第23話 桜の花咲く庭園

 お花見の会場は、落ち着いた雰囲気のクラシカルな建物。飴色の重厚な木の廊下に赤い絨毯が敷かれた階段。彫刻が施された調度品。普段は結婚式やパーティが行われる場所らしい。テラスの外の中庭には、咲き始めた桜が見える。


 受付で名前と連絡先を記入してから、建物の中へ。老若男女、カジュアルな服からスーツまで様々な服装の百名以上の大勢の人々が参加する立食パーティ。着飾った小さな子供たちがあちこちを探検するように歩いていて、周囲の人々が微笑ましく見守っている。


「え……あの……私が参加してもいいんでしょうか?」

 参加費不要と言われても、ちらりと見える料理も豪華だし料理人が鉄板で肉を焼いていたり、てんぷらを揚げていたりと、無料で食べるのは気が引ける。

「あー、いいのいいの。家族連れで来てるヤツらも多いし、彼女連れも全然オッケー」

 紋三郎は明るく笑いながら、ガブリエルと私に飲み物を勧める。


「事務所の方って、とっても大勢いらっしゃるんですね」 

「卒業してる人間の方が多いんじゃないかな。今の事務所の所属は五十名ちょいかな。後は独立とか転職したり。モデルから企業のお偉いさんになってる人もいたりとか。ほら、あの人たち、見たことあるだろ?」


 紋三郎が指し示した人は、白いTシャツにジーンズ、カラフルなスタジャンを着こなした初老の男性。有名なIT企業の社長だと気が付いた。隣で親し気に話している和服を着た初老の男性は、ネット動画で有名な漁師。


「紗季香さんはさ、顔とスタイルだけで稼げるのは若いうちだけだから、将来の為に勉強しとけっていつも言うんだけどさ。こうして年に数回、皆で集まると実感するんだよなぁ。大人になっても夢があるって」

 紋三郎は実は誰にも言えない夢を持っていると笑う。……私の夢はなんだろう。


「よぉ、ガブリエル久しぶり!」

 グラスを片手に歩いてきたのは、こげ茶色の着物に金髪の美形の男性。どこかで見たことはあると思っても、CMや写真での記憶はない。


「小次郎、この子、ガブリエルの彼女」

 にやにやと意地悪な笑顔になった紋三郎の言葉を聞いて思い出した。

「コジロー? メイクアップアーティストの?」

 テレビや動画で見る印象とは全く違う男らしい雰囲気に驚くしかない。金髪に白シャツ、黒いズボン姿。画面に登場する時には、ティーカップを優雅に持って紅茶をたしなむオネエだと認識していた。


「もしかして驚いてる? これが俺の素なの。コジローは職業オネエってヤツ」

 メイクをしていない笑顔も違い過ぎて、同一人物だとは信じがたい。


「男らしいと、男のモデルとかの仕事しかこないんだよね。ヘアメイクの短い時間だけでも、女の子アイドルっていう商品を男に預けるのを嫌がる事務所は多くてさ。その点、オネエは何故かハードルが下がる! 女の子も警戒心が薄くなって、良い表情になる! いいことずくめだろ? 問題は彼女が出来ないってことかな!」

 げらげらと笑いながら、小次郎は何故かガブリエルと肩を組む。


「ガブリエル、お前に抜け駆けされるとは思ってなかった。お前は一生、童……」

「はいはい。昼間から不健全な話題はなし! 小次郎、ガブリエルが貴重な彼女に逃げられたら、責任とれんの?」

 真面目な顔で小次郎がガブリエルに語り出した途端、紋三郎が割って入る。優雅で上品なオネエというコジローのイメージはすっかりどこか遠くに行ってしまった。


 小次郎と紋三郎が他の人に呼ばれ、残されたガブリエルと二人で庭に置かれた椅子に座って、料理を摘まむ。

「楽しい人たちね。写真とか動画で見るのと全然違ってた」

「そうなのか。彼らは最初から変わらないな。いつも気軽に親しくしてくれる良い人々だ」


 桜だけでなく、花があふれる庭園のあちこちで談笑している人々は男性が多い。側にいるのは奥さんや恋人だろうか。私は彼女枠、と密かに設定して喜ぶ。ガブリエルは私が彼女と呼ばれても否定しない。何となく周囲から認められて、いつの間にか彼女になるというのは、こういうことなのかも。


「所属してるモデルって、男性ばかりなの?」

「ああ。モデルもメイクも男ばかりだ。よくわからないが、女性は危険度が高いから気軽には雇えないと紗季香さんが言っていた。自分が責任を取れる範囲でしか手を出さないのが信条だそうだ」


「紗季香さんは来てるのかな?」

 今日は竹矢とデートだと言っていた。もしかしたらここに一緒に来るのかもしれない。料理を食べ終えて皿を戻した所で、初老の和服の男性に声を掛けられた。さっき見かけた漁師の人。日焼けした温和な顔をネットの動画で何度も見たことがあっても、名前は憶えてはいなかった。


「やあ。ガブリエル。こんにちは、お嬢さん」

 ガブリエルとは顔見知りの漁師は南場なんばと名乗った。挨拶を交わし、飲み物のグラスを持って、また庭へと向かう。


「紗季香さんが竹矢と一緒になると聞いたんだが、本当かい?」

 南場はガブリエルが竹矢のマンションにいることを知っていて、確かめに来たらしい。


「同居すると聞いています」

 ガブリエルが静かに答えると、南場が安堵の息を吐いた。

「そうか。幸せになってくれるといいな」

 安心したような笑顔のまま、南場は昔の思い出を語り始めた。


「紗季香さんは大学生の時、夫を事故で亡くしたんだ。森の中のチャペルで結婚式の最中に猟師の流れ弾が当たった。密猟者だったらしく犯人は見つからないままだ。それ以来、ずっと竹矢が紗季香さんを支えてきた」

「そんな……結婚式の最中なんて……」

 不幸すぎる事故に胸が痛む。紗季香はずっと死んだ夫のことを想い続けていたから竹矢と同棲していなかったのか。

 

「ああ、暗い話だけではつまらんな。この事務所の設立時の話でもしようか」

 私の表情を見て、南場が慌てて話題を替えた。


「事件の後、立ち直った紗季香さんが始めたのは写真事務所だった。広告やパンフレットに使う商品や建物を写真に撮る仕事だ。今は写真といえばデジタルデータでネットを介して瞬時にやり取りできるが、デジタルカメラが普及する前はフィルムに焼き付けて保存していた」

 フィルムを知っているかと聞かれて、知っていると頷く。焦げ茶色の薄くて細長いプラ板がビニールに包まれていたと答えると、それはネガフィルムだと教えてくれた。印刷向きで、見たままの色で保存されるポジフィルムというものがあるらしい。


「小さな写真事務所だったが、電話一本で二十四時間いつでも対応を売りにして、多くの企業と取引することができた。夜中だろうと早朝だろうと、写真を撮りに行ったり、事務所に保管しているフィルムを届けに行くというのは、当時は目新しいサービスだった」

 当時は「徹夜で仕事」があちこちの企業で当たり前に行われていたから、重宝されたと南場が笑う。


「そうこうしてるうちにデジタルカメラが普及し始めた。誰でも気軽に写真を撮れるようになると仕事は激減すると気が付いて、モデルとメイクをセットで二十四時間いつでも派遣するサービスを始めたんだ。これが一部でウケた」


「有名なカメラマンや芸術家の気まぐれにも応えられるし、それまでに培ってきた企業との信頼関係もある。フィルムをやり取りしていた頃の平社員が、今では管理職や重役になってるというのも大きい」


「仕事は順調に入ってくるが、紗季香さんは大きな事務所にはしないと言って雇う人数も決めてるし、出来ない仕事は他の事務所に平気で紹介する。それが結果的に良い循環を作ってるんだろうな」

 人を大事にする紗季香が、昼夜問わず身を粉にして仕事に打ち込む理由を考えると切ない。偶然でも、いろいろと聞いておいて良かったように思う。何も知らなかったら、紗季香の心の傷を刺激してしまったかもしれない。


「あの……南場さんは、何故、漁師に?」

「俺はカメラマンだった。冬の海で写真撮影した時に、ここが俺の本当の職場だって思ったんだよ。実際、漁師が天職だった。海に出る度に、俺は生きてるって実感が沸く」


「紗季香さんは、いつでも戻ってきていいと俺の背中を押してくれた。今は漁が仕事で、カメラは趣味だ。……他人の世話ばかりをして苦労してきた人だ。幸せになってくれるといいな」

「ええ。本当に」

 そんな苦労を感じさせることのない紗季香は凄いと素直に思う。竹矢と一緒に幸せになることを心から願ってしまう。


 話し終えてすっきりしたのか、南場は立ち去って行った。残されたガブリエルと二人で桜の花を見上げる。


「竹矢も紗季香さんも他人の世話ばかりしているんだな」

「そうね。とても素敵な二人だと思う」

 いつも明るく笑う二人の過去に、そんな背景があるとは知らなかった。人は見かけで判断してはいけないと強く思う。


「恩返しできるといいが」

 ぽつりとつぶやいたガブリエルの手にそっと触れると、強く握り返された。一体、何が出来るかわからないけれど、私も一緒に恩返ししたい。


 二人がどうか幸せになりますようにと、私は桜の下で願った。

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