危機
元はと言えば、自分が招いた事態である。
そのように、小森好恵は思わざるを得ない。
――陽太くんが、わたしのことをどう思っているか。
それを、陽太くんとは同じ部活で、最近友達になった同級生の朝比奈吟ちゃんに訊くように、好恵は頼んだ。
自分で訊けばいいではないか、という吟ちゃんの最初の反応も尤もだったけど、好恵はどうしてもその勇気が持てなかった。
そう。
いつも、そうだ。
あの時、彼のことが好きだと気付いてから、わたしは――
「好恵」
「…………」
好恵が何度も繰り返した心の沈没に、校内では一番の友達である
顔を上げると、士音ちゃんは図書室のカウンターから少し困った顔で、こちらを見下ろしている。
「私に泣きついてくるのは別にいいんだけど、図書室のカウンターの下に潜り込むの、やめない?」
「……ここだと、誰の目にもつかないと思うから」
そう。
今、好恵が居るのは図書室、貸し出しカウンターの下。
資材や資料の入った段ボール箱などが存在する中、空いてるスペースもあるので、そこで好恵は膝を抱えて座っているのであった。
とても狭いが、今はそこにしか居場所が見いだせない。
「まあ、かくれんぼするなら、もってこいの場所よね。一人でいろいろ考えたい時とか」
「…………」
「で、好恵、そうなってる理由は未だに言ってくれないの?」
「…………」
「と言いつつ、大まかには察しが付いてるんだけどね。――平坂くんのことでしょ?」
「……………………」
「好恵って、一年の同じクラスだった頃は何考えてるか解らない時があったけど、今は結構解りやすくなったわね」
苦笑する士音ちゃん。
そんなにも、昔の自分は解りにくかっただろうか……と思ったが、今思い返すと、解りにくかったんだと思う。時折、何も考えずにぼんやりするの、結構好きだったし。
陽太くんと初めて会ってから、それもしばらく変わらなかったけど……本当に、彼のことを頻繁に考えるようになったのは、いつからだっただろうか。
もう、わからない。
「それにしても、平坂くん、これは流石に許せないわね」
「……え」
「好恵のことを泣かせるなんて、わりと最低なことよ。今度会ったら、本当にぶっ飛ばしてやろうかしら」
「……ち、違うの!」
思わず、好恵は立ち上がろうとして、
ゴツン
「~~~~!」
カウンターの下にいるのを忘れていたためか、カウンターの角に頭をぶつけて、好恵は悶絶した。痛い。
「だ、大丈夫?」
「……大丈夫じゃ、ないかも」
なんだか、とても情けない気分になる。
心はぐちゃぐちゃになるし、ぶつけた頭は痛いし、今日は徹底的に駄目な日だ。
いっそのこと、自分の存在を抹消してしまいたいとすら思えてしまった。
「で。違うって言ってたけど、平坂くんが悪いのが違うってこと?」
「……うん」
ようやく痛みも治まったところで、士音ちゃんは好恵を図書室のカウンターの椅子に座らせて、そのように訊いてくる。
今は誰とも目を合わせたくはないから、好恵は下を向きつつも、ぽつりぽつりと今の気持ちを吐露する。
「……悪いのは、わたしなの」
「好恵が?」
「……わたし、いつも逃げてばっかりだから」
「逃げて……って、心当たり、無くはないわね。この前もそうだったし」
「……陽太くんのことが好きって自分で気付いてからも、普通のおしゃべりは出来てたと思う。その中で、想いを伝えられるチャンスが、いくつもあったけど……いつも、勇気が持てなくなって。意識すると、途端に何もしゃべれなくなって」
「自分の気持ちを知られるのが、怖い?」
「…………」
怖い。
とても。
「……陽太くんと会ってからの半年間、過ごした時間がとても、とっても大事だったから。一方的に想いを伝えて、それが壊れちゃうかもしれないと思うと」
「い、一方的……?」
士音ちゃん、何故か驚愕していた。声だけで解った。
その反応の意味が好恵には解らないけど、構わずに続ける。
「……だから、わたし、吟ちゃんに頼んだの。陽太くんが、わたしのことをどう思ってるか訊いて欲しいって。でも、それを知るのも怖くなって。やっぱりやめてもらおうと思って、姫ちゃんの部活の部室に行ったら――」
これ以上は、言葉にならない。
自分の想いを、彼自身の口から否定されたのを思い出して、息が苦しい。目の奥が痛い。涙と一緒に、何もかもが外に溢れそうになる。
今のこの時を、好恵は罰だと思った。
想いを伝えることを何度も先送りにした、罰だ。
当然なのかも知れない。
何度も、そしてさっきも、彼の前から逃げ出したのだから。
こんな自分のことを、好恵は好きになれないし、きっと彼だって――
「好恵」
「……え? 士音ちゃん?」
と、士音ちゃんは、横から好恵のことを優しく抱き締めてくれた。
一瞬、慰めでそうしてくれているのか、と思いきや、
ぎゅうううううううううううううううっ
「っっっっっ!?」
直後、身体を思い切り締め上げられた。
抱擁ではなく、単なるベアバックだった。
しかも、士音ちゃん、細身なのにとても力が強くて、好恵はさっきとは別の意味で息が詰まった。
「……し、士音ちゃん、痛い」
「あ~~~~~~、もう、やってられるかっ!?」
「……!?」
次いで、士音ちゃんは自棄になったように叫びだした。
図書室には少量とはいえ生徒が居て、一斉に驚いたようにこちらのことを見てきたけど、そんなことはお構いなしだ。
「こっちはいきなりメソメソしだすし、あっちはあっちでいつまで経ってもヘタレなままだしっ! なにこれ!? どんだけあんたら焦れったいの!? ここまで来てくっつかずに逆に拗らせるのって、何もかもを通り越してホント奇跡的よ!?」
「……え? ええ? 士音ちゃん、何を言って」
「好恵っ!」
「は、はいぃっ!?」
ベアバックを解かれた直後、今度は士音ちゃんがこちらの顔を両手で挟み込んで、怒り心頭ながらもまっすぐにこっちを見て名前を呼んできたのに、好恵は、目を逸らさず正面から変な声で返事してしまった。
……ここまで大きい声が出たのは、いつ以来だっただろうか。わりと最近だった気がするが、それはともかく。
「今すぐっ! 平坂くんと! ちゃんと話し合いなさい!」
「……でも」
「でもはなし! 嫌われるとかいろいろ考えるのなら、いっそのこと当たって砕けろ! 絶対に砕けないけどっ!」
「……やっぱり、まだ、駄目。わたし、陽太くんと向かい合うのが怖くて」
「じゃあ電話でもなんでもいいから! 一刻も早く! ハリー! ハリー! ハリー!」
「…………」
ここまでの剣幕に押されると、もはや是非もない。
好恵はモタモタと携帯電話を取り出し、陽太くんの電話番号を呼び出そうとするが。
やはり、迷いが生じる。このまま、まともに話し合えるのだろうか、と。
でも、今ここで前に行かないと、士音ちゃんは怒ったままだろうし。
前にも行けず後にも退けず、なんだか、知らず知らずのうちに好恵はとてもピンチだった。
「……ピンチ」
そこで、思い出す。
出会って間もない頃、彼と電話番号を交換したときの、あの言葉。
――ピンチになったら、いつでもオレのことを呼んでくれっ。どこからでも、すぐにカッ飛んでいくからっ!
ああ。
こんな時でも、彼は好恵の心に現れてくる。いつだって、彼のことを想ってしまう。
――この想いを、誰にも否定されたくない。彼にすらも。
ならば、怖がってる、場合じゃない。
「好恵」
「……うん」
腹を括った、というのが伝わったのか。
士音ちゃんが、先ほどの怒り心頭から一転、とても穏やな顔で好恵の手を優しく握ってきた。
勇気づけてくれているのが、はっきりとわかった。
「……っ」
一番の友達の後押しに感謝して、好恵は、やや強めに携帯電話の通話ボタンを押す。
耳に当てると、無機質なコールの音。
一回一回が、とっても長く感じる。一回毎に鼓動の爆破を促されているかのようだ。
「――――」
そして、五回目に、電話が繋がったとわかった。
声は、出る。
大丈夫。
だから、第一声を、
「……陽」
『すんっませんでしたああああああああああぁぁぁっ!?』
「――――!?」
発する前に、携帯電話のスピーカーから彼の大声による謝罪が轟いた。
無論、好恵は耳キーンになった。
近くに居た士音ちゃんも、好恵の手を握っている反対の手で、片耳を押さえるアクションをしていた。
「……よ、陽太くん?」
『オレ、好恵先輩の気持ちも知らないで、あんなこと言って、しかも好恵先輩のこと泣かせるとか、ホントすんませんっ! 何万回、何億回謝っても足りないッス!』
「……ううん、アレはちょっとびっくりしただけだから。今は大丈夫」
『ほ、本当ッスか。それなら……いやいやいや、良くない良くない! 好恵先輩には、ちゃんと面と向かって謝りたいッス。先輩、今、何処に居ますか!?』
「……ええと、今は、図書室に居るの」
『じゃあ、今からそっちに向かうんで、また後で――』
「……ま、待って、陽太くん」
電話を切る気配を感じられたので、好恵は慌てて、陽太くんのことを呼び止めた。
まだ、好恵は彼と面と向かう気持ちには、なれなてない。
だから――このまま、言おうと思う。
「……さっきは、本当にごめんね。いきなり、逃げ出しちゃって」
『え……な、なんで好恵先輩が謝るんスか。好恵先輩は、何も――』
「……これまでも、わたしはずっと陽太くんから逃げてきたから。その分も、陽太くんに謝りたくて」
『それは……』
「……ごめん。わたし、陽太くんとちゃんと向き合えてなかった。ずっと、肝心なときに、目、逸らしてた。……陽太くんに嫌われたくなかったから、勇気を持てなくて」
『――――』
「……でも、もう逃げたくない。陽太くんに嫌いになって欲しくないから、わたしは――」
『そんなこと』
と、好恵の言うことを遮るように、陽太くんがポツリと呟いた。
一瞬、『え?』と好恵が目を見開いた瞬間、
『――嫌いになるとか! そんなこと! あるわけないでしょうがっ!?』
スピーカーから、またも陽太くんの叫び声が轟いた。
再び、好恵は耳キーンになった。
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