第13話 竪琴の音色
河川敷の一部に白線で印をつけただけの屋外駐車場は、想像以上に車が止まっていた。
「あ、この人見たことあるかも。知ってる?」
コンサートツアートラックと思しき車が何台も停まっていて、私でも知っているアーティストの物もある。
「全然知らないな」
ツアートラックが見えるようにと、ガブリエルがわざわざ遠回りしてくれる。
「和楽器のバンドとかもあるんだ……ツアートラックって派手ね」
派手派手しいアレンジの着物を着た男性三人が和楽器を持っている写真がトラックに大きく印刷されている。
「これはデコトラではないのか」
「違う違う! 実物見たこと無いけど、電飾いっぱいつけてて、演歌歌手とか日本画とかのキラキラした絵がどーんって描かれたトラックがデコトラ」
写真で見たことがあるだけで、実際に走っているのを見たことはない。トラックの装飾に数百万、数千万円掛ける人もいたと聞いたことがある。
「
「そっか。だからいろいろ機能を着けたくなるのね」
車として走るには無駄すぎる装飾と通じる物があるのか。
「デコトラは『
「そうなんだ……ガブリエルは?」
「私にはわからないな」
内心ほっとした。デコトラで迎えに来られたら、いくらガブリエルでもドン引きしてしまう。
ツアートラックが止まっている場所を回って、比較的空いている場所に車を停めた。運転席から後ろを確認し、慣れた手つきでハンドルを操る姿はカッコイイ。ぴたりと一度で駐車した。
「到着ー! 運転お疲れ様ー!」
ぱちぱちぱち。思わず手を叩くとガブリエルが笑う。
「馬と違って、車は正確に動いてくれるから楽だな」
比較するのが自転車やバイクじゃなくて馬なのか。外国には、現代文明とは距離を置いて電気のない自給自足生活を送っている人々がいると学校で習った気がする。
「そういえば、昔はどこに住んでたの?」
何となく聞きそびれていたことを思い出した。
「……ヴァランデール王国だ」
「あ、そ、そうなんだ……」
迷うような沈黙があって、知らない国の名前が出てきて焦る。今は流して後で調べよう。
「聞き覚えは?」
「……正直に言うと全然聞いたことない国。ヨーロッパあたり?」
「いや。遠い世界の話だ。……扉を開けるから待っていてくれ」
ヨーロッパではないのだろうか。世界地図を頭に思い浮かべても、日本の都道府県の位置さえ正確に覚えているか危うい。
助手席の扉が開き、ガブリエルがシートベルトを外してくれる。すぐにキスできそうな距離に胸の鼓動が跳ね上がる。
差し出された手に優しく引かれて車を降りると、自分がお姫様か何かになった気分。長めのスカートを履いていて良かった。
「行こうか」
「はい」
微笑むガブリエルと手を繋ぎ、私たちは賑やかな音楽が聞こえる会場へと歩き始めた。
◆
音楽フェス会場の起点は駅前の市役所。新しさを感じる駅舎の周囲は整備されているのに、大した商業施設もない。はっきり言って寂れている。
「あ。電車」
駅に止まった電車は四両編成で、窓から見えるのは満員電車さながらの混雑ぶり。
「大勢乗っているんだな」
「皆、ここに来るのが目的かしら」
話しながら見ているうちに、駅から人が溢れてきた。町おこしのイベントとしては大成功なのか。
駅前から市役所へと向かう大通りには屋台が並び、カップルや家族連れが詰めかけて、さながらお祭りの光景。
「屋台か。懐かしいな」
ガブリエルから意外な一言が出てきて驚く。屋台が懐かしい? 外食ばかりで屋台がいっぱいある国にいたのかもしれない。
「何か食べる?」
お昼にはまだ時間はある。
「そうだな。何が食べたい?」
視界の端に見えたクレープと言いかけて、思い直す。生クリームは思わぬところについてしまったりする。口の端ならまだしも、鼻の頭とかにつけてしまったら取り返しがつかない。
「えーっと。あ、蒸しまんじゅう!」
最近流行りのカラフルなおまんじゅうが見えた。可愛らしい猫や犬、小鳥。小動物の形をしたまんじゅうが蒸し器に並んでいる。これなら大惨事になることもない。
「食べ方に迷うな」
苦笑するガブリエルも私と同じ青い色の小鳥を選んだ。紙の上に乗ったおまんじゅうは湯気を立てている。
「そう? いただきまーす!」
ぱくりといつもの癖で頭からかじり付いて気が付いた。これは、小さくちぎって上品に食べるのが正解ではなかっただろうか。おまんじゅうに噛みついたまま、ちらりとガブリエルを見ると、目を丸くして驚いている。しまった。これまで女性らしく、可愛らしくを心がけてきたのに。
微笑んだガブリエルもぱくりと頭から噛みついた後、動きを止めた。二人で無言で咀嚼して飲み込む。
「ど、ど、どうしたの?」
「甘いとは思わなかった」
「甘くないのが良かった?」
豚肉や牛肉が入った軽食系の蒸しまんじゅうの方が良かっただろうか。
「いや。美味い」
ガブリエルは残りのまんじゅうを二口で食べ、追加で五個をぺろりと完食。
「白あん好きなの?」
質問してみると、ガブリエルは白あんを知らなかった。原宿に発祥の店があると教えると一緒に行く約束が出来た。
開き直って串焼き肉や焼きイカを食べた後、小さな市役所へと着いた。簡易で作られた小さなステージでは楽器を演奏している人がいて、立ち止まって聞いている人もいれば、歩きながらリズムに乗っている人もいる。
背中に町名が大きく書かれた法被を着た人から音楽フェスのパンフレットを受け取り、ガブリエルと歩きながら読む。チラシには無かったアーテイストや楽団の名前が追加されていた。
明るい曲が流れると心を明るくしてくれる。美しく切ない旋律が響くと、心が震える。柔らかな曲も激しい曲も、ありとあらゆる音楽が満ち溢れていた。
駅前から河川敷の広大な公園のあちこちでステージが組まれている。どれを聞くとも決めずに、歩き回って演奏が気になったら立ち止まる。映画館や劇場という閉鎖空間が苦手な私でも、気兼ねなく楽しむことができた。
「やっぱり生で聞く音楽って素敵!」
「ああ。加工して整えられた音よりも生き生きとしているな」
多少の難はあっても許される空気が心地いい。一度きりの勝負とばかりに、気負う演奏者の緊張感も素晴らしい。
歩いているうちに、企業や楽器店、音楽サークルが陣取る場所にたどり着いた。ここは事前に地図が公開されていたから、怪しい所はチェック済。気軽な音楽サークルと称して、ねずみ講や新興宗教へ取り込む団体もいると
「楽器の体験コーナーってここかな……」
屋根だけのテントの下には折り畳み机が並んでいて、様々な楽器が置かれていた。見慣れたヴァイオリンや弦楽器、アコーディオンや大型のハープ、ドラムにギター、木琴。太鼓等の打楽器も置かれている。衛生的な問題からなのか、管楽器は置かれていない。
あちこちで誰かが試し弾きをしては、明るい笑い声が響く。私は目的の楽器を見つけて立ち止まる。
事前に調べた時、何故かこの竪琴に心惹かれた。抱えるくらいの丸い弓のような胴に弦が張られていて、不思議な懐かしさに心が躍る。
「楽器を弾いてみませんか?」
私が見ていると、にこやかに係員の女性が声を掛けてくれた。
「じゃあ、この竪琴を」
「それはミャンマーの楽器ですね。弾ける者が今、休憩に出ちゃってて……」
「あの、自己流で弾いてみてもいいですか?」
聞いてみると、どうぞと微笑まれた。このコーナーでは、どんな形でも弦楽器に触れてもらうことが目的とあった。
パイプ椅子に座って、膝の上に弓のような竪琴を置く。両腕で抱え込むようにしながら指で一弦ずつ弾いて音を確かめると、体が勝手に動き始めた。
今までに聞いたこともない軽やかな曲が指先から溢れ出る。弦のすべてを使い、音を確かめるように奏でられる。自分の指が弾いているのに、自分が弾いているという実感が薄い。まるで、慣れ切った練習曲。
三分程の曲を弾き終えると、続けて動いた指が勇ましい行進曲を奏でる。自分でも聞いたことのない曲なのに指が、体が知っている。
弦を弾く音が、私の演奏に被さってきた。視線だけを動かすと、ヴァイオリンを指で弾くガブリエルの姿があった。ガブリエルがCMで見せていたピチカート奏法。
私が知らない曲は、続いて行く。ガブリエルは一音違わずに付いてくるし、まるで合奏のように一つの曲になる。
周囲に人が集まり始めると、私の心はさらに弾んだ。二人で五曲を披露して、拍手喝采の中、まるでプロの演奏者のように礼をする。
これは異常だと気が付いたのは高揚した心が鎮まって、楽器の体験コーナーから離れた時だった。
「……あれ? 竪琴なんて一度も弾いたこともないのに……」
冷静になると自分の指が勝手に動いたことが怖くなってきた。ガブリエルと一緒にいると、時々感じる恐怖が背筋を寒くする。
震え出した体をガブリエルが包み込んだ。温かな腕の中、答えが欲しくてガブリエルを見上げる。私が知らない言葉を理解できること、体が勝手に動く理由をまだ説明されていない。
「『どんな条件でも、お客を楽しませることができれば勝ち』と言っていた」
誰が? 私が?
「楽しくなかったか?」
「……楽しかった」
「くらら、君は……」
ガブリエルの言葉が途切れて、何があったのかと視線を追うと、周囲の人々の注目を浴びていることに気が付いた。人が行き交う場所で抱きしめられていることにようやく気が付く。
「せ、説明は後で!」
ガブリエルの手を引いて、私はその場から逃げるように走り出した。
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