第4話 後ろめたい気持ち
「俺たちとイイことしよっかー」
ピアスの男は私の腕を強く掴む。ぎりぎりとした痛みに心が委縮していく。助けをもとめて叫ばなければと思うのに、恐怖で口が動かない。
引きずられるようにして、路地の奥へと向かって行く。
「店借りるか」
「夕方までは楽しめるな」
男たちはにやにやと笑いながら後ろから付いてくる。逃げなければと思うのに体が動かない。
「おう。くらら、どうした?」
声の方を見ると、ひょろりと背の高い竹矢が暗い路地に立っていた。大きな布袋を左肩に乗せた黒いインバネスコート姿は、ホラーかサスペンス映画の一場面でも違和感がない。口の端に火のついていないタバコを咥えている。
助けてと言いたいのに声がでない。片手で鞄を胸に抱いたまま、脚が震える。
「何だぁ? 知り合いか? おっさんよぉ」
私の腕を掴んでいる男が威嚇するような声を出した。
「そうだな。俺の大事な身内だ」
ぼりぼりと頭を掻く竹矢がのんきに答える。
「……おい、やめとけ」
男の一人が蒼白になって、私の腕を掴むピアス男の肩を掴んだ。
「はぁ? 今更何、びびってんだ? これから楽しいパーティだろ?」
「いいから! 手を離せ!」
顔を蒼白にした男の体は震えている。
「そうだな。その兄ちゃんの言葉は正しいな」
のんびりとした口調の竹矢は、今度は首を掻いている。
震える男が、私の腕を掴んでいる男に耳打ちする。「死にたくなければ手を離せ」「このままじゃ俺たち全員消される」そんな言葉も聞こえて、男は不承不承という顔で手を離し、私はその場にへたり込む。
竹矢はゆっくりとコートの胸元へ手を伸ばそうとしていた。
「す、すいません! 良く言い聞かせておきますから!」
震える男が竹矢に深々と頭を下げ、男たちを急かしながら去っていく。
「大丈夫か?」
竹矢の声に、安心して涙が零れた。
「あー。おい、ここで泣くなよ。俺が泣かしたみたいじゃんよー」
「ご、ごめんなさい」
「落ち着くまで、茶でも飲むかー」
竹矢は私を立ち上がらせて、ふにゃりとした笑顔を見せた。
竹矢が私をタクシーに乗せて連れて行ったのは、高級ホテルの喫茶室。常連なのか、店員たちの対応は丁寧以上の気遣いがある。完全禁煙の為、竹矢は咥えタバコをポケットに入れた。担いでいた布袋は手荷物籠に入って座席の横に置かれている。よほど大事な荷物なのだろう。
「何でも頼んでいいぞー」
そう言われて広げたメニューの値段を見て、先程のショックが少し吹っ飛んだ。オレンジジュース一杯で、ちょっとお高めのランチが食べられる価格。珈琲や紅茶には様々な種類と価格がある。一番安い物を探してアイスミルクティを頼んでみても、オレンジジュースとあまり変わらない。
「助けて下さってありがとうございました。あと、昨日は泊めて下さってありがとうございました。ご挨拶もせずに失礼しました」
私が頭を下げると竹矢が顔の前でひらひらと手を振る。
「あー、いいってことよ。ま、たぶんもう狙われないから心配しなくていいぞー」
「どうしてですか?」
「あいつらのうちの一人が俺を知ってただろ? 俺の身内ってわかったら、手を出す馬鹿はいないからなぁ」
竹矢ののんびりとした口調が、途端に怪しく怖いものに思えてきた。
「……竹矢さんって、怖い人なんですか?」
「お? やっぱわかるー? 俺って怖い人なのよ」
意を決して質問したのに、やにやと笑う竹矢には威厳も迫力の欠片もない。
「うそうそ。俺って一応不動産会社の社長さんなの。怖い知り合いいっぱいいるからね。虎の威を借る狐って訳よ」
「社長さんだったんですか?」
まだ若い……と思う。ぼさぼさの髪に無精ひげなのに、糊の利いた白いシャツ。黒のベストは前ボタンが全開で、黒のスラックスにはぴっちりとアイロンが掛かっている。黒エナメルの靴は上品な光沢。ちらりとシャツの袖から見える銀色の時計は高級品なのかもしれない。
独特なフルーティな香りを放つ珈琲とアイスミルクティが運ばれてきた。珈琲には何も添えられておらず、ミルクティにはお洒落なガラス壺に入ったガムシロップと紙製のストローが添えられている。全面に菱形の折り目の付いたデザインのストローは見るからに高そうで、それだけでも心が怯む。
「今日は休みか?」
「……バイトをクビになりました」
大きな溜息が出てしまった。竹矢が苦笑する。
「何か吐き出したかったら、すっきりしとけよ。あれだ、王様の耳は猫の耳ーってヤツ」
「それ、ロバですから」
気さくな竹矢の言葉に笑ってしまう。私は包み隠さずバイト先でのことを話した。
「あー、それは災難だったな。……最近他にもクレームなかったか?」
竹矢の問いに考えるまでもなく、数件のトラブルがあったことを思い出す。
「ありました。小さなことばかりでしたけど、すぐに本社にクレーム入れられて」
毎回店長が電話で謝罪していた。その姿を思い出せば、一方的に解雇されてムカついていた気分も治まってきた。
「……マズイな。その店潰されるぞ」
何も入れていない珈琲を口にしながら、竹矢が言う。その静かな言葉が怖いと何故か思う。
「でも、チェーン店ですよ? 簡単に潰される筈ないですよ」
さっき、あんな店潰れてしまえと呪ったことは秘密にしておきたい。
「いろいろやり方があるんだよ。店で騒ぎを起こして本社に何度もクレームを入れる。もちろん同じ人間は使わない。何人ものお客と揉め事を起こす店舗だと本社に認識させて、統廃合を狙う手法だな。今回、クレームを真に受けて従業員の首を切ることを選んだのなら、次々と辞めさせていく手を取られるなー」
竹矢の言葉に成程と思う。店は黒字でも、働く人がいなくなれば畳むしかない。他の店舗でも人手は常時不足気味だし、チェーン店で賃金は都内一律と決まっているから簡単に上げることもできないだろう。
「次のアテあんの?」
「今のところないです。明日から職業斡旋所通います」
「しばらく、俺の所で家政婦のバイトしない? バイト代弾むよー」
竹矢の言葉が軽すぎて、私はびっくりした。
「家政婦ですか?」
「俺、来週から十日くらい部屋に籠るから、昼と夜と夜食作って、掃除してくれないかなー」
「籠る?」
「そ。海外の取引先とネットで殴り合うの。ちょい面倒な案件だから、十日くらい画面とにらめっこだな」
ネットで殴り合うというのは、テレビ会議という説明を聞いて納得した。何時間も外国語で罵り合うこともあるらしい。
「ガブリエルに買い出しを頼むと、悲惨な目にあう」
竹矢が大袈裟な溜息を吐いてがくりと肩を落とす。前回頼んだ時、同じ種類のカップラーメンと同じ種類のお酒ばかり買ってきたので、籠っている間、ずっと同じメニューで死にそうだったらしい。それ以来、カップラーメンだけでなく、カレーを常備するようになったと笑う。
「でさ、俺は部屋から出られないから食うしかないじゃん? 俺が段々死にそうな顔していくのを取引相手は超怒ってるって思ったらしくてさー。いつの間にか俺が有利な契約勝ち取ったけど、もう嫌だね」
「出前取ったらいいんじゃないんですか?」
「出前の兄ちゃんに毎回生体認証させる訳にいかないしなぁ。ガブリエルも仕事があるしな」
悩んだけれど、私は受けることにした。竹矢にご飯を作るということは、ガブリエルにも食べてもらえるということだ。とりあえず一ケ月だけと約束する。
「じゃあ、来週から頼むわ」
竹矢が食べたい物を聞きながら、私はアイスミルクティを飲み干した。
◆
翌日、私はお昼過ぎに新宿駅で友達と待ち合わせていた。
「
緩やかなウェーブのロングヘアをなびかせて走っている美女に私は叫ぶ。
「ごめん! 遅れた!」
「大丈夫、今日は五分しか遅れてない」
私が笑うと、清流がくしゃりと笑う。
茶色のウェーブ癖のある髪は、パーマを掛けたように整っていて、きつめの美女に柔らかさを加えていた。深緑色のMA-1にオフホワイトのハイネックのニット。ジーンズに深緑色のヒールという組み合わせが、抜群のスタイルに似合っている。
一方の私の方は、淡いマスタード色のリボン付のコート、オフホワイトのニットにこげ茶色のスカートに編上げブーツを合わせている。
「今日のくららはカボチャプリンみたいで可愛いー。食べたら甘そうー」
百七十センチと背の高い清流にぎゅっと抱きしめられる。小さな頃から、何かと抱き着かれていて、今では恒例行事。初めて見る人には驚かれるけれど、清流には高校生の時から彼氏がいるから変な関係ではない。
歩きながら、清流が目的の店の説明を始める。
「可愛いスイーツの店なのよ。
圭助は清流の彼氏で、幼馴染の宗助の二歳年上の兄。細身の宗助と違って
筋肉隆々な体は服では隠せないし、強面でスイーツを食べる姿は想像できない。
角を曲がった途端に、通行止めの看板が立ちふさがった。道路使用許可書が貼られている。
「雑誌の撮影? こんな昼間に? 早朝にすればいいのに」
清流と一緒に畳程もある看板の向こうを覗き込むと、二十名程の人々が撮影を行っていた。カメラの前にいるのは変わったデザインの青いコートを着たガブリエルだ。
「あ、くららが好きって言ってたモデルじゃん」
清流の言葉で、私は先日のことを思い出して、顔が赤くなる。ベッドを借りて、あの腕で抱きしめられた。きつねうどんを食べていた可愛い笑顔は忘れられない。
二十メートル先に、ガブリエルがいる。モデルの仕事をしている時には、笑顔は一切なくて、あの笑顔を知っているのは私だけだと、胸の高鳴りが止まらない。
ガブリエルと目が合って、私は慌てて看板に隠れた。どきどきする胸を押さえて、走り出す。自分でも何故逃げ出すのかわからない。
「ちょ! くらら! 待って!」
清流の慌てた声を聞きながら、私は走り続けた。
◆
私の動悸が治まった後、回り道をして目的の店に入った。
出てきたのはカラフルなパフェ。スイーツ好きの清流は、巨大なチョコレートパフェを注文していた。いつも人の何倍もの量を食べても清流のスタイルは抜群。胸が大きくて腰が細くて、お尻は丸い。毎日の仕事で重い物を運ぶからだと言っているけれど、それ以上の何かがありそうだと思う。
「あー。何かしら。あの男の顔見てると、こう、新聞紙丸めてすぱーんと頭殴りたい感じ」
あの男とはガブリエル。清流は絶対にガブリエルの名前を口にしようとはしない。以前から、ムカつく名前だと言い放っている。
「何よそれ」
「何て言ったらいいかしら。根源から湧き出る嫌悪感ってヤツ? あー、殴りたい」
清流なら、いつか本当にやってしまいそうで笑ってしまう。
清流は花屋の娘。切り花だけでなく、小さな木の鉢植えを扱うことで、傾いていた店をここ数年で立て直した。
清流の手で切られた花は持ちが良く、小さな鉢植えは盆栽とは趣が違う、生き生きとした明るい世界を作り出していると話題になっている。
「あ、ネット注文も始めたのよ」
「あんまり手は広げないって言ってなかった?」
「私が扱える量だけっていうのは変わらないわ。最近、遠方から来る人多くてさー。うちに来るためだけに来たって言われると、嬉しいけど申し訳ないなーって思う訳よ。今は地方限定ね」
清流が扱う鉢植えは、終末期の病人の痛みを和らげるという噂がある。病室の鉢植えは、「根が付く」が「寝着く」に通じて縁起が悪いと言われているにも関わらず、求める家族が絶えない。
「そういえば、そろそろ正社員になれるって言ってなかった?」
「あー、それなくなった」
私は経緯を愚痴って、とりあえず一ケ月はバイトが決まっていることを話した。ガブリエルとのことは、また別の機会に話そうと思う。
「家政婦って、大丈夫なの? 変な男じゃない?」
「夜と夜食は作り置きしていいってことだから、午後五時には終わるの。変わった見た目だけど、優しい人よ」
「ふーん。変な事されそうになったら、絶対逃げるのよ?」
清流の言葉が耳に痛い。いつも危ない時には、清流か宗助がそばにいてくれた。
「わかってるって。大丈夫よ」
竹矢の為じゃなくガブリエルにご飯を作ってあげたいという、後ろめたい気持ちを隠しながら、私は清流に微笑んだ。
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