第24話 笑顔の写真

 事務所主催の花見は夜まで続くと聞いて、夕方に挨拶をして会場を離れた。どうやら紗季香と竹矢は参加しないつもりらしい。


「優しい人たちばかりね」

 挨拶をするたびに、ガブリエルの彼女と言われて気持ちは舞い上がってしまっている。緩む頬とのぼせた頭は隠しようがない。


「ああ。本当に優しくて温かい人たちばかりだ。私は……幸運なのだろう。この世界に来てから、多くの人に助けてもらったが……異世界と違って、何も求めようとしないのが不思議だった」

 魔法騎士であり公爵家の第三子という立場でいた時には、他者からの親切には必ずと言っていい程、返礼が求められた。ここではそういったことがないので、気が引けるとガブリエルは笑う。


「この世界には、情けは人の為ならずっていう言葉があってね。人に親切にしたら、いつか回り回って自分に良いことがあるっていうの。だから返礼なんていらないって皆思ってるんだと思う」

「そうか。人に親切にすると良いことがあるのか」

「そうそう」


「様々な幸運があったが一番嬉しかったのは、くららに会えたことだ」

 ガブリエルの言葉が嬉しい。目の奥がきゅっと痛くなって、涙が出そうになるのを堪えて笑う。


「私もガブリエルに会えて嬉しい」

 前世とか異世界とか完全に理解することは出来なくても、ずっと憧れていたガブリエルと手を繋いで隣を歩いていられる。これが幸せでなくて何だと言うのか。


 ただ、微かな苛立ちと不安をミックスしたような、もやもやとした気持ちが心の底にあるのも本当。


 夕焼けの空の下、公園の桜並木は、建物の陰になっているからか、まだつぼみ。桜が咲いていないからか人の姿はない。きっと桜が咲いたら人が大勢訪れる。


「ここの桜も、そろそろ咲きそうね。……異世界で桜に似た花はある?」

「桜に似た花は無かったな。ルルトと呼ばれていた花が八重桜に似ていた。色は白かったが」

 桜吹雪の中を、ガブリエルと歩いてみたいと思う。繋いだ手が嬉しくて、どきどきとする胸の鼓動は鎮まらなくて、緩む頬が恥ずかしい。


 懐かしいではなくて、初めてを集めたいと願いながら、私はガブリエルの手を握り返した。


      ◆


 公園を歩いた後、駐車場に戻って車に乗り込む。ドアを開け、シートベルトも掛けてくれることにはまだ慣れない。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして」

 胸に片手をあてて微笑む姿は夢の世界の王子様。車が緩やかに走り出しても、ときめきは続く。


 時間は午後六時。一度ガブリエルの部屋に戻って家具の配置を確かめる予定だった。

「遅くなっちゃった。家具のサイズ確認は明日でいい?」

「ああ。いつでも構わない。…………あの部屋に戻るのか?」

 迷うような沈黙の後、ガブリエルが小声で呟いた。


「えっと……」

 その予定と言いかけて、ルームミラーに映るガブリエルの揺れる瞳を見てしまう。戻ってほしくないという意味なのだろうかと、私の心も落ち着かない。


「たとえ幼馴染だとしても、怪しい仕掛けをするような男がうろつく部屋は危ない。私の部屋なら安全だ。…………私も安心できる」

 私を心配する真剣な横顔に、胸がどきりとする。心配してもらえることが嬉しくて、宗助は幼馴染だから大丈夫という言葉は飲み込む。


 思い返してみると、宗助は意地悪でからかうような言動ばかりでも、不思議と乱暴な扱いを受けたことはない。いざという時には護ってくれるし。誤解を解いておいた方がいいのか悩む。


 助手席に座る私の方を気にするガブリエルと一瞬目が合った。すぐに前方へと視線は戻ってしまっても、それだけでも嬉しい。


「じゃ、じゃあ、今日は戻るのやめておこうかな……あ! 洗濯物」

 口に出してからしまったと思った。また雰囲気ぶち壊し。馬鹿馬鹿、私の馬鹿。

「一度くららの部屋に寄ってから、私の部屋に帰ればいい」

 ガブリエルの部屋に帰る。ただ、それだけの言葉が鼓動を早くする。


「じゃ、じゃあ、お願いします」

 そして私は、洗濯機に興味津々のガブリエルを制して、洗濯物を部屋干しするミッションになんとか成功した。


      ◆


 春が来て、桜が満開になるとガブリエルの仕事も増えた。毎月のファッション雑誌やネットのファッション特集に必ずと言っていいほど登場する。夏には車の新しいCM撮影も予定されていて、忙しい毎日を送っている。


 ソファに並んで座って、もらった見本誌を見ながら実物の方がカッコイイと頬が緩む。どことなく、そわそわと落ち着かないガブリエルが可愛い。

「ガブリエルって、撮影の時は笑わないのね」

「カメラを前にすると緊張する」


「そうなの? これって、全部緊張してる顔?」

「ああ。笑えと指示は受けるが、笑えない」

 緊張と言われれば、そんな気もしてきた。ピンと張り詰めたような凛々しい表情の秘密を知ることができて嬉しい。


「……くららに写真を見られると恥ずかしいな」

 紺色のマグカップで温めたミルクティを飲むガブリエルが目を泳がせている。

「恥ずかしい? とってもカッコイイと思うから大丈夫」

 私はピンク色のマグカップ。家具や家電を揃え、食器もペア。何もかもが新しい生活は心ときめく。……夢の新婚生活と言えないのは、キスも何もないから。


 ガブリエルは優しくて、毎日一緒のベッドで眠っていても何もない。物足りないと思っても、私からキスする勇気はないし、そもそも正式に付き合ってもいない。


 家具の搬入を手伝ってくれた哲一さといちや紋三郎、小次郎たちは、私のことを完全にガブリエルの彼女と思っているし、竹矢も紗季香も同じ。


「昔は絵のモデルになったこともあるが、画家が勝手に笑顔にしていた」

「そうなの? あ、そうか。絵なら描けちゃうか」

 昔というのは、きっと異世界での話。この世界には写真加工という技術はあっても、どことなく不自然な笑顔になってしまうのは容易に想像できる。その点、絵ならいくらでも笑顔にできるだろう。


「絵は何日も掛かるが、写真は一瞬だ。最初は魔法かと思った」

「そうね。私も知らなかったら、きっと魔法って思う」

 携帯電話からスマホへ。カメラの性能もアップして、今では誰でも動画まで撮れるようになってきた。何気なく手にしている技術の凄さに、改めて感動する。


「あ、一緒に自撮りしてみる?」

「ああ」

 自撮りなんてしたことないのは秘密。清流は写真が苦手だし、私も写真写りに自信はない。


 ガブリエルが慣れた手つきでスマホを操作することに驚く。未だにメールもできないのに。

「撮ったことあるの?」

「ある。小次郎が自撮り好きで、いつもスマホを渡される。自分が最高の顔で写る為には他人に操作させるのが一番だそうだ」

「それ、ちょっとズルい」


 ガブリエルが腕を伸ばしてスマホを構え、二人並んで画面に収まる。遠慮して離れた肩をガブリエルの手が引き寄せた。


 もう胸のどきどきが止まらない。レンズを見ながら可愛く映るようになんて気にしてはいられない。ほわほわと頬が緩んだ所でシャッター音が響いた。

「あ!」

 変な顔をしていなかっただろうか。慌ててスマホを覗き込む。


「……ガブリエル、笑ってる……」

「そうだな。くららと一緒なら緊張しないようだ」

 画面に表示されているのは幸せそうな笑顔の二人。恋人と言っても違和感がない。


「わ、私のスマホでも撮っていい?」

「ああ。私が撮ろう」

 スマホを掲げたガブリエルの肩に、そっと寄り掛かると抱き寄せられた。ばくばくと音を立てる心臓が壊れそうで胸に手を置くと、シャッター音。


「待って待って、今、目を瞑った! 撮り直し!」

「くららは可愛く写っていると思うが」

 写真を確認するとガブリエルの腕の中で目を閉じてるように見えて、物凄く恥ずかしい。


「目が閉じてるじゃない! 撮り直しー!」

 二人で笑いながらの賑やかな写真撮影は、夜になるまで続けられた。

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