水の背中
長谷川昏
1.朝
友達だった、とそれを過去のようにしたのは、おれが彼女と仲違いして友達でなくなったわけでも、彼女が不慮の事故や病気で死んだわけでも、彼女が会うことも叶わない場所に行ってしまったわけでもなく、おれが彼女と昨日セックスしたから、おれはひとり勝手に彼女が別の人間に見えるような、彼女がどうにも遠くにいるような、恐らくひと月後には鼻で嗤うこと確定の似非ナイーブな感覚に肩まで浸かっているから、そのように表現したのだと思う。
「どうした?
声の先には、やや怪訝な狛江の表情がある。
気づけばおれは道の真ん中に突っ立っていて、登校中の生徒の流れを堰き止めながら、追い抜きざまの彼らに嫌な顔をされ続けている。
おれと違って道の端に立つ狛江は、いつものように声をかけたはずの相手から何の返事も戻らない、いつもとは違う現状に戸惑って、前述の表情を浮かべていた。
「あ、ああ……」
しかし昨日までなかった感情が心に鎮座するおれは、言うべき言葉が滞った舌に、どのような返事を乗せればいいか悩む。
おまけにどこを見ても昨日のことを関連づけて何かを思い出しそうで、どこへ視線を持っていけばいいのか目は泳ぐ。
「……うっす」
結局迷った末に、おれは諸々の感情の上にどうもしねぇよという些か投げやりな感情を覆い被せて、愛想のない返事を足元に落とす。
けれども狛江は、ぼそぼそしたその「うっす」を聞くとそれだけでよかったのか、僅か肩を竦めると登校の続きを再開させるべく、あっさりおれの前から去っていった。
重い鞄のせいで左肩が下がる狛江の細長いうしろ姿は、他の生徒達の姿に紛れてすぐに見えなくなる。
おれは狛江のことが好きだ。
でもそれは心が締めつけられると形容されるような心情じゃない。愛してる、一生離したくない、というような激情的で劇場的な感情で相手に伝えるものでもない。
おれの狛江を好きだという感情はこの先もずっと変わらず、彼女とセックスするという行為に発展することなどしないようなものだった。
けれど事実、おれは昨日狛江とセックスして、それはおれにただの挨拶さえ簡単に返せなくなるという現状をもたらしている。
狛江への感情は、何ら以前と変わってない気はどこかでしている。だけどそうでない感情も、心か頭か陰嚢の裏っ側か、もしくはそれ以外のどこかにべったりと貼りついていて、おれはただもやもやしている。
でも狛江はおれがもやもやを抱えていようがどうであろうが、昨日までと何も変わらない。
今までどおり同じ教室に変わらず存在して、時々思い出したように言葉数の少ない会話をおれと交わして、放課後は同じプールで泳いでいる事実に多分変わりはない。
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