第17話 緊急避難部屋
撮影場所から離れた所で、私は宗助の手を振りほどいた。
「もう十分離れたでしょ」
「しかし、あいつも不用意なヤツだな。ファンの前で女に手を振るなんて。お前、気を付けろよ。仕事終わりに毎晩送ってもらってるなんて知られたら、トラブルになるぞ。何なら、俺が替わりに迎えにいってやる」
「……いらない」
いつも伊達眼鏡を掛けていても、ファンなら気が付くだろう。宗助に言われるまで、全く考えたこともなかった。
「俺の部屋に来いよ。引っ越し費用も出すから」
「だから、嫌って言ってるでしょ。ご飯の為だけに同居なんて、宗ちゃんの都合だけじゃない」
「あー、そ、それは……だな……」
「どうせ彼女ができたら、邪魔者扱いされるってわかってるのに行くわけないでしょ」
あまりにもムカついて溜息を吐く。私は宗助から女とは見られていないとよくわかっている。知らない男に絡まれている時に助けてくれたりしたこともあったけど、それは近所で幼馴染だからっていうだけ。
「そこの茶店にでも入らないか?」
「いらない。お腹いっぱいだもの」
料理の三分の一を宗助に食べてもらっても、私には量が多すぎた。何かを言おうと迷う宗助の姿が意外過ぎて、私は宗助の言葉を待った。
「…………俺の彼女にならないか?」
「え? 何言ってるの?」
耳が壊れたかと思って聞き返す。
「お前、あいつと付き合ってないんだろ? 俺もフリーだ。何か問題あるか?」
「ある。私は宗ちゃんと付き合いたいなんて思ってない。手近にいるからって、誘われても全然嬉しくない」
彼女と別れたばかりで、単に相手を探しているだけなのだと思う。
「俺は……お前が大事で……」
「意味わかんない。私が大事だから付き合うの? 今更?」
宗助の考えることが全く理解できない。というより、便利な家政婦を捕まえたいだけの言い訳にしか聞こえなくてムカつく。
「私じゃなく、他を当たって。宗ちゃんならすぐに新しい彼女できるでしょ!」
口を引き結んで立ち尽くす宗助を置いて、私は早足でその場を離れた。
◆
随分歩いて振り向いても、宗助はついては来なかった。諦めてくれてよかったとほっと息を吐く。
高校生の時に宗助の朝帰りを目撃した日、私はショックを受けた。それまで抱いていた淡い憧れも、幼馴染として過ごしてきた思い出も全部壊れたような気がして。
私は宗助にとって女じゃない。単なる幼馴染だと完全に諦めて十年近く経つ。それなのに、今更付き合いたいと言われても心がついて行けないし、喜べない。
「告白されても全然嬉しくないって、こういうことかー」
考えてみると人生で初めて告白されたのに、ときめきも何もない。諦めの溜息しかでない。
宗ちゃんじゃなく、ガブリエルなら……と考えると、頬が熱くなる。はっきりと言葉にできないもやもやとした気持ちは続いていて、遠く感じることがあっても、好きだと思う心は残っている。
ガブリエルも私を女としては見ていない。子供のような……まるで幼い妹に対するような扱い。そうか。私は女性として見られていないのか。そう気がつくと、心が沈む。
「……女性らしい服、買いに行こう」
動きやすくて、可愛らしい服。柔らかな明るい色を選ぼう。ガブリエルに女性として認識してもらう。そんな目標を立てて、私は歩き出した。
◆
三月も半ばになると、春の日差しが温かさを増す。通勤途中の公園には花が咲き、桜のつぼみが膨らみ始めている。あと、何日で開花するのか楽しみで、遠回りをして公園の中を歩く。
私と同じようにまだ咲かない桜を確認しながら、足早に歩いていくサラリーマンや散歩をしている人の中、ダークグレーのスーツ姿で立ち尽くす男性が目に付いた。
「あ、
竹矢の専属弁護士には何度も会っているから、他者を寄せ付けない空気に慣れた。今では気軽に挨拶もできる。
「……おはようございます」
顔色が悪い。銀縁眼鏡の奥、鋭い目つきも気のせいか緊張しているような気がする。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ?」
柳見はじっとしたまま動かない。視界の端、スーツのグレーに明るい緑色。
「もしかして……それ、アマガエルですか?」
「……はい」
小さく答えた柳見が、ごくりと喉を鳴らす。確か蛙が大嫌いと聞いている。スーツの肩には小さな小さなアマガエルが一匹乗っていた。
「取ってもいいですか?」
「……お、お願いします」
手を伸ばし、そっと蛙を摘まんで手近な葉っぱの上に置く。背後で、はぁあと大きな安堵の息。笑ってはいけないと息を整えて振り返る。
「蛙も、そろそろ冬眠から目が覚めるんですね」
「……恐ろしい季節になりました。ありがとうございます」
真顔で言われると、何も言葉が出ない。こみ上げてくる笑いをこらえると口元が震えてしまう。
「……春が近いですね」
ふと見上げた柳見の微かな微笑みに、どきりと胸が高鳴った。いつもの四角四面の真面目な表情とのギャップに驚いたからだと思う。
理由をつけてみても、胸のどきどきは止まらない。
「きょ、今日は何かあるんですか?」
「ええ。どうしても決済が必要な書類がでましたので」
柳見と並んで歩きながら話をする。何となく柔らかな表情に見えるのは気のせいだろうか。
マンションの入り口が見えてきた時、ガブリエルが出てくるのが見えた。デニムのコートに白のニット、ベージュのチノパンに革のスニーカー姿。リュックを持っているから、これから仕事なのだろう。
「……おはよう、くらら。おはようございます、柳見さん」
何故かガブリエルが一瞬言葉に詰まった。
「おはよう、ガブリエル。今からお仕事?」
「ああ。……夕方には帰る。いってくる」
「いってらっしゃい!」
何度も振り向くガブリエルに手を振って見送ると、柳見は何故か後ろで待っていた。
「あ、お待たせしてすいません」
先に竹矢の部屋に行っているかと思った。
「いえ。一緒に入れば、一度で済みますから」
柳見の優しい声にどきどきしながら、私はマンションの中に入った。
◆
ガブリエルと竹矢と三人で囲んだ夕食の後はコーヒータイム。何気ない会話を交わす中、ガブリエルと竹矢の食事の好みを探るのも慣れてきた。二人とも出汁の効いた和食が特に好み。最近では、忙しい竹矢からの詳細なリクエストがなくても、献立を考えて出せるようになってきた。
「炊き込みご飯で何か食べたい物ってありますか?」
「あー、そうだなー。昨日のタケノコ飯美味かったなー。そうだ、グリーンピースのが食いたい」
「豆ご飯ですね」
心のメモに書き留めておく。食べたことはあっても作ったことはないから、後でネットで検索しよう。
「そろそろ菜の花もいいなー。お浸しか天ぷらか……迷うなー」
「じゃあ、順番に作りますね」
他の旬の野菜も調べた方がいいだろう。ガブリエルはどうかなと思って顔を見ると、微笑みが返ってきた。何でも美味しいと食べてくれるから、きっと大丈夫。
「来週、紗季香が――」
竹矢の言葉を遮って、サイレンのような音が部屋に鳴り響く。
「お? 侵入者?」
竹矢が珈琲のカップをテーブルに置いてリモコンを操作すると音は消えて、黒いピックアップトラックがエントランスのガラス扉に何度もぶつかっている映像が巨大なモニタに映し出された。
「こりゃまた、ベタな
ガラス扉は丈夫で、車の方がへこんでいく。とんでもない映像を目にしても、竹矢の口調はあくまでも軽い。
「だ、大丈夫なんですか? 警察に電話を……」
「大丈夫、大丈夫。うちは警察の管轄外だから呼んでも来ないんだよなー。ここに直で殴り込み掛けるのは、何も知らない馬鹿だからすぐ帰るだろ」
「管轄外?」
警察が来ない場所なんて、理解不能。質問を続けようとした時、別の車から降りた黒い覆面姿の男たちが、ガスバーナーでガラス扉を熱し始めた。
「あー。そんなんでうちの強化ガラスが割れると思ってんのか。清掃代あいつらに請求しても支払い能力なさそうだよなー」
「わ、割れないんですか?」
「手榴弾とかロケットランチャーでも割れないな。あまりにもアホ過ぎて、おっさん泣けてきた」
顔に片手を当てて、ワザとらしい泣きまねをする竹矢には緊張感の欠片もない。
数分が経過しても入り口のガラス扉は赤くもならない。逆にガスバーナーの方が赤くなり、持っていた男がボンベごとガスバーナーを扉へと投げつける。爆発しないかとハラハラしたボンベは、壁から噴射された青い泡に包まれた。どうやら消火設備も完璧に整っているらしい。
「あーあ。殴り込みすんのに、安物持ってくんなよー。仕方ない。馬鹿が怪我する前に相手すっかー。――
持っていたリモコンに向かって竹矢が叫ぶと、聞き覚えのある男性の声が返って来た。
『ほいほーい。もうしてまーっす。三台ともナンバーは盗難車。登録車種と違うんで、他のと変えてますね。車体番号見ないと』
玩具とは車のことか。哲一のやたらと楽しそうな声を聞いても、再びガラス扉にぶつかって盛大にへこむ車に恐怖しか感じない。
「あー、犯罪者か。容赦無しでいいかー。――ガブリエル、くららと一緒に
「はい。貴方は?」
「俺は下のパーティ部屋で、お出迎えしてくる。まぁ、心配すんな。一時間で終わらせる」
火の着いていないタバコを咥え、竹矢はふらりと玄関から出て行った。
「行こう、くらら」
「は、はい」
声も体も恐怖で震える。竹矢は独りで大丈夫なのかという心配もある。
ガブリエルに誘導された緊急避難部屋への入り口は、竹矢の執務部屋の奥。飾られた絵の後ろに隠されたボタンを押すと、壁の一部が扉の様に開いて三畳くらいの部屋が現れた。
部屋の中にはテーブルと椅子が置かれ、壁には電源の入っていないモニタが掛けられていて、奥には大型金庫のような鉄の扉。外国の映画を見ているようで、現実味が薄い。
扉を閉めると、物凄く圧迫感を感じる。狭いだけでなく、外で何が起きているのか不安ばかりが胸を締め付ける。
「大丈夫だ。私がいる」
そう言いながら私を抱きしめるガブリエルは、しきりに外を気にしている。
「……ガブリエル、私はここにいるから、竹矢さんを助けに行って」
「くらら?」
「セーフルームって、とっても頑丈な部屋で、隠れていれば安全なんでしょ? 私は大丈夫」
本当は大丈夫じゃない。それでも竹矢一人で暴漢の集団に立ち向かわせるのは心配でもある。何故かガブリエルなら大丈夫という確信がある。
「すまない」
ガブリエルの腕が離れると一気に心細くなった。鉄製の扉の電子錠に番号を打ち込む姿を見つめる。
開いた扉の中にはガラスケース。拳銃が数丁にライフル、何かよくわからない武器が中に並んでいる。観賞用ではなく、使う為のものとしか思えない。
「銃?」
「竹矢は重火器取り扱い免許を持っているそうだ」
一般人の武器携帯が許されない日本で、あらゆる重火器を取り扱うことが許される免許。ネットの噂では聞いたことがあっても、本当にあるなんて思わなかった。
ガブリエルは引き出しを開け、薄くて黒い板を数枚取り出した。
「その免許、ガブリエルも持ってるの?」
「私は持っていないから、銃の使い方はわからない」
上着を脱いだガブリエルが黒い板を腕に叩きつける。板は一瞬で肘から手首までに巻きついて、金属質の色へと変化した。
「それ、何?」
「不確定粒子装甲〝
ガブリエルの両腕と両脛が黒い金属に覆われた。今まで、見たこともない光景に頭がついていけない。映画か、よくできたゲーム映像としか思えない。
「これは衛星電話だ。どんな災害があっても全世界に通じる」
手渡されたのは昔懐かしいボタンのある大型の携帯電話。角ばったデザインは、男性が手袋をした時に使いやすそうで、軍事用という単語を連想させた。
「……竹矢さんって、一体何者なの?」
「私にもよくわからない。ただのロマンチストだと言っていた」
「ロマンチストは武器を持たないと思う」
「そうだな」
恐怖と緊張と混乱の中、よくわからないままに苦笑を交わす。
「……いってらっしゃい。気を付けて」
「ああ。必ず戻る」
ほんの一瞬、強く私を抱きしめたガブリエルは、部屋から飛び出していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます