第3話
「ありがとな。今度の試験、なんとかなりそうな気がしてきた」
そう言い残して、杉内くんは数日間自習室に通った後、部活に戻っていった。
これでこの部屋も、またいつも通り私一人戻る。と言うわけではなかった。
試験が間近に迫ってきたことで、普段は誰も立ち寄らない自習室にも、少しずつ人がやって来るようになったからだ。
おかげで私の指定席のようだった窓際も、今は誰かが座っている。
これじゃ、杉内くんが見えないな。
苦手なはずの彼にそんな事を思うなんて、我ながら矛盾している。そんな思いを振り切るように、じっと教科書と向かい合う。
本当は、もうしばらく杉内くんが通ってくるんじゃないかとも、少し思ってた。だけどそんな事は無く、私達の繋がりはそれっきり。
やがて試験も無事に終わり、久しぶりに自習室にいるのは私だけになった。
また窓際に座りながら、野球部の練習を眺める。その中でも、やっぱり杉内くんを探してしまう。
苦手なはずなのに、心を掴んで離さない。もしかしたら、苦手でなく別の言葉に置き換えられるかもしれないこの気持ち。だけどそれを認めてしまってもどうしようもないから、私は考えるのを止めた。
「あれ?」
校庭を見たまま、ふと声をあげる。杉内くんの姿が見当たらない。いつもなら誰よりも動き回るあの姿はどこにもなく、時々ここまで届く事のあるあの声も、今は全く聞こえてこない。
まさかと、嫌な予感が頭をよぎる。赤点をとれば補習、それが三つ以上あれば部活停止だ。
基本は押さえておいたから、まさか赤点くらいは回避できるだろうと思っていたけど、あの数日以降ここには来ていなかったし、万が一と言う事もある。
直接本人に会って確かめよう。反射的にそう思うと、急々と自習室の入り口まで足を進める。そして扉に手をかけようとした直前で、それは勢いよく開かれた。
「きゃっ!」
「うわっ!」
私と、もう一人の誰かの声が重なる。びっくりしながら相手を見ると、そこにはよく知っている顔があった。
「杉内くん、どうして?部活は?」
「これから行くとこ。けどその前に、藤宮にはちゃんと報告したくて。見事、全教科赤点回避できました!」
わざわざそれだけを言いに、ここまで来てくれたんだ。
そう思うと何だか嬉しくなって、だけど得意気に胸を張ったのを見て、思わず笑ってしまった。
赤点とらなかっただけでそこまで威張るってどうなの?
「酷ぇな。こんなんでも俺にしちゃ凄いことなんだぜ」
「ごめんごめん。怪我が治ってからさっぱり来なくなったから、ちゃんと復習してるのか気になってたの」
さっきまで抱いていた思いを正直に言うと、彼はますます渋い顔をした。。
「だって、あの後すぐに試験期間だったじゃないか。藤宮だって自分の勉強しなきゃいけないのに、これ以上迷惑かけられないだろ。ちゃんと家でやってたよ」
自習室に来ないイコール勉強してないと言うのは、私の失礼な思い込みだったみたいだ。
不器用ながらもたくさん書き込まれていたノートの事もあるし、根は真面目なのだろう。
「これから部活だよね。頑張って」
少しだけ笑顔になって、そう告げる。
苦手なはずの杉内くん。だけど今は、彼の前で自然に笑えている気がした。
すると彼は、こんなよくわからない返事をする。
「おう。藤宮には負けてられねえからな」
「私?」
何をいってるんだろう。私と杉内くんは、そもそも勝負なんてやっていないのに。
「……どういう事?」
そう言うと、杉内くんは『あっ』と声を上げた。どうやら今のは彼にとっても失言だったみたいで、少し恥ずかしそうに目をそらす。
何なのいったい?
「言いにくいなら、無理に言わなくても……」
そう言っている最中、杉内くんは遮るように無理やり自らの声を割り込ませた。
「いや、言う。言わせてくれ」
そうして、じっと私を見つめた。
私が苦手としていて、それでいて決して目を離せない、あの熱を帯びた目で。
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