【伍】湖底からのクレーム

 陽炎崎幽姫とアップワード・A・ラシネーナは、研究者とエンジニアという関係上、よく顔を合わせていた。雑談の中で、ラシネーナが自らの生い立ちを話すこともあった。

 ラシネーナは、アメリカ西部の上流家庭に生まれた。リベラルで教育熱心な両親に育てられ、自由の大切さを教えられた。その後、興味の赴くまま勉強し、世界的に有名な工科大学で兵器工学を学ぶ。しかし、その発想が「レーザーキャノンでニューヨークを消し飛ばす巨大円盤」だの「弾道ミサイル搭載の陸海空移動可能な要塞潜水艦」だの、とにかくバカバカしすぎて、そのたびに大学側から研究を却下されていた。

 一方で、大学側はラシネーナの才能を惜しく思ってもいたので、あの手この手で各方面からのスカウトを封じていた。

「だからまー、フラストレーションってのはあったよねー。と言ってもまさか、いきなりさらられるとは思わなかったけどー」

 幽姫とは違って、本当にサウザンウン共和国にさらわれてしまったのだ。

「最初は焦ったけどねー。アレで気前はいいんだよ将軍様はー。きっひひひひ!」

「どちらかと言えば、必死なだけじゃないかしら」

 幽姫が小馬鹿にしたように笑う。

 分野は違えど、天才的な頭脳を持つ二人は意気投合した。二人しかいないときはこうして、将軍のことを笑っていた。



 湖底がうごめく。暗い泥が舞う。ゆらめく泥の煙の中が赤く光った。



 落下中の貞華が目を開けた。驚いたように軽く唇を動かす。

 眼下に広がるのは、青い水面をたたえる大きな湖だった。

「これは……地底湖、でしょうか」

 ドーム球場ほどの広大な空間に水音が響きわたる。

 戦車の残骸やコンクリート片が、湖面に落ちて水しぶきを立てていた。

 それに混じって、水面から垂直に、細長い円筒が勢いよく飛び出した。

 貞華がハッとしたように目を見開く。

「! 水底に何かがいるようですね……」

 水中から飛来したのは小型のミサイル。それが湖面のあちこちから射出されていく。

「断微流・聖徳」

 風圧を受けながら、貞華は刀を次々と振るっていく。斬撃が乱れ飛び、ミサイルを切断していく。

 すべてのミサイルを撃ち落とした貞華が、瑠璃で急減速をかける。水柱を立てて貞華が水中へ没した。

 納刀して立ち泳ぎの体勢をとる。

 泳いで水面へ向かおうとする貞華だったが、その真下から黒い塊がせり上がってきた。

 貞華ごと湖面を押し上げて浮上してきたのは、巨大潜水艦。

 船体を伝って水が流れ落ちていく。甲板の一部が開き、そこからラシネーナが登ってきた。

 ずぶ濡れの貞華が、ほどけてしまった後頭部のお団子を結び直す。

「いやー、生身では初対面だねー」

 無精ひげをいじりながら、ラシネーナが気安そうな声で話しかけてきた。

 ゲームパッドも持っておらず、今のところ攻撃の意志はないようだ。

 それを確認して苦笑する貞華。

「丸腰で出てこられるとは、わたくしは敵とすら見なされていない、ということでしょうか」

「自動制御モードにしてるからー、君が攻撃しようとすればすぐに粉微塵にするよー。僕が出てきたのは訊きたいことがあったからー。でー、ぶっちゃけ退魔師って楽しいのー?」

 物騒なことを言いながら、ラシネーナが興味深そうに顔を突き出す。

「……なぜそのような質問を?」

「だって、命をかけてまでやってるわりに楽しそうには見えないからー。じゃーアレ? 使命とかシリアスな感じの理由があるのー?」

 その問いに貞華は視線をはずして考え込む。十数秒ほど経ってから、ゆっくりと首を振って、

「とくにそういうものは……。そう育てられたから、としか言えません」

「えー意味わかんないなー。人ってみんな、今やってるのを、やりたいからやってるんでしょー?」

 与えられた良質な環境と天賦の才能があったがゆえの無邪気な傲慢さで、ラシネーナは尋ねる。

「人間には天命というものがあります。わたくしのようなものでも退魔師になれたのは、それが働いた結果に過ぎないのでしょう」

 用意してあったかのように、すらすらと答える貞華。

「ふーん? そういうオカルトなことは僕理解できないなー」

 ボサボサの頭をかきながら、ラシネーナが不満げに言う。

「じゃー試験を再開しようかー。これを突破できたらー、そこのエレベーターから宮殿に行っていいよー」

 ラシネーナが指さす方向には、小さな湖岸があり、その先の壁には、場違いな銀色の扉が見えた。

「ご丁寧にありがとうございます。ところで、こちらもお尋ねしたいのですが」

 微苦笑を浮かべてから、貞華が真顔になる。ラシネーナは鷹揚に笑って、

「なにー?」


「下にいる妖怪もあなたの試験ですか?」

「えっ」


 ラシネーナが虚を突かれたような顔を見せた瞬間、紫紺の光が瞬いて、潜水艦が九つの輪切りに切断された。

 切断面から爆発が起こり、輪切り残骸が派手な水音を立てて倒れていく。

「あー、対3・5次元生命体用のセンサーもつけとけばよかったなー……」

 残念そうな顔でラシネーナが投げ出され、水しぶきの中に消えた。

 回避していた貞華が、浮かんだ残骸の上に着地する。

 その目の前で湖面が球状に盛り上がっていく。潜水艦より遙かに大きいものが湖面に姿を現す。

 弾けて流れた水から出てきたのは、一つ目の巨大なタコだった。

 ピンク色の体色に、赤く光る巨大な単眼。八本の触手は途中からサーベルのような銀色の刃になっている。潜水艦を輪切りにしたのはこれだろう。

 大砲のように突き出た口から、ドスの利いた声が響く。

「おのれら大概にせぇや! ヒトの迷惑ちゅうもんを考えんかい!」

「どうやら在来の妖怪のようですね。落下中に感じた気配はこれでしたか」

 貞華は刀を抜いていた。見たことのない妖怪ではあったが、その力は侮れないと感じていたのだ。

(それでも、ぬらりひょんほどの力は……)

 と思いかけて、貞華はかぶりを振る。どうにも今日はイヤなことを思い出してしまう。

「あ? なんや、その刀……もしかしてジブン退魔師か? はぁー、ホンマどこにでもおるなぁ。せっかく安眠できる場所見つけても後から後から湧いてきよる。さっきからのドッタンバッタンやっとるんもジブンの仕業なんか? はっ、まさかワイを釣りだそうっちゅーハラで……! あーー! まんまとひっかかってもうた! こうなったらバラすしかあらへん。いくで、男アッコロ、一世一代の大舞台や!」

 タコ妖怪・アッコロが早口でまくし立て独り合点する。

「いえ、あの」

 呆気にとられた貞華が、いろいろと訂正しようと言いかける。

 その下から潜水艦の残骸を破断して巨大な刃が突き抜けた。サーベル触手が上へ駆け抜ける。

「くっ、足場が……!」

 貞華が大きく跳び、他の残骸の上に乗り移る。湖面には小さな岩場もあったが、地上戦がメインの退魔師にとって決して戦いやすい場ではない。

「ワイのホームグラウンドで戦こうたのが運のツキやったな! さっさと諦めて死にさらせや!」

 四本の脚が湖上に突き出ると、一斉に上から振り下ろされる。

「生憎ですが、いくらわたくしでもそこまで諦めは早くありません。断微流・東風」

 貞華の視界で触手の刃がその速度を落とす。ゆっくりと降りてくる巨大サーベルの背に飛び乗り、その上を駆けて本体へ距離を詰める。

 それを見たアッコロが目をくわっと見開く。

「おっ、加速しよったな! ならこっちも本気だしたる。時間をいじるんは退魔師の専売特許とちゃうで!」

 アッコロの赤い目の中央に、白いエクスクラーメションマークが浮き上がる。二本のサーベルが水中から飛び出して、貞華の両脇から逆袈裟に切り上げる。

「断微流・白蓮続けて八雲」

 切り裂かれた残像の上方に、光の長刀を構える貞華の姿があった。大上段から兜割りを狙って振り下ろされた刃は、最後に残った二本のサーベル触手に受け止められた。

「あぶなっ! 分身とかズルいわ~。一瞬『やったか!?』思うたのに、ぬか喜びやホンマもう! だから退魔師は嫌いなんや! えんがちょ!」

 アッコロが貞華の刀を凄まじい力で押し返す。空中へ吹き飛ばされた貞華は、背後に見えた小さな岩場に着地する。

「八本脚は厄介ですね。さすがに河童やカニ……とは違います」

 また昔を思い出してしまい、一瞬言いよどむ貞華。その言葉を聞いてアッコロが気色ばんだ。

「あないなザコと一緒にすんなや! ワイはアイヌの妖怪や、神みたいなもんなんやで! まぁ、カムイはぎょーさんおるし、超越神ってニュアンスとはちゃうけど……」

 激していたアッコロの語尾がだんだん大人しめになる。その内容を聞いて貞華が納得したように頷く。

「アイヌの妖怪でしたか。道理で見たことがないと思いました」

 言いながら貞華は首を傾げる。では、その関西弁はなんなのだろう?

「アイヌ妖怪が関西弁しゃべったらアカンのか?」

 貞華の気持ちを察したのか、アッコロが半目になってにらんでいる。湖面を波立たせ、八本の触手サーベルを構えながらアッコロが近づいてきた。

「そーゆーところが気に食わんのや!」

 怒声とともに、一本のサーベルが真横から飛んできた。

「断微流・神妙」貞華が一点集中ではじき返す。よろけた触手の上に飛び乗った。その後ろで岩場が微塵切りにされる。

「海ん中で気持ちよう眠っとただけやのに、退魔師の連中はよってたかってワイをフクロにしよる!」

 貞華の乗った触手が、勢いよく振り上げられ、貞華が空中に投げ出される。

 そこへ七つの剣が一点集中する。

 貞華が素早く刀を鞘に納める。

 激しい金属音が多重した。

「どっへぇ!?」

 アッコロの柔らかい頭部に貞華がめりこんでいた。直前で天子を発動し、衝撃をアッコロで緩和させたのだ。

 アッコロの触手がばらけ、苦しみをぶつけるように水面に叩きつけられた。破裂するような重い水音が反響する。

 アッコロの弾力のある頭部から反動ではね飛ばされ、貞華の体が高く舞い上がった。

「アカン……目が回って……」

 アッコロの目の中で、暗褐色の瞳孔がゆらゆらと揺れている。脳しんとうを起こしているらしい。

 これを機と見た貞華が抜刀し、落下しながら何度も刀を振るう。

「断微流・空路連続」

 変則的な軌道を描きながら、光の刃が編隊となって放たれていく。狙うのは一本の触手。弾力性の高いアッコロの肉体は一回の斬撃では切断しきれないと判断したのだ。

「ギニャアアアッ! ワ、ワイの脚がーーーっ!」

 悲鳴とともに触手の一つが根本からちぎれる。貞華はその触手の上に着地した。

「どうしてくれるんや!? これ一本再生すんのにエラい時間かかるんやで!」

 巨大な目から、滝のような涙を流してアッコロが怒る。よほど腹に据えかねたのか、さらに喚き続ける。

「退魔師は人でなしの極悪人や! 妖怪と見たらすぐ悪と決めつけよる! 時代は変わったんや! 正義や悪なんてもんはバシーッと決まるもんやない! 退魔師は百年だか千年だかの伝統やいうけど、いつまでも過去にしがみついとったらアカンで! 大事なんは今やろ! せやからこれからの妖怪は――」

 そこから貞華は話を聞いていなかった。

 そもそもが身勝手な言い分なのだ。アッコロは通りがかりの船を腹いせで沈めたりしている。こちらから手を出さなければ暴れないとはいえ、危険な妖怪に違いない。正義も悪もなく、ふつうに退治対象だ。

 だが、貞華の耳に話の内容が入らなかったのは、そのくだらなさが理由ではない。

 詭弁の演説、その中の一節に貞華はギクリとなってしまった。

 『いつまでも過去にしがみついとったら』。

「違います」うつむいてポツリとつぶやく。「わたくしは、自分を戒めるために」

 湖面が揺れる。ハッと顔を上げた貞華の耳に怒鳴り声が戻ってきた。

「ちゅーわけで、はよ退魔師はくたばりぃや!」

 結局殺すことに落ち着いたアッコロの必殺の突きが飛ぶ。さらに頭上から三本、水面下から三本の刃が噛み潰すように放たれた。

 対応が遅れた。なんとか白蓮で急加速し、体を横にして上下の刃の隙間に回避する。斬撃が鼻先をかすめる。

(間に合わな……)

 最後の突きが迫るのを横目でとらえていた貞華。かろうじて刀を構えた刹那、銀色の柱のごときサーベルの先端が激突した。

 貞華は寸前で足場のタコ脚から後方に跳んで衝撃を和らげていた。それでも凄まじい衝撃に一瞬意識が途切れる。

 吹き飛ばされた貞華は減速することもできず、岩壁に猛烈な勢いのまま背中から叩きつけられる。

「か、はっ……!」

 かすれた呻きとともに、血を吐く。刀が手からこぼれ、地面に刺さった。

 刀に続くように、うつ伏せに落下する貞華。

 貞華が吹き飛ばされた先は小さな湖岸だった。すぐ脇にはエレベーターの扉がある。

「ふふ……戦いの最中によそ見など、本当にわたくしは甘いですね……」

 刀を支えにして立ち上がった貞華。ゆがめた口元についた血を手でぬぐう。血を流したのは久しぶりだった。

「ここは、妙な色気を出さず、退いておきましょう。分の悪い相手を避けるのも一人前の振る舞いです」

 アッコロに背を向けて歩き出そうとする貞華。その後ろからドスの利いた声が追いかけてくる。

「ちょー待てや! まさか逃げるつもりやないやなぁ、この脚のオトシマエどうつけてくれんねん! ヘタレめ、退魔師失格やな!」

 アッコロの挑発に貞華が足を止め振り返る。

 その顔には逡巡と不安が混ざって見えた。

 思考がぐるぐると回る。


 本当に逃げてしまっていいのか? 退魔師は妖怪を倒すもの。それを蔑ろにするのは。なぜ自分は退魔師をやっているのか? それはそう育てられたからで――。


「お、なんやじっとして……ああ、覚悟を決めたんか? ならそこでおとなしゅう待っとれや。 いま、ワイがズタズタのバラ肉にしたるさかいなぁワハハハハハー!」

 残虐そうに一つ目を細め、アッコロが騒々しくつっこんでくる。


 死にかけてまで続ける必要はない。騒がしい。お師匠さまも力量を見極めろと言っていた。


 触手が振り上げられ、銀色に光るサーベルから七つの斬撃が降り注ぐ。

「往生せぇやクソ退魔師いいぃ!」

 妖怪を倒すのが役目うるさい。

「少し黙っていてもらえませんか?」貞華が珍しく苛立ちを露わにし、乱暴に刀を薙ぐ。

 その刃が豪速の大刃に触れる。

 音が消えた。

 貞華はまた思考の迷宮に没入していった。


 自分が妖怪を退治するのは、自分が退魔師だから。自分が退魔師なのは妖怪を退治するよう育てられたからで……。

 考えがまとまらない。

 堂々巡りする思考を断ち切るように、貞華は無意識に刀を振り回していた。


「ですがわたくしは――おや……?」

 ふと顔を上げると、アッコロが一つ目をぎゅっとつぶって震えている。その脚はすべてが根本から切り落とされていた。

「全く見えへんかった……こんなん反則やん……。わかった! ワイの負けや! もう一生湖の底でじっとしとるから、ここは見逃してぇな!」

「えっ、わたくしは……?」

 貞華は何が起きたのか分からず、刀を持つ手をだらりと落とす。

 それを同意と受け取ったのか、球体となったアッコロが、慌てたように水しぶきをあげながら潜水していく。

「どうやら、気づかないうちに一瞬で切断したようですが、果たして、わたくしにそんなことができたのでしょうか……?」

 首をひねる貞華。断微流の技に7本の触手を同時に切断できるようなものはない。霧雨で斬撃を蓄積すればできるかもしれないが、もしそうなら溜めている間に切り裂かれていたはずだ。

「わかりませんね……何もかも」

 貞華が首を振って疑問を頭から振り払う。

 自分はどうして退魔師を続けているのか、という問いもまとめて。



 釈然としない表情でエレベーターに乗り込んだ貞華の姿が扉の向こうに消える。

 誰もいなくなった地底湖は再び元の静けさを取り戻した。

 が、すぐに水音が響く。湖岸に上がってきたのは、ひょろりとした大男。

 真っ青な顔で地面に崩れ落ちたラシネーナが、せき込みながらつぶやく。

「ゲッホゲホ、予定は狂ったけどー……最後のテストは問題なく、実行できそうだねー。頑張ってよ将軍様ーきっひひひ、ひ」

 弱々しく、けれども楽しそうに笑って、ラシネーナはその細い目を閉じた。

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