言うも世の常とみほろし
伏潮朱遺
第1話 あかん無料選り取り見取り
0
寒い、と言うから来てみたら、なんのことはない。風邪を引いたわけでも、空調が壊れたわけでも、そのどちらでもなかった。
熱もないし顔色も正常。空調も不必要に熱風をぶおんぶおんと。ちょうど顔に当たる。眼が乾く。
ツネは布団にくるまってがたがた震えている。単に寒がりなのだろう。たったそれだけのことで。
来るほうも来るほうだ。三限からテストだというのに。お昼返上で頭が働くだろうか。
「あかんわ。雪降る」ツネが言う。
「そうだったか?」頭の片隅で天気予報を思い出そうとする。
リモコンで風向を変える。特に文句は言われなかった。
「休みなのか」学校。
「行く気せえへん」ツネが言う。
「センタじゃなかったのか」
「興味ないわ」
三年は自己採点だが、二年は今日一日かけて本番さながらに体験してみるという趣旨だったはず。同じ高校を出ているからわかる。
いい点が取れそうにないから学校を休んだ。というわけではなさそうだ。受けられなかったら後日追試になる。
「私立狙いなのか」
初めて眼が合う。ツネが上を向いた。
「ゆわなあかんかな。雇い主には」
「そうじゃない。気に障ったなら謝る」
そろそろ戻らないと。持込み可といえども、どこに何が書かれているかくらい把握しておかないときつい。
「用があるんじゃないのか」
「寒い」ツネが言う。
「それは聞いた。他に」
「終わるの何時?」
「四限だから、移動時間含めると五時だな。それがなんだ」
「サボれへんかな」
「誰が」
「お前」
タイムリミットまであと。
「急ぎなのか」
「せやないけど」ツネが言う。
「ならいいだろ。出席とってないからテストで成績つけられる」
「落とせへんか」
「必修だ」
様子がおかしい。いつもならもっとはっきり。的を射ない曖昧遠回り。
それはツネの辞書にはない。
「やっぱ風邪じゃ」
「ええわ。しゃーない。自分で行く」
「どこに」
知りたかったがさすがにもう時間が。いまからなら糖分採りながらノートをパラパラ捲れる。
靴を履いて玄関の戸を開けたところでケータイがふるえる。着信。
ツネから。
「このままでいいか」
「夜、行ったるさかいに」
「とんだ殿様出勤だな」
「降るよ。積もる」
四限が終わったところで空から白い。本当に降ってきた。
第1章 あかん無料選り取り見取り アカンムりょうヨリどりミドリ
1
寒くて寒くてしょうがない。熱も測った。平熱。そもそも体温が低いほうなので、いつもと比べるとちょっと高いかもしれない。それでも三十六度前半。平熱だろう。
病院に行かずとも。行きたくない。行きたくないから付き添いが欲しかったのかもしれない。気づいたらメールを送っていた。だからこれはアタマが送ったわけじゃない。指が勝手にさとむといを入力して変換して送信ボタンを押しただけなのだ。
送信先を間違えた。たぶんそうだ。もっと暇なニンゲンを選べばよかった。引きこもりネット中毒とか。
どうせ家にいる。大学なんか暇人の行くところだ。
布団を被ったままケータイをいじる。メール。はいはい、ご苦労さんでした。
面倒なので返信はしない。そんなことをしたらツケあがる。
ああ寒い。寒い寒い。
センタといえば。知り合いが二人、いや、一人だったか、受けている。どうだっただろう。メール。向こうが送ってこないからこちらから聞くのも。
うだうだ。空腹を感じない。さっきまで寝ていたせいか。寒いからか。
呼び出し音。
居留守を使いたいが、アポがあるんじゃ出ないわけにいかない。アホ社長が出てったままだから鍵はかかってないだろう。
着信。
「開いとるえ」
「お邪魔し」
「このまま話せへんかな。着替えまだやさかいに」
「構いませんが」
寒くて仕方ないが外出しなければならない。ここで話したくないから。
寒いのに。どこに行ってもきっと寒い。
「逃げられるんじゃないかって思ってたんですけど」カンムが言う。
「俺は潔ええの。どっかの兄やんと違うて」
「兄じゃないですよ」
「お前、センタ受けた?」
「どうしてですか」
「大学行かへんの?」
切られた。ちょうど保留にしようと思ってたところなのでかけ直さない。
玄関で顔を合わせる。来客は、割と軽装だった。寒いのはひとりだけなんだろう。
「センタ利用じゃないんです」カンムが言う。
「推薦?」
「よく憶えてません。裏口かも」
嫉妬ではなさそうだから、嫌味。同じか。
相手が相手なのでラブの付くホテルだと思い込んでいたが、フツーのいわゆるホテル。
ここでも重装備なのはひとりだけ。温度センサが故障したのかもしれない。どこに行けば直してもらえるだろうか。病院でないことは確か。
厭なにおいがする。一瞬だけ寒さが相殺された。でもまた寒さが勝つ。
エレベータの前で別れた。彼の仕事はここに連れてくること。会合に同席する意味も権利もない。あったとしても断るだろう。彼はこの扉の奥にいるニンゲンに会いたくない。
こちらだって会いたくない。でも少なくとも彼よりは正常なレベルで対峙できる。彼は大脳生理学的なレベルで会いたくない。会ったら、発狂する。
ダサはベッドの上でストレッチをしていた。寒中水泳でもするのかもしれない。
無言。
見もしない。
言わなくともわかっている。呼び出されるということは。約束の期限までまだ。一年繰り上がっただけのこと。一年。三百六十五日。
床に落ちていた紙に眼を通す。死因も場所も想像の範囲内。いつか来ると思っていた。それがたまたま先日起こっただけの。
「お名前どないしましょ」ダサが言う。
「お下がりなのと違う?」
「下はな。上はぐっちゃオリジナリティ出せますえ」
窓の外。白い塊の落下。
雪。
嫌いではない。マフラを外す。
嫌いだと思い込んでいる。コートをハンガに。
嫌いなのは雪じゃない。学ラン。セータ。
厭なことがありすぎた。シャツのボタン。
雪の降る日に。降るなら積もればいい。腰から下が埋もれるくらいに。雪掻きもままならない。塩カルはすでに無意味。そんな微量撒き散らしたところで。ベルト。
電車が止まれば帰らなくて済む。遅延。運転見送り。尚、復旧は。
任すわ。と言ったつもりだったが、聴こえただろうか。
2
揃いも揃って雪だるまが不法滞在。招かれざる客に親切でタオルを提供するのはやめてくれ。注意しても無駄だから言わない。
窓口を閉めるのは十八時。壁の時計が間違ってないならとっくに閉まっている。閉めたのだ、現に。本日の営業は終了しました、とプレートをかけてきた。だから従業員以外は入って来れないはずなのだが。鍵はかけていない。それがいけないのか。今更。
「出ていってくれ」
無視。
「用があるのは俺じゃないんだろ。今日は休みだったんだ」
無視。
「頼むから」
「いつ来る?」寡黙なでっかいのが言う。
話なんか聞いてない。寡黙なでっかいのはドアを睨んでいた眼を、喋らないちっさいのに向けて、非言語で遣り取りする。
俺にはわからない。俺にだけわからない。
「家に行けばいいだろう」
「いない」寡黙なでっかいのが言う。
聞き返そうと思ってやめる。寡黙なでっかいのは見てきたわけではない。いない、ことを知っているのだ。個人的に連絡があったとは思えない。ケータイを持っていないのだから。寡黙なでっかいのには、そうゆう超常現象的な感覚がある。らしい。俺には確認できていないから、俺は信じていない。
いま気づく。喋らないちっさいのとたいてい一緒にいる生真面目メガネがいない。彼らは同学年だから、センタ試験をまさに昨日一昨日と受けたと思うのだが。そのせいか。
生真面目メガネが自分で望んでここに来ることは珍しい。喋らないちっさいのの付き添いで已む無く足を運ぶに過ぎない。なるほど。無理矢理に誘えなかったのだろう。センタが終わったとはいえ二次試験が控えている。
とすると、喋らないちっさいのはセンタを受けなかった。もしくは、結果がよすぎて余裕綽綽。それはないか。あまり勉強ができるようには見えない。要領はいいのかもしれないが。エスカレータで同系列の大学に進むのだったら。それだ。すでに進路が決まっている。
俺だけ知らない。知りたくもない。
「正直に言うから帰ってくれないか。具合が悪いみたいなんだ。今日来なかったのもそのせいだろうな。夜に、と約束したが来るかどうかは」
「来る」寡黙なでっかいのが言う。
随分な自信。根拠はたぶん。
なんとなく。
尋ねたら必ずそう返される。だから訊かない。
ケータイはつながらない。四限が終わったところでかけてみたが、そのときとまったく同じアナウンスがいまも聞ける。メールも返信がない。無視されることは多々あるが、こう長い間電源が切られていることは異常事態としたほうが。
喋らないちっさいのがケータイをかちかちやっている。
「なんかゆってきたか」
首を振る。嘘はついてなさそうだった。
喋らないちっさいのは、誰に対しても喋らないが、耳が聞こえないわけでも口が話せないような構造をしているわけでもない。彼は自主的に喋らないことに決めた。それでもコミュニケーションは成立する。声の聞こえる人間がいるから、通訳してもらえばいい。通訳係が生真面目なメガネだったわけだが。
今日は不在。もう一人の通訳も不在。
「返信があったか」
首を振る。
「一回も?」
頷く。
「何か聞いてないか」
無反応。
「これだけやったら帰りますね」部下のカネイラが言う。
「ああ」
「遅いですね」
こっちも話を聞いていない。仕方ないからもう一度説明する。業務に集中してくれるのはとてもありがたいが、大事なことは自動で拾える便利な耳を持ってくれるともっと嬉しい。仕事はできるのに。
「あ、退散しないほうが」カネイラが言う。
「いや、むしろ帰ってくれ」
つられて帰るかもしれないし。万に一つくらい期待してもいいだろう。
「ではお先に」カネイラが退勤する。
寡黙なでっかいのが会釈してタオルのお礼を言う。喋らないちっさいのが小さく手を降る。
なんだこの、俺との態度の違いは。
てこを使えば動くだろうか。二階にキッチンがある。気を遣って夕食に誘ったら反射的に断られた。
やはり間違いなく嫌われている。わかってはいる。彼らの雪の中わざわざ会いに来た人物の雇い主だから。寝起きは一緒にしてない。俺の家はここだが、ツネの家はここから歩いて五分強のところにある。
適当に作った夕食を流し込んで一階に降りてきても、彼らはそこにいた。
頭数の点呼。ひいふう、みい。みい? 増えている。溜息も出ない。
「あ、こんばんはっす」でこほくろが言う。
「何の用だ」
ちゃりんこ転がしてきたのだろうか。五センチは積もっている。でこほくろはにへら、と笑って誤魔化す。
もう誤魔化されるか。いい加減に。
「迷惑なんだ。いつまでもそこに居座られると。とっとと」
「え、あれ? もしかしてしゃちょーさん」でこほくろは、俺以外の二人の顔をきょろきょろと確認して眉を寄せる。
何か知ってる。俺が知らないことを。三人は。
だからこそツネに会いに来た。
「用事を言え」
「あーえっと」でっこほくろが言い淀む。
「言えないような用事なら帰れ。ここは、お前らの来るところじゃ」
来客がドアを開けると鳴る。
鈴。
冷風が吹き込む。傘は差していなかった。降っているはずなのに。舞っている、まで和らいだのだろうか。寡黙なでっかいのが立ち上がったせいで姿が見えない。壁。
「なんやのお揃いで」ツネが言う。
二一時、十五分前。
「ききたいことが」寡黙なでっかいのが言う。
「なんやろ?」ツネが答える。
こちらに背を向けているのでまったくもって状況がわからない。ポケットから何かを出してツネに手渡した。のだと思うのだが。なんだろう。写真?
「それ聞こか」ツネが言う。
喋らないちっさいのは、左耳に嵌っていたイヤフォンを差し出す。今度は見えた。見える角度に移動したのがよかった。
「んで、それ?」ツネが言う。
でこほくろはケータイをいじって画面を見せる。画面までは見えない。いっそ近づこうか。近づくな、とも言われてないし。
「どこのどいつですか」寡黙なでっかいのが言う。
「さあなあ。ようわからへんな。もらうもんもろたら、まあ、せやね」ツネが言う。
何の話だ。
「せやけどハメやな、これ。ホンマに誰やろ。せえへんといてゆうとかへんと」
だから何の。
「無理矢理じゃ」寡黙なでっかいのが言う。
「よう見てみぃ。これ、厭そにみえる?」ツネが言う。
「弱み握られてんじゃ」
「なんの?こないことしてます、ゆうて? 知られたかてべつーに困らへんし。隠しとったん、気ィに触ったか? せやったらすまんね。機会がのうて」
沈黙。
さっきから寡黙なでっかいのしか口を開いてない。喋らないちっさいのはいいとして、でこほくろが何も言わないのはなぜだろう。いつもなら要らないことまでほいほい発言するというのに。遠慮? いや、訊きたくても訊けない。何て言っていいかわからない。そんな雰囲気が近いか。
「わっざわざ真偽確かめに?」ツネが言う。「ごくろーさんやったね。ホンマやこれ。友だちやめてもええよ。せやな、やめよか」
「なんで」寡黙なでっかいのが言う。
「はあ? なんで。そんなん儲かるからに決ま」
そこから先が聞こえなかった。
ツネがいない。消えた? 違う。床。
寡黙なでっかいのが殴った。
殴った? 幻覚だろう。俺も相当疲れが溜まって。
「よっしー、だいじょう?」
駄目だ。幻覚じゃない。でこほくろが屈む。手。
ツネが振り払う。
頬。ここからでもわかる。赤。口が切れてる。
「触らんといてな。血ぃ、汚いさかいに」
本気で殴ったらしい。寡黙なでっかいのが本気で殴った。痛いのは想像に難くないが、殴った云々の事実より、殴った対象がツネだったことのほうが重い。そもそもツネに付き従うために、以前の仲間を捨てたのでは。
「お別れの挨拶でええかな」ツネが言う。
鈴。
寡黙なでっかいのが帰った。一呼吸置いて喋らないちっさいのも出て行く。やれやれようやく。
「あ、えっと、俺、その」でこほくろが言う。
「帰りぃや。親が心配しよるよ」
口を利こうにも利けない。手を貸そうにも貸せない。しばらくどっちつかずで渋っていたが、ツネがおざなりに手を振ったことででこほくろも退場する。逃げ帰った、に近いかもしれない。また明日、とは程遠い。手を振り返さない。振り返らない。
ツネが立ち上がる。二一時。
たった十五分しか経過していない。十五分も、だろうか。
「説明しよか?」ツネが言う。
「そいつが用だったんならな」
「でやろ。不確定要素ゆうか、絶好のタイミングゆうか。涙ぐっちょぐちょのお別れ会にならへんでよかったかもな。湿っぽいの厭やし」
タオルを湿らせて手渡す。断られると思ったが。
「おおきにな。ああ、痛いわ。むっちゃ痛い。腫れてまうよこれ。どないしょ。売りもんにキズ付けおって」
秒針がかちかちうるさい時計がこれほどありがたいと思ったことはない。
間が持たない。
「知ってはる?」ツネが言う。
「何をだ」
「調べてへんの? 俺のこと」
かちかちかちかち。
「ゆうてみ。怒らへんから」ツネが言う。
「知らない」
「嘘くさ」
かちかちかちかちかち。
「ホンマのことゆうてみ」
「知ってたとしても言わない」
かちかち。
「信じてない」
「嘘やないよ。ホントのホンマの話。なあ、俺のこと」
す
き
なんやろ
「ああ」
かちかちかちかちかちかちかち。
「憶えとる?初めて会うたとき。なんで断ったん?」
「忘れた」
タオル。
落下。
「借りたもん、きっちり返すさかいに」
「貸したんじゃない」
「いくらぼった思うとるの? そっくり入会金に当ててもええくらい」
「用はそれか」
かちかちかち、か
ちか、ち
「いままで世話んなったな。ほんなら」
翌日未明、
ツネはいなくなる。雪はまだ降り続いており、出入り口に足跡が残っていた。二種類。どちらがツネのなのか、俺にはわからなかった。考えようとした矢先に、優秀な従業員によって消された。
止めるべきだったんだろうか。雪掻きを。
3
ぱこぱこうるさくて眼が醒める。照明はついてない。モニタだけがやけに明るい。
「起こしちゃいましたか」トモヨリが言う。
「起こそ思うたくせに」
「敵いませんね。目覚ましとか陰険で使ってないんですよ」
顔を洗って服を着る。順序が逆だとツッコまれたが、ああ確かに。寝起きでアタマが働いてない。
「お前しかおらへんやろ」
「朝っぱらから刺激が強すぎますよ。久々に大学行こうと思ったのに」
「ほーそら雪やわ。電車止まるえ。残念徒歩やな」
「ご心配なく。そうゆう場合は休校になるので」
ぱこぱこぱこぱこ。
「いける?」
「得意分野ですよ。伊達に引きこもってませんので」トモヨリが言う。
「因果論無茶苦茶やな」
モニタを。のぞいて後悔する。やはりアタマが働いてない。
「もうあり得ないくらい扇情的ですよ。あなたがもう十分眠っててくれたらすっきりしたのに」
「生憎延長はせえへんよ」
「違います。これで」
手。右利き。
「何か食べます? インスタントしかありませんが」
「ああ、ええて。行くわ」
「確認しなくていいんですか? 僕の好みになっちゃいますよ」
「内容と相手間違えんといてね」
「一人、あ、いいえ、二人ですか。送らない方がいらっしゃいますけど。どのような意図があるんでしょうね」
「愛の差やね」
「量ですか? 質?」
「少なくともお前にはないな。まあ、一を投げて一しか浮かばへんのと、一しか投げてへんのに二やら三やらと勘違いしよったり、勝手に加減乗除してえらいことになるのと、そんなとこかな」
個人情報についてくれぐれも釘を刺してから部屋を出る。寒い。息が白い。
さて、どうやって帰ったものか。
「お困りですか」ゴミ捨て場と郵便受けの間にカンムがいた。
「ストーカなのと違う?」顎でしゃくる。
用がある相手はついさっき開け閉めしたドアの向こうにいると。
「邪魔するな、と言われてますので」
「あの嘘くさい京都弁はええの? こっそり窓開けて聞いとるかもしれへんよ」
「構いません。どうせバレてる。あのヒトに知らないことはないんです。僕のことも然りあなたのことも然り。単に好感度の違いだけです。僕なんか都合のいい穴でしかないんですから」
駅まで案内してもらうことにした。寒い。本当に寒い。
におい。
降る。確実に。
ああ厭だ。本当に厭だ。
顔に出ていたらしく笑われる。腹が立ったので蹴った。
「僕のこと、憶えてます?」カンムが言う。
「兄やんと違うの?」
「そうじゃなくて。僕が使いものにならないってわかったときの」
「そんとき俺、いてへんよ」
彼の言いたいことはわかった。わかったからあえて無視した。彼が気にしているのは、自分を使い物にならないと判断したニンゲン。ヨシツネを使い物になると判断したニンゲン。
怨んでいるのなら話題に出さない。嫌っていない。憎んでもいない。気にしている。気があるのかもしれない。なんという面倒な感情。それがあるから使い物にならないと判断されたのだろう。身体と技術の問題ではなくて。
切符代として紙幣を渡された。
「利子は」
「ありません。好意です」カンムが言う。
貸し借り。違う。恩を売って。それも違う。たかだか諭吉くらいで。
「仲介しろゆうこと?」
「会えるならあなたに頼みません」
「まーせやな」
会いたくても会えない。会ってはいけないことになっているのではなくて、会うことで不利益がある。例えば、思い出す。会いたいのに、会いたい相手が、最も会いたくないニンゲン。莫迦莫迦しい。考えなきゃよかった。
彼は反対方向の電車に乗った。わざとそうしたのだろう。俺とは違う方向にいるということを示したかったのだ。知ってるそんなこと。もしかして、嫌われているだろうか。
嫌う理由はありすぎて、挙げるだけ無駄な時間。寒い。マフラを普段より多めに首に巻きつける。最初からこうしてればよかった。彼には見えた。目敏い。
帰宅して二度寝。寒い。とにかく寒い。
寒い。
寒い。
寒い。
タイトル、寒い。
本文、寒い。送信。
来るだろうか。まあ、来るだろう。
鍵は、と思って布団から出るのをやめる。合鍵持ってるんだった。そもそも社長の所有物。空き家。ボロ屋敷を改造させて。ちょっと思い出す。
五年経った。あと一ヶ月で六年目。
だからなんだ。なんだろう。
やめやめ。寒い。
寝よ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます