、ガブリエルが異世界の言葉で清流と話していることに気が付いた。


「……助けてくれたことは感謝するわ。でも……あんた、何者なの?」

 清流がガブリエルに鋭い目を向けた。


『……異常者と思われるかもしれないが、私は異世界人だ。神に逆らい、この世界へと飛ばされてきた』

「は? 異世界人? 聞いてないわよ」

 親友の清流にも異世界の話だけはできなかった。私が異常者と思われてしまいそうで、前世のことも話せずにいた。


『……君の心は鎮まったのか?』

 それは清流に向けて静かに告げられた言葉。私の脳裏に、ガブリエルが王子様のような紺青色の服を着ている姿が浮かんだ。


 顔が蒼白になった清流の手を握る。無言のまま睨みつける目は、ガブリエルを通り越し、どこか違う所を見ているようで。初めてみる清流の鋭い表情に私は不安を覚えた。 


 長い沈黙の後、清流が深い溜息を吐いた。

「……私、疲れてるみたい。事情聴取受けたら、今日は帰るわ」

 私の手を握り返した後、抱きしめる。幼い頃から慣れ親しんだ清流の腕が心をほっとさせた。


「清流、大丈夫?」

 背中に腕を回して、私も抱き返す。

「あー、くらら、大丈夫。ちょっと怪我人見過ぎたのよ。助かるといいけど」

 顔色はまだ戻らないものの、清流の口調はいつものものになった。

 

「鎮まったから、ここにいるんだと思うわ。……くららを預けるけど、今度は大丈夫なの?」

 清流がガブリエルに答えを返して問いかける。その言葉の意味がわからない。


『ああ。必ず護る』

「そうじゃないんだけどね。まぁ、いいわ」

 真剣な顔で答えたガブリエルに対して、清流が肩をすくめて苦笑する姿に私は微かな嫉妬を覚えていた。


      ◆


 謎の爆発から二時間後。警察の簡単な事情聴取を受けた後、清流は圭助が迎えに来て一緒に帰って行った。ガブリエルと私は、配られたバスタオルを羽織り、血だらけのまま人目を避けて竹矢のマンションへと歩いて向かう。


 新宿駅の上空には無人航空機ドローンが飛び、サイレンを消した救急車が走り回り、自衛隊の車も駅へと向かっていく。待っている間にスマホで検索してみたけれど、謎の爆発というだけで、はっきりとした原因は書かれていなかった。


 重軽傷者は二百名超え。爆発の中心付近にいた人々は影も形もなくなっているので、被害総数が判明するまでは数日掛かるらしい。


 部屋に戻って、交代でシャワーを浴びた後、部屋着姿のガブリエルが私を抱きしめた。


『くららが無事で良かった……』

 絞り出すような声が胸を締め付ける。

「助けてくれてありがとう」

 私と清流が歩いていた場所は、ちょうどクレーターの中心あたり。ガブリエルが助けてくれなければ、死体すら残らなかっただろう。


「どうして爆発が起きるってわかったの?」

『私には予知夢を見る能力があった。主に眠っている時に幻視するが、今回は覚醒している状況で起きた。初めてのことだ』

 抱きしめる腕も、ガブリエルの胸も熱い。どきどきと胸が高鳴る。


「……撮影中だったんじゃない?」

『ああ、小次郎が後は任せろと言って私を送り出してくれた』

「電話した方がいいんじゃないかな。心配してると思う」

『そうか。そうだな』

 離れると思った腕が私を抱き上げた。唐突なお姫様抱っこに、のぼせた頭が混乱する。


 私を横抱きにしたままガブリエルがソファに座ると、今度は膝の上で身を硬くするしかない。ガブリエルがスマホを持った時に気が付いた。

「言葉! 日本語にしないと!」

 事故の前から、異世界の言葉でずっと話していると指摘するとガブリエルが苦笑する。


『そういえば、小次郎の前でもこの言葉を使ってしまったかもしれない』

「小次郎さんも言葉を理解できたってこと?」

『いや、きっと理解できないまま、私が慌てていることを感じ取ったのだろう。会話になっていないこともあった。小次郎は勘が鋭い』


「……清流と話ができていたのは何故?」

 息の合った救護活動、私には理解できない二人の間での言葉。このままでは嫉妬してしまいそうで、理由が知りたい。


『彼女はクラーラと契約していた木の精霊の生まれ変わりだ』

「木の……精霊? まさか……そんな……」

 私の理解の域を超えた。清流の前世が精霊? 植物に対する不思議な力は感じていても、精霊とは結び付かない。


『……事故が起きた時、今日のように共に救護活動をしたことが何度かある。名前はセイルハトィール。くららの友人の名前を聞いた時、もしかしたらと思っていた』

「だから会いたかったの?」

『会いたいとまでは思わなかったが、確認したいとは思っていた』

 理解し難い話に混乱しながらも、清流に興味がある訳ではなかったのかと、安堵する心は隠せない。


「今度は私を護るって、どういう意味なの?」

『私は……クラーラを護ることができなかった。今度は必ず護る』

 ガブリエルの誓いの言葉が何故か心に刺さった。嬉しいと思う気持ちの裏で、心の底に溜まるもやもやが重さを増していく。


「……小次郎さんに電話してあげて。きっと心配してる」

 ガブリエルの膝の上。どきどきする胸の鼓動より、どろりと渦巻く何かが重い。


 小次郎に電話をするガブリエルを見つめながら、私は言葉にならない黒い感情を持て余していた。

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