【参】過去との再会
老婆は山中の朽ちた倒木に腰掛けていた。白いブラウスに藤色のロングスカートはどう見ても登山向きの服装ではない。首に巻かれた銀色の細いチェーンは、胸の前の細長い筒へつながっている。
「孤児院で貞華を見つけたとき、一目で分かった。この子は天才だと。けど、なまじ早熟すぎたのがマズかったのかねぇ……」
深いため息が静かな山中に響く。白髪の老婆、断微凛は誰ともなく愚痴をこぼしていた。
「天才ほど一度の挫折でポッキリいく。まさかアタシの弟子がそうなるとは思わなかったよ」
凛が天を仰ぐ。青々とした葉の隙間から空が見えた。
深霧貞華は壁に備えられたはしごを降りていた。ジェット准将の言うとおり、屋上から屋内に戻る道はここしかないようだった。断微流・瑠璃で減速しながら飛び降りてもよかったのだが、できるだけ消耗は押さえたかった。
「それにしても、もう少し足下がはっきりしていてほしいものですね」
この建物には窓がなかった。建物自体が古いらしく、あちこちから光が漏れているおかげで薄明かり程度の明るさはある。それでも貞華は足を踏み外さないように慎重に降りていった。
やっと床面に足が着く。貞華の目が慣れてくると、そこはスクラップの墓場だった。
だだっぴろい空間にあったのは、大破した軍用トラック、さび付いた戦車、旧式の銃器類、電車の車両に軍用ヘリなどなど。
「ここは廃品倉庫でしたか。ちょうどいいですね、少し休ませてもらいましょう」
貞華は近くにあった廃電車に乗り込んだ。中には弾薬や手榴弾が箱に入って積まれている。
ホコリっぽい横長の座席に腰を下ろす貞華。ため息をつき、辛そうに目を閉じた。
「これほど戦ったのはいつ以来でしょうか……きっともう限界がきていますね」
貞華が再び目を開ける。
目線の高さに、派手な座敷わらしがいた。薄暗い中でもハッキリ分かる鮮やかな赤色の着物、それと一体化したミニスカートの下から見えるのは、うっすら日焼けした生足。
「座敷わらしじゃないわよ。こんにちは貞華。――また会えて嬉しいわ」
黒髪おかっぱの小柄な和装少女が笑みを浮かべる。対して貞華は困惑した表情で、曖昧な微笑を浮かべた。
知り合いらしいのだが、貞華に思い当たる節はない。
「……申し訳ありません。どこかでお会いしたことがあったでしょうか?」
用心のために柄に手をかけながら、貞華は丁寧に尋ねる。
「私は陽炎崎幽姫。貞華とは……そうね、会ったとも言えるし会っていないとも言えるかしら」
幽姫が名乗ったついでに謎めいたことを言う。貞華がちょっと目を見開いた。その名前に聞き覚えがあったからだ。
「陽炎崎というと、一ヶ月前に誘拐された陽炎崎博士でしょうか?」
「ええ。誘拐ってほどのものじゃないけどね。大体分かってたことだし」
クスクスと楽しそうに笑う幽姫。貞華はどうにも要領をつかめず、困ったように口を開く。
「それで、博士は」
「幽姫って呼んで」
幽姫が手で制す。小さな手には指ぬきグローブをはめていた。
「……幽姫さんはわたくしに何のご用なのでしょうか?」
「お礼を渡したくて。助けてくれたお礼」
幽姫は着物の帯の中から、一枚の小さな御札を取り出した。黄色い紙の表面に、赤色で不思議な記号が描かれている。その御札を貞華の刀の柄に貼り付けた。
その様子を見ながら、貞華は記憶を思い出すように目を細める。それから首をひねって、
「ありがとうございます……ですが、その、わたくしには幽姫さんを助けた覚えがありません」
「そうかもね。でもわたしは運命に感謝しているわ」
幽姫がゆっくりと歩き、廃電車の壊れたドアから飛び降りる。少し逡巡して、貞華も後に続いた。
やがて銃火器類が廃棄してある一角に着くと、幽姫が振り返って、
「さっき貞華は、坊主頭の男を倒したわね。そいつは一度この倉庫に立ち寄ったの。捨てられた道具の集まるこの場所にね。何をしたと思う?」
「古道具といえば付喪神でしょうね。妖遣いなら目覚めさせるのも容易いでしょう」
唐突な質問に訝りながらも丁寧に答える貞華。
直後、金属がこすれる音が周囲から響く。
幽姫が口角を思い切り上げて笑顔を作ると、
「正解。ところで、さっきプレゼントした御札だけど、いわゆる妖怪というものを引きつける効果があるの」
その言葉を聞いて、貞華が身を固くする。刀の柄に目をやると、御札が淡い金色の光を放っている。
「ふふふ、やはりどうにも甘いですねわたくしは。結局こうやって罠にかかってしまうのですから」
苦笑する貞華の周りで、散乱した銃器や工具がふらふらと宙に浮く。紫紺の光が、その形状をなぞるように揺らめいていた。
貞華が刀を抜き、戦闘態勢に入る。
「いいえ、言ったでしょ? お礼だって」
幽姫が貞華の刀を指さす。
「それは簡易式小型3・5次元エネルギー吸収装置、吸妖器。妖怪というのは3・5次元生命体の一種。三次元世界で破壊された妖怪が持つ3・5次元エネルギーは、エネルギー保存則に違わず次元の狭間に移動する。で、この装置をつけていると、その移動ベクトルを貞華のほうへ誘導できるのよ」
得意げな表情で幽姫がまくし立てる。理系知識に疎い貞華は、聞きながらひきつった微笑を浮かべていた。
「あ、ごめんなさい。まあ詳しいことはともかく、妖怪とか兵士3・5を斬ると貞華の力が回復する御札ってワケ」
「なるほど。確かに素晴らしいプレゼントですね。わたくしには、もったいないくらいです」
幽姫の説明に納得した貞華がしげしげと刀の柄を見る。
「ここの廃品全部が付喪神だから、斬り終わる頃には前よりも元気になってると思うわ。じゃあ私は隠れてるから、がんばってね貞華」
そう言うと幽姫は姿を消した。
と同時に不規則な発砲音が倉庫中に響きわたる。ショットガンが、サブマシンガンが、大口径拳銃がそれぞれ群れになって火を噴いたのだ。
「断微流・東風」
加速。貞華が殺到する銃弾の暴風へ突っ込んでいく。狙うのは連射の効かない拳銃だ。刀で弾丸を弾き飛ばし、宙に浮く拳銃の一つを斜めに斬り払う。
両断された拳銃から、白い光がどろりと溢れたかと思うと、流線型になって貞華の体へ一気に飛び込んでいった。
返す刀で残りの拳銃も切断する。白い光が貞華の体に吸い込まれる。
「なるほど、これはいいですね」
力が流れ込んでくる感覚に、貞華が感嘆の声を漏らす。
その間にサブマシンガンとショットガンの銃口が、貞華に向けられていた。散弾が面になって迫り、貞華の体を貫く。
「断微流・白蓮続いて八雲」
残像が出現するほどの超加速で、銃口の背後に回っていた貞華が一閃する。光の長刀が銃器の群れをまとめて切断していく。鉄クズになった残骸が床に落ちて、短い音を立てた。
漏れ出た3・5次元のエネルギーが引き寄せられ、刀を振りきった姿勢の貞華の体が輝く。
「ウヒッ……ウヒヒヒッ!」
不気味な笑い声が響いた。貞華があたりを見回す。幽姫の声だ。
「幽姫さん、どうかされましたか?」
「いや、なんでもないわ。それより次が来るわよ」
そっけない声が返ってきた。
貞華が真上を見上げる。
天井付近で紫紺の光が輝く。銃声が重なる。
加速した貞華が脇へ転がると、四発の弾丸が今までいた場所に突き刺さった。
「断微流・聖徳」
切っ先が上向きに振れ、発射点のあたりへ斬撃が飛ぶ。直後、派手な音を立てて、何かが落ちてきた。それは両断されたスナイパーライフルの残骸だった。
続くように鈍重な発射音と澄んだ金属音が重奏する。設置式の重機関銃三門が横一列になって弾幕を張り、薬莢をまき散らす。
再び加速した貞華が迂回して、左端の重機関銃の砲身を斬り捨てる。そのまま前に進もうとした貞華がその場で飛ぶ。「天子っ」
急上昇した貞華の眼下で爆発が巻き起こる。機関銃のずっと外側に、衛星のように配置されたロケットランチャー四機が紫紺の光をまとっていた。
「断微流・空路」
落下しながら横、縦、袈裟懸け、逆袈裟に刀を走らせる。光の刃がロケットランチャーの内部から切り裂く。発射寸前のロケット弾が爆発し、爆音がさんざめく。
時間減速して着地した貞華が聞いたのは、エンジン音と悲鳴のようなタイヤの音。
紫紺に輝く軍用トラックが貞華めがけて突っ込んできた。
「断微流・八雲」光の長刀が上段から振り下ろされる。
車体が中央から真っ二つに割れ、勢いそのままに貞華の左右へ流れていく。
後方から響く爆発音を気にせず、長刀を真上にもう一薙ぎ。トラックの後ろを走行していた迷彩柄のジープが両断され同じ末路をたどる。
解き放たれた紫紺の流体が貞華を潤していく。気持ち良さそうに目を閉じる貞華。
その真上に整地用のロードローラーが。
地響きとともにホコリが舞い上がる。粉塵を裂いて、さらにその上からショベルカーとブルドーザーが落下して轟音が弾ける。
「断微流・霧雨」
とっくに加速して回避した貞華が、剣舞を行う。蓄積した斬撃は光の大刀となって即時に解放され、積み上げられた重機をまとめて袈裟懸けにする。分かたれた鉄クズが滑り落ち、建物を振動させた。
瓦礫が叩きつけられる音に混じって、
「うっ!!」濁った悲鳴が。
「幽姫さん?! 大丈夫ですか!」
幽姫が一体どこにいるかは分からないが、今の戦闘でどこかを怪我したのかもしれない。貞華が心配そうな顔をする。
「あ、うん、らいじょーぶ……」
なぜか鼻声で幽姫が無事を告げる。続けて、
「そえよりそこ危ないわよ」
貞華はいつのまにか線路の上に立っていた。
きしむような唸りを上げて突っ込んでくるのは、さきほど休憩していた廃電車。それは火薬弾薬を満載した走る爆弾。
切断をためらった貞華が横に跳び距離をとる。その足下で何かが動く。それは線路のレールだった。紫紺の光を帯びた鉄のレールがゴムのようにしなり、電車の進路を強引に切り替える。火花を散らしてUターンした電車が再び突撃してくる。
貞華は少し考え込むと意を決したように、
「断微流・東風続けて八雲」
大上段から振り下ろされた長刀が、車体を真っ向から裂断する。貞華の視界の中で、爆発がゆっくりと膨れ上がる。素早く刀を鞘に納め、防御の技・四季を展開し軽くジャンプする。
黒と赤の爆風が襲う。後方へ吹っ飛ばされていく貞華。白の鎧に破片がいくつも突き刺さる。
「断微流・瑠璃」時間を遅くした貞華が着地する。
その寸前、爆炎の向こうから弾丸が飛来する。それは銃弾ではなく、砲弾。
瞬時に時間を速め、床へ飛び込んで転がる。爆音とともに後ろの壁が吹き飛んだ。
外から入り込んだ光が倉庫内を照らす。
その光を受けるのはさびついた戦車。電車の残骸をキャタピラで踏みつぶしながら姿を現した。
「軍事国家というのは伊達ではありませんね。廃品でこれほど種類があるとは」
苦笑する貞華。視線の先では、吹き上がる黒煙を吹き飛ばしながらもう一体の付喪神兵器、武装ヘリコプターが上空でホバリングしていた。
「これで最後よ! 頑張って貞華!」
断言する幽姫の声が反響する。それをかき消すように、悲鳴のような回転音が響きわたる。
重い炸裂音とともに貞華の視界で土煙が上がる。
武装ヘリのガトリングが地をなめるように掃射していく。
「東風続けて聖――いや白蓮っ」
技を中断し貞華が急加速する。
残像を戦車砲の弾丸が突き抜ける。爆音が建物を揺らし、天井からコンクリートのかけらが剥がれ落ちてきた。
「さすがに砲弾の速度はあまり緩みませんね……」
貞華が苦笑しながら距離をとる。時間加速の技といっても、それだけで無限に時を引き延ばせるわけではないのだ。
ガトリングと砲塔がゆっくりと狙いを定める。
「ならば素早く一度に倒すことにしましょう――断微流・天子」
貞華の体が空中の武装ヘリコプターへと吹っ飛ぶ。異常なGに顔をしかめながら抜刀し、刀を縦に構えて「八雲」とつぶやく。
光の長刀を前面にして飛来する貞華が、武装ヘリの中央を突き抜ける。ヘリが中央から裂け、炎が炸裂した。
落下中の貞華が下を見る。
重機の残骸に乗り上げた戦車が、砲塔を上空へ向けつつあった。
貞華が刀を大上段に構える。そしてそのまま空中で前転。振り子刃と化した光の長刀が、砲身ごと戦車を裂断した。
直後に爆発が起きる。貞華が爆炎の中に飛び込んでしまう。
破壊した武装ヘリの残骸が降り注ぐ。
炎が次々と廃品に燃え移り、刺激臭が立ちこめる。
壁に開いた穴から建物の外へと黒煙が出ていく。その煙の中から現れたのは、すでに防御の技・四季を発動していた貞華だった。
その後ろから追いかけるように白い光が流れ込んだ。
「ふぅ……幽姫さんの御札がなければ、ここまで動くのは難しかったですね。ところで幽姫さんは――」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」甲高い絶叫が響きわたる。
「きゃっ!?」倒し終わってちょっと気を抜いていた貞華がびっくりして飛び上がった。
目の前の林から幽姫が顔だけをのぞかせる。
「なんでもないわ、その、ちょっと興奮して……はぁ」
うっとりしたようなため息をつく幽姫。うっすらと汗をかき、丸みを帯びた頬が上気している。
妙な様子を不可解に思った貞華だったが、無事なら問題ないと思い、気になっていたことを質問する。
「改めてお聞きしますが、幽姫さんはいつ、わたくしとお会いしたのでしょうか?」
「うーん、本当は言いたくないんだけど……まあ時期だけなら言ってもいいかしら。7年前よ」
その言葉に貞華の整然とした表情が微妙に歪む。何か思い当たる節があったらしい。
「じゃあ私は戻るわ。あのブタ、いえ将軍様に怪しまれちゃうから。お次の相手は宮殿前の広場で待ちかまえているわ。頑張ってね貞華」
そう言うと、幽姫が木の陰にひっこむ。あわてて貞華が木の裏をのぞくと、そこにはもう誰もいなかった。
林の入り口で貞華は立ち尽くす。頭の中で思考が走り回る。
幽姫は7年前に助けられたと言った。
まさか、あのときの子だろうか?
確かに姿は似ている。
いや、そんなはずはない。
あの子は助けられなかったのだから。
「わたくしが、どうしようもなくうぬぼれていたせいで」
※
7年前。貞華は11歳になっていた。
「どんな妖怪もわたくしには適いません! さあ、かかってきなさい!」
威勢のいい声が谷に響く。貞華が刃文を青く輝かせ、光の刃を縦横無尽に振るう。水中から襲いかかってくる水妖怪たちが切断されては消滅していく。
貞華の目に、川面から大きな泡がボコボコとわき上がるのが見えた。直後、水が持ち上がり、正面に巨大なカニの妖怪が出現した。
巨大なハサミが振り下ろされ、岩の上の貞華を押しつぶそうとする。貞華が歯を見せてニヤリと笑うと、刀を思い切り斬り上げる。天を衝く刀身は三倍以上に伸び、光り輝いていた。
「断微流・八雲!」
かけ声とともに、巨大ガニのハサミが切断され、さらにその向こうの本体も真っ二つに割れた。巨体が水面下に沈んでいく。
「上出来だ。その年でそれだけ使いこなせるってのは才能の証さね。こりゃあ奥義が使えるようになる日も近いよ!」
川縁で見ていた凛が声をかける。惜しみない賞賛に、貞華の顔が紅潮する。
「ありがとうございますお師匠さま! これからもっと頑張ってお師匠さまを越えて見せます!」
「ハハハ、そうかい。早くアタシを引退させとくれ!」
凛が上機嫌で笑う。貞華はとにかく飲み込みが早かった。戦闘のセンスも申し分なく、退魔師として一人前になるのも時間の問題だ。
このとき断微凛は61歳。長年の酷使で体を動かすのがつらくなってきたため、後継者を見つけることに必死になっていた。
待ち望んだ弟子、それも超大当たりと言っていい逸材を発見し、凛はかなり浮かれていた。
だから、心構えについての指導が甘くなってしまったのは仕方ないのかもしれない。
川面に突き出た岩の上を飛んで、笑顔の貞華が同じく笑顔の凛の元へ戻る。
突如、二人の表情が変わる。上流の方で、空間が大きく歪んだ。
対照的な表情になる弟子と師匠。片やイキイキとし目を輝かせ、片や目を見開き青ざめる。
「すごい気を感じます。これは退治しに行かねばなりませんね!」
「待ちな貞華! この気配はお前を遙かに――」
制止を無視して貞華が一気に加速し、上流へと跳んでいく。
得意の絶頂にいる弟子に師匠の言葉は届かなかった。
妖怪の気配を追って上流へ走ってきた貞華。目に入った光景に息を飲む。
渓流側に突き出たでっぱりに、妖怪と赤い浴衣の女の子がいた。
その妖怪は甚平を着た老人の形をしていた。だが肌は死者のように青白く、その頭は上に長く伸び、甚平の下は脚の代わりにゆらゆらとした半透明の煙になっている。貞華の見たことのない妖怪だった。
それよりも貞華が驚いたのは妖怪の手だった。筋張ったその手は、女の子の首をがっちりとつかんでいる。女の子の目は苦しそうに見開かれていた。女の子の下には急流が水しぶきをあげている。
貞華が一気に時間を加速させる。
一瞬で妖怪の背後についた貞華が光の長刀を振りかぶると、
「この深霧貞華の前で妖怪の悪事は許しません! 断微流・八雲!」
妖怪の長い頭部を刃が斜めに斬り裂いて「えっ?」斬ったそばから頭部が一瞬で再生していく。
再生速度は切断速度を上回り、光刀を飲み込んでしまった。
「ひょっひょっひょっ、可愛らしい退魔師じゃのう。かようなナマクラで我を斬れると思うたか?」
ノイズの混じった暗く重い声が辺りに反響する。毛のない後頭部に、ぎょろりと緑色の目が開いた。
加速した自分の切断スピードを遙かに上回る再生速度。初めて遭遇する格上の相手に貞華が動揺する。
「さて、ナマクラを馳走されたお返しをせねばのう」
その言葉に我に返った貞華が、かろうじて刀を鞘へ引き戻し防御を試みる。
「だ、断微流・四季……」
妖怪の目から黒い刃が飛び出した。白い鎧が一瞬で砕き割れ、貞華の体に突き刺さる。鮮血が胸から吹き出す。
「あ……」
世界が縦に回る。
空が見えた。
目の前が暗くなっていく。
「貞華あああああああああああああぁーーっ!」
凛の叫び声が遠くに聞こえた。
※
そして現在。
森の中で倒木に腰掛けていた凛は、よっこいしょと呟いて立ち上がった。
木々のざわめきに混じって、かすかにサイレンの音が聞こえてくる。
貞華に追いついたときのことが脳裏に浮かぶ。
※
状況を一瞬で視認した凛が、首もとの筒から小刀を抜くと、
「ちぇええええええええええええいいいいいっ!!」
目にも留まらぬ早さで十字を切る。
縦と横の巨大な光の斬撃が、音を置いてけぼりにして走り抜けた。
枝の折れる音が重奏し、川沿いの木々が年輪をさらして倒れ、低く轟音を響かせる。川面は十戒さながらに割れ、渓流の川底が露出する。
そしてぬらりひょんの体は十字に切断されていた。
「お、おのれ退魔師が……我は、諦めぬぞ……!」
紫紺の火花とともに、ぬらりひょんは次元の狭間に消えた。
水音が響く。急流が再び唸りをあげる。
凛が急いで貞華の元に駆け寄る。貞華の時間を遅くし、自分の時間を早める。
「馬鹿だよアタシは……くそっ死ぬんじゃないよ貞華!」
口の堅い医者の医院で貞華は目を覚ました。
「無様な弟子だねお前は! 修行が全く足りてない未熟者がイキがるんじゃないよ!」
開口一番、凛は貞華を叱りつけた。
「申し訳ありません、お師匠さま……」
貞華はしゅんとした表情でボソボソ呟く。よほどショックだったのか、しばらく刀のほうを見ようともしなかった。
回復してからも、胸の傷を見ては険しい顔で考え込む姿が見られた。
その後、凛は方針を変えた。とにかく厳しくしたのだ。
「もっと真剣にやるんだよ!」
「本当に未熟だね!」
「なんかもう全部ダメ!」
それまで散々褒め倒しておいての手のひら返し。正直、後ろめたかった凛だったが、油断して死んでしまうよりマシだと言い聞かせ、半ば無理矢理にでも叱った。
これがまずかった。
「わたくしはそんなに強くありません」
「本当にわたくしなどに務まるのでしょうか?」
「わたくし程度がどれだけ頑張ったところで、結果は知れています」
確かに貞華は謙虚に振る舞うようになったのだが、やたらと自己評価の低い子になってしまったのだ。
さすがに凛も途中で気づいて、褒めるようにもしたのだが、手遅れだった。
名選手、名監督にあらず。ここにいたって断微凛は自分が指導者に向いてないことを認めざるを得なかった。
その後、深霧貞華は向上心を失い、卑屈に近い性格のまま、妖怪退治を続けている。
幸か不幸か、その天才性で続けられてしまっている。
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