【弐】覚悟の銃弾

 退魔師・深霧貞華の住処は、日本の山中にある。正確には貞華の師匠の隠れ家と言うべきか。

 隠れ家なので当然電気など引けない。

 したがって、食卓に並ぶ料理はガスで調理したものだった。

「お前、もう少し美味く作ろうって気はないのかい? いや、マズかないんだけどさ」

 うんざりした口調で、白髪の老婆が箸を置く。その手の甲は古傷だらけだった。手だけでなく首筋や口元にもつけられた傷は、古強者の証だった。

 老婆の名は断微凛。引退した退魔師にして、貞華の師匠である。

 その師匠が弟子の料理の腕を指摘する。

 今日の献立は、おかゆ三歩手前のご飯、ちょっと焦げ臭い干物、どうにか塩味の漬け物、ギリギリ飲める塩辛さの味噌汁。控えめに言って美味しくなさそうだった。

「お師匠さま。たとえ味が伴わなくとも、食べられるなら十分ではないでしょうか」

 味噌汁の茶碗を置いた貞華が返す。凛は諦めたようにため息をついた。

「お前はもう少し向上心というものを持った方がいいよ」

「増長は良くない結果を招きます。常に謙虚であらねばなりません」

 食器を片づけながら貞華が微笑を浮かべる。

「向上と増長は違うんだけどねぇ。アタシが言えた義理じゃないけど――いい加減あのときのことを引きずるの、よしたらどうだい?」

 凛が億劫そうに立ち上がる。後頭部から垂れ下がる長い三つ編みが揺れ動いた。

 食器を洗う水音に混じって、貞華がさも当然といったように口を開く。

「引きずっているわけではありません。わたくしは気づいたのです。世の中には自分の適わない相手がいるものであると」

「間違っちゃいないがね……分を弁えすぎる若者は見ていて気持ちのいいもんじゃないよ」

 凛が棚の上のラジオのスイッチを入れながら再びため息をつく。ゆったりとしたテンポのクラシックが流れてきた。

「一つの若者観として受け取っておきます」

 穏やかな表情を崩さず、貞華は水切りに食器を立てかける。

 突如、ラジオから緊張した声が飛び出した。

「ここで今入ってきたニュースです。サウザンウン共和国が弾道ミサイルを発射しました。繰り返します。サウザンウン共和国が弾道ミサイルを発射しました。場所は、えー、太平洋にある無人島とのことです」

 アナウンサーの読み上げた内容に凛が反応する。しわの目立つ顔に厳しい表情が浮かぶ。よく聞こえるようにラジオを食卓机の上に置き、イスに腰掛けた。

「サウザンウンといやぁ、あれだろう。妖怪を発見したとかいうアメリカ人の博士を誘拐した」

「そうですね。正確には三次元と四次元の間に存在するエネルギーと、そこに生息する生命体の発見ですが。それにアメリカ人ではなく日本人だったと思います。陽炎崎幽姫博士は」

 言いながら貞華は本棚の雑誌を手にとって開く。雑誌のタイトルは「新たなる発見! 3・5次元エネルギー大特集!」となっている。

「十五歳のときに飛び級で大学に入り、理論物理学を専攻。現在は十六歳で、二ヶ月前に3・5次元エネルギーの理論と試験的な抽出を成功させたと大々的に発表しました」

 貞華がイスに座り、凛に見せるように食卓机の上に雑誌を見開きにする。

 凛は記事をちらっと見ると、

「で、その一ヶ月後にまた大騒ぎになったわけだ」

「ええ、博士が忽然と姿を消し、研究室は荒らされて研究資料も持ちだされていたそうです。サウザンウン共和国の犯行というのがアメリカの見方です」

「ま、あの国ならやりかねないね」

 サウザンウン共和国は海を隔てた場所に位置し、日本の隣国といってもいい国家だ。将軍と呼ばれる君主が支配する独裁国家で、国家予算の半分を軍事につぎこんでいる。

 加えて、各国から優秀な研究者やエンジニアを誘拐しては兵器開発に従事させているらしい。

「新エネルギーはこれまでにない特殊な性質を持っているようですからね。兵器転用できれば軍事的に有利に立てるかもしれませんが……そううまく行くものでしょうか?」

 同じことを繰り返していたラジオの向こうが、慌ただしい雰囲気になる。

「たった今、サウザンウン共和国のトップが声明を発表しました。『我々は3・5次元エネルギーを利用したミサイルの発射に成功した。今後、我が国へ恥知らずな干渉を行う者は、無人島と同じように一瞬で跡形もなく消滅するだろう』とのことです。日本政府はこの事態に安全保障会議を招集し」

 そこで凛がラジオのスイッチを切る。静寂が広がった。遠くでウグイスの鳴く声が聞こえる。

 凛が真剣な表情で貞華を見すえる。

「さて貞華、お前も気づいていたと思うが、サウザンウンの方角からは、ここ一か月妖怪の気配が現れては消えていた。その博士とやらが誘拐されたのと時期は符合するね」

「はい。……お師匠さまは、裏で妖遣いが関わっていると思われますか? わたくしにはどうにも判断がつかなくて」

 迷ったような表情で貞華が訊く。凛はその様子にいささか失望した表情を見せ、

「どうだろうね。だが、あんな国と妖遣いが組まれちゃたまらん。一応、行ってきたらどうだい? ああ、言っておくが生身の相手に本気出すんじゃないよ」

「できる限り頑張ります」



 そして今、深霧貞華は、抽出施設の白い建物から出てきたところだった。

「軍事基地にしては兵士の数が少ないと思いましたが、そういうことでしたか」

 貞華の目の前には、サブマシンガンを構えた兵士たちが、視界の端まで横一列に展開していた。

「撃てやぁ!」

 銃列の奥の方にいた指揮官らしき軍人が怒号を発する。銃弾が放たれると同時に、貞華は自分の時間を加速させた。

 弾丸のスピードが一気に落ちる。銃弾を刀で弾き飛ばし、左端の兵士の元へ駆け出そうとした貞華が息を飲む。

「っ!?」

 すでに兵士たちが銃口を向けていた。動きは若干緩慢だったが、それでも加速した貞華の動きについていけているのだ。

 貞華が驚いたのはそれだけではない。兵士たちの目は赤一色に染まり、明らかに正気の色を失っている。

「憑依して……くっ!」

 瞬時に刀を鞘に納め、断微流・四季を発動する。弾丸のぶつかる音が貞華の耳を打つ。構わず左端の兵士の横に駆け込む。位置どりを変えたことで、貞華の目に映る兵士たちの列並びが縦に変わる。兵士たちがじろりと赤い目を向けた。

「断微流・聖徳」光の斬撃が飛び、一直線に兵士を貫通していく。

 時間の加速が終わった瞬間、兵士たちが一斉にバタバタと倒れた。

「第二陣行け! 敵はバカみてえに泡食ってっぞ!」

 頬に傷のある指揮官が、待機していた兵士に命じる。幅広のアーミーナイフを握りしめた赤目の兵士たちが、早回ししたような動きで地面を蹴る。

 一気に距離を詰めた三人の兵士がナイフを振る構えをとる。

「連続して使うのはよろしくありませんが――東風っ」

 加速した貞華がバックステップでナイフを回避する。着地に合わせて光の長刀を作り出して横薙ぎにする。

 三体の上半身がずり落ちる。

 残った下半身を飛び越えて他の兵士たちが突っ込んでくる。さらに残りの兵士たちが裏に回りナイフを振りかぶる。

 貞華は流れるように刀を鞘に納めると、

「断微流・四季」

 即座に展開された楕円球の防御膜に、繰り出されたナイフの刃が食い込んだ。

「さらに断微流・深紅」

 防御膜が白く輝き出すと一気に弾け、全方向に光の針が勢いよく飛び出す。

 穴だらけになった兵士たちが崩れ落ちて、地に伏した。

「ハッ、やっぱ付け焼き刃じゃ本物に適わねえか。まったく、生まれつきの天才ってヤツぁこれだから嫌いだぜ」

 貞華が声のした方へ振り向くと、指揮官の軍人がタバコに火をつけているところだった。赤い髪が燃える炎のように逆立っている。その目は兵士たちと同じように赤く染まっていたが、黒の瞳孔は残っていた。

「わたくしが天才ならば――ここまで焦ることもなかったでしょう」

 貞華が苦笑する。少し息が上がっていた。

「兵士の方々の目は明らかに妖怪に憑依されたときのものでした。ですが、発揮した能力は退魔師のそれと同じです。いったい何をしたのでしょうか?」

 指揮官はすぐには答えず、ゆっくりと煙を吐く。

「兵士3・5――3・5次元の特性を直接人体に植え付けたっつう代物だ。ラシネーナの野郎が言うにはバージョン記述にひっかけたらしいが、まぁんなことはどうでもいい」

 説明を終えた指揮官の目が鋭くなる。その右目には縦に一筋の傷が走っている。

「大事なのは」

 軍服の懐に手が入ったと思うまもなく、白金色の大型オートマチック拳銃が貞華に照準を合わせる。

「気取り屋のメスガキが、このヤン・ジェット准将の昇進材料としてくたばるってことだ!」

 銃声が開戦の合図のように響きわたる。すでに加速の技・東風を発動していた貞華が横へ飛ぶ。白い銃弾が頬をかすめる。かすめた。そのことに貞華の表情が曇る。

 ジェット准将が凶暴そうな笑みで走り出す。

「いいカンしてるじゃねえか! 察しの通りこの拳銃は特別製だ! 加速中の時間でも通常の弾丸速度を出せる。いわば拳銃3・5ってワケだ!」

「そして当然、っあなたも兵士3・5なのですね」

 銃口から軌道を読み、ギリギリのところで回避する貞華。回避しながら断微流・空路を繰り出していた。ジェット准将の背後から斬撃が飛び出すはずだった。が、ジェット准将はあらぬ方向に銃口を向けると、

「ああ、それも特別なヤツだ。だからテメエの動きも、テメエの手品も見える!」

 発射された弾丸が空中で何かに命中し、軽い爆発音が鳴り響く。貞華の眼球が動揺の色を映す。

「テメエが刀を振ったあと、空間を大回りする光が見えた。どういう仕組みかは知らねえが、撃ち落として正解だったようだな」

「空路を途中で止められたのは初めてです。未熟さを痛感しますね」

 嘆くように首を振る貞華。その様子を見て、弾倉を交換していたジェット准将の右目がひきつる。

「うざってぇな。そのセリフは生まれつきでフザけた超能力を持った人間が口にするもんじゃねえよ」

「わたくしも最初からここまでできたわけではありません。お師匠さまが見出し、鍛えてくださったおかげです」

「ハッ、今度は環境自慢か。トクベツな奴ってのはマジで腹立つぜ」

 言うほど特別でもない、そう口を開こうとした貞華を制するように発砲音が連続する。

 だが弾丸は飛んでこない。貞華の目が左右に忙しく振れる。白い弾丸が曲線を描いて左右から貞華を挟むように迫ってきていた。

「この軌道――く、断微流・四季っ」

 急いで刀を鞘に納めると、全身を覆う白い防御膜を展開する。直後、貞華の耳に鈍く短い音が響く。弾かれた銃弾が地面に落ちた。

「ええ全く羨ましいよな退魔師ってヤツぁよ! こんなワケの分からん能力が使いたい放題ってんだからな!」

 ジェット准将が怒りのこもった声を放つ。白金色の銃が次々と火を噴き、四季による防御膜にひびが入っていく。

 反撃しようにも、貞華の刀は鞘に納まったままだ。

 いつもならば加速して体勢を立て直すのだが、ジェット准将が同じレベルの加速をしているために振り切れない。

「加速状態で使ったことはないですが――仕方ありませんね。断微流・天子」

 かすかに眉をひそめ、貞華が意を決したように前方へジャンプする。その体が爆発的な勢いで吹っ飛んでいく。大砲の弾のように放物線を描いて、貞華の体は、茶色い汚れた建物の平屋根に、ゆっくりと落ちた。

「くそったれが! 逃げるくらいなら大人しく仕留められろってんだ!」

 ジェット准将が悪態をつく。ポケットからタバコを取り出して、火を点けようとする。その両手は震えていた。



「はぁ、はぁ……。うくっ……! 着地は瑠璃の技で減速したとはいえ、体がバラバラになりそうな気分でした……」

 屋上の周囲を囲む壁に寄りかかって、息を荒く吐く貞華。時間加速も解除しているため、ジェット准将が追いついてくるのは時間の問題だった。

 深霧貞華は半ば諦めていた。時間加速の技は本来、短時間使うものであって、いまのように持続して使うものではない。ましてや加速中に他の技まで使えば、その消耗具合は飛躍的に上がる。

「上には、はぁ、上が居るものですね……全盛期のお師匠さまでも、加速を維持し続けるのは難しいはず……」

「ずいぶん手間かけさせてくれたじゃねえか! はしごしかねえんだぞ、屋上に出るにはよ!」

 遠くから軍隊式の大声が轟いた。ジェット准将の歩く姿が貞華の元へ真っ直ぐ近づいてくる。加速したその歩みは、猛ダッシュと変わらないといってよかった。

 対照的にゆったりと立ち上がる貞華。その表情には疲労の色が濃かったが、口元はホッとしたように微笑していた。

「どうやら、わたくしはここまでのようですね」

「諦めの早え奴だな。テメエがこの国の生まれだったら、そのタッパに届く前にゴミ溜めでくたばってただろうよ。俺の……いや、関係ねぇ、さっさと死ねや」

 ジェット軍曹の声が一瞬わずかに湿ったが、すぐに乱暴な口調が戻る。

 銃口が貞華の額に押しつけられた。貞華の表情から力が抜け、静かに目を閉じる。

「終わり、だッ」

 銃声が、脳を揺らした。



 硝煙が立ち上る。

 貞華がゆっくりと目を開いた。

「なぜ、外したのですか?」

 銃弾は地面にめり込んでいた。ジェット准将の手は震え、目からは鮮血の涙が流れていた。

「情けをかけたわけじゃねえぞ……ハッ、時間をかけすぎたな」

「まさか、その力は命を削って――」

 貞華がハッとしたように呟く。ジェット准将がニヤリと笑う。

「凡人が天才に追いつくには……どっかで無茶しなくちゃなんねえ。俺の体には……許容限界を超えて、3・5次元エネルギーを注入している。この銃が扱えるのも、テメエと対等に渡り合えるのも……それのおかげだ」

 白金色の拳銃を持つ手が、がくがくと振動する。とても狙いを付けるどころではない。

 その様子を痛ましそうに見つめる貞華。

「そこまでしても、戦う必要があったのでしょうか?」

「この国では……ある。下の連中の生活を見たことがあるか? 野草が手に入れば御の字。胃に物が入ってる方が珍しい。当然人がバタバタ死んでいく……俺の妹も」

 貞華は黙って目を閉じて聞いている。

「コネも才能もねえ人間は、無理に無茶を重ね続けなきゃ、ごほっ、生き残れねえんだ。俺たちには、それしかできねぇ……」

 口から血の泡を吹きながら、ジェット准将の語勢が弱まっていく。

「ここで、テメエを殺れば、死後特進になる。残った家族も惨めな……生活から……」

 ジェット准将の黒目が薄く小さくなっていく。

 指から力が抜け、銃口が下へ傾く。

 直後、銃を持つ手が力一杯握りしめられ、

「俺の昇進のために! ここで死にさらせええええええッ!!」

 咆哮とともに加速したジェット准将の指が、引き金を瞬く間に十度引いた。弾丸は全く同じ軌道で一直線に貞華の顔面を狙う。

 貞華は刀を鞘に納めていた。彼の最期の一撃を受けるために。

「断微流・四季神妙」

 白い楕円球が貞華の体を包む。すぐさま球体は体の前にずれ、顔面サイズの立方体に圧縮される。

 白く輝く立方体に、縦列の弾丸が激突する。鈍く激しい音が連続する。

 眼前の盾にひびが入っていくのを、真剣な眼差しで見つめる貞華。

 八発。

 九発。

 十発目の弾丸が命中した瞬間、目の前の立方体が粉々に砕け散る。

 飛び散った破片の隙間から見えたのは、がっくりと膝をつきうなだれるジェット准将の姿だった。

「これだから、天才は……き、ら……」

 わずかに動いていた口が、完全に沈黙する。白金色の大型拳銃が手から滑り落ちた。

 貞華が壁に背中を預け、そのまま座り込んだ。そしてジェット准将に語りかけるように呟き出す。

「無茶ができるというのは、限界がないということです。少し、あなたが羨ましい。わたくしの限界は、とうの昔に分かってしまいましたから」

 悔恨の響きを含んだその言葉に、何の反応も返ってこなかった。

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