第10話 デートの約束

 ガブリエルに握られた手が熱い。私が適当に指さした方へと歩くと、クラッシック音楽の一角へとたどり着いた。騒がしい店内の中、ここだけは静かな空気が漂う。CDを見ているお客も落ち着いた雰囲気の人ばかり。視聴コーナーでは会社帰りのスーツ姿のサラリーマンや綺麗めコーデの女性が曲を聞いている。


「何を聞く?」

「え、えーっと。どれがいいかな……」

 学生の時、音楽の授業で聞いたことのある名前しか思い浮かばない。クラッシックに興味がないのがバレバレ。ガブリエルのピッツィカート演奏を見て、ヴァイオリンもあんな風に弾けるんだと感動しただけで。


 なるべく繋いだ手に意識を向けないようにとしても、嬉しくて頬が緩みそうになる。

「そ、そうだ。ゆ、弓は使わないの?」

 CDジャケットを見て、咄嗟に思いついたことを口にする。

「……弓を使って弾く方法は知らないな。私が知っているのは、指か『魔法石』を使う演奏方法だけだ」

「魔法石?」

 またガブリエルの口から不思議な言葉が出て来た。意味は解っても、発音は真似できない。それが何かなんて全くわからない。


「この世界では〝奇跡の種ワンダーシード〟と呼ばれている」

「わ、ワンダーシード?」

 聞いたことのない単語だし、さらに意味がわからない。


「海底のメタンハイドレード層の下に埋もれていて、現在の技術では採掘に大変な金がかかるらしい。……小指の先くらいの一粒で数千万の値がつく」

 メタンなんとかという言葉も初めて聞いたけど、値段を聞いて疑問も不安もすべて吹っ飛んだ。


「た、高っ。宝石なの?」

「いや。……そうだな……この世界で言えば……電池……みたいな物、かな」

 首を傾げる姿は可愛くても金額の衝撃が抜けない。そんな高価な石でヴァイオリンを弾くのか。たとえ石でも削れたら一体いくら……という想像が頭の中を駆け抜けていくのは、ドが付く庶民の性かもしれない。


「で、電池が数千万? 何? 車でも動かせるの?」

「車はわからないが、建物の空調や上下水道、灯りにも使われていた。『小銅貨』一枚でカップ一杯買える安価な物と思っていたから、ここでの値段に驚いた」

「小銅貨?」

 また意味が分かっても発音が真似できない言葉。ガブリエルがはっと何かに気が付いた顔をして苦笑する。 


「……竹矢が持っているから、頼めば見せてくれるだろう。くららが演奏を見たいなら借りようか」

「指で十分です!」

 そんな高価な石で演奏されても、きっと庶民な私は心配だらけで楽しめない。叫びに近い声を上げた私を見て、ガブリエルが笑う。


「あ、あれ聞いてみましょ」

 視聴コーナーの空いている場所を指さすと、ガブリエルが頷く。

 深く考えても仕方ないというか、知らない言葉を知っている私が怖い。ガブリエルが説明してくれるまで待ちたいというのは、逃げなのかもしれない。


 二人で肩を寄せ、一つのヘッドフォンで曲を聞く。繋いだままの手をどうするのが正解なのか、考えても答えが出なくて頬が熱くなるだけ。


 ヴァイオリンの音が耳に心地いい。聞いたことのない曲がするすると頭に入って記憶されていくのがわかる。まるで録音しているような不思議な感覚。


「深みのある良い音だが、……人為的な……加工を感じるな」

「デジタル加工していない音楽を聴くなら、コンサートとか、生演奏でないと難しいかも」

 昨今の曲で加工していない音は、ほとんどないように思う。


「……すまない。劇場は苦手だ。特に舞台がある場所は……」

 ガブリエルの瞳が曇る。何がと思っても、私も昔から劇場が好きじゃない。奇妙な共通点を知って、どきりとする。


 何か他の話題をと探して、思いついた。

「もしかして、車のCMでガブリエルが弾いてる曲は加工なしなの?」

「ああ。場面に合わせて音の強弱だけ調整されているだけだ」

 それは凄いと素直に思う。何百回と聞いても飽きない音色の秘密の一つかもしれない。


 十数枚のCDを視聴して、ガブリエルは加工の少ない曲が入った数枚のCDを選んだ。

「CDプレイヤーって持ってる?」

 ガブリエルの部屋には何もなかったような気がした。それとも引き出しの中にあったのだろうか。聞くなら私の部屋でと言いかけた時、ガブリエルが口を開いた。


「車のナビにプレイヤー機能がある」

 それは残念。せっかく部屋にあがってもらう理由が出来たのに。


 会計をした際に店員が近日開催という音楽フェスのチラシを入れてくれた。ちらりと見た演目に興味を引かれて、店内に張られた大きなポスターを見上げる。


「音楽フェス?」

「大きな公園とか、駅前とかで時々やってるのは知ってるけど……」

 駅前から河川敷の公園までの広大な場所で、クラッシックやジャズ、ロックの大小さまざまなコンサートや大道芸、楽器の中古市、音楽に関するあらゆるイベントが土日祝の三日間に渡って行われるらしい。


 これなら劇場に入らなくても、生演奏が思う存分楽しめるかもしれない。そう思って場所を確認すると隣の県の聞いたこともない駅。スマホで検索すると電車で八回乗換が必要と出た。


「うわー。これは遠いー」

「遠い? 車では行けないのか?」 

「無料駐車場一万台完備ってあるけど……」

 それ程大きなイベントだとは思えなくて、町おこし的な感じがする。主催が市役所の地域振興課だし。


「二日目の日曜ならスケジュールが空いてる。車で一緒に行こうか」

「は、はい!」

 これはもしかして、デートの誘い。もしかしなくてもデートの誘い。ガブリエルにはそんなつもりがないかもしれないけど、私にとっては、初めてのデート。


 口から飛び出そうなくらいに心臓が暴れる。二十六年生きてきて、男の人とデートなんて初めて。


「くらら? 顔が赤い」

「な、な、何でもない」

 繋がれたままの手を握りしめ、私は緩みそうな頬を必死で引き締め続けた。


      ◆


 私の部屋にたどり着くと、また宗助に邪魔をされてガブリエルは帰ってしまった。

「お前、何であいつと手なんか繋いでたんだ? 付き合ってるのか?」

 眼光鋭く問い詰めるような口調にムカつく。


「尋問しないで。誰と付き合っても、私の自由でしょ」

 部屋の鍵を回すと宗助が近づいてきた。ガブリエルは良くても宗助は部屋に入れたくない。

「あんなチャラチャラした男のどこがいいんだ? モデルなんて女遊び激しいに決まってる。お前、遊ばれてるんだよ」


「そんなことないもの。私が……」

 連れ込まれた最初の女。と口にしそうになって慌てる。そんな恥ずかしい事、口には出せない。


「お前がなんだって?」

「夜は危ないから心配して送ってくれてるだけ。付き合ってない」

「じゃあ、お前、子供扱いか。迷子にならないようにって手を握られて」

 からかうような口調が、さらにムカつく。昔から宗助の口は悪い。


「はいはい。どうせ私はお子様ですよーだ! 大人な宗ちゃんは彼女のお部屋にお帰り下さい!」

 持っていた鞄を振り回し、宗助が怯んだ隙に私は自分の部屋の扉に滑り込んだ。


「おい! お前!」

 開けろと玄関チャイムを鳴らされるか、扉を叩かれるのか。鍵を閉めて身構えていたのに、宗助があっさりと帰ってホッとする。


「一応心配してくれてる……のかな?」

 彼女がいるのだから、私なんて構わなくていいのに。


 寝る支度を済ませてから、ガブリエルが貸してくれたCDをプレイヤーにセットする。新品だからと断ると、わざわざ開封してから渡してくれた。その気遣いが嬉しいというか、優しさが嬉しい。


「あれ?」

 視聴した部分を完全に覚えていることに気が付いた。CDを聞き終えると全部を覚えていて、思い返すことができる。


 これまでガブリエルが演奏していた曲以外は、完全に曲を覚えるということはなかった。しかも一度聞いただけなのに、頭にしみ込んでいく不思議な感覚。


「ガブリエルが貸してくれたから?」

 そんな訳はないと思う。しばらく聞いていなかった過去の流行曲のCDをセットすると、歌詞はさっぱり忘れているのに曲だけが頭に入っていく。


 三枚目のCDをセットしようとした時、清流せいるから電話が掛かって来た。

『あー、遅くにゴメン。えーっと変な事聞くけど、彼氏できた?』

「か、彼氏?」

 唐突な問いにどきりとする。……ガブリエルは彼氏ではないと思う。


『さっき宗助から確認の電話が圭助にあったの。知らないって言っておいたけど、もしかして、あの男?』

「まだ彼氏じゃないもの……」


『まだって何? 希望がありそうな感じなの?』

 清流の声が華やぐ。

「こ、今度、車で出掛けることになってて……何着ていったらいいかな?」

『車よね。場所ってどこ? 教えて』


 どきどきする胸を押さえながら、清流への相談の電話は深夜近くまで続いた。

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