2.午前

 その日の三時間目と四時間目の間の休み時間、席に座って呆けていたら、狛江と目が合った。

 身体を横向きにして、後ろの進藤しんどうと話していた狛江は、口元で笑って多分「元気?」と訊いた。おれはそれにまあまあだよ、みたいな表情を作って返して、その後は狛江の顔も見ずに窓の外に目を移していた。


 狛江はすごく美人だ、とおれは思っている。

 初対面の相手がびっくりするほど髪が短く、背も女にしては高く、思わずみんなそっちに気を取られてしまうが、すごく美人だとおれは思っている。


 おれがセレクトするAVや雑誌のグラビアページ、それを凝視&熟読するおれを毎度上から目線で見て、「お前の趣味信じらんねー」とガキの頃からの腐れ縁の西田にしだは言う。

 知りたくないことまで知り尽くしている幼馴染みに対して遠慮を知らない西田は、口が悪く足が臭く、そして少し変態で、おれはその腐れダチに対してそれはお前のロリ顔趣味と合わないだけだろーがと、その都度思う。

 狛江は断じて西田に「信じらんねー」と言われる醜女の類じゃない。でもこうして語ってみせること自体が、既に何か根本的なものから間違っている気がしている。そもそもヌくための彼女達と存在そのものが違う狛江を並べて考えること自体が、最初から何か全てが間違っている。


「ういーっす」

 小便に行っていた西田が、ばたばたと落ち着きなく戻ってきて、売店で買った菓子パンを目の前に放った。

「なにこれ、くれんの」

 手に取った『超! やわらかクリームパン』をありがたく戴こうとすると、「誰がやるかよ、俺が食うんだよ」と、西田は引ったくるように奪い返して、じきに昼飯の時間だというのに餓鬼のような勢いで食い始めた。


「あのさ西田。お前、手、洗った?」

 恐らく西田は便所から売店に直行したはずだ。聞きたくない気もするが訊ねてみると、西田は口いっぱいにパンを頬張ったままニヒルに笑った。

「それが俺の中に取り込まれようと、既に俺に囲われていたものであるから別に構わない」

 すぐさま哲学っぽい言葉が戻るが、そのギミックに惑わされずに洗浄作業がなされていないことを確信したおれは、パンの袋に触れた手をアホな友人のシャツに丁寧になすりつけた。


「……周防、お前ってさ、意外と結構繊細なとこあるよな」

「別にお前のじゃなきゃ、構わねーよ」

「へー、それじゃ、誰のならいいわけ?」

「自分」

「じゃ、俺と同じ考え方じゃん」

「じゃ、ってなんだよ? そのじゃって。同じかどうかも微妙だし、同じだとしてもなんも解決してねーだろーが」

「そーかー? ていうかさぁ周防。その髪まだ切らねぇの?」


 全てを消し去る宇宙の穴の如くパンを消滅させた西田は、思考も行動も大雑把なくせに、なぜか取り憑かれたようにパンの空き袋を折りたたみながら、唐突に訊いた。

 西田の話の流れは大体がそうだ。

 Aという話をしながら、その裏側でふと思いついた全く繋がりのないと思われるBという思考。対話相手にはAからBまで行き着いたプロセスが全く伝わるはずもないにもかかわらず、西田は突如としてBという新たな話を放り出し、相手を大抵酷く戸惑わせる。しかし、そういった言動に長年嫌々慣れさせられているおれは、「切らないよ」と普通に即答した。


小夜さよの友達がさ、その髪切ったら、お前と付き合ってもいいってさ」

「なにそれ」

「えーと、喋ったことはないと思うけど、見たことねぇ? 小夜の友達でよく一緒にいる、結構可愛くて目の下にほくろがある……」

「知らねー」


 小夜というのは松倉まつくら小夜といって、他校に通う西田の元カノだった。三週間前まで西田の彼女だった松倉は知っているが、その友達という女のことは本格的に射程外であったのか本当に記憶にない。


「その彼女、お前のこと、背も高くて、顔も好み、雰囲気も合格なんだけど、どうしてもその長い髪だけが嫌なんだってさ」

「なんだよそれ、喋ったこともない奴にどんだけ上からなんだよ。可愛いかどーか知んねーけど、そんな女なんかと付き合いたくないね」

「そう言わずに、髪なんて切りゃいーじゃん」

 西田は言い様手を伸ばして、適当に括った髪を引っ張ろうとするが、おれは西田のその西田菌だらけの手を躱して、「やだね」と言ってやった。


 髪が短い狛江とは逆に、おれの髪は長い。

 部活や普段の生活で邪魔と感じることは多いが、自分でも鬱陶しいと思う髪を切らないのはただなんとなくで、願を掛けているとか、何か思い出があるとか、そんな意味深で特別な理由はひと欠片もなく、でもただ、その名も知らぬ女のために切ることは間違いなく絶対、一生無い。


「あのさ、お前、女っつーか、彼女とかほしくねーの?」

 西田はひねって縛った空き袋を、ごみ箱に丁寧に投げ入れてから訊いた。


「お前、なんだかんだ言って、いつも誰かいるだろ? 女がさ。なんつーの、それ知ってる奴はさ、適当に遊ぶ相手にちょうどいいと思ってんだよ」

「なんだそれ」

「軽く見られてんだよ」

「それって、生きてるバイブみたいな感じで?」

「うん、まさにそんな感じで」

 西田はそう応えると、へへっと笑った。

「だからさ、ちゃんと付き合ってる奴がいれば、もうてきとーなこと言われなくなるんじゃない? 俺はそう思うよ、水都みなとちゃん」

 西田はガキの頃に呼んでいたおれの下の名を口にして、もう一度へへっと笑った。


「別にいーんだよ、おれはこれで。これからは部活で忙しいし、特定の相手を作っても構ってる暇もない」

「そっかー、んで、楽しい? 水泳部」

「まあまあ」

「へー、俺はカナヅチだから水泳部って元から考えらんないけど、俺だったら女子と密室的おんなじ水の中にいるって考えるだけで、それだけでなんだか淫猥な気分になる」

「変態だ」

「小夜と別れてから、すぐいろんなことに反応してしまうんだよなー」

「そんな色々溜まってるなら、お前がそのさっきの女と付き合えよ」

「それはないよー。友達の元カレなんか、あっちが嫌に決まってるじゃん。俺もなんかやだ」

「だったら、ひとり楽しく孤独な行為に勤しめよ」


 そのように言うと、西田はえへへへと意味深に笑うが、それに被さるように四時間目のベルが鳴った。

 含み笑いながら席に戻る西田の向こう側で、狛江の長い脚が見切れる。でも残念ながら、馬鹿西田の馬鹿でかい図体がとにかく邪魔で、ちょうど向きを変えた狛江の滑らかな脚を見逃してしまった。


 肉づきの薄い手足がくっついた狛江の身体は遠目だと、時々棒のように見える。だけど触れれば本当はそうじゃないと知った昨日を思い出すと、更に細部まで思い出しそうになって、少しヤバくなる。


 上になったおれの髪が狛江の頬や鼻先を掠った時、狛江は右手でおれの髪を梳いて、左耳に掛けた。

『くすぐったかった』と、緊張混じりに言った狛江の細い指と、浅黒い肌に浮かび上がった汗の感触が、粘った喉をからからに渇かした。

『雨、やんだみたいだね』と呟く唇を舌で舐めて、「うん」か「ああ」かで返した言葉は、自分でもよく聞き取れなかった。襟足の感触を掌で拾うと、本当に雨がやんだか自分が本当は何と言ったか、もっと分からなくなった。


 痩せている狛江は胸もあまりなくて、同性と抱き合っている感覚にもなる。だけど襟足の短い髪の感触と、骨張った肩の形状が妙にエロくて、おれは昨日何回も勃って、何回も擦って何回も出した。

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