第15話 幼馴染の距離
音楽フェスの後、私の心はガブリエルから少し距離を取るようになった。逆にガブリエルは明るい笑顔で接してくる。気軽に手も繋ぐし、抱きしめる。そのスキンシップは恋人というよりも、子供に対しての行動に思える。
宮廷楽師だったのなら、それなりの年齢だったはずなのに。それとも幼い子供だったのだろうか。あの竪琴を常時持っていたというのなら、十代以上でなければ難しい。
ガブリエルに触れられると胸のどきどきは止まらないのに、どこか冷静に見ている自分が別にいるような不思議な気分。
異世界というものがどうしても理解できない。死後の世界なのかと思っても、私は転生していて、ガブリエルは転移だから違う。年齢を考えると、私が転生したこの世界に二十数年経ってガブリエルが来たことになる。時間も前後しているし、説明できないことだらけで、うんざりしてしまう。
マンションの屋上で空を見上げると、何か物足りないというのは感じても、青空に二つの月が輝く光景が想像できない。
「……ガブリエル。……どうして手を繋ぐの?」
「クラーラは精霊に愛され過ぎていた。高い場所や水の近くは危険だ」
「危険?」
精霊に愛されると何故危ないのだろうか。
「クラーラは幼い頃に木の精霊と契約を交わしていて、他の精霊たちは手が出せなかった。精霊にもいろんな性格があって、中には手に入らないのなら殺してしまおうと考える精霊もいた」
「うわー。それは極端。精霊って、優しいものって思ってた」
「だから、さらわれたりしないように手を繋いでいる」
陰が無くなったガブリエルの笑顔はとても優しい。理由はどうでも、繋いだ手は温かいと思う。
「ありがとう」
何か説明の出来ないもやもやとした違和感と、ガブリエルの笑顔にときめく心。自分の中の複雑な気持ちも理解できないまま、私は微笑みを返した。
◆
目が覚めると窓の外は綺麗な青空だった。休みの日なのに、今日は誰とも約束していない。
「あー、どうしようかなぁ」
マンションの冷蔵庫に、レンジで温めれば食べられるように料理は作り置きしてあるからガブリエルの食事を気にする必要はない。
パジャマを脱いで、部屋着を出そうとして思いついた。
「服、買いに行こうかな」
特別手当がどーんと入って、気持ちが大きくなっているのは否定しない。増やすならどれかを処分しないと。
「よし、これ捨てよう」
ガブリエルと会った時に着ていたベージュ色のコート。あの後、変な男たちに絡まれてから着る事ができなかった。明日は資源ゴミの回収日だからちょうどいい。
絡まれた時に着ていた服と鞄をゴミ袋に入れるとすっきりした。コートにはガブリエルとの思い出はあっても、絡まれた嫌な思い出の方が強すぎた。
出掛ける用意をして、部屋を出るとエレベーターホールに宗助が立っていた。
「あれ? おはよう、宗ちゃん。タバコ吸ってないのね。珍しー」
最近はスーツ姿ばかりだったのに、今日はベージュのミリタリージャケットに黒のリブニット、黒のジーンズにスニーカーという出で立ち。すらりとしたモデル並みの体型が強調されてカッコイイ。
昔は宗助に憧れていたこともあった。でも、宗助に彼女が出来てからは近づいてはいけないと強く思っている。異性の幼馴染が近くにいて親しくしていたら、彼女も嫌だと思う。誤解されたくもないし。
「おう。今来た所だからな。おい、何だそれ」
宗助が指さすのは私が持っているゴミ袋。
「コートとか。捨てるの」
「ふーん。まだ着れそうだけどな。俺が新しいの買ってやろうか?」
「いらない。自分で買う」
宗助の押しつけがましい言動がイラつく。自分の返事が可愛くないと思っても、宗助相手に愛想は必要ない。
「そうか。高給取りだもんな」
宗助の嫌味たらしい言葉にどきりとした。
「な、何で知ってるの?」
「は? どういう意味だよ。まさかあの時より給料上がってるのか?」
しまった。単なる嫌味だったのかと後悔しても遅い。
「……特別手当が出ただけ」
「特別手当? まさか……お前、変な仕事してないだろうな?」
「変な仕事って何? 私が普通に働いてたら、経費がものすごーく節約できたって驚かれたの。だから特別手当」
家政婦をしているとは言えない。嘘にならないようにぎりぎりの線で答える。
「ふーん。その格好、出掛けんのか?」
「別に。ごみ捨てに行くだけ」
何となくついてこられそうな気がした。服のついでに下着も買うつもりだから困る。
ゴミを捨てて、駅へと歩き始めると宗助がついてきた。
「ついてこないで!」
「別に。俺も駅に行くだけだ」
そう言われると反論できない。黙ったまま、歩く。
「そのスカート似合ってるな」
宗助が褒めるのは珍しいと思っても、反応しないように努める。嬉しいと思って反応したら、気分を下げる言葉が続くことの方が多い。どうせからかわれるだけだし朝から嫌な気分にはなりたくない。
音楽フェスに行った時に履いていたローズピンクのスカートは歩きやすい。いつもより長めのスカートの裾が揺れると心が浮き立つ。
ちょうど通りがかったショーウィンドウに、私の影が映り込む。自分が歩くシルエットを見ていると、降ろした髪を結んでもいいかもしれないと思いつく。
「ふーん。自分の顔見て楽しいか?」
後ろを歩いていた宗助の余計な一言で、上がっていた気分が台無し。
「う・る・さ・いー」
耐え切れずに振り返って抗議すると、優しい笑顔にぶつかった。
「やーっと、こっち見た」
嫌味な口調とは全く違う嬉しそうな笑顔を見て胸がどきりと音を立てる。久しぶりに、ちゃんと目を見た気がする。
「な、何?」
「お前、俺の顔見てるようで見てないからなー」
宗助の目を真っすぐに見れなくなったのは、昔、朝帰りを目撃してから。子供だった私は、何か遠い人になってしまったような気がして、それからはなるべく避けていた。……こんなに優しい目をしていたのか。
「別に宗ちゃんの顔なんてどーでもいい」
何故か高鳴る鼓動を隠して、宗助に背を向けて歩き出す。宗助には彼女がいる。私には関係ない。
「そういや、お前の元のバイト先、閉店するってよ」
「え?」
「バイトの次は、社員が全員辞めたそうだ。本社から手伝いに来てたみたいだが、限界だとさ」
竹矢が言っていたことを思い出して背筋に冷たいものが走る。
「……周りのお店はまだやってる?」
「歯抜けみたいにシャッター降りてる店も多くなってたな。あの周辺の昼食難民も増えてるのかワゴン車の移動販売が大盛況だ。ちょっと早いが見に行ってみるか?」
「何で? やめた店に興味ない」
「周りが閉店してる中、気のいいじーさんとばーさんがやってる店が残ってる。応援したくなるだろ?」
入ったことはなくても、どこの店かはわかった。小さな喫茶店を営む優しい老夫婦はその二階に住んでいる。
断る理由が見つけられなかった私は、宗助と新宿へと向かった。
◆
私が以前バイトをしていた飲食店は、以前の小奇麗な外観が見る影もなく荒れていた。割れた窓にはベニヤ板が貼られていて、壁には落書きをペンキで塗りつぶした跡が残っている。
「嘘……」
「この前見た時より酷くなってるな」
流石にこの現状を目の当たりにすると、クビになった恨みもすっかり消えた。毎日働いていた場所への憐れみのような気持ちが湧いてくる。
いたたまれなくなって向かった小さな喫茶店は、お昼前だというのに満席だった。
「それは残念です。また来ます」
宗助が爽やかな営業スマイルで謝罪する老婦人に声を掛け、ぼんやりと店の中を見ていた私の肩を掴んで、店から離れた。
「ちょ、何?」
肩を掴む力が強すぎる。角を曲がって喫茶店が見えなくなった時、宗助が真顔になった。
「やべーぞ、あの店」
「ヤバイ?」
「席に座ってた奴ら、珈琲しか頼んでなかったろ?」
「え、あ、そうね。皆、ホットコーヒーだった」
「あの店、千円で珈琲飲み放題のメニューがある。一日中、珈琲で居座られてるとしたら、採算は取れないな」
「居座ってるって、どうしてわかるの?」
「それは俺の直感な。最近、この辺りの飲食店は嫌がらせされてるっていう噂がある。土地をまとめて安く買いたいヤツがいるみたいだな」
「昔あったっていう地上げ?」
「かもな。お前の務めてる不動産会社じゃねーのか?」
「それは絶対違うと思う。そういう回りくどい方法嫌いって言いそうな人だもの」
竹矢なら、直球勝負で目の前に現金を積みそうな気がする。それはそれで怖い光景かもしれない。
「何だ? お前、社長が好きなのか?」
「違います。変な想像勝手にしないで」
「ちょっと先に、美味い店がある。おごってやるから行かないか?」
「別におごりでなくていい」
「お前なー。ここは素直にありがとうでいいだろ? 行くぞ」
そう言って、宗助が私の手を掴んだ。ガブリエルと違って、その手の力が強い。……昔々、こうして手を引かれた記憶がある。
幼い頃の懐かしい記憶に引きずられ、その手を振りほどくことが出来ないまま、私は歩き出した。
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