第19話 パジャマの上下
不審者の襲撃は、竹矢の執務部屋に飾られている絵の奪取が目的だったと説明された。落札価格を考えると、なりふり構わず犯罪に走ってしまうのもうなずける。
「襲撃犯とは話を付けたから、もう襲ってくることはないだろう。くらら、自分の部屋にどーしても帰る必要ってあるか?」
「え、あ、ないと思います」
どうやって話を付けたか気になっても、聞かない方がいいだろう。深入りしてはいけないような気がする。
気になるのは洗濯物が溜まってることだけ。明日、洗濯しようと思っていた。それでも今は一人になる部屋に帰りたくない。できればガブリエルのそばにいたい。
「じゃあ、泊ってくれ。この下の階に緊急用の宿泊部屋がある。できれば一週間くらいここにいて欲しい。もちろん特別手当は出す。ガブリエル、仕事以外の時間はくららの護衛を頼む」
「はい」
護衛と聞いて戸惑いを隠せない。映画かドラマの中に入り込んだような気分。
慌ただしく指示をした後、竹矢はスーツにコート姿で外出していった。
「竹矢さんって、不思議な人ね」
「魔術師なのかもしれない」
ガブリエルの言葉を聞いて、何故かぴったりな言葉だと思う。魔法使いというより、うさんくさい魔術師。失礼な妄想に頬が緩む。
恐ろしい事件の直後でも、いつもと変わらない空間だと気が付くと体が勝手に
テーブルの上のカップを持ってキッチンへと向かい、夕食の後片付けを始めている。
「くらら?」
「何か実感がないというか……、私は何も手伝えないから、自分の仕事をするだけかなって思うの」
「そうだな」
ガブリエルは装甲を外してくると言って、自分の部屋へと戻っていく。食器を軽く洗ってから、食器洗浄機へ放り込む。いつの間にかシンクの下に設置されていた食器洗浄機は、
ガブリエルが使っていた装甲も不思議な物だった。緊急避難部屋で待っている時に検索すると、理論上は可能でも実用はできないと言われる樹脂がヒットした。お金に物を言わせて開発したのだろうか。
キッチンの片付けを終えた所で、肩にタオルを掛けたガブリエルが戻って来た。
「髪、濡れてるけどシャワー浴びたの?」
「ああ。装甲を剥がすと汗が気になった」
「ちゃんと乾かした方がいいと思うの」
無意識に手を伸ばすとガブリエルが背を屈める。私は肩のタオルを使って髪を拭く。至近距離でのガブリエルの微笑みが胸の鼓動を早くするのに、懐かしいと思う気持ちに戸惑う。
――通り雨の中、いつも私の頭に騎士服の上着を被せて自分はずぶ濡れで。私は嬉しさと申し訳なさで、ガブリエルの髪を拭いていた。
これは前世の記憶なのだろうか。そうかと納得する気持ちと、否定したい気持ちが混ざり合う。
「ドライヤー使えば早く乾くのに」
「くららが拭いてくれると思った」
無邪気とも思える笑顔が、胸に刺さった。私の知らない私を、ガブリエルが知っていることが恥ずかしいような恐ろしいような、言葉にはできないもやもやが心の奥底に沈んでいく。
「はい。後は自然乾燥で。えーっと。下の階って、行ったことないけど……」
「案内しよう」
エレベーターが止まらない階だし、廊下を掃除したこともない。手を引かれながらついていくと壁に隠し扉があって、階段が現れた。
「えー。ここも隠し扉? 忍者屋敷みたい」
「ニンジャ?」
「昔、日本にいた
知らなかったと目を輝かせるガブリエルと他愛のない話をしながら、薄暗い階段を下りていく。柔らかくて硬い感触の階段は音がしない。
「ここに指を乗せると扉が開く」
指示されるまま、壁のタッチパネルに指を乗せると扉が開いた。廊下には部屋の扉が並んでいて、一番手前の部屋に入る。
「あ、なんか、ここは普通のマンションなんだ……」
ごくごく普通の3LDK。竹矢の部屋と違って、玄関で靴を脱ぐタイプ。うっすらと積もる埃が、数年は掃除をしていないことを示している。埃を散らさないように、そっと歩いてリビングに到達すると白い布が掛けられたソファとテーブル。壁には巨大モニタ。キッチンには電子レンジ、洋室の一つにベッドが置かれているくらいで、他には何もない。
「ここで過ごすなら、掃除が必要かも」
時計を見ると午後九時。いつもなら自分の部屋に帰っている時間。
「掃除は明日にして、私の部屋を使えばいい」
「ガブリエルはどうするの?」
「私はソファでいい」
「そういう訳にはいかないでしょ。明日、仕事じゃなかった? まだ九時だし、ざっと掃除しちゃいます」
よし。と自分に気合を入れて、掃除用具を取りに竹矢の部屋に戻る。
「あ。コンビニとか行ってもいいのかな?」
携帯用の化粧水やクリームは持っていても、さすがにシャンプーは持っていない。出来れば替えの下着も欲しい。
「それは……竹矢に聞いてみよう」
「あ、わざわざ聞かなくてもいいから。えーっと、何とかなる」
「私が買ってくればいい」
ガブリエルの提案に戸惑う。シャンプーは頼めても、下着は頼めない。
「何でも買ってくる」
「じゃ、じゃあ……ミルクティとプリン」
笑顔のガブリエルに今、必要な物を答えることはできなかった。下着は通販するしかない。都内だから、今頼めば明日の朝には届くはず。
「わかった。すぐに戻るから待っていてくれ」
私は笑顔のガブリエルを送り出した。
◆
ガブリエルが戻ってきたのは十五分後。その間に、私は下着と服の通販を頼み終えていた。
やたらと多い荷物の中には、おそらくコンビニに並んでいたミルクティとプリン全種類。
「ミルクティって、いっぱいあるのね……」
ペットボトルと缶。紙パックの合計十八本。しばらくは買わなくて済みそうな量。プリンが八個。代金を支払うつもりでいたのに、ガブリエルにおごってもらってしまった。
階下の部屋を軽く掃除して、眠れる状態になったのは午後十時半。ガブリエルの部屋のシャワーを借りて、また戻る。
「掃除、手伝ってくれてありがとう」
「くららと一緒だから、楽しかった」
爽やかな笑顔にどきどきしながらソファで並んで座って、レンジで温めたミルクティを一緒に飲む。
「くららはミルクティが好きなのか?」
「ん-。紅茶が好き、かな」
珈琲よりも紅茶がいい。竹矢の部屋では食後に珈琲と決まっているから、何となくコーヒーを飲んでいる。本当はポットで紅茶を淹れて飲みたい。
「ガブリエルは何が好き?」
私の問いにしばらく考え込んだガブリエルが、思いついたという顔をする。
「きつねうどん」
「食べ物じゃなくて。飲み物!」
意外過ぎて笑ってしまう。もっと美味しい物がいっぱいあるのに。
「じゃあ、ミルクティ」
「もー。適当すぎ!」
二人で笑いながら話していると、事件の恐怖はすっかり遠ざかっていた。遠い過去の出来事のよう。
「そろそろ十二時になるから、寝ないと」
「ああ」
離れるのは寂しい。そうはいっても、一緒に寝る事はできない。
名残惜しそうな顔をするガブリエルを送り出し、就寝前の身支度を整えていると玄関のドアが開いた。
「え? ガブリエル?」
入ってきたのは、紺色のパジャマ姿のガブリエル。初めて見るパジャマ姿に動揺する。鍛えた体はパジャマでもカッコイイ。何を着ても絵になりそうでズルい。
「……何もしないと約束する。一緒にいてもいいだろうか」
ガブリエルの揺れる瞳と赤くなった耳を見ながら、のぼせ上った頭で拒否できずに頷いてしまう。
寝室に入って、服のままベッドに入ろうとして止められた。
「嫌でなければ、これを」
示されたのはパジャマの上着。どきどきする胸を押さえて頷くと、ガブリエルが上着を脱ぎ、細身でも筋肉質な上半身が目に入った。
パジャマの上下を分けて着る。まさか、いきなりこんなことになるとは想像もしていなかった。
浴室に駆け込んで、ほんのりと体温が残るパジャマを羽織ると頬が緩む。パジャマの上着は大きくて手は完全に隠れるし、丈は膝まである。これなら下着は見えない。
しつこいくらいに歯を磨いて、マウスウォッシュの後、ミントタブレットを噛んで戻るとガブリエルがベッドの端に座っていた。二人で顔を見合わせる。
「えー、えーっと。これからどうするの?」
「くららと一緒にいたいと思っただけで、特に何も考えていなかった」
顔を赤くしながら、そんなことを言われたら頭が爆発しそう。
「と、とりあえず、ね……」
とりあえず寝ようといい掛けて、誤解を招きそうな言葉だと気が付いて口を閉じる。
「一緒に寝ようか」
とんでもない言葉がガブリエルの口からさらりと飛び出した。どうすることもできずに、促されるままベッドに入って、並んで天井を見上げる。
初めて見上げる天井は高くて白い。私の部屋よりも広いこの場所で、一人眠ったら、寂しくなっていたかもしれない。
「……誰かと……こうして一緒のベッドで眠ったことはある?」
クラーラと眠ったことはあるのかとは聞けなかった。
「いや。誰ともなかった。くららが初めてだ」
苦笑にも似た告白が胸の鼓動を高鳴らせる。初めてと聞いて、だから懐かしさがないのかと納得する自分がいる。
「お、おやすみなさい」
「おやすみ」
目を閉じると体の力が急激に抜けていく。平気だと思っていたのに、かなり緊張していたのかもしれない。優しい温かさに包まれながら、私は眠りに落ちた。
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