【陸】足りない執念

 エレベーターの扉が開く。降りてきた貞華の目に入ったのは、コンクリートがむき出しの殺風景な部屋だった。天井近くに換気口が一つあるだけで、部屋の中はかなり暗い。

「宮殿に通じているとのことでしたが、そのような感じはしませんね。そもそも、どうすれば出られるのでしょうか?」

 見た感じでは、部屋の中にある扉はエレベーターのものだけだ。それ以外の出口は見あたらない。

「まあ、それはそれで好都合です。ここでしばらく休息をとりましょう」

 出られないということは、向こうからも入ってこられないことを意味する。そう思った貞華はその場に座り込んで、コートのポケットを探る。

 その表情が悲しげになった。取り出された落雁は表面がドロドロに溶けている。地底湖に落ちたときに濡れてしまったようだ。

「贅沢は言っていられません。少しでも回復につとめなくては」

 ぬめった食感を我慢しながら、貞華は落雁を頬張った。



「未だに無礼な侵入者を駆逐できておらぬのか! 現状はどうなっておる!?」

 将軍の野太いダミ声が玉座の間に響きわたる。兵士が汗をかきながら報告を始める。

「はっ! 侵入者は抽出施設を破壊後、ジェット准将の部隊と交戦。さらに廃棄品倉庫で暴れた後、宮殿広場でラシネーナ所長の兵器群を破壊し、地底湖へ落下していったとのことです!」

「ぬぅ、役立たずどもめ……ん? 地底湖とはなんぞや? そんなもの余は知らぬぞ」

 苦い顔をしていた将軍が、不審そうな目を向ける。

「えっ? あ、はぁ、広場の地下にあったようです。所長はご存じだったので、将軍様もご承知かと思ったのですが……」

「ラシネーナめ……好きにしていいとは申したが、少しは余に報告をあげろと言ったはずであろう」

 小声で不満をつぶやく将軍。慕ってくれるのは幽姫ぐらいだ、と考えて気づく。

「そういえば幽姫くんは、余の後輩は何処におるのだ?」

「自室に戻られたのを兵士が確認しておりますが、現在どこにいらっしゃるかは……お探しいたしましょうか?」

「それには及ばぬ。幽姫くんは余に尽くしてくれておる。あれほどの研究を余に献上した幽姫くんが、余を誑かそうはずがない。必ずや侵入者を撃滅する手だてを講じているのであろう」

 何よりも奴らと違って、自分を先輩と呼んでくれる。大学時代に出会った愚かな連中の顔を思い浮かべながら、将軍は肉の付いた顔をニヤつかせる。

 その後輩が侵入者に手を貸していることを、将軍は知らない。



 貞華は宮殿のきらびやかな廊下を歩いていた。

 さきほどの部屋で休憩中に、貞華は壁の一部から光が漏れていることに気づいた。近寄ってみると、壁が横にスライドして開いた。

「どうやら隠し部屋だったようですね」

 振り向くとドアのあった場所は普通の壁と同化して見えなくなっていた。

「っつ……!」

 突然、貞華が顔をしかめ、胸を押さえる。どうやら先ほどのダメージが残っているらしい。

「天子の使い過ぎも気にかかりますね……。あの技はあくまでも緊急脱出用の技ですから、体への負担が大きいのです」

 そのため貞華は、敵のいないこの廊下では走らずに歩いていたのだ。

「とはいえ、そうも言っていられないようですね」

 貞華が刀を抜いて構える。

 廊下の脇の階段から警戒中の兵士が姿を見せた。

「あっ、貴様!」

 サブマシンガンの銃口が貞華のほうに向けられる。

「断微流・東風」

 宮殿内に銃声が響く。加速した貞華は銃弾を難なく避けると、兵士の横に回って腕を斬りつける。

 鮮血とともに悲鳴が上がり、兵士がのけぞってしりもちをつく。

「この様子を見ると、武器も肉体も通常と変わりありませんね。苦戦することはなさそうですが……」

 階段を上りながら貞華が困ったような声でつぶやく。

 確かに、退魔師の能力を使えば人間相手では負けることはない。だが人間相手では幽姫にもらった御札の回復効果も発揮できないのだ。

 階段の上から複数の足音が迫ってくる。銃声を聞きつけて兵士が集まってきたらしい。

「なるべく技を使いたくはありません。仕方ありません、ここは」

 貞華の顔に緊張の色が浮かぶ。すでに加速の技を解除していた。

 地底湖でのアッコロとの戦いでは、常時加速し続けながら技を繰り出していた。だがアッコロを仕留め損なったために、その分の回復ができていなかったのだ。

 足音がすぐそこに聞こえた瞬間、貞華が飛び出した。

 現れた二人の兵士が虚を突かれて動きが固まる。

「なっ! がっ」

「ぎゃあああああっ!?」

 兵士の一人が顔に膝蹴りを食らって壁に叩きつけられ、もう一人は顔を斬られてうずくまった。

「体術は得意ではないので、加減できていなかったら申し訳ありません」

 そう言って再び階段を駆け上がる。

「上だ! 上にいるぞ!」

 今度は下の方から声が上がる。上ってくる足音は二人ではきかない。

 貞華は一瞬ためらってから、刀を下に向ける。

「やむを得ません。神妙」

 低い爆発音がして、階段が崩落した。階下にいたらしい兵士たちが悲鳴を上げる。

「これで少しは時間が稼げるといいのですが」

 不安げに言って貞華は廊下へ駆けていった。



「将軍様! 侵入者が現れました!」

「すぐに兵士を向かわせたまえ。場所はどこであるか?」

「そ、それが、この宮殿の中です!」

「はぁ!? 見張りどもは何をしておったのだ! 全員銃殺刑になりたいのか!?」

 将軍が玉座から身を乗り出して怒鳴る。報告に来た兵士がおびえて首をすくめた。

「わかりません、出入り口はすべて兵士を配置していたのですが……」

「ええい、もうよい! こうなれば偉大なる余が直々に相手してくれようぞ!」

 拳を握りしめた将軍が、玉座の肘掛けについたボタンを思い切り叩く。

「ラシネーナに莫大な資金を投じて作らせた余にふさわしい常勝不敗の兵器……それが解き放たれる時がきたのだ!」

 エンジンやモーターの回転音が部屋中に響きわたる。将軍の座った玉座の周囲の床が左右に開いていく。

 階下から玉座を囲むように、巨大な鉄塊がせり上がってきた。



 断微凛は山の頂上にいた。

 後ろにまとめた白髪のおさげが風に揺れている。

 眼下では煙が立ち上っているのが見える。

「さて貞華、ここが頑張りどきだよ。生きるか死ぬか、そうなったときにお前はどうするだろうね?」



 貞華が廊下を突っ走る。視線の先には大きな扉の前で銃を構える兵士たち。

「弾幕を張れ! いくら速く動こうと浴びせかければ無意味だ!」

 小隊長らしい兵士が怒鳴る。

 銃弾が鉄の壁となって貞華を襲う。

「断微流・東風続いて空路連続さらに四季」

 加速した時間の中で、貞華が幾度も刀を振り、すぐさま鞘に納めて防御の技を展開する。

 足を止めずに弾幕へと突っ込んだ。澄んだ音を響かせて弾丸が弾かれていく。

 その間に、別次元を進んだ光の刃が到達し、兵士たちの肩を切り裂いた。

 悲鳴を上げて兵士たちが倒れ込む。なおも立ち上がろうとした小隊長に跳び膝蹴りを食らわせる。背後の大扉に小隊長が叩きつけられ、その衝撃で扉が半開きになる。

 貞華がその間から部屋の中に入った。



 一方その頃、陽炎崎幽姫は宮殿裏の山中にいた。

 小さな体でくるくる動きながら、斜面や木々に無数の御札を貼り付けている。

「このクラスはやっぱり大変ね……けど、これをしなくっちゃ計画の要が動かないし仕方ないわ」

 幽姫が立ち止まって、宮殿の方を見やる。

「そろそろ貞華は将軍のところへ着いた頃かしら。ああ、見たかったわ。私の貞華があのブタをひざまずかせるところ!」

 夢を見るような表情で、幽姫が貞華の勝利を確信する。

「そういえば将軍は気づくのかしらね? あのマシンのとんでもない仕様に。ラシネーナは将軍にふさわしいものを作った、と言ってたけど、はっきり言ってクレイジーよね」

 そう言いつつ、幽姫は楽しそうに笑う。気の合う同志への尊敬を込めて。



 玉座の間は国王が鎮座するのにふさわしい空間だった。大規模な展示会場ぐらいの高さと広さがあり、真っ白な壁面には伝統的な紋様が規則正しく刻まれている。

 そんな部屋の中央で、紫紺の機体が貞華の方を向いて、仁王立ちしていた。

 その機体は人間のような姿をしていた。高さは3メートルほどで、頭部は半球のカバーで覆われている。右手には巨大な砲口が備わり、左手には巨大なブレードが装備されていた。

「よくぞ来た、卑小なる愚民よ」

 尊大な声が反響する。壁際の巨大なモニターに、コクピットのような場所に座る将軍の姿が映し出された。

 オールバックの緑髪が乗っかった顔は不健康そうにむくんでいる。立派そうな軍服は肥満体型のせいで横に伸びてしまっている。ボタンもちぎれそうだ。

 幽姫がブタと形容したのも頷ける容姿だった。

 コクピットに組み込まれた玉座にふんぞり返るブタ、もとい将軍がものものしく口を開く。

「余がサウザンウンの血統を継ぐ偉大なる将軍である」

「お初にお目にかかります。退魔師の深霧貞華と申します」

 モニターに向かって一礼する貞華。

「無礼者! どこに向かって頭を下げておる! 余はこのパワードアーマーの中であるぞ!」

 モニターに映った将軍が右腕を振り上げる。すると紫紺の機体の右腕も連動し、ブレードが振り上げられた。

「ああ、失礼しました。機械には疎いものでして」

 向き直った貞華が苦笑して改めて礼をする。その様子に将軍が鼻を鳴らした。

「ふん、傍若無人に暴れ回ったわりには殊勝ではないか」

「妖怪であればいざ知らず、ふつうの人間相手では、できる限り礼儀は弁えておきたいのです」

 貞華の言葉に将軍の顔色が変わる。

「余を有象無象の人間と一緒にするでない! 余は将軍であるぞ! 圧倒的戦力で世界の王となる存在である!」

 急な怒声にも貞華は動じず、真剣な顔で返す。

「それで、妖怪や妖遣いの力を借りたというわけですか。残念です。差し出がましいようですが、一国の王ならばこそ、その領域に立ち入るべきではなかった」

「黙れ小娘! 下賤の者に許されるのは余を尊敬することのみ! それ以外は呼吸の権利すらないのだ!」

 将軍が割れんばかりの怒鳴り声を上げる。それを合図に紫紺のパワードアーマーが重い音を響かせて走り出す。

 戦いが始まった。

「ぬええええぇい!」

「あなたを倒せば戦いも終わりです。出し惜しみはしないで行かせてもらいましょう。断微流・東風」

 薙ぎ払うように放たれた巨大ブレードは、加速した貞華をとらえられず、風切り音だけを生む。

 その隙をついて貞華が一気に懐へ跳ぶ。

「その程度の加速、将軍たる余にできぬと思うたか!」

 将軍があざ笑うように叫ぶと、紫紺のボディが淡く光り出した。

 貞華の視界の中で、パワードアーマーの動きが加速する。

「そうでしょうね。いまさら速度で圧倒できるとも思っていません」

 さんざん加速技を見せつけられていた貞華は苦笑しながら、アーマーの胸部分に刀の切っ先を突きつけた。

「断微流・神妙霧雨」

 刃文が青く光る。だが機体に衝撃が与えられることはなく、代わりに胸部装甲にポツンと白い光が置かれた。

「ええい、余に触れるでないわ!」

 将軍がその場でターンし腕を振り回す。

 着地していた貞華が身を屈めて後ろへ転がった。

「ぬぅ、生意気にも何か小細工をしたようであるな」

 砲口を備えた腕で胸のあたりをこする将軍。モニターの中の顔はしかめ面をしている。

 その画面をちらっと見た貞華は、どこか違和感を持った。

(最初の映像と顔つきが変わっているような……気のせいでしょうか?)

 だがその疑問はすぐ捨て目の前のパワードスーツに集中する。

 すでに砲口はこちらを向いていた。

「下民が近づくことを許すほど余は寛大ではないぞ。這いずりながら死ぬがよい」

 短い爆発音が連続し、砲口から複数の光弾が発射された。

 光弾はそれぞれが変則的な軌道を描いて飛んでいく。

 刃文をきらめかせて、貞華が同じ特性の技・空路を繰り出す。異次元を通る光の刃が光弾とぶつかり、光の粒となって相殺されていく。

「余の武器は二つあるのを忘れてはいまいな?」「断微流・聖徳」

 二人が同時に刃を振るう。直線に滑空する光の刃が空中で交差し爆ぜた。

 ブレードがもう一度横薙ぎされ、キャノン砲から第二波が撃ち出される。

「これでは追い込まれる一方ですね……」その場で幾度も空を切りながら斬撃を打ち落としていく貞華。あちこちで火花が散る。だが手数で圧倒されては勝負にならない。

 そこで貞華は一度、刀を振る手を止めた。

 貞華が諦めたと感じたのか、将軍がニヤリと笑う。

 四方からの光弾と斬撃はそのまま着弾し、床材を砕いて破片を巻き上げる。

 将軍の顔が悔しそうにゆがむ。

 貞華は命中の寸前に白蓮を発動して、一瞬さらに加速していた。隙間を抜けて飛び出した貞華が将軍との距離を詰める。

「まるでハエのごとしであるな! せっかく余が叩き潰してくれようというに、傲慢にも寸前で逃げよる!」

 侮蔑の言葉を吐きながら、将軍が光弾を乱射する。しかし全力疾走する貞華には当たらず、その後ろを弾けさせるだけだった。

 イラだつ将軍が、ブレードを貞華めがけて叩き潰すように振り下ろす。

 それを貞華はもう一度白蓮で回避し、胸部めがけてジャンプする。切っ先が届き、二発目の神妙霧雨がヒットした。胸部の白い光が輝きを増す。

「このっ、ネズミがちょろちょろと走り回るでないわぁ!」

 不愉快を露わにした怒声が響く。パワードアーマーの堅い脚が蹴り上げられ、貞華の体を空中へ打ち上げる。

「終わりである! 空中であればちょこまかと動くことはできまい!」

 将軍が勝ち誇ったように叫ぶと、パワードアーマーの両腕が万歳をするように真上に上がる。砲口から極太のレーザーが長く延び、ブレードから延びた光が長い刀身を生み出す。光の柱が二本そそり立った。

 苦痛の表情を浮かべる貞華。次に来る攻撃に備えて刀を鞘にしまう。

 将軍が両腕を正面で交差するようにして、一気に振り下ろした。クロスした二本の断刃が落下中の貞華を四分割しようと襲いくる。

「げほっ、できればこの技はもう使いたくはありませんでしたがっ……!」

 断微流・天子を発動し、下前方へ吹っ飛ぶ。貞華の体が軋んで痛みを叫ぶ。

 空を切った両太刀は、床面に巨大なX型の切断痕を刻む。

 貞華がアーマーの懐へ突っ込んでいく。刀を抜いた貞華が切っ先を当てようと腕を伸ばす。機体に刃先が突き刺さる。

 瞬間、そこにあった機体が煙のように消えた。

「残像――くっ、瑠璃!」

 貞華が床に激突しバウンドする。勢いを殺しきれなかったのだ。

「がふっ、はぁ、はぁ……」

 痛みをこらえながら体勢を立て直す貞華。将軍の次の攻撃に備える。

 だが紫紺のパワードアーマーは後ろを向いたまま動かない。

「はぁー……はぁー……」

 部屋に苦しそうな呼吸音が響く。

「奇妙であるな……異様に疲労を感じる気が……」

 将軍のつらそうな声を疑問に思った貞華が、モニター画面を見る。その表情が固まる。

 戦闘中はあまり気にする余裕がなかったが、将軍の姿は戦闘開始時と明らかに違っていた。

 まず服のサイズが合っていない。横方向に余裕ができており、余った布地がへこんでいる。ボタンも緩そうに留まっている。

 脂肪で膨れていた顔はスリムに、というか頬がこけている。

 誰がどう見てもげっそりと痩せていた。

 何をしたらここまで急激に痩せるのか。その理由を考えた貞華があることに思い至る。

 退魔師は精神的なエネルギーを消耗することで様々な能力を使用している。それは生まれ持った才能で、鍛えてどうにかなるものではない。兵士3・5のように、妖怪を憑依させることで似たような能力を使えるようにはなるだろうが、将軍の目はどう見ても正気のそれだ。

 だとすれば、まさか。貞華が呆れと驚きを込めて叫ぶ。

「あなたは、自分の肉体を削って能力を使っているのですか……!?」

「は? 何を戯けたことをのたまって……はあああああああああ!?」

 モニターに映った病人のような自分の姿に、将軍が驚愕の声を上げる。

 将軍は忘れていた。倫理観というものが存在しないラシネーナが作るものが、まともなわけがないと。

 ジェット准将を始めとした兵士3・5の結果から、ラシネーナはある結論を導いていた。

 外部から3・5次元エネルギーを注入しても肉体が耐えきれずに短時間で崩壊してしまう。

「だったら内部から生成すればいいよねー」

 そう考えて肉体を3・5次元エネルギーに変換するシステムを実装した。

 このシステムは脂肪から分解していくため、筋肉質の兵士ではなく、脂肪にまみれた肥満体型の人間にこそ、ふさわしい。そう、たとえばサウザンウン共和国のでっぷり太った将軍とか。

「ラシネーナの不忠者が……かような欠陥品を余に献上したのか……!」

 将軍がパワードアーマーの制作者を呪う。その言葉は地底湖で伏している当人には届かない。

「このままでは命に関わります。妖遣いでもないあなたを殺すつもりはありません。速やかな投降をお勧めします」

 貞華が心配そうな表情で諫める。

 その提案を聞いて、将軍の落ちくぼんだ目に殺意の光が宿る。

「余に……偉大なる将軍の余に、敗北を認めよというのか? ぐは、ぐはははははぁ!」

 おかしそうに哄笑した将軍が一転して、

「ふざけるでないわあっ!! 常勝王たる余に敗北などあり得ぬ! 敗北を遂げれば余は、余はまた……ぐおおおおおおああああああっ!」

 悲壮な雄叫びを上げてパワードアーマーが重い音をたてて走り出す。

「致し方ありませんね、なるべく早く決着を……っ!?」

 向かってくる機体がブレードを砲口に突っ込み、両腕を体の前でがっちりと連結する。その体が前のめりに倒れると、爆発的な勢いで加速した。ロケットのごとき頭突きが迫る。

「これは、天子のっ」

 慌てて白蓮で急加速して脇へ飛ぶも、避けきれずに機体が貞華の片足をかすめる。

 激痛の悲鳴をかき消すように、重く激しい轟音が響いた。パワードアーマーが部屋の壁を破壊し、灰色の砂煙が巻き上がる。

「死ねええええええええええええっ!」

 砂塵を吹き飛ばして、再び紫紺の機体が砲弾のように吹っ飛んできた。

 足の痛みをこらえて立ち上がった貞華はコートのボタンを全てひきちぎる。

「……白蓮」

 タイミングを合わせコートを脱ぎ捨て脇へ転がる。広がった白いコートがアーマー頭部にひっかかり、そのまま機体とともに飛び去っていく。直後に激突した音が轟く。

 貞華が全力で砂煙の舞う場所へ駆け寄る。

「前が見えぬぞ! おのれ、腕のロックを解除せねば……」

 将軍が、視界を塞ぐ布きれをはがそうともがく。

 その間に近づいた貞華が三回目の神妙霧雨を成功させる。機体胸部の光が、強さをさらに増した。

 すぐさま貞華が後方へ退き、距離をとる。

 ようやく布を取った将軍は呼吸を荒くしていた。

「かはっ、ふーっ、ふーっ……! 目くらましなど小物の手を使いおって、不敬千万であるぞ……!」

 将軍が怒鳴るが、その声に力がない。もはやその肉体には脂肪がほとんど残っていないようだった。

「はっ、はっ……そろそろ止めにいたしませんか?」

 肩で息をする貞華。白いタンクトップからは汗ばんだ胸の谷間がのぞいている。薄茶色の膝丈ズボンから伸びる脚の片方は大きな青いアザができていた。

 双方ともに限界が近づいていた。時間加速を常時発動したままで戦い続けていれば当然だろう。

「ならぬ。ここで貴様を殺し、余は兵器3・5による圧倒的軍事力で世界の覇者となるのだ。……そうすれば」

 その先は続けず、将軍はブレードを構える。大砲を備えた右腕は使う気がないのか、だらりと下げている。

 貞華も刀を構えた。鞘はコートに結ばれていたため、今は抜き身だ。それは防御手段を失ったことを意味する。

 互いに一歩を踏み込む。

「断微流・八雲」「ぬええええええぇいっ!」

 将軍がブレードを薙ぎ、光の刃を射出する。

 貞華が走りながら光の長刀を下から振るって飛来する刃をかち上げる。軌道を変えられた光の刃が壁面を割った。

「そんな小刀で余が斬れるかぁ!」

 ブレードが拡張し巨大な光の剣が生み出される。突っ込んでくる貞華の首をはねるように、水平軌道の光り輝くギロチンが豪速で放たれた。

「空路連続」

 貞華は走る脚を止めず、空中を滅多斬りする。

 連なった光の刃が別空間をくぐり抜けてギロチンの根本、ブレードを持つ左腕を下から押し上げる。

 わずかに斬撃の軌道が逸れ、身を屈めた貞華の髪のお団子を削り取る。ばらける髪に一切構わず、貞華が将軍の足下へ飛び込む。

「これで終わりです」

「貴様の死によってであるがな!」

 絞り出すようなダミ声が勝ち誇る。将軍が振りきった光の巨剣、その刀身の横面が、手鏡のようにパワードアーマーの胸元へ向けられていた。

 それは胸部を狙って飛び込んでくるはずの貞華を仕留めるための罠。ブレードから伸びる光が変形し、無数の針となって射出された。

 だが、貞華は跳ばず、刀を地面に突きつけていた。狙ったのは胸部ではなく、足下。X字の切れ目が入った床面。二本の斬撃が交差し一番弱くなった地点。

「なにをっ……!?」「断微流・神妙」

 爆発とともに、亀裂が入ってもろくなっていた床が一気に崩落した。

 パワードアーマーが体勢を崩し、仰向けに下の階へ落下していく。

 その上に乗った貞華が、機体胸部へ刀を突きつける。将軍が悔しそうに悲憤し絶叫する。

「やめろっ、この不敬者があああああああああっ!」

「断微流・神妙霧雨、続けて神妙息吹」

 エネルギーを一点集中して放つ神妙の技を、さらに四重に重ね解き放つ。

 耳をつんざくような金属音が響き、パワードアーマーの胸部が爆裂した。

「あぐごぶっ! あばあぁ……」

 衝撃は内部にいた将軍ごと貫き、大きく開いた口から血塊をぶちまけさせた。

 機体が背中から階下の床に叩きつけられ、建物全体を大きく揺らす。

 落下の衝撃で胸部装甲が内部へ崩れ落ち、中にいる将軍の無様な姿をさらけ出した。

 紫紺の機体から光が失われ、加速が解除された。

 鞘へと刀を納める音が鳴る。

 貞華が胸部に開いた穴の縁に立って、痛ましそうに中を覗いた。

「これ以上の戦いは無益です。降伏していただければ出られるよう手を貸しましょう」

 虚しさを浮かべた群青の瞳が、将軍の目に映る。餓死者のようにやせ細った男は、涙を流していた。その口が震え、乱雑に言葉をばらまいていく。

「やめろ、その目は、余を蔑んだあの連中の……そんな、やめろ、敗北は、またあの何もない……ひ、イヤだ、嘘だ、違う認めない、貴様らなぞにっこのオレがああああああああああああーーーーっ!!」


 破壊された機体が再び輝きだした。脂肪の変わりに筋肉が分解され、将軍の時間が加速していく。

 将軍の脳裏にいくつもの顔が浮かぶ。

 冷たい視線、嘲りの笑み、虚無のような瞳、よそよそしい口調、あからさまな追従……。

 三十四年前の記憶が駆けめぐった。



 将軍は当時、アメリカの有名総合大学――のちに陽炎崎幽姫が飛び級入学した――に在籍していた。

 能力的には無能でも有能でもない、ふつうのスペックの将軍が入学できたのは、ひとえに先代将軍、つまり父親が手を回していたからにほかならない。

 成績も当落線上をさまようありさまで、金やコネを使ってどうにか進級できるような状態だった。

 当然そんな噂はすぐに学生たちの耳に入る。サウザンウン共和国がバックについている以上、表だって言うことはなかったが、不平不満は陰ながら囁かれていた。

 将軍自身、バカではないので、自分が特別扱いされていることには気づいていたし、そのことで周囲からよく思われていないことも分かっていた。

 自分は蔑まれている。その事実を認めたくなくて、尊大な態度で周りを見下していた。周りを下げることで相対的に自分を上げる悲しい自己承認術だ。

 そんな人間と仲良くしようなどという人間はいない。集まってくるのは、その権力や金を利用しようと近づいてくる連中だけだった。

 与えれば賞賛された。与えなければ離れていった。学生たちは、その様子を冷ややかな目で見る。後輩も同期も先輩も冷笑か追従しかしない。

 利害なく将軍のために動いてくれる友人はいなかった。

 誰も自分を認めない。

 卒業し、将軍となったあとも、負の記憶は拭いきれなかった。どれだけ嫌でも過去は変えられない。けれども将軍は、かの超大国を軍事力で上回り屈服させれば、それを克服できると考えた。

 民の疲弊もいとわず、軍備増強にいそしんだ。有能な人材を誘拐しては他国から非難された。国際人権団体は国内の圧政を糾弾した。それも全て最強の国家となれば、変わるだろうと思った。

 誰も自分を蔑まない。皆が自分を認めてくれる。

 だから、負けるわけにはいかなかった。ましてや少女一人に敗北したとなれば、プライドは粉々に砕け、自分を保っていられなくなってしまう。



 どうしようもなくこじれた想いが、将軍を駆り立てる。


 将軍を乗せた機体が、再び立ち上がろうと身を起こした。

 貞華が慌てて床へと飛び降りる。

「がああああああああああああっ!!」

 将軍が喉をつぶすような咆哮を上げて、ブレードを真上に持ち上げる。

「余を、尊敬せよおおおおおおおおおおおおおおおぉっ!」ゆがんだ承認欲求を乗せた全力の一刀が振り落とされた。

 横に飛び退けば余裕で回避できる単純な攻撃。

 そう思って脚を動かそうとした貞華が。


 転んだ。


 脚は動かなかった。

 張りつめたものが緩んでしまったせいだろうか。限界の肉体が一気に悲鳴を上げてしまった。

 貞華の時間が加速する。それは能力によるものではなく、死の間際に感じる錯覚。

 ブレードがゆっくりと眼前に迫ってくるのが見えた。

 鞘はなく防御も回避もできない。

 終わった。

「お師匠さま、やはりわたくしは未熟な弟子でした」苦笑して、目を閉じ



「はぁ」老婆がため息をつき、小刀を軽く振った。



 た貞華のそばで金属が落ちる音が鳴った。


「は?」

 将軍様の間の抜けた声が聞こえた。


 貞華が不思議そうに目を開く。

 パワードアーマーが、ブレード側の肩口からきれいに袈裟懸けにされている。ブレードは左腕ごと地面に落下していた。

 それだけではない。

 二人が落ちてきた部屋、その四方の壁が斜めにずれていた。

 切断の軌跡は、パワードアーマーのそれと同じ。

 つまり、外側から宮殿ごと切断されたのだ。そんな巨大な斬撃を繰り出せる人間を貞華は一人しか知らない。

「これは、お師匠さまの――」

 地鳴りがして、宮殿の壁が斜めに滑り落ちていく。

「はあああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 将軍が理不尽だと言わんばかりに絶叫し、機体の上半身が床に転げ落ちる。

 轟音とともに建物の上半分がスライドして、天井の端から青空をのぞかせた。

 そこから太陽の光をバックにふわりと降りてきたのは、白いブラウスと藤色のドレスをまとった老婆。

「とうとう手出ししちまったよ……つくづくアタシは甘いねぇ」

 貞華の師匠、断微凛が憂鬱そうに嘆いて、貞華の元へ歩いていく。

「申し訳ありません、助かりましたお師匠さま。ですが、いらっしゃるならそう言ってくだされば、無様な姿をお見せすることもありませんでしたのに」

 礼を言いつつも、困惑した表情の貞華。

「それじゃ修行にならないだろう。……例の一件以来、どうにも危なっかしくてねぇ。こっそりお前を見ていたんだよ。そしたらこれだ。生きるか死ぬかってところで死を選ぶんじゃないよ、まったく」

 凛はため息をついて、貞華の額をこづいた。貞華は座ったまま、額に手をやって苦笑する。

「わたくしのような未熟者には、生死の狭間であがく権利なんてありません」

 そこでふっと真顔になって、聞こえないくらいの小さな声で「きっと」と付け加えた。

「ま、何にせよこれで今回の件は終わりだね。さっさと帰って体を休めて――おや、お前鞘はどうした?」

 貞華の傷具合を見ていた凛が、抜き身の刀を指さして訊く。

「それが、この上の階で戦ったときに、コートごとどこかへ行ってしまいまして……」

「ああ、それでかい。妙に露出の高い服装だと思ったよ。お前はそこで休んでな。アタシが探してきてやるから」

 凛が壁の方に行くと、退魔師の技で壁を切断し、部屋の外へ出て行った。さっきまで戦闘していた上階が斜めにずり落ちているので、貞華たちの居る階とつながっているのだ。

 ほっとため息をついて、貞華は砂ぼこりの積もった床に倒れ込んだ。その耳にうめき声が聞こえる。音源は裂断された紫紺のパワードスーツの中だ。

「余は、余は負けたのか…………貴様も、あ奴らのように嘲笑うのであろう。誰も、余を見てはくれぬ……」

 力を使い果たし、骨と皮同然になった将軍が、呆けたようにつぶやく。

 その言葉に貞華がきょとんとした顔をする。

「負けたのはわたくしですよ? たまたまお師匠さまが助けに来て下さっただけで、将軍は勝っていたのです。勝利にかけるその執念、お見事でした」

 さも当然であるかのように、貞華が心からの賛辞を送る。侮蔑も媚びもない響きに、将軍は驚いたような顔をして、がくりと首を落とした。

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