第9話 カレー風味の肉じゃが

 竹矢がリクエストした肉じゃがは、かなり変わっている。四切りのジャガイモが崩れる直前、輪切りにした玉ねぎが溶けるまで時間をかけて煮込んで、こんにゃくの細切りと戻した干しシイタケ、別茹でしたニンジンとさやいんげん、最後に薄切りの牛肉をたっぷりと入れてさっと煮る。出汁はかつお節と昆布。味付けはお酒と蜂蜜とみりんに醤油、固形のカレールウをひとかけら。


「こ、これでいいのかな?」

 初めて作るカレー味の肉じゃがは、不安過ぎた。恐る恐る味見をすると甘辛い和風出汁とふわりと感じるカレーの風味は意外と合う。


「ん? 結構美味しいかも」

 ただし見た目は悪い。崩れそうなジャガイモと溶けた玉ねぎの視覚的インパクトはニンジンとさやいんげんの色あざやかさでは隠せない。

「た、確かに肉じゃが、よね」

 ジャガイモと同じ量の肉を入れるという希望に従うと、肉だらけでさらに見た目が良くない。


 肉じゃがは昨日の予定だったのに、急にオムライスにしてくれたのは竹矢の優しさだと思う。初めて作るカレー風味の肉じゃがは様々なひと手間が必要で、焦って混乱した頭では難しかったかもしれない。


「ただいま」

「お、お帰りなさい!」

 夕食が出来上がって少しして、ガブリエルが仕事から帰って来た。エプロンを着けたまま交わした言葉が、まるで夫の帰りを迎える妻のようだと思いついた途端に顔が熱くなる。


「くらら? 顔が赤い。熱でもあるのか?」

「だ、大丈夫! あの、これは、今、鍋の前に立ってたから!」

 言い訳をして、ガブリエルが部屋へと向かう背中を見送る。妄想で頬が緩むのは止められない。仕事中だと自分に言い聞かせてみても、公私混同してしまう。


 きっちりと気持ちを切り替えるのは本当に難しいものだと思う。だって、あこがれの人が手を伸ばせば触れる距離にいて、しかも心配してくれる。


「くらら、少し動かないでくれ」

 コートを置いて戻って来たガブリエルが私に手を伸ばして来た。何をされるのかと硬直すると、額に大きな手を当てられる。

「だ、だ、だ、だ、大丈夫……」

 ガブリエルの手からは石けんの匂いがする。手を洗ってきたのだろうか。


「熱はないな。良かった」

 至近距離の笑顔は破壊力が抜群過ぎてさらに顔が熱くなる。ふわふわとした気分になった時、インバネスコート姿の竹矢が帰って来た。


 そうだ。この家にはもう一人いた。恩人に対して一瞬とはいえ、物凄く失礼なことを考えてしまったと反省しつつ、私は竹矢を笑顔で迎えた。



「おおー。これ、これ。俺の中ではこれが肉じゃがなんだよなー」

 すぐに始まった夕食で、何年ぶりかと言いながら食べる竹矢の絶賛は大袈裟過ぎて笑ってしまう。竹矢は紺色の作務衣に着替えていて、インバネスの危険な香りのする怪しさから、気さくでラフな変な人になっている。


「……昔はよく作ってくれたのになー」

 苦笑しながら肩をすくめる竹矢は、ちょっと可哀想。紗季香がモデル派遣会社を立ち上げてから料理をする時間がないくらいに毎日忙しくしていると愚痴めいた言葉を零す。二人が一緒に暮らさないのもそのあたりに理由があるのかもしれない。


 肉じゃがと小松菜のお味噌汁。出汁巻き玉子とごぼうのサラダ。炊飯器が届いたので、炊き立てご飯。昨日、夜遅くまでネットで調べた基本のレシピを忠実に再現することに力を入れた。


 ガブリエルはにこにこと笑いながら食べている。美味しいか聞いてみたいと思うけど、いちいち聞くのもためらうし、食べる姿を見ているだけで絶叫しそうなくらいに可愛い。


「ふーん。お前も気に入ったのか?」

 竹矢が意味ありげな笑みで尋ねると、ガブリエルが頷く。

 

 よく見るとガブリエルの箸使いは竹矢に似ている。竹矢に教えられたのかと聞いて見ると、二人とも紗季香に叩き込まれたと答えが返って来た。


「紗季香は箸がまともに使えない男が苦手なんだ。登録してるモデルも箸が使えるようになった男は仕事を回すが、全然直そうとしない男には仕事を回さない」

 箸がというより、食べる姿が綺麗な男は写真にも澄んだ空気感が写ると言うのが紗季香の持論らしい。


 不思議な話だと笑いながらも、そっと自分の手元に目をやる。……そんなに変な持ち方ではないと思うけど、自信はない。帰ったら動画を探してみよう。


「事務所で、トップレベルで稼いでるヤツらは全員、紗季香の指導通りに箸使いを矯正してる。こいつらの飲み会とか行くと面白いぞー。箸を使って豆とか米とか、十秒で何個運べるかとかで勝負して、誰が飲み代払うとか真剣にやってるからな」


 大きな桶に並べられた寿司を崩さずに何個取れるかという勝負もあるとガブリエルが笑う。何人かの名前を聞いただけでも、CMやポスターで見たことのあるモデルばかり。もっと大きな芸能事務所の所属と思っていた人もいる。


「割り箸は当たり外れがあるから、それも込みでの勝負になる」

 ガブリエルも飲み会に参加したりするのかと思うと、ちょっと意外。写真や動画で見て抱いていた印象は、ひたすらクール。こんなに可愛く笑う人だとは思っていなかった。


 三人での楽しい夕食の後、竹矢は飲みに行くと出て行き、二人だけになった。食器の片づけを終えてしまうと緊張してしまう。時間は午後七時半。夜食もすでに作って冷蔵庫に入れてあるし、この時間から掃除をしても仕方ない。


「えーっと、仕事も終わったから帰ります」

 本当は帰りたくない。ガブリエルと一緒にいたい。何を話したらいいのかわからないだけ。


「じゃあ、送っていこう」

「え……その……毎日って、大変じゃない? 疲れてるでしょ?」

 本当は嬉しい。今日は朝から撮影だったのだから疲れているだろうと思う。

「平気だ。くららと一緒にいると楽しい」

 めまいがしそうな言葉と笑顔で、私の心は完全に舞い上がった。


      ◆


 夜の新宿も人が多い。並んで歩いていると、間を割っていくように歩いてくる人もいる。手を繋ぎたいなと思ってみても付き合ってもいないのに、それは不自然。


「CMで弾いてた曲、販売とかしたりしないの?」

「……あれは……」

 ガブリエルの言葉が詰まる。少し待っていると続きが返って来た。ガブリエルの言葉が詰まる時には返事ができない時よりも、日本語が出てこないのが理由の時の方が多いとわかった。視線が斜め上に泳ぐのが合図。


「あれは、とても長い曲の一部だ。便宜上、私が著作権を登録しているが、私が作曲した物ではない」

「そうなんだ……それは残念。あの曲、大好きだから全部聞きたいって思ってたの」

 私がそう返した途端に、ガブリエルの笑顔が少し曇る。


「全部聞きたい?」

「聞きたい!」

「……そうか。しばらくまともに演奏していなかったから……思い出してみよう」

 

「それと……実は……CDという物を知らない」

「ええっ!? 知らないの?」

「……ここに来てから、テレビやネットでは音楽を聴いている」

 CD発売を希望と言われても、わからないとしか返事が出来なかったとガブリエルが苦笑する。


 成程。あれだけのCD販売希望署名が集まったのに実現されないのは、それが理由の一つなのかもしれない。


 丁度通りかかったCD屋へと入ると、ネットでよく聞く曲が大音量で流れている。皆聞いてるし、カッコイイと思ってダウンロードはしていてもCDを買う程好きかと考えるとそうでもない。ここ数年はそんな感じでCDは買ってない。


 視聴コーナーで展示されているCDを見ながら、いくつかを一緒に聞いてみる。二人で一つのヘッドフォンを使って同じ音楽を肩を寄せ合いながら聞くと、近すぎる距離に胸が高鳴るのは止められない。


「くらら?」

「えっ? あっ? 何っ?」

「どうして息を止める?」

「そ、そ、その……」

 夕食の後、うがいも何もしていないから息が気になるとは言えない。これからはマウスウォッシュか何かが必須だと心にメモをする。


「あ、あっちの曲も聞きに行きましょ!」

 完全に熱くなった頬を隠しながら、私はガブリエルの手を握って引きながら、片手で指さす。


 一瞬、ガブリエルが驚いた顔をしてから、優しく笑う。

「え? あ? ええっ!? ご、ごめんなさいっ!」

 成り行きとはいえ、手を握ってしまった。慌てて手を離すと、ガブリエルの手が私の手を握る。


「あちらの曲も聞きに行こう」

 羞恥と混乱で頭の中が完全に真っ白になってしまった私は、笑顔のガブリエルに頷いて返すことしかできなかった。

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