第12話 ナイトサファイアブルー
冬の日々が過ぎて二月も後半になると、温かな日差しの日が多くなってきた。行き交う人々の服装も徐々に色付いて行く。
あっと言う間に音楽フェスの日が来てしまった。嬉しいような寂しいような複雑な心境。ガブリエルの仕事も忙しい時期で、帰りに送ってもらうだけの日々が続いていた。
三十分前に待ち合わせの新宿駅に着くと、ガブリエルが既に待っていた。背が高く、細身でもしっかりと筋肉の付いた均整の取れた姿は、伊達眼鏡では隠せない。鉄紺色のテーラードジャケットに白シャツにジーンズと革のスニーカーというシンプルな服装が精悍な姿を引き立てている。
周囲の女性たちがちらちらと目線を送っているのがわかる。制服姿の女子高生たちが近づこうとしているのが見えたので、慌てて駆け寄る。
「ごめんなさい! 待たせちゃって」
「大丈夫。今、来た所だ」
微笑むガブリエルは全く動じない。というよりも、自分が注目されていることに気が付いてもいないみたい。
「えー、なんだー」
女子高生たちの残念そうな声が背後に聞こえて、若干の優越感と罪悪感がちくちくと心に刺さる。
「くららは今日も可愛いな」
その一言で、心臓が止まるかと思った。
「あ、あ、ありがとう」
いきなりすぎてどう返答したらいいのかわからない。助けを求めて見上げると、何故かガブリエルの目が泳ぎ、耳を赤くしている。
ベージュピンクのスプリングコート、白のハイネックのニット、ローズピンクの膝下十五センチのフレアスカートは、今日の為に買いそろえた。靴だけは履き慣れた革のショートブーツ。
いつもより可愛いデザインと色を選んだから、可愛いと思う。というより、可愛く見せたくて選んだものばかり。清流からも、絶対可愛いとお墨付きをもらえた。
髪は降ろして、右側の一部をアップにしてバレッタで留めている。車の助手席に乗るなら、横髪を上げておいた方が表情が明るく見えるというのは、ネットで見かけた。
「い、行こうか」
「は、はい」
二人とも俯き加減。駅の地下駐車場に入って少し歩くと、見慣れた車が見えてきた。ガブリエルが出演しているCMの国産の小型スポーツカー。車のことは全くわからないけどカッコイイ。ツードアで基本は二人乗り、後ろの座席に二人の合計四人が乗れる。
「これ、CMの車でしょ? ナイトサファイアブルーって、こういう色だったんだ……」
CMで見ていた印象とは違って、濃い夜の色。一見、紺色に見える車体は、光が当たる角度によって濃いサファイアの青色に煌めく。
「我がままを言って、夜の色に近くしてもらった」
「え? じゃあ、特別色なの?」
「元の色も良い色だが、青すぎて目立ちすぎる」
苦笑しながらガブリエルが助手席のドアを開けてくれた。
「どうぞ」
差し出された右手に、恐る恐る右手を乗せるとガブリエルの動きが止まった。
「困ったな……」
「何?」
心臓が口から飛び出そうなくらいに暴れている。何か困らせるようなことをしてしまっただろうか。
「馬車への誘導はしたことがあっても、車の座席への誘導はしたことがない」
「ば、馬車っ?」
驚き過ぎて変な声が出た。日本で馬車に乗るといえば、遊園地ぐらいしか思い浮かばない。ガブリエルは外国暮らしが長かったと竹矢が言っていたのを思い出した。外国では馬車もまだまだ使われているのかもしれない。
「よ、よくわからないけど、お先に失礼します」
助手席の座席に腰かけて、体を捻って揃えた脚を持ち上げる。車に綺麗に乗る方法は、ネットで調べて自宅でも練習した。
私が助手席に収まると、ガブリエルがシートベルトを掛けてくれる。その端整な顔が近すぎて息ができない。
「くらら? ベルトを締めすぎていないか?」
「え、あ、このくらいで大丈夫」
近い近い。近すぎる。歯も磨いてきたし、マウスウォッシュもしてきた。さっきミントタブレットも噛んだ。大丈夫とは思っても、気になるものは気になる。
扉を優しく閉めたガブリエルが運転席へと座り、エンジンを掛けた途端に車載ナビの画面にオレンジ色のツナギを着た男性の姿が映った。
『やほー。ガブリエルの彼女ちゃーん。初めましてー』
ひらひらと手を振るのは、三十代半ばでウェーブした髪の垂れ目の美形。顔はチャラいという単語がこれ程似合いそうな人はいないのに、手とツナギは黒い油で汚れていて、そのギャップに目が離せない。
ガブリエルの彼女と呼ばれたことにどきどきする。
『こいつが助手席に女性を乗せる日が来るとは思わなかった! お祝いに今回は特別チューンナップしておいてやったぜ! 楽しんでくれよな!』
片目を閉じた男性の画像が消えると『特別メニュー』が表示された。
「特別メニュー?」
車内のライトがピンク色になるだの、キスしたくなる音楽が流れるだの、助手席の背もたれが完全に後ろに倒れるとか、いろいろ項目があっても頭が理解を拒否していく。
「……ガブリエル?」
横を見るとガブリエルはハンドルに両腕を掛け、顔を伏せてしまっていた。ガブリエルもついていけないノリだったのかもしれない。
「今の人、誰?」
「……
「ええっ? 会った事ない!」
「彼の活動時間は夜で……マンションの地下駐車場に置いてある車を整備するのが仕事であり趣味だそうだ……」
遠い目をするガブリエルを見ていると、マンションの駐車場ではなく、わざわざ駅で待ち合わせした理由がわかったような気がする。
「む、無断で改造しちゃうの?」
「ああ。……竹矢の車は空が飛べる」
「空? え? 空飛ぶのって、許可とかいらないの?」
「竹矢は許可を取れるそうだ」
大富豪は世界が違い過ぎると思う。きっと、あのマフィアばりの姿で交渉しに行ったに違いない。
「こ、この車も?」
「空は飛べないが、スピードリミッター解除が出来る。エンジンも増強されていて最高時速四百キロが可能だ。シートも耐G仕様になっている」
車に乗る機会なんてないけど、そう言われてみればシートが硬いような気もしないことはない。ガブリエルが近すぎて疑問にも思わなかったけど、シートベルトが三本掛かっている。明らかに普通の車とは違う。
「えーっと、……安全運転して下さい」
耐G仕様とか言われても、時速数百キロなんて怖すぎる。
「わかった」
気を取り直したガブリエルは、ゆっくりと車をスタートさせた。
◆
ガブリエルの運転はとても丁寧で慎重だった。制限速度を超えることもなく、信号で止まる時にも緩やかで安心していられる。
高速に乗って速度が上がると車の動きが滑らかになった。
「よく運転するの?」
「月に二、三度。モデル仲間に現場への送り迎えを頼まれた時くらいだな」
ハンドルを握ると性格が変わる人がいるとよく聞いていた。ガブリエルは変わらなくて優しい。
何を話したらいいのかわからなくて、どちらからともなく始まる会話は途切れ途切れ。何とも言えない気まずさに耐えられなくなった私は、鞄からCDを取り出した。
「CD掛けていい?」
「ああ」
ナビにCDをセットすると、車内にヴァイオリンの音色が静かに流れる。今は激しい音よりも、水が静かに流れていくような穏やかな曲が良い。
「音が違う……」
CDプレイヤーで聞く音とは違って、深みと広がりがある。座っていると音に包まれる感覚が楽しめる。
「スピーカーも哲一が手を加えている」
「こういう改造なら大歓迎なのに」
「そうだな」
音楽が流れていると、何の会話もいらなくなった。ただ音楽に身を任せ、時々視線を合わせて微笑むだけで幸せを感じる。――後は楽器があればいう事無し。
幸せを乗せた車は高速を走り抜け、目的地へと到着した。
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