【漆】老退魔師VS若妖遣い

 切断された宮殿の裏にある山で、陽炎崎幽姫は、木々や地面に張り巡らされた御札に囲まれていた。

「第一フェーズ・スケープゴートは問題なく終了。さあ、ここからが本番。妖遣いの力、全力で使わせてもらうわ。待っててね、私の貞華!」

 幽姫が頬を紅潮させて叫ぶと同時に、御札が一斉に紫紺の光を放つ。

 大量の御札が莫大な光量を生み出す。

 あふれる光の中から、ゆっくりと這い出てきたのは、どぶ川のような色をした半透明の巨大な手だった。

 その手に続けて、さらに暗緑色の物体が引きずり出されていく。



「ほら、鞘だ。ああ、コートの方は諦めな。ズタボロで着れたもんじゃない」

「ありがとうございます」

 貞華が立ち上がって鞘を受け取ると、ハーフパンツに結わえ付けた。刀を鞘に納めながら、貞華がふと気づく。

「そういえば、幽姫さんはどこにいるのでしょうか?」

「誰だいそりゃ?」

「陽炎崎幽姫さん――サウザンウン共和国に誘拐された陽炎崎博士です。倉庫で御札をいただいて大変助かったのでお礼を言おうと……それに、気になることも言っていましたから」

「ああ、あのちっこい娘のことか。まあ、技術目的で連れてきといて殺されてるとも思えんし、どっかの部屋にいるんじゃないかい? そこのやつをたたき起こして聞き出そうか」

 凛がパワードアーマーの残骸を指さす。それをみた貞華があわてて手を振る。

「いえ、そこまでして訊かなくても、敷地内を探せば――」

 その声を遮って、鈍い轟音が響いた。部屋の奥の壁が吹き飛んで、穴が開いていた。そこからのっそりと現れたのは、巨大な握り拳だった。

「……探さなくてよくなったみたいだね」

 凛が険しい顔を向けた握り拳の中には、探そうとしていた小柄な少女がいた。

「急にこいつが現れて捕まっちゃったの! ああ貞華、あの日みたいに私を助けて!」

 幽姫がいやに芝居がかった口調で叫ぶ。言い終わると、幽姫を握った巨大な手が壁の外へ抜けていった。

 貞華と凛が壁の穴へ走り、外を確認する。

 そこから見えたのは、暗い緑色をした半透明の巨大な脚が、木々を踏みつぶしながら山肌を登っていくところだった。

 息を飲む二人が、その脚の伸びる先へ視線を上げていく。

「これは……!」

「だいだらぼっちかい!」

 真上に見上げてもまだ足りないほどの大巨人が山を歩いている。それは山登りというよりは、スロープをすいすい歩いていると言った方が正しい。

 地響きを生み出しながら、巨大妖怪だいだらぼっちは、あっという間に頂上を越え、山の向こうに消えていった。

「くっ、早く助けに行かなければ――」

「その必要はない」

 飛び降りようとする貞華を制して、凛が小刀を横薙ぎに振った。



 巨人には首がなかった。いや、首はあるのだが、その上に乗っている頭がない。首は切断されたように水平に整えられ、表面は平坦になっている。

 その平坦な面に幽姫が乗っていた。というか埋まっていた。下半身を半透明の体に突っ込んで振り落とされないようにしているのだ。

 その表情に危機感はなく、口元には不気味な笑みを浮かべていた。どう見ても怪物に捕まった人質という顔ではない。

「これであのときのように助けに来てくれるはず……ウヒヒヒッ、さあ追いかけてきて貞華、ってぎゃーーーーーーーーーーーーーーっ!?」

 何かに勘付いて振り向いた幽姫が絶叫して伏せる。

 山を貫通して飛んできた巨大な斬撃が、幽姫の頭の上をかすめていった。

 真一文字に巨大な亀裂の入った山が、凄まじい轟音を上げて崩壊していく。

「な、何よ今の! 貞華じゃないわ、貞華が私を殺すはずがないもの! ハッ、まさかあそこにいたババア――あれも退魔師……?」

 幽姫の顔がゆがむ。

「ここにきてのイレギュラーとはね。貞華だけが来る、そういう運命だったはずだけど……まあいいわ、愛に障害はつきものよね」



 崩れていく山を眺めながら、凛は妖怪の気配を探っていた。

「ちっ、まだ生きてるね。さすがに山越しじゃ当たらんか」

「お師匠さま、幽姫さんが捕まって……!」

 苦い顔で舌打ちする師匠に、貞華が驚いた顔で告げる。

「わかってるさ。でもね、あんなデカブツ、町に行ったら大変だろ。一人に構ってられるかい!」

「ですが、その……」

 貞華は続きを言うべきか逡巡していた。幽姫は七年前に助けられなかった子かもしれない。だが、まだ確証がなかった。何より凛の言うことは正しい。

「とにかくアタシはあれを追う! そのボロボロの体で助けられると思うならついてきな!」

 そう言うと凛は壁の穴から外へ飛び降りた。

 貞華はそれを見つつ、すぐは動けなかった。今、一緒に向かっても足手まといにしかならない。ならば、ここで休んでいたほうがむしろ良い。

「わたくしは……くっ」

 迷った表情のまま、貞華も外へ飛び降りた。



 ミハイル・スコイスキーは視線を虚空にさまよわせていた。手元には琥珀の液体の入ったグラスがある。

「あー、めんどくせぇ、もう帰りてぇよ……」

 ミハイルがサウザンウン共和国に連行されてから、十年以上の月日が流れていた。

 彼の専門はミサイルである。爆薬弾頭だろうが核弾頭だろうがとにかくミサイルに関しては万能の天才だった。無人島を吹っ飛ばして世界を驚愕させた3・5次元エネルギー弾頭ミサイルも、ミハイルが手がけた。

「ラシネーナの奴、ヘンテコ兵器以外はロクに興味ねーからなぁ。雑な仕様書だけ投げてこれやっといてーときたもんだ」

 ミハイルは不満げな顔をしたが、その声はどこか楽しげでもある。なんだかんだ言っても、ミハイルは難度が高ければ高いほど燃える生粋のエンジニアであった。

「でもなぁ、やっぱ祖国で暮らしてぇよ」

 ミハイルが遠い目をする。真夏のように暖房の効いた部屋で、あてどなくウォッカをかっ食らっていた日々が懐かしい。

「あーあ、こんな国ぶっつぶれちまえばいいのに」

 やけっぱちのように言って、ミハイルはグラスをあおった。

 途端に部屋が揺れた。

「ぶっ! げほげほっ! な、なんだ?! 今日はミサイル発射の予定はねぇはずだぞ!」

 むせながらミハイルが建物の外に出る。彼が居たのはミサイル発射場の端にあるコントロールルームだった。

 外へ出たミハイルは、目に飛び込んできた光景に変な笑いが出た。

「へへっ……飲み過ぎで幻覚が見えらぁ」

 目の前に広がる広大な平地には、いくつもの弾道ミサイルがそそり立っている。基本的には示威目的なので、見た目に分かりやすい固定発射台方式にしてあった。そこまではいつもの光景だった。

 違ったのは遠くに見える山。越えた先にはいまいましい将軍の住む宮殿がある山。

 その山を首のない巨人が階段でも降りるかのように歩いている。さらに山自体も上の方から膨大な土煙を上げて崩れ落ちていた。

「便所で顔洗ってくるか……」

 ふらふらと建物に戻ったミハイルが、再び外へ出てくると、他の職員も集まって悲鳴を上げたり目をこすったりしていた。

 もう酔いは醒めていた。

 ミサイル発射場を闊歩する巨人が、そそり立つミサイルを発射台から引きはがしていた。ミサイルを固定していた大きな留め具が、ひずんだ音を響かせて地面に落下する。

「にっ、逃げろおおおおおおおおおーーーっ!」

 ミハイルが叫んで駐車場へ向かった。つられるように他の職員たちも散り散りに逃げていった。



 崩れて平らになった山頂を軽快に走る凛。老いたとはいえ、鍛えた頑健な足腰は健在だ。

 その後ろを貞華が追いかける。

 二人の視線の先に広がる平地では、だいだらぼっちが足下のミサイルを引っこ抜いているところだった。

 凛が半ば呆れたように口を開く。

「おいおい、まさかあれをぶん投げようってのかい。しかし妙だね。だいだらぼっちは知能を持たず、ただ暴れ回るだけの木偶の坊だ。それにしちゃ人質をとったり道具を使ったり、振る舞いがやけに賢いね」

「妖遣いが背後にいるということでしょうか? 四羅日という妖遣いは仕留めたのですが」

「他にもいると見ていいだろうね。ちっ、こんなことなら探っておけばよかったか」

 凛はできる限り手出しはしたくなかった。下手に介入すれば自分を頼ってしまう。

「本当は自分から殻を破って欲しいんだが……」

「お師匠さま! 来ます!」

 凛のつぶやきをかき消して貞華が緊張した声を出す。

 水平になった山頂の縁で、二人が立ち止まる。

 だいだらぼっちがミサイルの胴体をつかんで後方に振り上げていた。

「デカすぎる。貞華、お前は後ろに隠れていな!」小刀を構えた凛が振り返らずに叫ぶ。

 だがその必要はなかった。

 凛の背後に移動しようとした貞華の目の前で、壁がせり上がった。壁は四方を囲み、上部分にも蓋をするように出現した。

「これは、塗り壁……! わたくしを閉じこめるために……? いえ、それは奇妙です」

 石壁の妖怪に囲まれた貞華が戸惑いの声を上げる。貞華は自分を低く見る癖がある。とはいえ今回はそれが正しい。現時点で脅威なのは、どう考えても凛の方だ。

 二人から遙か遠くのだいだらぼっちの首の上では、御札を手にした幽姫が凄絶な笑みを浮かべていた。

「貞華以外、死んでしまええええええええええっ!」

 だいだらぼっちが凛をめがけて、ミサイルをやり投げのようにぶん投げた。ミサイルが山ごと突き破る勢いで凛のもとへ突っ込んでくる。

「なっ、めんじゃないよおおおおおぉっ!」

 凛が大きく腕を振り、小刀が大十字を切った。

 閃光が迎撃する。

 弾頭が十字に裂断し、四つに分かれたミサイルがメタリックな轟音を響かせて山肌に激突した。

 貞華を確認しようと凛が後ろを振り返る。

「貞華、ってなんで塗り壁が――おい、大丈夫かい?!」

「はい、ただわたくしの実力では脱出ができません」

 戸惑いつつも冷静な声に凛がほっとする。

「いまいち狙いがわからんが、無事ならいいや。とりあえずそこで大人しくしてるんだね。後はアタシが始末してやる」

 そう声を投げかけて、凛が山の斜面へ飛び出していく。

「待ってください、わたくしも――」

 壁の中で手を伸ばした貞華が、はたと止まる。

 様々な考えが頭を巡りだす。凛に任せればいい。また失敗したらどうする。今更助けたからなんなのだ。

 いったい、どうしたい?



 凛が山肌を跳ぶように駆け下りていく。

「ああくそ、ここんとこ動いてなかったからあちこちが痛むね。まあ体は後だ。今はあいつに近づくのが先決っ!」

 語尾を切って凛が腕を振り上げる。

 頭上のミサイルが切り裂かれた。だいだらぼっちが二本目のミサイルをぶん投げてきていたのだ。

 落下したミサイルの残骸が山肌を大きくえぐっていく。

 凛はそれに目もくれず、山の斜面を疾走する。

 三本目、四本目も難なく回避した凛を、天空の幽姫が殺意のこもった目でにらみつけていた。

「ああもう、だったら別アプローチよ!」

 だいだらぼっちが動きを止める。

 その様子に地上の凛が怪訝な顔をした。

「なんだい? 急に大人しくなりやがって……」

 不気味さを感じながらも足を止めることなく、ミサイル発射場へ降り立った。

 すると、立ち並ぶミサイルの一本のうち、凛から一番近いものが発射台ごと紫紺に光るのが見えた。

 発射台が固定金具を解除し、ミサイルが独りでにふわりと浮き上がる。姿勢を変えて横倒しになったミサイルが地上にゆっくりと下ろされていく。

「ミサイルを付喪神にしやがったか。だがまた切断しちまえば……!?」

 斬撃を繰り出そうとした凛が手を止める。

 無数の紫紺の光が、ミサイルを取り囲むように展開されたかと思うと、その中から大量の石壁妖怪が出現した。塗り壁たちはまるで石棺のように組み上げられている。ただし一方向だけその囲みが抜けていた。

 壁が抜けた方向に立っているのは断微凛。

「死に損ないのババアには火葬がお似合いよ! 付喪神化ミサイル、起爆!」

 幽姫の合図とともに、ミサイルが強制的に爆裂した。拡散した衝撃は周囲の壁に反射し、わざと開けられた面へ収斂する。合成された爆発が、破壊の奔流となって凛を襲う。

 凛が目をぎらつかせ、小刀を下前方に向けて構える。

「ちょこざいよ! お前が食らいなあああああああっ!!」

 小刀から光が縦横に一気に伸び、正方形を形作る。凛はそれを勢いよく上へ振り上げた。

 羽子板で打つように、爆発の奔流が打ち上げられ、だいだらぼっちの方へ飛んでいく。

「なによそれーーっ!? くうっ、塗り壁解除っ、だいだらぼっち早く動きなさいっ!」

 だいだらぼっちの巨体が脇へ飛ぶ。避けきれなかった片腕の先が奔流に巻き込まれ、蒸発する。

 着地の衝撃が地震のような揺れを引き起こした。



「塗り壁が消えた……?」

 慌てていた幽姫は、貞華の石檻まで解除してしまっていた。

 しかし貞華はその場にとどまったまま動かない。うつむいて胸の傷へ視線を向けている。

「わたくしなどが人を助けるなんて、そんな大それたことができるはずありません。第一、あのような巨体からどうやって助ければ」

 その言葉の途中で地響きが起きた。顔を上げると、片腕を半分失っただいだらぼっちがよろけている。

 その様子を見て貞華が何かに気づいた。

「ん……その程度なら、なんとかわたくしにも……できて、しまいますね」

 後悔と嬉しさが混ざったような複雑な表情を浮かべる貞華。少しまごついた後、意を決したように山を駆け下りた。

 そして走りながら刀を抜いて構える。



「このっクソババアがああああああっ!」

「でえええええええええぇいっ!」

 平地に気合いの声が響く。

 何本目になるか分からないミサイルが巨大な斬撃によって打ち落とされた。

 轟音を響かせ落下した残骸が、土煙をたてる。

 発射場のミサイルはほとんど刈り尽くされ、残るは一本だけとなっていた。

 向かい合っただいだらぼっちと凛は、にらみ合ったまま動かない。

「ふぅー、はぁー、いい加減くたばりなさいよ……! こんな巨大な妖怪操るのにどれだけ消耗すると思っているのよ……」

「あーーー……はぁ、こちとら年のせいで出力の加減が効かないんだ。もう何発も打てやしないってのに……」

 お互いに遠すぎて分からなかったが、幽姫も凛も疲弊が限界にきていた。能力が強力であればあるほど、使うエネルギーも莫大になる。妖遣いでも退魔師でもそれは変わらない。

 もし無尽蔵に使えるとしたら、それはペテンか人外の技だ。

 戦闘を再開しようと、小刀を構え直した凛のそばに、貞華が走り込んできた。

「お師匠さま、もう少しこのままで時間を稼いでいただけますか?」

「ああ、はぁ、わかった、けど早くしとくれよ。いい加減くたびれてきた」

 わかりました、と言って貞華がだいだらぼっちの足下へ駆けていく。

 その姿に凛が目を細める。

「てっきりアタシに任せるかと思ったが――ちょっとは変わってきたのかね。さて、こっちも時間稼ぎをがんばるか」

 そう言って、凛が上方へ小刀を振った。光の大刃がだいだらぼっちの喉元を狙う。

「くあっ! 危なっ!」

 幽姫が悲鳴を上げて、だいだらぼっちを仰け反らせる。

「この――さっさと、つぶれなさい!」

 巨人が近くにあった最後のミサイルをつかみ、凛の上空へ放り投げた。弾頭を下にして大質量が墜落していく。

「なんだい、もう投げる力も残ってないのか?」

 凛が空へ向かって斬撃を放つ。その顔がこわばった。

「かかったわね! そっちは囮よおおおおおおおおっ!」

 だいだらぼっちの拳が、大気を押しつぶしながら迫ってきていた。

「ちいいいいいいぃっ!」

 急いで防御の姿勢をとる凛。その眼前で、拳がそれた。

「なっ、ああああっ!?」

 だいだらぼっちがバランスを崩して地面へ倒れていく。その体に、切断されたミサイルの残骸が当たって弾き飛ばされる。幽姫が後ろを振り返ると、そこには巨大な光の刀を振り切って静止する貞華がいた。

「ああああああっやはり素敵よ貞華あああっ!」

 歓喜の嬌声は巨人が倒れ込む轟音にかき消された。

 貞華が思いついたのは単純なことだ。手が届かないなら届くところまで下げてしまえばいい。

 山を下りながら断微流・霧雨で蓄積し、それを解放して作った八雲の長刀で、だいだらぼっちの片足を切断して転ばせた。

「けどそれなら先に言ってほしかったねえ、げほっげほげほ」

 猛烈な土煙にむせながら、凛が巨人の腕を切り落とす。これで片手片足になっただいだらぼっちは立ち上がれなくなった。もっとも、動く気はなかったのだが。

「大丈夫ですか、幽姫さん」

 だいだらぼっちの首に埋まった幽姫が、貞華の手で引きずり出される。

 幽姫はうつむいて震えていた。

 無理もない、あんな妖怪の上では生きた心地がしなかっただろう。貞華はそう思っていたのだが、

「ありがとおおおおおおおおお貞華ああああああああああっ!」

 恐怖を全く感じさせない満面の笑みで、幽姫が飛びついてきた。

「ちょ、ちょっと危ないです幽姫さ、ああっ!」

 バランスを崩した二人が、だいだらぼっちの体の上を転がって、地面に落っこちた。

 それでも幽姫は離れず、貞華のたわわな胸に顔を埋めながらつぶやいている。

「貞華、貞華ぁ……私の貞華……!」

「あの、幽姫さん、わたくしはけっこう肉体が限界でして……」

 体が痛むらしい貞華が、つらそうな表情で幽姫を引きはがそうとする。

 その後ろでは凛が呆れた顔をしながら、だいだらぼっちにとどめを刺していた。

「何をやってんだいお前らは……」

 だいだらぼっちの体から巨大な白い光が放たれ、回復御札の作用で貞華の体に吸い込まれていった。



 幽姫が落ち着いたところで、近くのミサイルコントロール施設に場所を移して話すことになった。

 職員が逃げて無人になっていた建物の一室で、幽姫と貞華が向き合って座っている。凛はどこか釈然としないような顔で壁にもたれ掛かっている。

「さっきは取り乱してごめんなさい。夢が叶ったものだから嬉しくて……改めてお礼を言うわ。ありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございます。あの御札にはずいぶん助けられました」

 貞華が座ったままおじぎをした。そして緊張した面もちで、ずっと気になっていたことを切り出す。

「幽姫さん、あなたは、わたくしが、七年前に助けられなかった――あの女の子なのでしょうか?」

「ええ。でも、一つ間違ってるわ。貞華はちゃんとぬらりひょんから救ってくれたのよ」

 幽姫があっさりと肯定する。

「やはりそうでしたか……それはよかったです。ずっと後悔していましたから」

「え、そうだったのかい? アタシはてっきり、返り討ちにあって鼻をヘシ折られたからだったとばかり……」

 凛が驚いたように口を挟む。

 貞華は苦笑して、

「それも間違いではありません。……おや、ということは幽姫さんを見ていなかったのですか?」

「あのときは貞華を助けるのに必死だったからねえ。ぬらりひょんを追い払ったときのことはどうだったか……」

 凛が記憶を探るように天井を見上げた。

「なるほど、相打ちだったのね。ああ、見たかったわその場面。私は貞華が来たあたりで気を失っちゃったから……」

 一人頷く幽姫の言葉に、凛と貞華が怪訝な顔をする。幽姫はそれを意に介さず、

「ところで、そちらのバ、おばあさまは誰なのかしら? 妙になれなれしい態度だけど……」

 刺すような目つきで凛のほうをにらむ。

「おい、今ババアって言いかけなかったか? ……アタシは貞華の師匠だよ。断微凛という」

「あっそう。タンバリンさんね。変な名前」

「だんび、りん、だ! お前、貞華のときと態度が違いすぎやしないか!?」

 幽姫の雑な対応に、凛がテーブルをバァンと叩く。

 それを完全無視して、幽姫がウヒヒと不気味に笑う。

「でもちゃんとうまくいってよかったわ。八百屋お七計画、大成功ね」

「えっ」「は?」

 計画成功という言葉を聞いて、退魔師二人が困惑した声を上げる。

「幽姫さん、八百屋お七計画というのはいったい……?」

「あれ? 知らないの、八百屋お七の話って」

「それぐらい知ってるさ。大火事で避難した八百屋のお七って娘が、避難先で会った男と恋仲に落ちてってアレだろ?」

「そのあと男と離ればなれになったお七が、もう一度火事になれば再会できると思って、放火し――まさか」

 貞華の顔が微妙にひきつる。凛がため息をついて額に手を当てていた。

「そうよ。あの時と同じように、悪い奴に捕まる状況を作れば、きっと助けに来てくれると思ったわ。そのために3・5次元理論を作り上げ、サウザンウン共和国に誘拐させた。確実に来てもらえるように、退魔師が気配を感じ取れる妖怪からエネルギーを抽出してね」

 幽姫が淀みなく計画の全貌を明かしていく。

「どうしてそこまでして、わたくしに会おうとしたのでしょうか? お礼をするためだけにしては規模が大きすぎますし」

 理解できないというふうに視線を下に落とす貞華。いや、実のところ八百屋お七と聞いたところでいやーな予感はしていたのだが。

「当然よ! 愛する運命の王子様に会うためなら私、なんでもするわ!」

 その言葉に、場の空気がピキーンと凍り付いた。

「…………………………………………あの、わたくしの性別は女性なのですが」

 絶句していた貞華が、喉をひきつらせて、やっと声を絞り出す。

「もちろん知ってるわ! 七年前と同じ、優しくて凛々しい素敵な人! むしろ前よりさらに魅力的になってるわ!」

 タンクトップを前に引き延ばす貞華の胸に、幽姫が熱っぽい目を向ける。貞華が思わずイスから立ち上がった。バターンと室内に音が響く。

「ああ、お前そういうアレかい……昔女学校でよく見たよ」

 何か思い当たることがあるらしく、うんざりした顔で低くつぶやく凛。「無関係な子だって言ってんのにすごい目で威圧して、もう殺さんばかりに……」

 と、凛の顔が曇る。どうも何かが引っかかっていた。遠い昔の記憶に照らせば、さっきの幽姫の視線は殺意だった。想い人に近づく邪魔者に対する殺意。

 先刻の死闘――明確な殺意を感じた――を思い出す。よく考えると貞華だけ足止めするのはおかしい。人質を取って逃げるなら、凛も足止めすべきなのだ。わざわざ全力で殺しにくる必要はない。

 殺す必要があったからミサイルを投げまくっていたのだ。たとえば、想い人の側にいる邪魔者を排除するためとか。

「というか、よく考えりゃ変なところだらけじゃないか。――おい小娘!」

 凛が幽姫に向かって怒鳴る。

 ぎらぎらした目つきをして壁際に貞華を追いつめていた幽姫が振り返る。

「幽姫よ! 邪魔しないで、今から貞華と熱いベーゼを」

「お前、妖遣いじゃないのか?」

 幽姫が振り返ったまま固まった。

「なっ、なにを言ってるのかしら……?」

 その反応に凛が確信を強める。

「あのだいだらぼっち、こっちの動きをいやに把握していた。近くに妖遣いがいなければできない芸当だ。だがあの一帯はまるっきりの平地。隠れる場所なんてありゃしない。監視用の妖怪もいなかったしね。あの場で的確に操作できるとしたら――だいだらぼっちの上に乗っていたお前ぐらいしか居ないんだよ」

「しかしお師匠さま、幽姫さんはわたくしを助けてくれました。妖遣いにとっての敵である退魔師に加担するようなことをするでしょうか?」

 貞華が困惑したように反論する。その姿を幽姫がキラキラした目で見つめている。

 ばかばかしいというように凛がため息をつく。

「理由はさっきから言ってるじゃないか。一目惚れだよ、信じられんことにね。敵対関係にあるやつに惚れるのは古今東西よくある話さ。だから塗り壁で閉じこめたんだろ。お前を巻き込まないために」

「わ、私が貞華に一目惚れしたのは事実だけど、妖遣いだなんて……そんな能力持ってないわ」

 しらを切る幽姫。その手は固く握られている。

「嘘こけ。だいたい七年前のあれだっておかしかったんだ。ぬらりひょんなんて大物は、そうそう表に出てきやしない。ましてや一介の小娘を襲うなんざね。大方お前が調子に乗って呼び出しちまって怒りを買ったんだろう」

「私はぬらりひょんなんて召喚してないわ! ただの物理学者で」

「そもそも、あいつがぬらりひょんだってことも、退魔師がいるってことも、学者風情が知ってるはずがない。いったいどこで情報を仕入れたんだい?」

 幽姫の言葉を遮ってたたみかける。

「それはもちろん研究の過程で……」

「まだある。お前は3・5次元とかいう研究のとっかかりを、どうやって見つけたんだ? 確かまだ十六歳だろ? アタシは科学には疎いが、どれだけ天才でも全くの新分野をそうそう見つけられるとは思えん。最初から存在を知っていたとかでなければな」

 凛が詰め寄った。身長の低い幽姫はその圧力にじりじりと後ずさる。やがて部屋の壁に背中が当たると、観念したように息を吐いた。

「分かったわ、降参――察しの通り、私は妖遣いよ。待って、そう身構えないでよ。私が貞華を愛しているのは本当なんだから」

「幽姫さん……しかし、退魔師と妖遣いは相容れない存在です。一緒にいることはできません」

 宿命を告げて悲しそうに視線をはずす貞華。もっとも、「というか、そもそも女同士ですし……」と付け加えはしたが。

「敵同士なのは分かってたわ。そのまま会えば殺されてしまうかもしれないってことも。だから将軍のやつを巻き込んで、私が妖遣いだとバレないようにしたのよ。ねえ分かって貞華……私はそれぐらいあなたのことが好きなの」

 なんとか引き留めようと、幽姫が必死な表情で懇願する。

 そこに凛の厳しい声が飛ぶ。

「だめだだめだ。だいたい木っ端妖遣いならともかく、七年前の時点でぬらりひょんを呼び寄せられて、今もだいだらぼっちなんてのを操作できるような奴、危なっかしくてしょうがないよ。本当はいますぐ殺っておきたいぐらいだ」

「……ちっ、さっき全力で抹殺しとけばよかった」

「よし殺そう。妖遣いはやっぱ根絶やしにしないとダメだね」

 幽姫の吐き捨てるようなつぶやきを聞いて、凛が胸元の小刀を抜く。幽姫が慌てて貞華の後ろに隠れた。

「もうっ、いいじゃないの! 今はだいだらぼっち操ったせいで、ほとんど余力がないんだから!」

「そう言われましても、時間が経てば回復してしまいますからね。それに、この御札のように回復用の道具も作れるようですし……あとさりげなくお尻触るのやめていただけませんか」

 眼前にある刀の柄に貼り付けられた自作の御札を見て、幽姫は答えに詰まってしまう。しかし尻をなでる手は止めなかった。

「はぁ……とにかく、今回は事情が事情だからね。一応見逃しといてやるよ。ほらさっさと出てけ」

 凛が小刀を鞘に納めて、ドアを指さす。それは優しさというより、やりとりにいい加減うんざりしてきていたという方が大きかった。

 貞華が幽姫から離れる。

「貞華……!」

 幽姫が捨てられた子犬のような目で見つめるが、貞華は黙って首を振るだけだった。

「なによ、なによっ! 全然うまくいかないじゃないの! 四羅日の嘘つき! ハゲ! ヤクザ!」

 幽姫が涙ぐんでわめき散らす。その中に出てきた名前に貞華が反応する。

「四羅日……わたくしが最初に戦った妖遣いの四羅日ですか?」

「え? ええ、そうよ。どうやったら貞華と会えるか悩んでたら突然現れて……八百屋お七計画はあのハゲが発案よ。でももうどうでもいいわ。……さよなら貞華、せめて会えただけでも良かったわ」

 投げやりに言って幽姫が入り口のドアを開けた。


 その向こうに、男が立っていた。


 巨大なサングラスと巨大なマスクで顔を隠した、スキンヘッドの妖遣い、四羅日。

 いるはずのないその男に貞華が驚いて声を上げる。

「なっ、妖遣い四羅日、生きていたのですか?!」

「ちょっと! いまさら何をっ」鈍い音がして、文句を言おうとした幽姫の腹に拳が食い込んだ。

 口から透明な液体を飛ばして、がくりとうなだれる幽姫。

 緊張して身構える貞華と凛の前で、四羅日の空いた片手がゆっくりと動く。その手が顔にべったりと張り付くと、サングラスとマスクがまとめて握りつぶされた。

 四羅日がその手をどける。

 露わになった素顔には――なにもなかった。

 人間にあるはずのパーツが一切なかった。妖怪で言えばのっぺらぼう。

「ひょっひょっひょっ」

 だが、ノイズの混じった低い笑い声は、のっぺらぼうなど及ばない妖怪を退魔師たちに想起させた。

 空間がねっとりと重くひずんだ。

 貞華と凛の顔色が変わる。「今度は」同じ表情に変わる。目を見開いて青ざめた顔に。

 存在しない鼻筋に沿うように四羅日の顔が中央から裂ける。

 開いたのは緑色の眼。

 貞華の脳裏に七年前の悪夢が蘇る。


 最後の戦いが、始まる。

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