奇機械怪~退魔少女の斬撃乱舞~
東雲弘治
【壱】退魔師VS妖遣い
「おい、誰か近づいてきてないか?」
ゲートの前で見張りをする小柄な兵士が、隣にいる大柄な兵士に声をかける。遠くに見える人影に大柄な兵士も目を凝らす。
「あれは……女、みたいだな。この時間に訪問予定は入っていないはずだが」
大柄な兵士が手元の電子端末に目を落とし、また前を向くと、目の前に少女の顔があった。
「うわぁ!?」
「なっ、今、あんな遠くに……」
二人の兵士は自分の目がおかしくなったのかと思った。そうでなければ、目の前の少女は五メートルほどの距離を一瞬で詰めたことになる。だが、少女に息の乱れた様子はない。靴にしたって何の変哲もない黒のブーツだった。
「お尋ねいたしますが、ここはサウザンウン共和国の軍事首都、チャンピョンの入り口であっていますでしょうか?」
優しげな表情から、抑え気味の上品なアルトボイスが発せられる。
「あ、ああ、そうだが……」
少女の丁寧な口調に、落ち着きを取り戻した大柄な兵士が、改めて少女の容姿を確認する。
濡れ羽色のショートヘア。後ろ髪をトップで丸くまとめているらしく、頭の上からお団子がのぞいている。優しげな眉に群青の瞳、シュッとした頬に微笑をたたえた口元。くすみ一つない健康的な白い肌が若さをよく表している。
美人だな、と大柄な兵士は思った。足下まで伸びる白いボタンコートが清楚な美しさを引き立たせている。
一方、隣の小柄な兵士はある一点を凝視していた。少女は意外に背が高く、百七十センチはある。つまり、前を向いた小柄な兵士の目線は、少女の胸部を捉えることになる。ボタンで押さえきれないほどの豊かな胸を。
緩んだ顔の小柄な兵士を、苦笑した様子で見る大柄な兵士。彼も巨乳は好きだった。
と、大柄の兵士の目が少女の腰回りで止まる。別にいやらしい意味ではない。コートの上から茶色のベルトが巻かれ、右脇の金具には銀色に輝く鞘がはまっていた。当然、その中には刀が納められている。
「ちょっと君、その刀は……」
「間違っていなかったようですね。わたくしはあまり出来がよくないので不安だったのです。お答えいただきありがとうございました」
兵士の問いを遮るように、少女が深々とお辞儀をした。
次の瞬間、兵士たちの目の前から少女が消えた。
「ど、どこへ」
大柄な兵士があたりを見回す。すると小柄な兵士が仰向けに倒れているのが見えた。
「おい、何やって――!?」
大柄な兵士の目が見開かれた。倒れた兵士の軍服が斜めに切り裂かれ、その周囲が赤く染まっている。
「クソッまさかあの女!」
怒りの形相で少女を探そうと踏み出した瞬間、大柄な兵士の全身から力が抜ける。自分の体に目をやると、わき腹が切り裂かれ、血がにじんでいた。
「なんで、いつの、間に……」
兵士がひざをつく。意識を失う前に見たのは、鞘から刀を抜き、ゲートの向こうへ走り去る少女の姿だった。
「妖怪の強い気配はあちらからしているようですね」
少女が、白く真新しい建物の方を見ながら走っていく。するとその建物の陰から見回りの兵士が現れた。
「あっ?! 貴様、侵入者か!」
血に濡れた刀を構えながら突っ込んでくる少女を見た兵士が、サブマシンガンをばらまく。だが、少女は一瞬で弾丸の軌道の脇へ移動していた。銃弾は少女のいなくなった空間を虚しく飛んでいく。
「はぁ!? なんで避け――ぎゃあああっ!」
呆気にとられる兵士の顔に刀筋が走る。少女はすでに兵士のいる場所を通過していた。
「畜生ッ、本部聞こえるか! 侵入者だ! 女だ! 顔を斬られた!」
血の吹き出る顔を押さえて、兵士が無線に怒鳴る。すぐさま一帯にサイレンの音が響きわたった。
軍事首都チャンピョンは低い山々に扇状に囲まれている。扇の根本に当たる部分には、この国の支配者である将軍の宮殿があった。
その宮殿の三階にある将軍の間で、でっぷり太った壮年の男が玉座にふんぞり返っていた。
「む、何事であるか」
けたたましいサイレンの音を聞いて、男がうるさそうに顔をしかめる。そこへ兵士が駆け込んできた。
「将軍! 報告します! 基地内へ侵入者です!」
「馬鹿者! 余のことは将軍様と呼べと言っておろう!」
将軍の不健康そうにむくんだ顔から怒声が飛び出す。
「も、申し訳ありません将軍様! 刀を持った白いコートの女が一人、ゲートを破り基地へ進入した模様!」
「何!? 女ごときに突破されるとは何たる怠慢! 早う殺さぬか!」
不機嫌そうな表情で命じる将軍に、兵士が言いにくそうに報告を続ける。
「いえ、それがその女、不可思議な動きをしており、その、瞬間移動しているようでして……」
「寝ぼけているなら粛清してもよいのだぞ?」
「ひいぃ! 嘘では……お許しを!」
拳銃を突きつけられた兵士の顔が恐怖でひきつる。
「嘘じゃないわよ。将軍様」
可愛らしい声がして、拳銃の下から指ぬきグローブをはめた小さな手がにゅっと伸び、銃口を下に向けた。
「どういうことであるか、余の後輩、陽炎崎幽姫くんよ」
表情を崩した将軍様が手の主を見下ろす。そこには赤い着物を着た背の低い黒髪おかっぱの少女がいた。着物の下はミニスカになっており、軽く日焼けした脚が露わになっている。南国の座敷わらしといった風貌だ。
「モニターを出して」
「了解しました。陽炎崎博士」
兵士が壁のスイッチを押すと、壁際の天井から巨大なモニターが降りてきた。
画面の中では、時間が飛んだような不自然な動きで高速移動する少女が、次々と兵士たちを斬り捨てている。
「んん、カメラが壊れておるぞ?」
「いいえ、カメラは正常よ。加速した時間の中にいる人間を捉えられていないだけで」
幽姫が少女剣士の種明かしをする。その言葉に色めいた将軍が立ち上がる。
「それは幽姫くんの研究と同じものではないか! まさか他国の劣等人種どもも既に3・5次元エネルギーの実用化を……!?」
「いいえ、彼女は深霧貞華。退魔師と呼ばれる存在で、生まれながらに3・5次元の領域に踏み込める希有な人間よ」
兵士がひきつったような声を上げる。幽姫の言うことが事実なら、少女剣士・深霧貞華に一般兵士は歯が立たない。まさに次元の違う相手なのだ。
「ふん、天然記念物というわけであるか。だがもはやその価値は無に帰したのだ。所長に連絡したまえ、兵士3・5を出動させるのだ」
将軍様が尊大なダミ声で兵士に命じる。兵士が端末でどこかへ連絡を取る。
「将軍様、私は四羅日さんの元へ行くわ。抽出装置を守らなきゃ」
「妖遣いとかいうハゲであるか。幽姫くん、あれは信頼できるのかね?」
「ええ、実力は有数よ。だから心配せず玉座にどっしりと構えてて、先輩」
赤褐色の瞳で見上げながら、将軍様に甘い声をかけると、幽姫は小走りに部屋の出口へ向かう。草履の音が奥へ消えていった。
幽姫が行った方を見ながら、将軍様が嬉しそうにつぶやく。
「先輩……先輩であるか。ぐふっ、ぐふふふっ」
厚ぼったい唇から不気味な笑い声が漏れた。
玉座の間を出た幽姫はしばらくすると立ち止まり、壁により掛かった。
幽姫の両手がぎゅうっと胸を押さえる。息を荒く吐きながら、口角をあげて笑みを浮かべ、小さな声でつぶやく。
「うっ、ふぅ……やはり来たわね、貞華。あの日からずっと、はぁ、忘れたことはなかったわ」
興奮を表すように、ツリ目の中には赤褐色の瞳がギラギラと光っていた。
深霧貞華は建物内の長い廊下を駆けていた。壁や天井は真新しく、汚れや傷はほとんど見あたらない。つい最近建てられたことは明白だった。
「あまり妖怪には似つかわしくない場所ですね」
つぶやいた貞華の視線の先では、廊下が直角に折れ曲がっている。その死角から銃を構えた兵士が三人飛び出してきた。待ち伏せていたらしい。
狭い廊下だ。時間を加速しても避けきるのは難しい。そう考えた貞華は、地面を思い切り蹴って後方へ飛ぶ。同時に、素早く刀を切り上げ切り下ろしもう一度切り上げた。青い刃文が残像を描く。
「断微流・空路」
口上と同時に、前方の三人が悲鳴を上げて崩れ落ちた。倒れた拍子にめちゃくちゃな方向に発射された銃弾が、壁や天井にめり込む。
着地した貞華が再び前へと駆け、倒れた兵士たちを飛び越える。
貞華と向かい合っていたはずの兵士たちの背中には、横一文字の斬撃が刻みつけられていた。
貞華は両開きの大きなドアの前に立っていた。
「この部屋から妖怪の強い気配を感じます」
メタリックなドアには取っ手がない。横には液晶と数字キーが備え付けてある。
「ハイテクはどうしても苦手ですね……。お師匠さまの家は電気が通っていませんから」
困ったように眉を動かす貞華。適当にキーを押してみるが、失敗のブザー音が鳴るだけだ。やがて諦めたように軽いため息をつくと、
「仕方ありません、壊しましょう。鉄扉くらいなら多分わたくし程度でも破壊できるはずです」
そう言うと貞華は、刀の切っ先をドアに当て、
「断微流・神妙」
刃文が輝きを増し、直後、白い閃光が走る。
重い破裂音がして鉄のドアが奥へ吹っ飛んだ。貞華の前髪がふわりと揺れる。奥から金属が跳ねる鈍い音が響いてきた。
貞華は刀を鞘にしまうと、ドアのなくなった入り口から中へ歩いていく。短い通路の先にもう一つのドアが見えた。
突如、貞華の背後で低く重い掘削音が響いた。貞華が素早く振り向くと、ドアがあった場所が石の壁で塞がれていた。
近寄ろうとした貞華の脚が止まる。気づいたのだ。壁の中央には大きな一つ目がぎょろりと貞華を見ていることに。
「これは塗り壁……お師匠さまなら破壊できるでしょうが、わたくしには無理ですね」
苦笑して貞華はその場に正座し、コートから菊の形に削られた分厚い固形物を取り出す。
「少し急ぎすぎました。能力がない者が突出したところで、うまく行くはずがありません。一度休憩を取りましょう」
貞華が菊型の固形物を口にくわえると、バキッと噛み砕いた。固形物は口の中で溶け、殺人的な甘さを舌に染み渡らせる。
それは砂糖たっぷりの干菓子、落雁だった。貞華は幸せそうな笑みでゴリゴリボリボリと砂糖の塊を砕いていく。
なぜ貞華は落雁を食べているのか? 貞華の使う剣術・断微流の技は精神力を使うためにエネルギー補給が必要だからというのもあるが、単に好物だからという方が大きかった。
一方、貞華のいる通路の先の部屋では男が呆れていた。
「……あの退魔師は何をやっている?」
男はスキンヘッドに大きな黒いサングラス、さらに鼻まで隠れる大きな白いマスクをつけていた。長身の黒いスーツに包まれたその姿は、ヤクザそのものといった感じだった。
男は呼び寄せた妖怪・塗り壁の目を通して、のんきにおやつタイムを決め込んでいる貞華を見ていた。
それは男が妖怪を自由に使役できることを示す。そんなことができるのは、退魔師の対極にいる存在だけだ。
「ああ、やっと動いたか。まったく、最近の退魔師は……」
マスク越しのくぐもった声で男が呟く。食べ終えた貞華が男のもとへ向かったようだ。
男のいる部屋は野球場ほどの大きさがあり、中央には巨大な球体機械が鎮座している。男はその前に仁王立ちし、眉間に指を当てると、
「ぬん!」
強い声で念じた。すると、地面に、空中に、壁面に、無数の紫紺の火花が散り、ずるりと何かが這い出てきた。
ある者は鼻を長く伸ばした真っ赤な顔で空に浮き、ある者は壁から生えた人間の首であり、ある者は崩れた肉体に鎧を着て刀を手にしていた。
「その呼び寄せ方……やはり妖遣いが絡んでいましたか」
目の前で召喚された妖怪を見て、部屋にたどり着いた貞華が刀を構える。
「我は四羅日。お前の言うとおり妖遣いだ。と言っても既に我の役割は終わっているようなものだがな」
「どういうことでしょうか? 妖遣いは妖怪を使役して悪を為す者。ですが、まだ妖怪が暴れまわっているようには見受けられません」
貞華は穏やかな微笑を浮かべ、己が敵へと丁寧に尋ねる。しかしその姿勢は距離の離れた相手を両断できるよう前のめりになっていた。
「今回は使われる立場でな。我の後ろにある絡繰りが何か知っているか?」
「申し訳ありません。機械はあまり詳しくはないのです」
静かに首を振る貞華。今し方それを証明してきたところだ。
四羅日は後ろの巨大球体機械を指さして、
「妖怪から力を抽出するものだそうだ。この国に来た学者が考えたらしい。この絡繰りに燃料となる妖怪を送り込むのが我の仕事だった。お前が侵入してきて――絡繰りの防衛に変わったがな!」
機械を指していた四羅日の指が貞華の方に向けられる。それを合図に、待機していた妖怪たちが一斉に貞華に襲いかかる。
「なるほど。ここ最近の断続的な妖怪の気配はこれでしたか。ではこの機械ごと切断せねばなりませんね――断微流・東風」
言い終わらないうちに貞華の姿が消え、四羅日のすぐ脇に出現する。すでに刀は振り下ろされている。
「見えているぞ、その加速」
四羅日は慌てることなく、近くの腐った落ち武者を盾にして防ぐ。濁った悲鳴とともに落ち武者が蒸発する。
「天狗!」
四羅日が鋭く叫ぶと、空中にいた天狗たちが葉団扇を勢いよく振る。
二人がいるところへ高速の真空刃が四方から殺到する。
貞華は後方へ宙返りして回避し、さらに三階立てぐらいの高さはある天井を見渡す。天狗たちの位置を確認した貞華は、着地すると即座に刀を構え、
「断微流・聖徳」
上に向かって空を切り裂く。刃文から、白く輝く三日月型の光の刃が飛び出たかと思うと、一瞬で一匹の天狗を真っ二つにした。
貞華は体の向きを変え、次々と光の刃を射出していく。ざらついた絶叫を上げながら天狗たちが墜落していく。
「隙だらけだぞ」
四羅日の声に視線を前に戻した貞華の眼前に、女の顔があった。いつのまにか貞華の体は女の長く伸びた首でぐるぐるに巻かれている。女の口が大きく裂けると、無数の牙が貞華の頭部を噛み砕いた。
「チッ」
なぜか四羅日が舌打ちをする。ろくろ首が巻き付いた貞華の姿が、ぼやけて消える。残像だった。
「断微流・白蓮」
残像のすぐ隣には、ろくろ首に斬りかかる貞華の姿があった。甲高い断末魔が轟いて、女の顔が粉になって消える。
「忌々しいな、退魔師の能力は」
四羅日の声が上から響く。横長の白い布に乗り、宙に浮いていた。布には白い目がついており、妖怪であることをうかがわせる。
「自己時間の加速に霊刀による妖怪の世界への干渉。まさに我ら最大の天敵だ」
「わたくしはそれほど大した者ではありませんよ」
困ったような笑みで貞華が謙遜する。
「ならば大人しく死んでくれ。来たれ、がしゃどくろ」
球体機械の裏から紫紺の閃光が走る。部屋がずしんと揺れた。そして球体機械の向こう側から、骨だけになった巨大な人間の手が現れ、球の上面に乾いた音を立てて乗っかる。それを支えにするようにして、のっそりと巨大な骸骨が顔を出す。
「カタカタカタカタ!」
巨大骸骨がしゃどくろが、くすんだ白い歯を大きく鳴らす。笑っているようにも見えるが、当然表情など読みとれようもない。
その巨体を見上げる貞華が、買いかぶりすぎだというように苦笑する。
「この大きさ、わたくしの手に負えるかどうか……。ですが、やれるだけはやってみましょう」
上から降ってくる骨のげんこつを加速してかわす。轟音がして鉄板でできた床にひびが入った。
貞華はがしゃどくろの腕の上を駆け上がる。ブーツが骨を踏みしめ、乾いた音を立てた。地に着いたげんこつが上がる前に、頭蓋骨の真横、生前なら耳のあたりに到達していた。
貞華は背が高い。それでも目の前の頭蓋骨は自身の二倍以上の大きさがある。刀では両断できそうにない。
「断微流・八雲」
貞華が刀を大きく振りかぶる。刃文が青くきらめいて、刀の先端から白い光の刃が勢いよく伸びていく。あっという間に頭蓋骨の高さを超えた。
貞華が刃を振り下ろす。頭蓋に直撃した刃は、激しいクラック音を響かせて骨にめりこみ、
「おや、足りませんか」
そのまま止まってしまった。
貞華の背後から空気を押しつぶす音が聞こえる。引き戻された骨のげんこつが突っ込んできていた。
「そのまま潰れるがいい」
マスク越しのくぐもった声が笑う。瞬時に貞華が光の刃を消し、時間加速の技・東風を発動させる。加速した視界の中で、げんこつが速度を一気に落とす。その間に貞華は、がしゃどくろの背骨を伝って降りていく。
そこに真横から白い塊が激突する。
「ぐっ……!」貞華の表情がわずかに歪む。
「見えていると言ったはずだ」
がしゃどくろのもう片方のげんこつが貞華に命中していた。眉間に指を当てた四羅日が、すでに指令を出していたのだ。
吹っ飛ばされた貞華の目に建物の壁面が迫ってくる。耳が鋭い風の音で埋まる。鍛えた肉体とはいえ、この速度で叩きつけられれば再起不能になるのは間違いない。しかし貞華は慌てず微苦笑を浮かべて、
「断微流・瑠璃」
静かに呟いた瞬間、急ブレーキをかけたように貞華の速度が落ちた。
直線に飛ばされていた貞華の体が放物線を描いてゆっくりと地面へ落下していく。
「あえて時間を遅くしたか。だが狙い打ちだ」
貞華の落下地点で紫紺が輝き、五体の落ち武者が召喚される。五体が真上に突き上げているのは傷だらけの刀。
串刺し確実な運命を受け入れるかのように、仰向けになった貞華は刀を鞘に納めていた。その口元が動く。
「断微流・四季」
貞華の全身から白い光が発せられ、楕円球状に広がって体を包み込む。
突き上げられた落ち武者の刀は貞華に刺さらず、持ち手から弾かれた。
汚い水音が響き、貞華の体が五体の腐った武者をクッションにするように着地した。
四季を解除した貞華は落ち武者の残骸を刀で突き刺す。見る間に肉片が消えていった。
「ふふふ、所詮は修行の身。一太刀では足りませんでしたね」
分かり切っていたという風に笑う貞華。
「ならばしっぽを巻いて逃げるか?」
「そうですね。惨めに逃げ回ることにしましょう」
床に向いていた刀が天井へ振り上げられる。「断微流・空路」
「ぬ! 我を狙うか!」
四羅日が焦りを見せ、布妖怪・一反木綿の上から飛び退く。直後、布の下から光の刃が飛び出して一反木綿を裁断する。
「がしゃどくろ!」
四羅日が大声で命じると、がしゃどくろが手を伸ばし落下する四羅日の体をつかむ。
貞華の方へ顔を向けた四羅日が、視界に映った光景に舌打ちする。
「時間稼ぎか」
天井へ向けられた貞華の刀から長い光の刃が伸びている。
「断微流・八雲、続いて霧雨」
畳みかけるように言って、貞華が刃を床へ振り下ろす。しかし光の刃は直撃の瞬間、フッと消えてしまった。
四羅日があらぬ方向を見つめる。
「狭間の世界に留めたか。だがこれ以上はさせんぞ」
紫紺の火花がいくつも散り、空中に恐ろしい形相の面が出現する。それは般若の面だった。
四羅日が命じると、般若の口が真っ赤に輝いて火球を発射した。螺旋を描いて降り注ぐ火の玉に目もくれず、貞華は再び光の刃を掲げ異空間へ斬撃を溜める。
火球が着弾し爆発的に燃え上がる。刀を振り終えた貞華の体が炎に包まれた。焼けるシルエットが崩れていく。
その裏から真っ直ぐに光の刃が天を衝く。
「残像……! 間際で加速していたか」
貞華は直撃寸前に回避し、炎の陰に隠れていた。燃えたのは数瞬前の残像である。
「まずい、隠れ……!」
がしゃどくろが球体機械の後ろに身を屈める。すでに加速した貞華が突っ込んできていた。
「これで切断できればいいのですが……断微流・息吹」
球体機械の前で立ち止まった貞華の刃文が強く輝く。垂直に構えた刀の切っ先から光が溢れ、高い天井に着きそうなほどの長刀を形成する。
微笑を浮かべる貞華の腕が、すとんと下に降ろされる。光の刃が球体の天辺から底辺をすり抜けた。
「おのれ、退魔師めが……!」
四羅日が苦々しく吐き捨てる。
直後、球体機械に縦一文字の線が入る。そして、歪んだ金属音が響いたかと思うと、球体が左右に割れた。片方の半球が激しい音を立てて倒れ、建物を揺らした。機械部品が軽重さまざまな音を上げて床で弾む。
それらに混じって落下する白い歪な物体が、乾いた音を響かせる。球体機械の奥にいた骸骨、がしゃどくろが崩壊していた。顔面は鼻筋に沿って真っ二つに切り裂かれている。腕の骨は両方とも脱落し、その先の握りしめられた手骨もろとも床に落下していた。
「ぬぅ! 離せがしゃどくろ! このままでは……!」
がしゃどくろの手の中にいた四羅日が必死にもがくも、もはやその命令は骨のオブジェと化した物体には届かない。
きしんだ金属音を上げながら、巨大球体機械のもう片方がゆっくりと傾く。その下には、身動きのとれない四羅日が。
「おのれっ、退魔師があああああああああああああばっ!」
骨の折れる音がして、床面がびりびりと震えた。腐った土と焼けたプラスチックの混ざったような臭いが立ちこめる。
離れた位置にいた般若たちが、操り糸が切れたように地面にばらばらと落ちる。それは操り主がこの部屋から消えたことを示していた。
刀が鞘に納まり、軽く音を立てる。
「一時はどうなるかと思いましたが、なんとかなるものですね」
貞華は意外そうな顔で目の前の残骸を眺めていた。
「とりあえず強い気配は消えましたし、あとは、この抽出装置とやらを使って悪事を働く方々を斬り捨てるだけで済むでしょう。妖怪さえ片づければ普通の人が退魔師に勝つことはまずありませんし。……とはいえ」
言葉を切って、貞華はコートのボタンを上から二つ開け、視線を中に向ける。豊かな胸が肌着のタンクトップを前に引き延ばしている。その乳房の付け根には、横一文字に走る古い傷跡があった。
「わたくしは、わたくしですからね」
貞華の微笑が一瞬消え、声が固くなる。
だがすぐに表情を柔和な微笑に戻し、部屋の入り口へ歩いていく。
貞華が去った後、部屋の隅の壁に長方形の筋が入り、音もなく横に移動した。
隠し扉の中から出てきたのは対照的な二人。
一人は白衣を着た二メートル近い長身で、気弱そうな表情の男。
もう一人は赤い着物を着た百五十センチに満たない小柄で、勝ち気な表情の女。
「いやーあれが本場の3・5かー」
ひょろりとした大男が間延びした声で感嘆する。
「ラシネーナ所長、データの方はこれで十分かしら?」
「あーうん。ありがとー陽炎崎博士ー。モニタリングも良好だったしー、これでいいやつが作れるよー」
サウザンウン共和国国立研究所所長、アップワード・A・ラシネーナは手元のタブレット画面に目をやりながら話す。糸のように細い目の中には真剣な碧眼がわずかにのぞいている。
「ところで、これ壊されちゃってよかったの? ギークは作った物に執着する傾向があると思っていたけど」
陽炎崎幽姫が指さした方向には、真っ二つになった球体型の抽出装置が床に転がっている。
「えー? あー、どうせ抽出は終わってたからねー。必要になったらまた作ればいーよー。確かに僕は技術オタクだけどー完成品には興味ないからー」
タブレットをいじりながら、どうでもよさそうにラシネーナが返す。
「それにしても私の理論があるとはいえ、あの翌日に設計を完成させるなんてね。おまけに憑依装置まで」
「仕様が分かっていれば実装は簡単だよー? しかもそっちは直接インストールするだけだしー。そういえばもう入れ終わったかなー?」
ラシネーナがタブレットを何度かタップして画面を確認する。画面には縦に人名がずらりと並んでおり、それぞれの横には99%とか76%などの数字が表示されていた。
ラシネーナから目線を外し、がしゃどくろの残骸を見つめる幽姫。口の端には楽しそうに歪んでいた。
「さあ貞華、ただの妖怪じゃあなたは止められないけど、次の相手はどうかしら?」
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